表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

獄中令嬢モモ・クルツバルグの華麗なる復讐レシピ

「アイラ・ザクセン! 今日をもってきみとの婚約を破棄させてもらう!」


 王太子妃主催の夜会にて。シャンデリアの光がきらめく、絢爛豪華な会場で。

 幼いころからの婚約者、カート・ヴィゼンに婚約破棄を宣言されたわたしは、嗚咽を漏らすまいとするようにハンカチを口に当てると膝から崩れ落ちた。


「カート様……そんな、本気でおっしゃっているの……?」

「ああ、アイラ。もちろん本気だとも! きみがリオナにしてきた仕打ちを知らないとは言わせないぞ!」


 眉を勇ましく吊り上げて、わたしに鋭い視線を向ける婚約者カート・ヴィゼン。

 その胸にそっと手を添えて、彼からは見えない角度でわたしに勝ち誇った微笑みを向けるリオナ・ヘッセ。


 夜会に集まった人々が、突如として騒ぎ始めたわたしたちに注目している。

 好奇心に満ちた視線を受けながら、ハンカチの下にあるわたしの唇は──実は、笑みの形に歪んでいる。


 ついにこの時がきた、と思った。

 わたしはこの時を、長い間ずっと待っていた。

 今こそ、モモに授けられた『復讐レシピ』を完成させる時だ──


◇◇◇


 アイラ・ザクセンの婚約者、カート・ヴィゼンは浮気をしている。

 ささいなことをきっかけにそれを知ったわたしは、令嬢の間でひそやかに噂される、ある方法を試すことにした。


『王城の地下にある隠された牢屋の奥に、1年前に断罪されたとある令嬢が収容されている。恋人に裏切られ、相手に報復したいなら彼女に相談するといい。必ず、復讐の方法を教えてくれるから』


 そんな噂だ。

 まさか、噂を丸のまま信じ込んだわけではない。

 しかし、試す価値はあると思ったのだ。

 『追放された令嬢』に心当たりがないわけではなかったし、彼女ならきっと、今のわたしに必要な助言をくれるから。


 だからわたしは見張りの兵に賄賂を渡し、『地下にいる令嬢に会わせてほしい』と頼み込んだ。

 すると兵士は手慣れた動作で賄賂を懐に隠し、わたしに地下牢の鍵を渡してくれた。


 あまりにもうまくいったものだから、拍子抜けをしてしまう。


 だが地下に捕らえられているのが『彼女』であるならば、それも納得だ。

 おそらく見張りの兵士自身も、『彼女』の手中にあり、わたしのような女が来たら、自分のところに案内するように指示されているのだ。

 想像に難くない。『彼女』はそういう裏工作が、昔から得意だったから。


 地下牢に続く階段を降りながら1年前のあの大騒ぎを思い出すと、ほんの少し胸が痛む。

 わたしはあえて思い出さないように気をつけながら、一歩一歩を進めていった。


 階段の終点は、特別な虜囚だけが収容される、王城の地下牢。

 そこに一歩足を踏み入れると、暗かった廊下に明かりがともった。


(どうして……この牢屋には、魔封じが仕掛けられているはずなのに)


 王城の下にある特別製の地下牢。ここには魔力を封じる仕掛けが施されている。

 どんなに頑丈な牢屋でも、魔法を使える相手には無力だ。だから、魔力を持った相手に対してはこのような牢屋が必要なのだ。

 そしてこの国では、魔力は王族と貴族の家系に生まれた者しか持たないと言われている。しかも身分が高いほど、魔力が強いとされている。

 つまりここは、犯罪を犯した王族やそれに血筋の近い貴族を閉じ込めるための牢屋なのだ。


「あらあら。お久しぶりです、アイラさん」


 明かりに照らされた廊下の奥。いかにも頑丈そうな牢屋の中から、澄んだ声が聞こえる。


「……そうね、モモ。本当に久しぶり」


 わたしは牢屋の前まで歩み寄り、その中にいる少女に目を向けた。

 ゆるくウェーブした金髪と、陶器のように白い肌。傷のついたガラス玉のように光を放つのは、桃色の瞳。

 それらを持つ美しい少女が、牢屋の中で微笑んだ。

 だが、見た目に騙されてはいけないことを、わたしはすでに知っている。


 彼女は『獄中令嬢』とあだ名される、モモ・クルツバルグ。


 1年前に王太子妃と王太子を殺そうとした罪で社交界から追放され、断罪され、魔封じの地下牢で生涯幽閉されることが決まっている、元公爵令嬢だ。


「あなたに最後に会ったのは、投獄が決まったあの裁判の日だったかしら?」

「ええ……覚えていますよ、アイラさん。あなたが最後まで、『これは冤罪だ』と主張して、私を助けようとしてくれたこと」

「……あんなの、ただの自己満足でしかなかったわ」


 公爵令嬢であるモモと伯爵令嬢であるわたしは、幼いころから、顔を合わせる機会がわりと多かった。

 公爵令嬢である彼女のほうがわたしより身分としては上であったが、お互い遠慮なく物を言い合える程度には、友情だってあったと思う。


 だから、突然モモが王太子とその婚約者を暗殺しようとした罪で捕らえられてしまったあのとき。

 わたしは彼女の罪を軽くしてもらえるよう、王太子に嘆願した。


 王族への反逆容疑は立件したらろくに捜査もされない慣習だということはわかってる。

 だが今回だけは、もっとよく調べてほしい。モモが、王太子の婚約者――彼女の姉を、暗殺なんてするはずないのだから。


 わたしはそう進言した。

 しかし、わたしのその意見を聞き入れる人間は誰もいなかった。

 当時は気落ちしたが、今考えてみれば当然の話だ。伯爵令嬢とはいえ小娘一人の意見のために、王家への反逆罪が覆ることなんてありえない。


「忘れてちょうだい。わたしは結局、あなたのために何もできなかったのだから」

「いいえ。私は嬉しかったですよ。アイラさんが、私を助けようとしてくれたこと」


 牢屋の中で、モモは優雅なテーブルとセットの椅子に腰かけながらそう言った。


(なんで牢屋の中にテーブルセットがあるのかしら……?)


 そんなことを考えながらそのテーブルに視線を伸ばすと、そこに置いてあったガラス玉の瞳を持つ人形が突然動き出した。

 驚きのあまりわたしはビクリと身体を震わせたが、ああ、そういえばそうだった、と思い直す。


 これは、彼女の魔法だ。自分の血を与えた人形を意のままに動かす魔法。『傀儡人形』と呼ばれる魔法だ。

 彼女はこの力があったからこそ、幼いころに王太子の婚約者になった。――彼女の姉、今の王太子妃が、癒しの魔力を発現させるまでは。


 そんなことを考え込んでいるわたしの前で、動き出した人形は『うんしょ』と言ってティーポットを持ち上げ、カップに紅茶を注ぐとモモに手渡す。

 その紅茶を一口飲んでにっこりと笑ったモモを見て、わたしはいつの間にか詰めていた息を吐いた。


「……元気そうで安心したわ。牢屋の中の暮らしって、意外と優雅ね」

「ええ。この牢屋に閉じ込められてから、時間があったものですから。何不自由なく過ごせるようにいろいろ改造を施したんです」


 なぜ、罪人であるはずの彼女に牢屋を改造するような権限があるのだろう、とは聞かずにおく。

 なぜ、魔封じが施されているはずの牢の中で、魔法で人形を動かしているのかも。

 ――聞かないほうが、いい気がした。


「こうやって時折客人も来てくれます。牢屋にいても、退屈はしませんよ」


 そう言いながら、モモはもう一度美しく笑った。


「さて、そろそろ本題に入りましょうか。アイラさんも私に、『復讐レシピ』を求めて、こんなところに来たのでしょう?」

「……『復讐レシピ』? なあに、それ」


 聞き覚えのない単語に、わたしは首をかしげる。


「あら? てっきり、浮気者のカート・ヴィゼンと泥棒猫のリオナ・ヘッセのことで私の力を借りたいのだと思っていましたが、違いましたか?」

「ち、ちょっと、あなたなんでそんなこと知っているのよ!?」


 確かに、わたしはカートとリオナのことを相談するためにモモを訪ねた。

 だが、一年間ずっと牢屋で暮らしているはずのモモが、今のわたしの状況を知っているのはさすがに不自然だ。


 驚いたわたしの前で、モモは上品に紅茶をもう一口飲む。

 代わりのように、ガラス玉の瞳の人形が自己主張するかのように『はいっ!』と言って片手を挙げた。


 それを見て、わたしはようやく察する。


「あなたもしかして、『傀儡人形』の魔法を使って王国内の噂話を聞いて回っているの!?」

「その通りです」

「この牢屋にいれば、魔法は使えないはずじゃないの!? 『魔封じ』はどうなっているのよ!」


 動揺のあまり、聞かずに済ませようと思ったことを聞いてしまったわたしに、モモはにこりと微笑んでからこう言った。


「こんなもの、ある程度魔法の出力を制限するだけです。私のように大量の魔力を持つ者には、ほとんど効果なんてありませんよ」

「こんなもの、って……」


 王国の魔法師たちが技術の粋を極めて作り上げた、魔力を封印する魔封じの牢を、モモは問題にもしていないらしかった。

 だが、それも彼女の実力を考えれば当然なのかもしれない。

 モモには、他の人間とは違う特別な才能がある。

 王家とその血に近い貴族だけが持つという、強力な魔力である。

 その力で彼女は『傀儡人形』の魔法を使うことができるのだ。


 昔から、わたしはモモが『傀儡人形』の魔法で人形を操る姿を見ていた。

 幼いころは、人形遊びに便利な魔法だとしか思っていなかったけれど、モモの成長につれて、『傀儡人形』の魔法は大人たちの都合のいいように使われるようになった。

 情報収集、工作、隠密活動……用途はさまざまだ。


 この力があったから、王家は彼女を利用したいと考え、モモは王太子の婚約者に選ばれた。しかし――

 彼女の姉、ロザリーが癒しの魔力を発現させたことで、事態は一変する。

 『傀儡人形』の魔法を持つモモより、人々に癒しを与える『癒しの魔法』を持つロザリーのほうが、王太子妃にふさわしいとささやかれるようになったのだ。


 くだらない噂だと思っていたそれはいつのまにか王国中に広まってしまった。

 気付いたときには、モモは『嫉妬に狂って姉と王太子を殺害しようとした』という罪で捕縛され、断罪され、投獄されてしまっていた。


 モモが国外追放にならなかったのは、彼女の魔力を他国に利用されないようにするためで――

 モモが処刑されなかったのは、彼女が殺すには惜しいほどの才能の持ち主だったからだろう。


 つまり王家は、モモを閉じ込めておきながら、いつか改心したと判断したら、また以前のように便利に使うつもりなのだ。


(まったく、いくらなんでも卑怯な話よ)


 わたしはそう考えていた。

 だから、何度か「モモに面会しないのか」と問われたこともあったけれど、面会することはなかったのだ。

 王家が望む『モモの改心』になんて、手を貸したくなかったから。

 だが、今こうして、彼女の話を聞くと──


(話が変わってくるわね……)


 モモは閉じ込められて、身動きできないくせに、自分の才能と魔力を使って、牢屋の外の世界の情報収集を怠らない。

 そんなことをする理由なんて、ひとつしかないじゃないか。


「……あなたが捕まったとき。あまりにもあっさり罪を認めて投獄されたとは思っていたのよ。モモ、あなた――こうなることがわかっていたのね?」


 モモは返事の代わりみたいに笑う。

 美しい微笑みは、かえって作り物みたいだ。彼女の操る、ガラス玉の瞳の人形と同じように。

 そんな笑顔を見ながら、わたしはこんなことを考える。


 おそらくモモは、最初からわかっていたのだ。


 きっと、姉のロザリーが癒しの魔力を発現させたときから。

 自分はお役御免になり、何もしなくてもいつかは嵌められて、特別製の地下牢に収容されることを察していた。

 だから彼女は、自ら捕まることを選んだ。そうすることで有利な条件を引き出し――自分が使役できる人形を牢屋に持ち込むことに成功した。

 そしてモモはそれを使い、外の情報を集めている。


 そんなことをする理由は、ひとつだ。


 モモは、いずれこの牢屋を脱出し、自分をこんな目に遭わせた者たちへ復讐する機会が訪れるのを、待っているのだ。


 わたしはそう考えた。


 モモは昔から、自分の敵に容赦しないところがある。幼馴染であるわたしはそれを知っていたし――きっとその癖は、今も変わっていない。


「そう……モモ。あなた、自分の復讐のために、令嬢たちを利用することにしたのね?」

「あら?」


 モモは驚いたような声を出したが、わたしは確信をもってこう続ける。


「とぼけなくてもいいわ。わたしがここに来たのは、令嬢たちの噂を聞いたからよ。『獄中にいる令嬢に相談すれば、裏切った婚約者へ復讐する方法を教えてもらえる』という噂」


 モモが閉じ込められているこの牢屋に来れば、『獄中令嬢』から、自分を裏切った婚約者へ復讐する方法を教えてもらえる。

 わたしは、その噂を聞いてここに来た。


「モモ。あなたは恋人に裏切られた令嬢たちに、相手に復讐するための策を授けているんでしょう?」

「ええ……そうです」

「そしてその見返りに、あなたが使役する人形を外の世界に連れ出させて、少しずつ貴族社会に紛れ込ませるんでしょう。そうやって、あなたは人形たちから外の世界の情報を得ているんだわ」

「……まあ、そうですね」

「そうよね。そしてその人形たちを使って、あなたは自分の復讐のための工作をしているんでしょう? 王太子やその妃、あなたを陥れた人たちに復讐するのが、あなたの目的。違う?」

「あらあら? ええと……うーん?」


 小首をかしげて煮え切らない態度をとるモモに、わたしは不敵に笑ってこう告げた。


「いいわ。わたしも、その作戦に乗ってあげる」

「と、いいますと?」

「モモ、わたしもあなたの復讐に手を貸す。その代わりに、今までここに来た令嬢たちと同じように、あなたもわたしの復讐に協力してちょうだい」


 所詮この世はギブアンドテイクだ。

 自分に何かしてほしければ、相手に何かをしてあげるべきだ。

 さらにいえば、その条件を最初に決めておくべきなのだ。どちらかの思い込みに頼らずに。


 婚約者にどんなに尽くしたところで裏切られた経験から、わたしはそれを学んだ。


 わたしが『お互いの復讐に協力しよう』と告げると、モモはもう一度、あの美しい笑顔を見せた。


「もちろんいいですよ。でもアイラさんが相手なら、私は対価なんて要求しませんよ?」

「そうはいかないわ。正当な労働には、正当な対価を用意するべきよ」


 モモはますます笑みを深めて「アイラさんはそういう人でしたね」と言った。


「あなたのような人を裏切るなんて、カート・ヴィゼンは本当に見る目がない」

「そう、カートのことよ。モモ、あなた、どこまで知っているの?」

「そんなに詳しくはないですよ。……カートがあなたに仕事を押し付けておきながらリオナ・ヘッセと遊び惚けて浮気をしたことと、ばっちり情事の深みにはまりこんだところでリオナがあなたに浮気現場を目撃させたことくらいです」

「ほとんど全部じゃない! 『傀儡人形』でのぞき見していたのね!?」

「ええ。ですが私にわかるのは、何が起こったかという事実だけ。当事者の心情はわかりません。だからまずは、何があったか、お話してくれますね?」


 そんなわけだったから、わたしは大きく息を吐いてから、彼女に今までの事情の説明を始めた。


 家の都合で、幼いころに定められた婚約者、カート・ヴィゼン。

 わたしは彼に嫁ぐために、結婚して彼を支えるために、やりたいことを諦め、次期侯爵としての彼の仕事をずっと手伝ってきた。

 最近では「忙しい」と言って逃げ出すカートの代わりに、彼の名代として直接仕事をするようにさえなってきた。


 だというのに、だ。

 カートはいつからかリオナ・ヘッセに夢中になっていた。わたしを裏切り、浮気を始めたのだ。


 そんなことを簡単に説明すると、モモは「あらまあ、ひどい話」と言って、眉をひそめる。


「おそらく、アイラさんがカートの代わりに行った仕事で優秀な成果を出したことが、カートのプライドを傷つけた。だから、安易な美辞麗句と体で慰めてくれるリオナと浮気したのでしょう」

「……そう。あなたがそう言うなら、きっとそうなんでしょうね」

 

 わたしがカートの仕事に手を出すようになったのは、彼の仕事のあまりの効率が悪さを見るにみかねてのことだった。しかし、自分でやるより女に任せた方が上手くいくという環境は、カートのプライドを思いのほか傷つけていたのかもしれない。


 面倒くさい話だ、と思う。

 だがさらに面倒臭いのは、その隙を見逃さない女がいたことだ。


 それがリオナ・ヘッセである。

 彼女はカートが弱っていることに気付くと彼に近づき、誘惑して、浮気を始めた。


 わたしがそれを知ったのは、カートの屋敷に呼び出されて寝室に誘導されたときのことがきっかけではあるのだが――

 詳細はあまりにも破廉恥なので伏せておく。

 ひとつ確かなのは、あのときわたしを呼び出したのは、リオナの企みだったということだ。


「どちらかというと、厄介なのはカート本人よりもリオナの方でしょうね」


 モモの言葉に、わたしは頷く。

 自分に都合よく振舞ってくれるリオナに癒しを求めたカートも大概だが、リオナはその上をいく。


 カートが信じているほど、リオナが純粋であるわけがないからだ。

 本当にカートが好きで好きでしょうがなくて近寄ったなら、わたしに浮気現場を見せつけるなんてことは、しなかったはずだ。

 だがリオナはそれをした。

 そんな彼女がカートの婚約者の座をわたしから奪い取ったあと、そのまま侯爵夫人の座で満足するなんて思わない。

 彼女はカートを踏み台にして、今度はもっと上の身分の男を狙うに違いない。

 狙いはおそらく、王族だ。

 この国では、女は結婚相手を選ぶことでしか成り上がることができない。そしてこの国で最高の身分の持ち主といえば、間違いなく王族なのだ。


「いっそのこと、放っておくのも手であるのかもしれません。リオナは放っておけば、もっと身分の高い他の男に乗り換えるはず。そうすれば、カートはお役御免で返品されるでしょう」

「たとえそうだとしても、わたしはもうカートとよりを戻すつもりはないの。カートがわたしを裏切ったのは事実よ。あの男には痛い目を見せてやらなきゃ気が済まないわ」


 わたしの返事を聞くと、モモは楽しそうに「ふふっ」と笑った。


「いいですね、とてもいい。それでこそアイラさんです。……それでは、あなたに『復讐レシピ』を授けましょう」


 そう言って、両手で包み込んだ何かを差し出してきた。

 牢屋の中に手を差し伸べて、わたしはそれを受け取る。


 手を開くと、中にいたのは小さな人形だった。

 手の親指よりも一回り大きいそれは、モモと同じような、ピンク色のガラス玉の瞳をしている。


「これは……?」

「わたしのメッセンジャーです」

『よろしくおねがいします、アイラ様!』

「きゃあっ! 動いたわ!! しゃべったわよ!?」

「動くししゃべりますよ。私の魔法がかかっているんだから、あたりまえじゃないですか」


 人形は『よいしょ、よいしょ』と言いながらわたしの手から腕を伝い、肩に座る。そしてわたしの耳に内緒話をするように顔を寄せると、こんなことをしゃべった。


『その子がいれば、こうやって離れたところからでも、私の声が届きます』


 人形から聞こえてきたのは、モモの声だ。

 それはつまり。


「そう……ならこれからは、わざわざここに来なくてもあなたと話すことができるのね」

「その通り。私はこれから、その子を使って情報収集をし、復讐のための助言をします。だからこれからは、アイラさんはこの子の指示に従って行動してください。そうすれば、あなたの目的は必ず達成されるでしょう」


 そしてモモは、もう一度あの美しい笑顔を見せて、こう言ったのだ。


「アイラさん。この私、モモ・クルツバルグの『復讐レシピ』に、これからどうぞご期待ください」


◇◇◇


 モモから渡された人形は、


『しばらくは情報収集に努めます。アイラさんは、いつも通りに過ごしてみてください』

 

 モモの声でそんなことを言ってから、しばらくの間は静かにしていた。

 そして、数日経ったあと。


『なるほど、よくわかりました。アイラさん、集めた情報で私の『復讐レシピ』が完成しましたよ』


 あの美しい微笑みが見えてくるような声音でそう言った。


「モモ。牢屋でも言っていたけれど、『復讐レシピ』ってなんなの?」

『お料理では、食材を理解しておいしく食べるためにレシピを使うでしょう? それと同じです。相手を理解して、最適な方法で復讐するための手引。それがわたしの『復讐レシピ』ですよ」

「……なら、あなたの『復讐レシピ』に従えば、カートとリオナを懲らしめることができるのね?」

『もちろんです。私のレシピで、最高に痛快な復讐をご覧に入れましょう』


 その声に合わせてぺこりとお辞儀をした人形を見て、わたしも笑う。


「いいわね、それ。最高だわ」


 それからのわたしは、人形から伝えられたモモのレシピ通りに行動した。


 『復讐レシピ』その1の手順。


『まず、カートの貴族社会での評判を落としてください』


 これは、難しいことではなかった。そもそも何もしなくても、今のカートの評価は高くない。

 カートはリオナとの逢瀬を優先するあまり、貴族としての職務をほぼ放棄していたからだ。


 その埋め合わせをしているのが、現時点ではまだ婚約者であるわたしである。

 女の身でありながら男の仕事をしようとするわたしに嫌味を言う連中は多かった。わたしはそのたびに強い言葉で反発していたのだが――

 モモの計画を聞いてからは、彼女の指示通りに、「男の仕事を女がするなんて……」などと言うくだらない嫌味を言う男性貴族たちに、わたしは反発するのをやめた。


 代わりに、にっこり笑ってこう返すのだ。

 

「ええ、まったくおっしゃる通りですわ! カート様であれば、もっと立派にお勤めを果たしてくれるでしょうに……未来の伴侶であるからといって、女のわたしが皆様のお仕事をお邪魔してしまって申し訳ございません」

 

 わたしが、モモの言う通りしおらしい態度でそう言うと、嫌味を言ってきた男性貴族たちは溜飲を下げたような顔をした。

 そしてわたしが反発しないで同調することを知ると、彼らは次第にわたしへの嫌味を言うのをやめるようになった。


 効果はそれだけではなかった。

 その後は、わたしが仕事で結果を出せば出すほど、嫌味の代わりに「きみのほうがカート君よりよほど次期侯爵に向いているようだ」などと、カートを悪しざまに言うようになった。

 男性貴族社会での嫌味の対象は、いつの間にかわたしからカートに代わっていたのだ。


 『復讐レシピ』その2の手順。


『カートが、貴族の仕事ができない無能であるという噂を広めてください』


 これは、広めるまでもなかった。

 手順1で述べたとおり、カートが受け持つはずのほとんどの仕事を、今やわたしが名代として代理で行っているからだ。

 実績も十分ある。カートが仕事していたころよりも、ずっと確実な結果を出してきた。それを知るカートの父親でさえ「きみたちの性別が逆だったら、私も安心していられるんだが」と言うほどだ。

 すでに十分カートが無能であることは知れ渡っている。だからこそ、貴族社会でのカートの評価は下がり続けて止まらないのだ。


 今更何かするまでもなく、カートが無能であることは知れ渡っている。

 そのことを人形を通してモモに伝えると、牢屋の奥で『さすがです、アイラさん』と言って彼女が笑った気配がした。


 『復讐レシピ』その3の手順。


『カートがアイラさんに迷惑をかけているということを、できるだけ多くの人に伝えてください』


 これも、大した苦労はなかった。

 カートが浮気していることは公然の秘密と化していたし、そのくせ職務は婚約者であるわたしに任せていることから、周囲の目は最初からわたしに同情的だった。

 だから、その噂に火と油を足すだけでよかった。

 貴族の集まりはなにも、カートとリオナが積極的に参加する夜会やお茶会などの華やかなパーティだけじゃない。

 むしろサロンや勉強会、講演会などの集まりの方が、自分の義務を放棄して遊び惚ける輩に厳しい目を持つ人間は多いものだ。

 わたしは積極的にそういった集まりに参加し、積極的に噂話を広めることにした。

 そうしているうちに、次第に「お可愛そうに……力になれることがあったら、なんでも言ってくださいませね」と言ってくれる人も増えてきた。


 こうして、わたしは貴族社会の同情を集めることに成功した。

 こんなことができたのは、モモが『復讐レシピ』の最後に付け加えられた注意事項のおかげだろう。


 『復讐レシピ』の注意事項。


『レシピに沿って誰かに噂を吹き込むときは、カート自身に問題があることを、明確に伝えてください』


 これを最初に聞いたときは、意図がよくわからなかったのでモモに質問をした。


「モモ、それはどういうこと?」

『あからさまにネガティブな悪口を言うだけでは、私の『復讐レシピ』は完成しない、ということです』

「……つまり、わたしは何をすればいいの?」

『難しく考えることはありません。噂を吹き込むとき、最後にさりげなく、『それでもアイラ・ザクセンはカート・ヴィゼンを信じている』と相手に思わせればいいのです』

「そんなこと、できるかしら。わたしはまったくカートのことを信じてなんていないのに」

『あらあら。そうですね……噂を吹き込んだ最後に、微笑みながら『でも、カートはやればできる人だと思うの』とでも言っておけば、十分ですよ』


 わたしはモモの言うとおりに行動し――そして、その通りになった。


 カート・ヴィゼンはコンプレックスの塊であり、婚約者であるアイラ・ザクセンより劣っているという事実に耐えきれず他の女との浮気に逃げた。

 しかしアイラ・ザクセンは健気にもカートを信じ、彼が戻ってくるのを、彼の仕事を肩代わりしながら待っている。


 あの二人が浮気に励み、恋にうつつを抜かしている間にわたしが多くの人に吹き込んだ噂は、次第にわたしの手を離れ、貴族社会全体で囁かれるようになった。

 噂話はほとんど事実として扱われ、カートとリオナにまともに相手をしようとする者はいなくなった。


 だが、カートたちは、自分たちが孤立していることに気づいていない。社交界にすでに味方が誰もいないことを知らないまま、今も呑気に浮気を続けている。


 この状況は、モモの作戦通りだった。


 そのことが、わたしは少し怖い。

 モモの『復讐レシピ』の通りに動いたのはわたしだ。しかし、あまりにもうまくことが運びすぎていることが、ほんの少し、怖かった。


「モモ……ものすごく性格が悪い作戦よ、これ! 本気でこんなレシピを、実行していいの!?」


 レシピに従って行動するたび、善良な人々を騙している気がして良心が摩耗してきたわたしは、自室で誰もいないことを確認するとモモから預かった人形に話しかける。

 すると、人形はすぐに動き出して、上品な仕草で自分の手を自分の口に当てた。


『まあ! 心外です。私が考えた中では、これが一番穏便な方法ですよ』

「他にどんなことを考えていたっていうのよ……!」

『あらあら、アイラさん。本当に知りたいですか?』

「……いいえ、やめておくわ。何を聞かされるのかわかったものじゃないから」


 わたしはそう言ったのだが、モモの言葉を伝える人形は、次にこんなことを語りだした。


『アイラさんにはわからないと思いますが、人は、虐めようと思って人を虐めるわけではありません。それが正しい行いだと信じているからこそ人を虐めるのですよ』

「……? 何の話よ、モモ?」

『標的に復讐するために大切なのは、周りを巻き込むことです。周囲の人間に、標的を陥れ、貶める理由……『正しさ』を用意してあげることが大切なんです。たったそれだけで、周囲の人間は標的を見限り、容赦ない攻撃を始めるんですよ』


 モモが何を言っているのか、よくわからなくて黙るしかないわたしの前で、人形はこてんと首をかしげると態度を改めた。


『さて、もう十分にアイラさんの流した噂は知れ渡った頃でしょう』


 そして、モモの言葉を代弁する人形は、モモのようなガラス玉の瞳をまっすぐにわたしに向けて、こんなことを言い出した。


『それではそろそろ、『復讐レシピ』その5の手順。リオナ・ヘッセへの嫌がらせを始めましょうか』


◇◇◇


 『リオナ・ヘッセへの嫌がらせ』なんて言い出すから、一体モモはわたしに何をやらせる気だろう、と戦々恐々としたものだ。

 しかしモモの言う『嫌がらせ』とは、わたしが想像したほどには大したことではなかった。

 社交界の集まりで、リオナを無視する、というだけのことだ。


『彼女が近寄ってきたら席を外す。話しかけてきたら誰かに助けを求める。アイラさんがするのは、それだけです』


 わたしはモモのこの言葉通りに、わたしに話しかけてこようとするリオナを無視し始めた。

 彼女がカートと浮気をしていることは周知の事実であったし、彼女がわたしに話しかけてくるときはいつもしらばっくれた顔でカートの話題を出してくるものだから、わたしの行動を訝しむ者も、諫める者もいなかった。

 むしろそれが当然である、というようにわたしの行動を受け入れ――

 それだけでなく、わたしに追従する人もいた。

 一人だけではない。多くの人がわたしと一緒になって、リオナを無視し始めたのだ。


 モモに指示されたわけでもないのに、そんなことをする人が、わたし以外にもいるなんて思わなかった。

 だからわたしはリオナが来た途端席を立った令嬢たちを相手に「なぜそんなことを?」と聞いたのだ。

 すると、リオナを無視し始めた令嬢たちは、善意百パーセントの暖かい感情を込めた瞳をわたしに向けて、こう言った。


「だってずっとアイラ様が耐えてきたことを知っていますもの」

「わたくしたちは、あなたの味方です。それをお伝えするには、行動で示すのが一番だと思ったのですわ」


 衝撃を受けた。

 モモの言っていた通りになった、と思った。


 人は、虐めようと思って人を虐めるわけではない。それが正しい行いだと信じているからこそ人を虐めるのだ、と以前彼女は言っていた。

 その通りになったのだ。


 わたしがやったのは、カートとリオナを攻撃する理由を、その『正しさ』を用意することだけだ。

 それだけで、貴族令嬢や夫人たちは、積極的にリオナを社交界から排除しようと動き始めた。

 モモの、思惑通りに。


 そして、こうなるとさすがのリオナも、社交界全体から無視されていること、その原因がわたしが広めた噂にあることに気づいたみたいだった。

 こんなことになるとは想像もしていなかったのだろう。この期に及んで状況を理解していないカート以外、誰も自分の相手をしてくれないパーティで、激しい怒りを込めた視線をわたしに投げかける彼女を見て、わたしは確信した。


 『復讐レシピ』の完成が、近いということを。


◇◇◇


「アイラ・ザクセン! 今日をもってきみとの婚約を破棄させてもらう!」


 モモが人形を通して『もうじき向こうから『婚約破棄』を宣言してくるころですよ』と言ってから数日とおかず、ある夜会に出席したわたしに、婚約者であるカートは宣言した。


「カート様……そんな、本気でおっしゃっているの……?」

「ああ、アイラ。もちろん本気だとも! きみがリオナにしてきた仕打ちを知らないとは言わせないぞ!」


 カートの胸に頭を預けたリオナは、勝ち誇った笑みでわたしを見ていた。

 愚かにも、これでわたしが傷つくと信じているのだろう。

 悔やんで泣きわめいて、許しを請うとでも思っているのだろう。


 わたしの気持ちはとっくの昔にカートから離れている。

 だからそんな考えは――あまりにも、浅はかだとも知らずに。


「ひどいです、カート様……わたしはずっと、影ながらあなたをお支えしてきたというのに……!!」

「誰がそんなことをしてくれと頼んだ!? きみはずっと僕の仕事を奪っていただけなのに、偉そうなことを言うな! それだけでなく、きみは僕の心が離れたと知るとすぐにリオナの嫌がらせを始めたじゃないか! いい加減恥を知れ、アイラ!」


 わたしを断罪しようと声を張り上げるカートの前で、わたしはただ、レースのハンカチを口に当てて、この日のために鍛えた演技力で泣き崩れてみせるだけでよかった。

 それだけで、周囲の視線が驚きから同情に代わっていくのが、肌でわかった。


 モモの計画通りだ。

 彼女はこうなることを、予想していた。

 そして、こうも言っていた。


『カートがアイラさんを断罪するために立ち上がったら、しばらくの間はしおらしい態度をとっていてください。それだけで、助けてくれる人が現れるはずですから』


 そしてその言葉通りに、わたしを庇うような人影が現れた。


「あなたは……」


 カートとよく似た面差しの男性。彼は、カートの父親であるヴィゼン侯爵だ。


「カート、おまえ、何を馬鹿なことを言っているんだ!?」


 彼はわたしの前に出て、わたしを庇うように立ちふさがると、カートに向かって鋭い声でそう言った。


「なぜアイラを庇うのですか、父上! その女は僕がやるべきだった侯爵の跡継ぎとしての仕事を奪っていたんですよ! そのせいで先日、子爵閣下が『確かに噂どおり、アイラ嬢のほうが次期侯爵と呼ばれるのにふさわしいですな』なんて言っていたのを、父上だって聞いたでしょう!」

「馬鹿者! 跡継ぎの仕事を自ら放り出して遊び惚けていたのはお前のほうだ! そもそも、彼女は自ら望んで仕事していたわけじゃない。本来お前が務めるべき執務を、将来の妻として、おまえの名代としてフォローしていただけだ。彼女はおまえの名代として会議に出席するたび『カート様であれば、もっと立派にお勤めを果たしてくれるでしょう』と言っておまえの顔を立てていたんだぞ!」

「ぼ、僕がそんなことをしてほしいと頼んだわけではない! 父上はアイラに騙されているんだ! アイラは父上の優しさに付け込んで侯爵家を乗っ取ろうとしているんだっ!」


 リオナに何かを吹き込まれたのだろう。カートはまだ、わたしへの攻撃の手を緩めるつもりはないみたいだった。

 そんなカートに、彼の父親である侯爵閣下は感情のうかがい知れない瞳を向けてから、はあ、と重いため息をついて「もう黙ってくれないか、カート」と諦めたように言った。


「……アイラは、おまえがやるべき務めを完璧にこなしてくれていただけじゃない。勉強会や講演会に積極的に参加して、常に自分の能力を高める努力を怠らなかった。すべて、私がおまえに期待していたことだ。しかしおまえは私が何度言っても自分の義務を果たそうとはせず、そこの令嬢と遊び続けるだけだった。……おまえには、自分が私の期待を裏切り続けていた自覚がないようだ。あの子爵がおまえではなくてアイラを『次期侯爵』と呼んだのだって、ひとえにおまえの無能を皮肉っただけにすぎない。恥を知るべきはおまえのほうだよ、カート」

「そんな……!」

「おまえが無能だから、アイラはおまえをフォローせざるをえなかったんだ。だが、彼女が恩着せがましいこことを言ったことなんてないぞ。それどころか、おまえを悪しざまに言う人に向かっても、何度でも『カートはやればできる人だ』と言っていたんだ! アイラは誰よりも最後まで、おまえを信じていたというのに……!!」


 カートは目を白黒とさせながら、なんとか父の言葉を否定しようと、愚かな発言を繰り返す。


「そ、それすらもアイラの計算のうちです! そうやって父上に取り入って、侯爵家を牛耳るつもりに決まってる! 目を覚ましてください、父上!」

「目を覚ますのはお前の方だ、カート! アイラは今まで、おまえの浮気を知りながらも心を取り戻すため精一杯努力し、至らぬお前を補ってきた。それはすべて、おまえを心のそこから愛していたからなんだぞ! だというのにおまえ自身がその想いを、そんな風に言うなんて……まったく、あきれ果ててこれ以上は言葉が出てこない」


 そして一度顔を伏せて首を振ると、毅然と姿勢を正して、カートに宣言した。


「今日と言う今日は、私とてお前を見限る覚悟ができたぞ!」

「ち、父上……!? だ、だってアイラは、僕の仕事を奪っただけじゃない。社交界のご婦人たちの集まりでは罪のないリオナを無視したんだ。他の令嬢やご婦人とも結託して、リオナを貴族社会から追放しようとだってしたんですよ!? なぜそんな女を庇うんです!!」


 父の思わぬ反撃にあってひるんだカートは、作戦を変更したみたいだった。

 リオナの話を持ち出して、わたしがリオナを不当に攻撃したのだと主張しはじめた。

 あくまで、わたしが加害者であり、自分たちは被害者なのだと主張したいらしい。


 その認識こそが、この場にいる全員の認識と一番かけ離れているのだと、いつになったら気付くだろう。


 カートの発言のあと、しんと静まり返った会場の中で「ここまで愚かな男を、私は今まで嫡子として扱っていたのか……」という侯爵の声がむなしく響く。


 婚約破棄を告げられ、泣き崩れていた(演技をしていた)わたしを介助するように寄り添っていた子爵夫人が、侯爵のそんな姿を見て立ち上がった。


「……リオナ様については、侯爵閣下よりもわたくしからカート様にご説明したほうがいいご様子ね?」


 普段はおっとりと優しいはずのその瞳は、今はキッと鋭い光を宿してカートとリオナに向いていた。


「カート・ヴィゼン次期侯爵閣下。あなたは本当に、お隣にいるその女性が、純粋な気持ちであなたに近づき、恋をしていると思いますか?」

「な、何を……」


 子爵夫人は流行の最先端をいく洒落人として注目を集めているだけでなく、その面倒見の良さから社交界の中でも、特に女性の支持を多く集める女性だ。

 彼女の発言は皆が注目する。それを自分で理解しているからこそ、彼女の発言にはいつも重みがある。


 その彼女が、カートに庇われる位置にいるリオナに厳しい視線を向けている。


「……残念ながら、今のこの国は、女が自分の力だけで生きていくことは難しい。女は、伴侶となる男を選ぶことでしか、自分の人生を向上させることができません。つまりそれは、女が成り上がるには、より身分の高い男と恋をすればいい、ということでもある」

「し、子爵夫人、あなたは一体なにを言っているんだ?」


 突然なんの話を始めたのか、カートにはわからなかったらしい。すぐ横にいるリオナのひどい形相を見れば、子爵夫人がなんの話をしているのかすぐにわかっただろうに。

 子爵夫人は、優雅な仕草で扇子を広げ、その奥でクスクスと笑った。


「ここまで言ってもお分かりにならないのが、そのご立派な頭がただの飾りであるといういい証拠ね」


 艶のある婦人に笑われて、カートの頬が赤くなる。それを見たリオナが、カートと子爵夫人の間に割り込んだ。


「カート様、こんな人の言うことなんて聞く必要ないわっ!」

「あらあら、リオナ様ったら、そんなに声を荒げてどうなさったの? もしかしたら、化けの皮をはがされるのを心配したのかしら?」

「夫人、もう黙って! あなたにカート様の何がわかるっていうの!?」

「リオナ……!」


 カートはリオナに庇われ、その背に向かって感嘆の声を上げた。

 さっきまで守ろうとしていた女に庇われて喜色を浮かべるカートの姿は、なんというか、言葉を選んだとしても、実に滑稽だ。

 その姿を子爵夫人も見たのだろう。抑えきれないように鼻で笑ったあと、閉じていた扇子をもう一度開く。


「やはり、はっきりと言わないことには、あなたには伝わらないようです。この際、はっきりと申し上げましょう」

「ちょっと、やめなさいっていっているでしょ!」


 カートの前でずっと続けていたはずの猫かぶりをやめたところで、リオナの制止は間に合わない。

 子爵夫人は、夜会の参加者が見守る中で、きっぱりはっきりと宣言した。


「カート様。あなたはリオナ・ヘッセに騙されたのです。彼女は、あなたの婚約者の座をアイラ様から奪いたかっただけ」

「え……? リオナが僕を、騙した?」

「ちょ、子爵夫人、何を言うのよ! カート様、あんな人の言うことを信じる必要はありません!」

「リオナ……そうだよね?」


 まるで母親に叱られた子どもみたいな頼りなさで、カートはリオナを縋るように見る。

 しかしそんな二人に向けられる会場中からの軽蔑しきった視線が、この場にいる全員の考えを如実に表現していた。


「夢見る次期侯爵様、あなたはそろそろ目を覚まして、現実を見るべきです。リオナ・ヘッセの本性なんて、火を見るより明らかですわ」

「リオナの本性……?」

「あなたがリオナ・ヘッセに選ばれたのは、美しい運命の恋なんてものではございません。あなたが選ばれたのは、あなたなら――うまく御せると思ったからですよ」

「ぎょ、ぎょせる……?」


 言葉の意味を理解できなかったのか、戸惑いの表情を浮かべるカートに、子爵夫人は容赦せずに続ける。


「彼女の狙いはただひとつ。あなたにアイラ様との婚約を破棄してもらってその後釜に入り、そうしたら次期侯爵の婚約者という身分を使ってもっと身分の高い男に近づくことです。だから、彼女に婚約者の身分をあたえたら最後。あなたはきっとすぐに捨てられてしまいますわ」

「捨てられる、だって……!?」

「子爵夫人! あまりにも無礼だわ。どれだけカート様を馬鹿にすれば気が済むのよ!」


 先ほどからカートは子爵夫人の言葉におうむ返しに反応するだけだ。それを見て危機感を抱いたのか、リオナが甲高い声で子爵夫人の発言を遮ろうとする。

 だが、子爵夫人は余裕の笑みで、「ごらんなさいな、カート様」と続けた。


「リオナ嬢はあなたを背にかばい、まるで私があなたを責めているみたいに言いますね。だけど私が問題にしているのは、リオナ・ヘッセただ一人ですよ」

「カート様! こんな人の言うこと、聞く必要はありません!」

「……いいや、ぜひ聞きたいな。子爵夫人、あなたは僕に何を教えたいのですか」


 少しだけ落ち着きを取り戻し、子爵夫人に話を求めたカートを見て、夫人は笑みを深めたみたいだった。


「素直なところだけは、美点ですわね。……いいえ、素直すぎて簡単に騙されたのだから、やっぱり欠点かしら」


 夫人に妖艶に微笑みかけられると、カートはたやすく頬を染めた。

 空気の読めないその仕草に苛立ったのは、きっとすぐそばにいるリオナだけではなかったはずだ。


「先ほど申し上げましたとおり、今のこの国では女は自分の伴侶となる男を選ぶことでしか、社会的に成功できません。だから着飾り、教養を得て、よりよい男の恋の相手になろうとする。そのことを否定はいたしませんわ。女の武器を磨き、女として戦う女のことを、私は尊敬いたします。だけど、リオナ・ヘッセは違う。彼女はすでに相手のいる男を、下劣な手段で誘惑した。あなたのことですわ、カート様」


 話を振られたカートはびくり、と震えたが、それ以上は何も言わなかった。


「あなたは自分に都合のいい言葉をささやき、自分に都合よく体で癒してくれる女に簡単に誘惑され、婚約者を裏切りました。だけど、カート様はお気づきかしら? それは全部、リオナ・ヘッセの計算の内だったということを。あなたが誘惑に弱いことがわかっていたから、彼女はあなたを誘惑したのです。……そしてリオナ・ヘッセはあなたを寝取って自分が成功するために、他の女性を犠牲にしようとした。私が許せないのは、そこですわ」

「どうしてあなたの許しなんて得ないといけないのよ!」


 一方的に責められ続けることに耐えきれなくなったのか、リオナは叫ぶようにそう言った。

 だけどその言葉は、自分の今までの所業を認めるのと同じことだ。

 子爵夫人が憐れむような視線を向けたことで、リオナもそれに気づいたみたいに自分の口を押さえた。


「……男をつけあがらせ、勘違いした自信を持たせることは、女を軽く見て、扱うようになることにつながります。彼女を放置することは、他のすべての女性のためになりません。だから私たちは、彼女を社交界から追放しようと決めました。だから、彼女の相手をしないことにしたのです」


 そこまで語ると、子爵夫人はダンスを終えたあとのようにお辞儀をして、目の前の二人に向かって告げるのだ。


「いかがですか、お二人とも。ここまで聞いても、アイラ様がリオナ・ヘッセを一方的に害しようとしたとおっしゃる?」


 子爵夫人の最後の言葉を聞いて、カートとリオナの二人はようやく言葉を失ったみたいだった。

 そして、子爵夫人に庇われているその後ろで、わたしは感銘を受けていた。


(そうだったのね……)


 令嬢たちがわたしに追従してリオナを無視し始めたとき、あまりにも簡単に、彼女たちがモモの策に嵌ったことが怖かった。

 だけど、違ったのだ。彼女たちがわたしの味方をしてくれていたのは、モモの策に嵌ったからではなかったのだ。


 彼女たちは、リオナの本性を正確に見破っていた。


 リオナを放置しておくことは、自分たちのためにもならないとわかっていたから、わたしに協力してくれていた。

 リオナのような、男の弱みに付け込んで甘い言葉をささやいて女を裏切らせるような女を放置することが許せないから、立ち上がってくれたのだ。


 強い人たちだ、とわたしは思う。周囲にいる男性陣も同じ気持ちのようで、見回すと彼らがキュッと顔を引き締めたのがわかる。

 まるで自分たちの手綱を握っているのが、誰なのかを思い出したかのように。


 呆然とした面持ちで周囲を見回ていたわたしの背を、他の令嬢の優しい手が撫でた。


「大丈夫です、アイラ様。みんなあなたの味方です。辛いことは、今日でぜんぶ終わりますわ。だって、あなたは何も悪くないんですもの!」


 優しい、暖かい笑顔だった。わたしを安心させるために、彼女は笑ってくれていた。

 わたしはたくさんの人に囲まれ、守られるように背に庇われている。


 子爵夫人だけじゃない。カートの父親である侯爵、今隣にいてくれている令嬢、それから、この会場にいる多くの人々。

 みんなが、わたしを庇ってくれていた。

 カートとリオナのことも、正しく評価してくれていた。


 その姿を見ながら、わたしはこんなことを考える。

 モモの『復讐レシピ』は、周囲の人との交流を求めていた。

 それは、周囲の人々と絶えずコミュニケーションすることで、わたし自身を理解してもらい、味方になってもらえ、ということだったのかもしれない。


(……いえ、ただの結果論かもしれない。モモは本気で、相手を嵌めるための策を考えてくれただけかもしれないけれど)


 その可能性は否定できない。というか、その可能性のほうが高いような気もする。

 しかし、今傍にいる皆がわたしの味方になってくれて、それゆえにカートとリオナを断罪しようとしているのは事実だ。


 改めて、カートとリオナに視線を向ける。

 二人には、わたしと違って味方は誰もいない。

 彼らはたった二人ぼっちで、なぜ自分たちがこれほど非難されるのか、未だにちっともわかっていないようだった。


「き、きみがあんなことを言い出すからこんなことに!」

「あ、あたしのせいにするつもり!? そもそも、あなたがちゃんと仕事をしてこなかったからじゃない!」


 ついには二人で言い争いを始めている。


 その様子は――

 かわいそうになるくらい、あまりにも無様だった。


 わたしが何か声を出そうとしたとき、それより先に、冷たい氷のように冷静な声が熱気が立ち込める会場の中に響いた。


「……決着はついたようね」


 会場の奥から、声の持ち主が現れる。

 モモによく似た金髪とピンク色の瞳をもつその女性は、この国の王太子妃だ。


 名前はロザリー・アルサフィア。旧姓を、ロザリー・クルツバルグという。


 そう、クルツバルグ。彼女は、モモの姉である。


「妃殿下、お騒がせして申し訳ありません。しかし、これには事情があるんです……!」


 カートがなおも言い訳を重ねようとするが、王太子妃は片手を挙げただけてそれを制した。


「カート・ヴィゼン。あなたの言い分はすでに聞かせてもらいました」

「でしたら……!」

「いいえ。あなたのこれまでの挙動に加え、本日わたくしの主催する夜会で狼藉を働いたこと、到底許せるものではありません。リオナ・ヘッセ。あなたもですよ」

「ちょっと待ってよ、悪いのはあたしじゃない! 誘いに乗ったのはカートの方だし、そもそも婚約者をうまく御せなかったあの女さえいなければ、こんなことにはならなかったじゃないっ!」


 わたしを指さしながらリオナはそう言ったが、それを聞いた妃殿下は眉根をよせて、かすかにため息をついた。

 たったそれだけの仕草が、絵に残したいほど美しい。


「あなたはわたくしに、これ以上恥をかかせるおつもり? まだ続けるようなら、こちらも相応の手段をとりますよ」


 上に立つ者特有の威厳を纏った、有無を言わせない宣言を聞いて、カートもリオナも言葉を詰まらせる。

 そして、王太子妃が動かした視線の先にいるのは、彼女の護衛騎士だ。


 これ以上二人が口を聞けば、王太子妃の意を汲んだ騎士によってカートとリオナの身柄は拘束されるだろう。


「アイラ・ザクセン」

「は、はい」

「あなたは何を望みますか?」

「え……?」


 急に話しかけられ、何を言われたのか一瞬理解できなかったわたしに向かって、王太子妃は穏やかな声音で続けた。


「あなたが、カート・ヴィゼンをフォローするためとはいえ身を粉にして働き、王国に尽くしてきたことを、わたくしも王太子殿下も知っています。だけど彼は、あなたの誠意を踏みにじって浮気をし、それだけでなく、衆目の前で婚約破棄をして名誉すらも奪おうとした。到底許されるべき行いではないと、わたくしは考えます」

「……」


 モモの姉が、わたしを庇うようなことを言うのが意外だった。

 あの子を獄中に閉じ込めたのは、この人なのに。


 わたしは、ドレスの裾にこっそり忍ばせていたガラス玉の瞳の人形を、ぎゅっ、と掴む。

 だけど、人形は何も反応しない。

 その代わり、モモによく似た女性が、わたしに向かって微笑んだ。


「ですが、今回の件の、一番の被害者はあなたです。だから、あなたに選ぶ権利を与えましょう。カート・ヴィゼンとリオナ・ヘッセに、あなたはなにを望みますか?」


 どうやら王太子妃は、わたしにカートとリオナをどう処断するべきか、意見を聞いてくれるらしい。

 ここで発言すれば、彼女は王族としてのプライドにかけて、望みどおりの処罰を、確実に実行してくれるだろう。


 だから今このときが、わたしの復讐の、最後の仕上げの瞬間だった。

 わたしは大きく息を吸って、それから、王太子妃に向き合った。


「……正しく、公正に裁きを受けることを望みます」

「カートが裁きを受けてもいいのね? あなたはずっと、彼を愛し、信じていたのでしょう? そう噂されていますよ」


 そう言ったときのいじわるな笑顔を見ると、やはり彼女はモモの血縁なのだと実感する。


「……婚約破棄を面と向かって告げられたこと、その後のカート様の言動をみて、わたしも目が覚めました。カート様とリオナ嬢には裁きを受けて、もう二度と、わたしの人生に関わらないでほしい。それで十分です」

「わかりました。では、あなたの望み通りに」


 王太子妃が片手を上げると、会場を警備していた衛兵たちが近寄ってきて、カートとリオナを捕縛し、連行していった。


「アイラ、父上! 話を聞いてくれ、僕は騙されていたんだ!」


 去り際に、カートはそんなことを言っていたけれど、わたしはもちろん侯爵も何も聞こえていないかのように反応しなかった。


 あの二人はこのあと、犯罪者として収容される。

 モモのような特別製の地下牢ではない。あれは元公爵令嬢という身分と魔術の才能があってこその待遇だ。


 そしてしばらくしたら、裁判にかけられるはずだ。

 侯爵がカートの減刑を求めれば結果は変わってくるだろうが、今日、王族の前でこれだけ恥をかかされたのだ。カートの廃嫡は避けられない。侯爵は血縁から養子を迎えることになるだろう。

 そして二人を待ち受けているのは、おそらく……貴族として生まれた者にとって、最も悲惨な結末だ。


 しかし、その境遇に同情するつもりは微塵もない。


 他人を軽んじる者は、他人からも軽んじられる。

 これはたったそれだけの話で、だからこそ当然の結末だ。

 もう二度と、この国の社交界で彼らを見ることはない。彼らの噂を聞くこともない。


 わたしはそれで満足だ。

 つまりこれで、わたしの復讐は完了したのだ。


 わたしは息をついてから、ドレスの裾に忍ばせていた人形を取り出した。


「ありがとう、モモ。すばらしくスッキリした気分だわ」


 しかし、返事がない。ぴくりとも動かないそれは、まるでただの人形だ。

 なぜだろう、いつもならすぐに反応するのに、と思っていると、こちらを凝視する視線に気づいた。

 そこにいるのは、王太子妃しかいない。そしてその視線は、わたしの手元に向かっている。


 王太子妃が、わたしの手元にある、人形を見ていた。


「……妃殿下。わたしに、なにか御用ですか?」


 わたしが声をかけても、王太子妃はわたしの手元にある人形を凝視している。

 そして、ぽつりと言った。


「……あの子は、元気なのね」


 寂しそうな顔だった。

 その顔を見て、わたしは察する。

 王太子妃は、この人形の正体がわかっている。

 わたしが、モモと繋がっていることに気付いている。


 だけど、それなら、疑問が残る。


(なぜ、そんな寂しそうな顔をするの……?)


 モモを閉じ込めたのは、彼女なのに。

 彼女がモモを断罪したから、モモは『獄中令嬢』になったのに。


「……モモを閉じ込めているのは、あなたじゃないですか。それなのに今更、何を言うんです?」


 湧き出でてくる怒りを抑えて、できるだけ感情を伝えないようにそう言ったわたしに、王太子妃はまぶしいものでも見るような視線を向けた。


「そう、あなただったわね、アイラ・ザクセン。あなたはあの裁判の日、最後まで妹を庇ってくれた女の子」

「『妹を庇ってくれた』? そんなことを言うのなら、モモを牢屋から出してあげてください!」


 売り言葉に買い言葉でそんなことを言ってしまったわたしを、王太子妃は叱責しなかった。

 代わりに、泣きそうな顔で唇を開く。


「……あの子は、あそこで暮らすのが一番幸せなのよ」


 それだけ言うと、視線がこれ以上わたしたちに集まるのを避けるように王太子妃は歩き出し、わたしに背を向けた。


 彼女が公爵令嬢だったころならともかく、今の彼女は王太子と結婚し、王族となった身分だ。わたしが呼び止めていい人間ではない。

 だから、どれだけ言いたいことがあっても、わたしは彼女を引き止められなかった。


 だけど、彼女は最後に、わたしにこう言った。


「……あなたは、妹に会えるのでしょう。あの子が望むなら、あの子を連れ出してもいいわ」


 それはきっと、彼女からモモへの伝言だった。


 『出たければいつでも、獄中から出て自由になっていい』と。



◇◇◇


「まさか、また会いに来てくださるなんて思っていませんでした」


 『復讐レシピ』を完成させた報告に、もう一度牢屋を訪ねたわたしに、未だ獄中のモモはそう言った。


「モモ。あなたね、わたしのことをどれだけ薄情な女だと思っているのよ?」

「だってアイラさん、レシピはもう完成させたのでしょう? これ以上、私になんの御用です?」

「……レシピのお礼を伝えようと思って……」

「そんなの、人形に伝えてくれれば十分ですよ」

「……復讐の結果を、あなたに伝えようと……」

「『傀儡人形』の人形を通してじっくり見物していたので十分ですよ」


 微笑みながらわたしの言葉を否定する彼女は、本気でわたしが牢屋に来たのが意外みたいだった。

 だから、わたしは腹を決める。

 そしてコホンと咳払いをしてから、こう言った。


「……友達に会いに来るのに、理由なんて必要ないでしょう!」


 モモが閉じ込められてから一度も、会いに来ることなんてなかったのに。モモはわたしが会いに来ても拒めないのに。それなのに、こんなことを言うのは卑怯かもしれない。

 それでも、わたしはモモに友情を感じているのだということを、伝えたかった。


 自分の気持ちは素直に伝えた方が後々こじれないということを、今回の一連の事件を通して、わたしだって学んだのである。


 モモはわたしの言葉を聞いて一度驚いたように目を見開いたあと、あの美しい笑顔で、クスクスと笑いだした。


「なによ! そんなに面白いこと言った覚えはないんだけど!?」


 わたしが頬を染めて反論すると、モモは「すみません」と存外にも素直に謝った。


「でも、ふふっ、そうですね。私たちは友達です! 友達なら、会いに来るのに理由なんていりませんね」


 モモが笑ったのを見て、わたしは安心する。それから真面目な顔に戻って、彼女に聞いた。


「……あと、一つ確認したいことがあったの」

「なんでしょうか?」


 あの夜会で、王太子妃と話したことが、まだ自分の中で消化できていない。

 それに、考えてみれば、不自然な点はいくらでもあったのだ。


「モモ。あなたはなぜ、『獄中令嬢』になったの? あなたほどの魔力があれば、囚われる前に逃げ出すことだって簡単だったはずよ」

「……」


 わたしの問いに、モモは微笑んだまま答えなかった。

 それが、わたしの疑問が正しかったことを証明する。


 なぜモモは『獄中令嬢』になったのか?

 最初は、彼女は王家に捕えられる前に、自分から捕らえられることで隙を作り、復讐の機会をうかがっているのだと思った。

 しかし、彼女ほどの力があれば、こうならない道はいくらでもあったはずなのだ。


「あなたの力は魔力だけじゃない。『復讐レシピ』がそうであったように、巧みに人の心をあやつり、思い通りに動かすのもあなたの力よ。それがあればこんな牢屋からだって、あっという間に自分の力で出られるはずだわ」


 彼女の一番強力な武器。それは、血筋によって与えられた魔力じゃない。自分の策謀でもって相手を意のままに操る力だ。

 その力があれば魔法なんか使わなくたって、脱獄なんて簡単にできる。


「それだけじゃない。あなたをここに閉じ込めたはずの王太子妃だって、あなたが牢屋から出てくることを望んでいるみたいだった。なのに、あなたはずっとここにいる。わたしにはもう、あなたがあなたの意思で『獄中令嬢』になったとしか思えない」


 モモは、黙ってわたしの言葉を聞いていた。

 そうしているとまるで、彼女の操る彼女の人形みたいだ。


「教えてちょうだい、モモ。……あなたはなぜ、『獄中令嬢』になったの?」


 わたしの問いかけに、モモはもう一度あの美しい笑顔を見せてから、こう言った。


「アイラさん、あなたには教えておきましょうか。なんといっても、あなたは私の『友達』ですから」


 何を言いだすつもりだろう、とわたしは唾を飲み込む。


「かつてのわたしは、魔力を王家に利用されていました。『傀儡人形』の魔法で操る人形たちと同じように、まるで操り人形みたいに、私は王家に従って暮らしていた。そのせいで自分のやりたいことも満足にできなかった。私は、そんな生活に嫌気が差していました」


 生まれたころから、彼女には特別な魔力があった。

 そしてその力は、成長と共に王家に利用されてきた。

 わたしも彼女の友人として、そんな彼女の姿を間近で見てきた。


「だから、あの事件を起こしたんです」

「……王太子とあなたのお姉さまを、殺そうとしたという事件ね」

「ええ。ですが、世間一般で知られているようなことはなにもなかった。あれは、全部私の企みだったんです」

「……? どういうこと?」


 わたしはモモに聞き返しながら、どこかで納得していた。


 モモが王太子と彼女の姉を殺そうとした事件の目撃者は、いない。

 いつの間にか彼女は捕まり、断罪され、投獄された。

 あまりにも早すぎる展開だと思っていた。しかしそれが全部、彼女自身の企みなのだとすれば――納得できる。


「姉が魔力に目覚めたのは、私にとっては幸運でした。癒しの魔力があれば、姉が王太子妃になれるから。だけど、あのころはまだ私が王太子の婚約者だったでしょう? だから私は姉に王太子妃の座を円滑に譲るため偽の暗殺計画を立案し、事前に情報をリークして、わざと捕まったんです」


 モモは、天気の話をしているかのようななんでもない口調で、とんでもない事実を告白した。


「そんな……! だってあなたは、あの事件のせいで牢屋に入れられたのよ!? まさか本当に、獄中に囚われることが望みだったとでもいうの?」


 モモは、しっかりと頷いて、私に答えた。


「その通りですよ、アイラさん」

「こんな牢屋の中で暮らすことが望み? 一体ここに、あなたがそこまでして欲しかった、何があるっていうのよ」

「平穏な暮らし、です」

「……!」

「私のような魔力持ちは、王家に召し抱えられるのが常です。この国も私を王太子か王子の妻にして抱え込もうとしましたし、国外に脱出したところで、他の国に捕らえられるのがせいぜいでしょう」


 彼女の力を使えば、逃げ続けることはできるかもしれない。

 しかし、そんな生活は彼女が望んだ『平穏な暮らし』からは程遠い。


「それくらいなら、衣食住の保証をしてもらって獄中で暮らす生活も、悪くはないものですよ」

「だからって……外に一歩も出られない生活は、辛くはないの?」


 モモは、穏やかな笑顔で首を振った。


「『傀儡人形』の魔法を使えば外の様子はわかります。ここに閉じこもっているだけで、お友達だってできました。寂しくないし、辛くなんてありませんよ」


 彼女は、今の境遇に心から満足しているみたいだった。

 なら、これ以上わたしが何かを言う必要もないのだろう。


 わたしは大きく息をついた。


「わかったわ。あなたがそれでいいのなら、わたしはもう何も言わない。だけど、最後にもう一つ教えてくれる?」

「なんでしょうか?」

「あなたは、外で暮らしていたときは『やりたいことが満足にできなかった』と言ったでしょう。その『やりたいこと』って、なんだったの?」


 モモは、また美しい笑顔を見せてから、「アイラさんは、既に知っているはずですよ」と言った。


「なぜ私が令嬢の間で噂を流して『復讐レシピ』を広めていた思いますか?」

「……あの噂の出所まで、あなただったのね」

「そうですよ。私がやりたかったのは、私の能力を最大限に生かして、私の敵となった人を陥れ、懲らしめること」


 いきなり不穏すぎる言葉が出てきて、わたしは目を見開き、表情をこわばらせたと思う。

 そんなわたしの前で、モモは今までで一番楽しそうな笑顔で、うっとりしたような口調でこう言うのだ。


「私、誰かに復讐することが、他のなにより大好きなんです!」

ここまでお読みいただきありがとうございました!

(高)評価やブクマ、いいねなどいただけますと励みになります!!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
最後の一文を読んでうっかり「そうなんだ。。。じゃあしょうがないね」って声が出ちゃったwww ひとりなのにっ。。。夜中なのにっ!
なるほど、趣味か!なら仕方がない。
完成度高いストーリー、魅力的ななキャラクター、お見事でした!!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ