103.愛するために
「お願いがあるの。助けてほしいの」
カミーユの声は、いつになく真剣だった。
(あのカミーユ様が私たちにお願いだなんて……?)
エレオノーラは驚いた。いつも余裕たっぷりで、皮肉を言ってくる彼女が、こんな風に頼みごとをするなんて。
「とりあえず、話を聞きましょう」
フィリップが椅子を勧めた。話が長くなりそうなことを見越したヘンリーが紅茶を用意するために退室する。エレオノーラは、先ほどまで整理していた書類を机の上にまとめた。続きはまた明日の朝すればいい。
三人が座ると、カミーユが話を切り出した。
「……私、ハーマンを愛することができないの。困っているのよ」
エレオノーラはぽかんとした。
隣では、フィリップがいぶかしげに眉をひそめている。
「愛することができないって……」
エレオノーラは戸惑いをにじませながら言った。
「ハーマン様を愛しているから、私との婚約を破棄させたんじゃないのですか?あの夜会で、私に身を引くように言ったのは、一体なんだったのでしょう」
(別に、ハーマンとの婚約を続けたかったわけじゃないけど、一方的な「残念令嬢」呼ばわりをされた、あの時の私の立場って……)
エレオノーラの心の中で、複雑な感情が渦巻く。
カミーユは肩を落とし、ぽつりと漏らした。
「お金が欲しかったの。困っていた私に手を差し伸べてくれたのは、ハーマンしかいなかったのよ」
その声は、かすかに震えていた。
エレオノーラとフィリップは顔を見合わせた。
「侯爵家の資金の話のことでしょうか。しかし、王家としては侯爵家への援助は一切行うつもりはないし、そのことについてはあなたの同意も得たはずです」
フィリップが確認すると、カミーユはうなずいた。
「えぇ。そのことについては、それでいいの」
カミーユはカップを手に取った。
「一応私の生活の面倒を見てくれたとはいえ、後妻の連れ子である私の扱いはそんなにいいものじゃなかったから」
カップを見つめながら、カミーユは続けた。
「ラフォレット侯爵は私がハーマンを射止めたことで喜んでいたけど、ラフォレット侯爵家のための政略結婚のつもりは無いの。純粋に、私が、お金が欲しかったの」
カミーユは肩を落として言った。
「……お金に苦労する人生なんて、もう、うんざりなのよ」
「どうして陛下と結婚しようと思ったのかは、わかりました」
フィリップは静かに言った。
「でも、あなたがお金のために結婚しようと思ったのであれば、愛する必要は無いのでは?政略結婚と同様に考えれば、愛が無い結婚だって、いくらでもあります」
その言葉にカミーユは首を振った。ピンク色の髪が揺れる。
「ハーマンは、私のことを愛してくれているし、大事にしてくれているの」
その目には、複雑な感情が浮かんでいた。
「私も、ハーマンのことが嫌いなわけじゃないのよ。私も応えたいとは思うの……ただ、私の美意識が、どうしても受け付けないだけで」
エレオノーラは納得した顔で言った。
「つまり、陛下の見た目が問題っていうことなのね」
カミーユは深く息を吐いた。
「今まで、ハーマンが痩せるように色々試してみたのよ、私。でも、食事管理しても痩せないし、足りないって怒るし、運動させようとしたらすぐ音を上げるし……」
カミーユの声には、悔しさが滲んでいた。
「前世では、太ってる人を『自己管理できない人』だって馬鹿にしてたけど……やってみてわかったの。思ってたより、ずっと難しいって」
エレオノーラはうなずいた。
(そうよね。ハーマンも、ただ食べ過ぎて太っているのではなくて、私たちと同じように太る原因があるんだと思うな)
「でも、エレオノーラ様は、ちゃんと痩せることができたでしょう?」
カミーユは真剣な目でエレオノーラを見た。
「お願い!助けてほしいの。ハーマンを、ちゃんと『好き』になりたいの。結婚式の前に、ちゃんと向き合いたいから。それに、この話はあなたたちにとっても悪い話ではないと思うのよ」
そして、ほんの少し声を震わせて、続けた。
「……本当は、あなたたちにも申し訳ないことをしていると思うの」
カミーユは視線を落とした。
「私がちゃんとハーマンを愛していれば、こんな風に城に縛り付けることにはならないでしょう?魔法水晶への魔力の供給があるから、どこにも行けないじゃない。国王でも無いのに。」
エレオノーラは、ふと気づいた。
「そういえば、カミーユ様、魔法水晶の部屋に向かう前に『それでも足りないかもしれない』って言っていましたものね」
あの時のことを思い出す。
「あれは、魔力の増幅が十分じゃないことを予想して?」
「そういうことよ」
フィリップがお茶を一口飲んだ。温かい紅茶の香りが、部屋に広がった。
「それから……」
カミーユは躊躇いがちに言った。
「婚約破棄のとき、あなたのことを『残念令嬢』って言ったこと……ごめんなさい」
その声は、申し訳なさそうだった。
「あのときは、あなたのことを、公爵令嬢として生まれ育って何も苦労していない、ただ癇癪ばかりおこしている我が儘な人だと思っていたから」
カミーユは続けた。
「あなたは確かにお金には苦労していなかったかもしれないけれど、あの王太子妃教育を幼い頃からずっと続けてきたのだものね。私とは別の苦労があったはずだということに思い至らなかったのよ」
一瞬、空気が静まった。
部屋に沈黙が落ちる。時計の針が進む音だけが、やけに大きく聞こえた。
エレオノーラは考えた。
カミーユのことは、正直、まだ苦手だ。可愛らしい見た目とは裏腹の、余裕たっぷりの態度での皮肉。打算的な考え方。どうしたって仲良くなれるような気がしない。たぶん、前世で出会っても、なるべく関わりを避けたい人物だ。
(だけど……)
カミーユは、エレオノーラにスキルの使い方を教えてくれた恩人でもある。彼女がハーマンを愛していれば必要無かったかもしれないが、あの状況で最善の選択だった。そして、その彼女がハーマンの気持ちに応えようとして悩んでいる。
エレオノーラは、カミーユの方を向いて笑顔をつくった。
「謝罪を受け取ります」
そして続けた。
「それに、確かにあの頃の私は、確かに残念なところも多かったので、仕方ないと思います」
エレオノーラは優しく言った。
「私が力になることで、カミーユ様の憂いが晴れる可能性があるのであれば、協力させていただきます」
その言葉に、カミーユも思わず、肩の力を抜いた。
「ありがとう。本当にありがとう……」
ほっとした顔で、カミーユが小さく、自分に言い聞かせるように続けた。
「クラディスのハーマンは、好きだったもの。痩せたら、ちゃんと向き合えるはず」
その単語に、フィリップが小さく反応した。
「クラディス……?」
フィリップの眉が、わずかに動いた。




