101.真実の重みとドレスの行方
俺は自室の椅子に深く腰を下ろし、静かに息を吐いた。
窓の外は、日が暮れかけている。冬の夕暮れの淡いオレンジ色の光が、部屋を斜めに照らしていた。
アンドリアン・クレイヴェルの処刑を言い渡したあの日、あの男の過去についてフィリップから詳しい報告を受けた。
そして今は、後日スタンダル帝国から戻ってきた使者から渡された、スタンダル帝国でのアンドリアンの様子についての報告書を読み終わったばかりだ。
羊皮紙を机に置く。パラパラと、紙がめくれる音がした。
「アンドリアンの母シャルロットが、アンドリアンを産んだ直後から父方の祖母や乳母に悪く言われていたのは本当のことみたいです」
フィリップの言葉が、頭の中で蘇る。
「ただ、シャルロットも、決してただの被害者ではなかったようですよ」
フィリップの報告は淡々としたものだったが、その内容は重かった。
シャルロットはダイバーレス王国を「田舎」と嘲り続けたという。社交の場ではダイバーレス王国の貴族を「スタンダル帝国の貴族に比べて教養がない」などと平然と口にしていたらしい。
当然、王国の貴族たちは彼女をよく思わなかった。
――つまり、シャルロットは周囲に虐げられたのではなく、自ら敵を作ったのだ。
さらに、彼女はただ泣く泣くスタンダル帝国へ帰ったわけではなかった。怒りに任せて爆発し、クレイヴェル子爵家を捨てたのだ。
そして、スタンダル帝国に戻った後も、息子であるアンドリアンにひたすらダイバーレス王国への恨み節を語り続けた。
実家のモンタギュー公爵やその夫人も、一緒になってクレイヴェル家やダイバーレス王国について悪く言っていたという。
その結果――。
(あいつは、母親や祖父母の言葉をそのまま信じ込み、憎しみを募らせて育った)
俺は額に手を当てた。頭が痛い。
アンドリアンだけを責めるのは酷かもしれない。あいつは生まれたときから、憎しみを植え付けられる環境にいたのだから。
だが、それでも。
「あいつはスタンダル帝国と手を組み、この国を滅ぼそうとした。それは許されることではない」
やりきれない気持ちが胸に渦巻いて、俺は腕を組んだ。
もし、あいつが違う環境で育っていたら——。
そのとき、ノックの音がした。
コンコン、と軽い音。
「陛下、カミーユ様が参られました」
「……通せ」
扉が開き、華やかな赤いドレスを纏ったカミーユが入ってきた。ピンク色の髪を揺らしながら、部屋に歩み入る。
甘い香水の香りが、部屋に広がった。
魔法水晶の部屋での《愛の力》のスキルの効果がエレオノーラがフィリップに向けたものに比べて弱かったことについては、今まで一度も触れていない。そのことに触れたら、なんだか、カミーユが遠くに行ってしまいそうな気がして、聞くことができずにいた。
「やっと今日のぶんの王妃教育が終わったわ」
カミーユは得意げに言った。
「あともう少しで終わりだって言われたのよ。エレオノーラに比べて、比べ物にならないくらい優秀だって褒められたわ」
彼女は俺の肩に手を回した。だが、すぐに真剣な表情に変わる。
「ハーマン、何か悩んでる?」
その目は、俺を見つめている。
「……アンドリアンのことだ」
俺は、フィリップから聞いたことや、スタンダル帝国の調査報告をカミーユに話した。
シャルロットのこと。アンドリアンが育った環境のこと。全て。
カミーユは黙って聞いていた。時折、小さく頷きながら。
「アンドリアンは、母親の影に囚われ続けていたのだろう」
俺は窓の外を見た。
「そして、その結果、あいつは破滅を招いた。もしあいつが違う環境で育っていたら――」
俺は言葉を切り、ため息をついた。
「そうね……」
カミーユは静かに頷いた。
「確かにアンドリアンの境遇は気の毒よ。でも、それはあなたの責任じゃないわ」
彼女は俺の隣に座った。
「あなたが今すべきことは、同じ悲劇を繰り返さないようにすることよ」
「……繰り返さないように?」
「そう。だからこそ、フィリップの力を借りて、国をより良くしていくのよ」
カミーユは、俺の瞳をじっと見つめて言った。
その言葉は、俺の胸にじんわりと染み込んでいくようだった。温かく、優しい言葉。
今までと変わらない。
(《愛の力》が弱かったからって、カミーユが俺の欲しい言葉をくれることに変わりは無いじゃないか)
「……そうだな」
俺が背負うべきものは、過去の悲劇ではなく、カミーユと創る未来の安定なのだ。
少し気持ちが軽くなった。
そのとき、カミーユが急に頬を膨らませた。
「でもね、ハーマン。私、ちょっと不満があるの」
「何だ?」
「新年の舞踏会のための新しいドレスを作りたいって相談したら、フィリップがそこまで必要ないって、予算を立ててくれないのよ」
カミーユは不満そうに言った。
「それどころか、今年はスタンダル帝国侵攻で被災した国民のことを考えて、舞踏会自体縮小するって」
俺は思わず苦笑した。
「確かに、国民感情を考えたら仕方ないな。フィリップの言う通りだ。無駄遣いはできないだろう」
「無駄なんかじゃないわ」
カミーユはむっとした顔をした。
「国の経済を回すためにも必要なものよ。新年の舞踏会だって、ハーマンが王になって初めての舞踏会なのに、縮小だなんて……」
カミーユはため息をついた。その肩が、小さく落ちる。
「しかも、ハーマンだって最近、私に何も買ってくれないじゃない?」
「……俺も、できなくなったんだ」
「え?」
カミーユが驚いて目を見開いた。
「フィリップに無駄遣いを止められてな」
俺は肩をすくめた。
カミーユは残念そうな顔をした。その目が、わずかに潤んでいる。
「王妃になったら、いつでも最先端の美しいドレスを着ることができると思っていたのに」
「カミーユは、そんなに着飾らなくても十分美しいぞ」
俺はなだめるように言った。
しばらくの沈黙の後、俺は真剣にカミーユの目を見つめた。
「……フィリップの言うことは、基本的に正しい。だから、お前もちゃんと従え」
「えぇ……分かってるけど……」
カミーユは目を伏せて、仕方なさそうに頷いた。
その横顔は、少し寂しそうだった。
……カミーユの言う通り、フィリップの力を借りて国をより良くしていくしかない。
でも、カミーユには、せめてできる範囲で贅沢をさせてやろう。
こんな情けない俺を慕って、寄り添ってくれる大事な人だ。
(――明日、フィリップに相談してみるか)
俺はそう決意し、窓から夕陽に照らされて黄金に輝く街を見下ろした。
きっと、これからもっと良い国になる。
そう信じて、俺は明日を迎えるのだ。




