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桜の咲く季節には

作者: ニナコ

 3月の初旬、アレサ国の首都アルスのラクサ邸では怒鳴り声が響いた。

「アミルテラ、お前はまた見合いを破綻させて来たのか。」

温厚なガレオンは顔を真っ赤にさせて跡取りのアミルテラを睨む。

「やりたくてやってる訳じゃない。」

「28にもなって何を子供みたいな事を言っているんだ。良家との縁組を結ぶ事はお前の為になるんだぞ。」

ガレオンは一通り、怒鳴ると疲れて革張りの椅子にどっかり座り既に窓の外を見ているアミルテラを見た。

「お前は才能ある建築家なのにどうしてこうなんだ。少しは私の気持ちを考えてくれ。」

「僕は建築の仕事さえやれればそれでいい。そもそも、どこの馬かもしれない女なんて必要ない。」

アミルテラは家柄を鼻に掛けてきた見合い相手の顔を思い浮かべて舌打ちをする。

「この家はどうするつもりだ。お前の代でラクサ家を終わらせるなんて許さんぞ。」

「僕が子供を作らなくてもアデルテラがどうにかするだろう。あいつはそこの所の立ち回りもうまい。」

アミルテラはもう終わりと言わんばかりに部屋を出ようとする。

「おい、まだ話は終わってないぞ。」

ガレオンは部屋を出る息子の背中に叫ぶが、アミルテラは無視して作業場へ足を進めた。

 作業場では夜が更けても灯りが灯りアミルテラの妹のルズリカが必死に図面を引いていた。アミルテラは静かに彼女の後ろに立つと書いている図面をじっと眺める。

「前よりも上達した。」

アミルテラの声に驚いたルズリカは思わず鉛筆で図面を破りそうになる。

「兄さん、驚かさないでよ。」

「指示した場所は出来てるか。」

「うん、ここを書けばおしまい。」

ルズリカは作業台に視線を戻すと寸分の狂いもなく図面を書き上げて行く。アミルテラは横にあった椅子に座り、ルズリカの様子を見ながら改めて成長した事を実感していた。

「そう言えば、父さんの怒鳴り声が聞こえたけど兄さん何したの。」

「勝手に持って来た見合いについてとやかく言われてた。」

「また、お見合いダメにしたの。」

ルズリカはアミルテラの方を向いて言った。

「僕には必要ない。」

「兄さん何が気に入らないの。今回の人すごく美人だったよ。」

「見てくれじゃない。」

「じゃあ何?好きな人がいるの?」

ルズリカはアミルテラの交流関係から考えてみるが、女性はおろか家族以外の人間が思い浮かばない。

「それよりも図面を見せてくれ。」

アミルテラは会話を遮るようにルズリカに手を差し伸ばす。ルズリカは気持ちを切り替えてアミルテラに図面を渡すと体が硬直した。

 10歳離れた兄であり、建築の師匠であるアミルテラの目はいつも以上に険しかった。

 5分にも満たない時間だったが、ルズリカにとっては1時間以上に思えた。アミルテラは一通り図面を見終わると瞬きせずに自分を見るルズリカを見た。

「これでいい。」

アミルテラはルズリカの頭を撫でた。

「明日は現場に行く。今日は早めに休んでおけ。」

「ありがとう、兄さん。」

ルズリカはアミルテラに褒められた事が嬉しくて笑顔で答えた。アミルテラもルズリカの笑顔を見て心を綻ばせる。

「ルズリカ、今日はよく頑張ったな。お前の成長が見れて嬉しいよ。」

アミルテラはルズリカの頭を再び撫でると頬を緩ませた。

 翌日、アミルテラはルズリカを連れてこの国を収める神と崇められるカルデアスの神殿の建設現場に訪れていた。アミルテラは作業様子に目を光らせて現状報告を聞く。

「ラサルさん、門の部分は八割完成しています。他の箇所も順調に進んでいます。」

「壁の角度が10度違うな。」

アミルテラは担当者の話を聞きながら道具を取り出して角度を測りながら言った。

「作業の進行が順調なのは認めるが、その分ムラが多いです。これでは完成に差し支えがあります。」

アミルテラはガレオンと年が変わらない担当者に辛辣なくらいの指摘を続ける。担当者も最初は流すように聞いていたが、あまりの細かさにイラついてくる。周囲の職人もアミルテラとルズリカ達を遠巻きに見て様子を伺っていた。

「また2日後に来るので、今言った箇所を直しておいて下さい。」

アミルテラはそう言うと職人達に鋭い視線を送り、ルズリカを連れて現場を後にした。

 午後のクライアントとの約束に時間があったのでアミルテラとルズリカは近くのレストランで食事を取る事にした。2人はラサル家の始祖であるマレスとアリサの建築した市庁舎のよく見えるテラス席に座る。

「いつ見ても美しい。」

アミルテラはシンメトリーの建物を見て言った。

「すごいよね。私達の先祖がこんなにすごい建物を建てて今も残ってるんだもん。中の光の具合もよく考えているし、勉強させられる事が多いよ。特に中庭がすごくいい。」

「ルズリカもそう思うか。」

「思うよ。私もいつかこんな仕事してみたい。」

「そうだな。」

アミルテラはルズリカと肩を並べて建築の道を進む未来を想像しながら、兄妹であり夫婦であった先祖の作り上げた偉大な建築をルズリカ共に眺めた。

数日後、幾度となく続いた街との話し合いが終わりアミルテラは新しく出来る図書館の設計をする事に決まった。2人は寝る間も惜しみ作業に取り掛かり、日付が変わるまで部屋の明かりが消えることはなかった。

「ルズリカ、この中庭はお前が作りなさい。」

「私が?」

ルズリカはアミルテラの指差す小さなスペースを見る。

「小さな場所ではあるが、日当たりもいい。好きなようにやってみろ。」

「私なんかが本当にいいの?」

「僕はお前を誰よりも見てきた。間違いなくお前が適任だ。」

「兄さんがそう言ってくれるなら、私頑張るよ。」

ルズリカはアミルテラに任された始めての大仕事に緊張と期待を胸に抱き、気を引き締めた。

 2人の仕事ぶりは周囲から見ても凄まじく、ガレオンが無理矢理2人を休ませる事もあった。

「大仕事に気合が入っているのもいいが、少しは休め。」

ガレオンは夜通し仕事をしていたアミルテラに言った。

「その必要はない。他の仕事も進めているんだ。」

「それなら、私の方もそちらの仕事をもらう。これは家長としての命令だ。」

「これはラサル家への依頼者じゃなくて僕の依頼だ。」

アミルテラの抱える設計の仕事はアミルテラ個人に任されたものがほとんどだった。アミルテラは17歳までガレオンの仕事を手伝っていたが、間も無く彼の設計した教会が注目を浴びた。それ以降、アミルテラは天才建築家として名を馳せて現在でもその地位を不動のものとしている。ガレオン自身、アミルテラの存在を誇らしく思っていたし自分が辿り着けない場所にいる事も理解していた。それでも、家長として父親として止めるところは止めなくてはならないと心得ていた。

「仕事を私にやらなくても、今日だけでも休め。ルズリカも顔色が悪い。」

ガレオンはアミルテラの膝の上で寝ているルズリカを見て言った。

「ルズリカが倒れでもしたらお前も困るだろう。」

ガレオンの畳み掛けにアミルテラも重い腰を上げてルズリカを横抱きにする。

「ルズリカをベッドに寝かせてくる。」

アミルテラはガレオンにそう言うと工房へ出た。

 2ヶ月後、図書館の建設が始まるとアミルテラは自分の求める作品にする為に職人達に指示を出す。

「何度言えば分かるんだ。継ぎ目が荒い。」

アミルテラは5回も直したコンクリートの継ぎ目を直させる。職人は舌打ちを打ちながら先程よりも丁寧に継ぎ目と継ぎ目を直していく。アミルテラは満足な出来に仕上がると次の場所に向かい指示を出していった。ルズリカは少し離れた場所でその様子を眺めると自分の設計した中庭の様子を見に行った。

 中庭では数人の職人が仕事に取り掛かっていた。誰も彼もが図書館を建てるのに集められた腕利きの職人達で庭はルズリカの設計した通りに進んでいた。

「こんにちは。」

ルズリカは元気よく挨拶をすると白髪頭のガルドが振り返る。

「ルズリカちゃん、こんにちは。」

「綺麗に出来てますね。」

「おうよ、ルズリカちゃんの初仕事だからな。」

ガルドは立ち上がりルズリカの頭を撫でる。

「ルズリカちゃん、何かあるなら遠慮なく言ってくれ。」

ルズリカはアミルテラのように厳格で意思を持って伝えなくては思っていたので肩の荷が幾分降りた。

「それなら、石の配置を少し変えてもらえませんか。」

「その石かい。」

「それを右にずらしてもらいたいんです。」

ルズリカは職人達に指示を出して絶妙な位置に石をずらしていく。

「もう少し傾けられませんか。」

ルズリカは全神経を集中させてこの石をベストな位置に持って行った。

 30分もの間、石の位置を調節していたので納得いった場所に置かれた石を見てルズリカはふうと息をついた。

「ルズリカちゃんもあの若旦那と同じくらいこだわりが強いな。」

ガルドはそう言うと従える職人達に休憩の指示を出した。

「すいません。」

「謝る事はないさ。ここで働いている奴らはラサル家の仕事が好きで来てるんだ。」

「ガルドさんはずっと父さんの仕事もやってくれてますしね。」

「若旦那が出て来てからはガレオンさんの仕事が目立たなくなったから寂しいがな。だが、それ以上に若旦那の仕事は目を見張るものがある。将来、大建築家になるだろうよ。」

ガルドは建設している図書館を眺めながら言った。

 ひと段落ついたのでルズリカはガルド達と休憩を共にしながら、昔話に花を咲かせていると様子を見に来たアミルテラがやって来た。

「若旦那、あんたもこっち来て休むか?」

「必要ありません。」

表情を変えないでアミルテラは大股で彼らの方へ来るとルズリカの腕を取って立ち上がらせる。

「次の仕事があるので失礼します。」

「兄さん、どうしたの?」

ルズリカは訳もわからないままアミルテラに引っ張られながら中庭を後にした。

 ルズリカはアミルテラに連れられて建設現場から出ると馬車の中に押し込められた。

「一体どうしたの、兄さん。」

「職人達と仲良くし過ぎだ。仕事なんだから距離感を持て。」

アミルテラはルズリカの向かいに座り言った。

「ガルドさん達は父さんの時からずっと仕事して来たじゃない。」

「なーなーでやっていたら、そのうち仕事にも支障が出る。必要以上に関わる必要はない。」

「でも。」

「言う事を聞きなさい。僕はルズリカの為に言っているんだ。」

アミルテラはポケットからチョコレートを取り出してルズリカの口に入れる。

「今日はまだ2件予定がある。気を引き締めて行くぞ。」

アミルテラは口にミルクチョコレートを入れたルズリカの頭を撫でた。

 半年後、アミルテラの設計した図書館は完成して大きな話題になった。近年使われるようになったコンクリートを主な建築材として使用したこの建物は今まで類を見ない建築物であった。国内外からも視察が来てこの図書館の圧倒的なアミルテラのセンスと建築技術に感嘆の声を漏らした。

「やはり、ルズリカにここを頼んで正解だった。」

アミルテラはルズリカとベンチに座り中庭を眺めながら言った。

「兄さんの建築には敵わないよ。」

ルズリカはアミルテラの隣で兄の作り上げた図書館を眺める。外観は着飾るようなものはないが、洗練されたその姿は目を奪うくらい美しい。無機質なコンクリートの壁には窓が少ないが、室内はとても明るく時間帯によって建物は姿を変えるのだ。ルズリカはこんな精密に計算された建築を自分も作れるかどうか不安になる。

「僕はここが一番好きだ。小さいながらも調和が取れている。他の連中は見る目がない。」

「でも、私はやっぱり兄さんのセンスには敵わないよ。こんな建築絶対私には作れない。」

「ルズリカはルズリカのいいものを作ればいい。他の評価は気にするな。僕らは2人で建築を作るんだ。この図書館もお前と2人で作り上げた作品だ。この評価はルズリカの評価でもあるんだ。」

アミルテラは立ち上がるとルズリカの目の前に立つ。

「この先、間違いなく僕の名前だけでなくルズリカの名前も世に広がる。そして、僕らは始祖のマレスとアリサを超える建築家になるんだ。」

アミルテラは自分を見上げるルズリカの頬を両手で包む。

「2人で行こう。誰も辿り着けない局地に行くんだ。」

アミルテラの声はいつもの感情の篭らないなものと違い情熱的でルズリカの心をざわつかせる。

「ルズリカ。」

アミルテラはルズリカに答えを求めるよう囁くが、ルズリカはそれに答える事が出来なかった。

 翌日、アミルテラはガレオンに連れられて街の中心地にある高級サロンに来ていた。

「今日こそは、余計な事をするんじゃないぞ。」

「余計な事?」

アミルテラは真っ黒なボブカットの頭を掻きむしりながらガレオンを睨む。

「僕は見合いを受けない。」

「今日の相手は大貴族の令嬢だ。粗相があれば仕事に支障が出る。」

「僕が何でそんな女に会わなくちゃいけないんだ。」

「言葉を慎め。聞こえていたらどうする。」

ガレオンは今にも帰ろうとするアミルテラの腕を掴む。

「そんな令嬢こそ、アデルテラが見合いを受けるべきだろう。上との繋がりはあいつの仕事の道具になる。」

「今回の見合いは先方の希望だ。娘さんがえらくお前に関心があるらしい。」

「関心?」

「話を聞く限りだとお前に惚れてるようだ。この話が上手くいけば家の箔もつくし、いい事づくめだ。」

ガレオンはこんないい縁談は2度と来ないと必死にアミルテラを説得するが、アミルテラの反応は思わしくない。

「アミルテラ、頼む。会うだけでいい。結婚まで行かなくても話だけしてくれ。」

「会うだけでいいんだな。」

「そうだ。これが終わった今後一切、私はお前に見合いの話を出さない。」

ガレオンはアミルテラに言うとアミルテラは舌打ちをして「分かった」と返した。

 見合いの場に着くと上等なシルクのドレスに身を包んだ見目麗しい令嬢がアミルテラを待っていた。

「お待ちしておりました、アミルテラ様。」

令嬢はアミルテラに会えた喜びを隠せないと言わんばかりに微笑んだ。

 見合いは両家の両親と令嬢、ガレオンとアミルテラの5人で行われた。ガレオンは持ち前の社交性で会話を弾ませて相手を楽しませる。

「アミルテラ様は子供の頃から才能を発揮されていたのですね。」

「課題を出すと私の想像を超えたものを出してくるもので驚きを隠せませんでした。特に教会の設計を任せた時の事は今でも忘れられません。」

「光の教会の事ですよね。私の友人もそこで結婚式を挙げたんです。中央にある光の十字架がとても幻想的で涙が出てしまいました。」

「アミルテラは愛想こそ悪いですが、建築家としてのは天才なんです。逆に言うと建築以外に全く興味を持たないので困りものですが。」

ガレオンは窓の外を見ながら紅茶を啜るアミルテラを見た。

「アミルテラ様の今の最高傑作は何ですか。」

令嬢は全く会話に参加しようとする気配のないアミルテラに尋ねる。

「アルス市立中央図書館。」

「私もそこに行きました。建築の美しさに心を奪われました。」

「レイア様は建築に興味がおありなのですか。」

「はい。特にアミルテラ様の建築が大好きです。」

レイアは上目遣いでアミルテラを見る。

「アミルテラ様は休日何をされていらっしゃるんですか。」

「別に。ルズリカと出かけたりする。」

「ルズリカ?」

「うちの娘です。アミルテラの妹で彼女も建築の才がありアミルテラと仕事をしているんです。」

ガレオンは補足するようにレイアに言った。

「妹さんがアミルテラ様のお仕事を手伝っているんですか。」

「ええ、うちは男だろうと女だろうと平等に建築を学ばせるんです。ルズリカもアミルテラ同様幼少期から才能を発揮しており将来有望な建築家です。」

「信じられない。女がそんな仕事をしてるなんて。」

「は?」

アミルテラはレイアを睨みつけるが、ガレオンに脛を蹴飛ばされて顔を歪める。

「私も女学校を主席で卒業して、現在は孤児院で子供達に勉強を教えているんですよ」

「レイア様はお美しいだけでなく、教養もあられるんですね。」

「娘は昔から勉強が好きで時折、家に学者を招いて講義をしているんですよ。」

大きなエメラルドの指輪を付けたレイアの母親は上品に笑った。

「今度、家にいらして下さい。私、アミルテラ様から建築を学びたいです。」

「それはいいですね。予定を調整してお伺いいたします。」

ガレオンはアミルテラが余計な事を言わないように円滑に見合いを進めていく。相手も娘と家の自慢に花を咲かせてガレオンに話す。

「娘は勉強が好きなだけあって、教養ある人しか嫌だと言って聞かないんです。ですが、先日のパーティで娘がアミルテラ様の姿を見てぜひお会いしたいと言ったんです。市長とは旧知の中でしたので、ラサルさんのと仲を取り持ってもらったんです。」

「恐れ多い事です。ちなみにレイア様は一体愚息のどこに興味を持たれたのですか。」

「アミルテラ様を見た時、童話の黒曜石の君のようだと思ったんです。スラリとして見目麗しく、才気溢れる姿に心奪われました。」

「また容姿の事か。」

アミルテラは舌打ちをして頬杖を付く。ガレオンはつかさずアミルテラの脇腹を突き嗜めるとにこやかに正面を向いた。

「いやいや容姿は大切です。むしろ、こんな愛想のない愚息の元に素晴らしいお嬢さんが来てくれるならこんな幸運な事はありません。」

ガレオンは必死にアミルテラをカバーするように相手と持ち前のコミュニケーション力で話し続ける。相手も完全に乗り気になって冗談めかして婚約の日取りなど口に出す。レイア自身もうんざりしているアミルテラに一方的に理想の将来設計を話出した。

「アミルテラ様の妻になるなら私も建築の事を学ばなければなりませんね。すぐに妹さんを追い抜いてアミルテラ様と一緒に建築を。」

「いい加減にしろ。」

アミルテラは机を両手で叩き、熱弁するレイアに怒鳴りつける。

「あんた、馬鹿にしているのか。」

「まさか。妹さんも出来るのなら私も出来ると考えて。」

突然怒鳴りつけられて涙目になるレイアは震えながらアミルテラに言った。

「ルズリカは特別だ。何も知らないで建築の事を語るなアバズレ。」

「アミルテラ、いい加減にしろ。」

「黙って聞いてれば好き勝手好き勝手、僕はお花畑女と結婚する気もない。ましてや、建築とルズリカの事を軽く見る連中なんてもってのほかだ。」

「何だと、中流貴族のくせに。」

ニコニコと話を聞いていたでっぷりと太ったレイアの父親が顔を真っ赤にしてアミルテラに怒鳴る。

「こっちはあんたらとバカ娘に付き合ってやったんだ。2度と姿を見せるな。」

そう言い放つとアミルテラは大股で歩いて出て行った。

 それからこの出来事は瞬く間に広がり、ラサル家に依頼された仕事が軒並みキャンセルとなった。ガレオンは全力でこの不祥事を払拭する為に走り回ったが、うまくいかなかった。

「アミルテラ、明日アメルア家に行って謝罪して来い。多少はこの風評被害が良くなるかもしれない。」

「何で僕があんな連中に頭を下げなくてはいけないんだ。」

「そんな事言っている場合じゃない。このままではラサル家は終わりだ。」

ガレオンはアミルテラの両肩を掴む。

「頼む。」

「元々、父さんが目先の利益に欲が眩んで出た結果だろう。僕個人に来た仕事はまだあるし、家の事は心配ない。それに僕は建築とルズリカを貶した事あの女の顔なんて見たくない。」

アミルテラはそう言うと書斎を出て行ってしまった。残されたガレオンは目眩を覚えて椅子に座るとアミルテラの全く家を試みない気質に改めて絶望をした。ガレオンは自分だけでも謝罪に行くかと頭を悩ませていると1人の男が入ってきた。

「父さん、帰ったよ。」

「アデルテラか。」

ガレオンは重い頭を上げてアミルテラと瓜二つの双子の兄アデルテラの顔を見た。

「隣国はどうだった?」

「まぁ、それなりにね。ほとんど、ご婦人方の通訳をしていたよ。」

アデルテラは軽く笑って言った。

「お前は本当に社交性があるな。アミルテラにも見習って欲しいものだ。」

「聞いたけど、アメルア家の令嬢と見合いをして大失態をやらかしたんだって噂になってる。」

アデルテラはカウチに腰掛けてガレオンを見る。

「あぁ、おかげでこの家の評判は下がるし仕事も減った。しかし、アミルテラの方は謝罪の気持ちどころか悪態をつく始末だ。全くどうしたものか。」

「父さん、大丈夫。」

アデルテラはよろけて床に倒れそうになったガレオンを急いで抱き抱える。

「お前に建築の才があったらこの家を継いでもらうのに。」

「ごめん。」

「謝る事はないさ。お前も外交官として華々しく活躍している。私はお前の事を誇りに思っているよ。」

ガレオンは弱々しくアデルテラの手を重ねる。

「すまないな。半年ぶりに帰って来たのにこんな姿を見せてしまって。」

「気にしないでよ。俺が明日、アメルア家に行ってアミルテラの代わりに謝罪して来る。」

「お前が?」

「アミルテラが行く程、効果はないと思うけど俺は父さん譲りで口が多少達者だからうまくやるよ。」

アデルテラはガレオンに心配をかけまいと笑って言った。

「すまないな、本当にすまない。」

ガレオンは少し肩の荷が降りて目から涙が溢れる。

「こんな事で泣くなよ。」

アデルテラは苦笑いをしながらガレオンを担ぐと寝室に行った。

 アデルテラはガレオンをベットに寝かせて部屋を出るとアミルテラとすれ違う。

「帰ってたのか。」

「お前、父さんを倒れるまで追い込むな。相当参ってたぞ。」

「僕は結婚する気がないのに連れて行く父さんが悪い。」

「お前な。」

アデルテラは全く容姿が同じなのに自分と違い不器用な双子の弟のアミルテラにため息をつく。

「明日俺はアメルア家に謝罪に行く。これ以上余計な事をするんじゃないぞ。」

「言われなくてもそうする。」

「ならいい。」

アデルテラはそう言うと庭に向かった。

 ラサル家の庭には黄色い福寿草が咲いて春の訪れを知らせていた。アデルテラは庭の中心にある桜の木の下で上を向いているルズリカに声をかける。

「久しぶりだな。」

「アデル兄さん。」

ルズリカは久しぶりに会うアデルテラに笑顔で返す。

「仕事はどうだ?」

「アミル兄さんに怒られる事もあるけど、楽しくやってるよ。」

ルズリカは隣に座ったアデルテラに自分の頑張った仕事や楽しかった事をたくさん話した。アデルテラもそれを楽しそうに聞いて相槌を打つ。

「兄さんいつまでいられるの?」

「来週の木曜日までだな。それ以降はまた隣国に戻らなくてはならない。」

「外交官って大変だね。明日、出来たばかりのカフェがあるから一緒に行かない。」

「魅力的なお誘いだが、明日は急用があるんだ。来週まで空いてるから何処かで行こう。」

アデルテラはルズリカの頭に付いた枯葉を取って言った。

「アデル兄さんは相変わらず色男だね。」

「お褒めの言葉として受け取るよ。お前は桜なんて咲いていないのにここで何してるんだ。」

「蕾を見ていたの。」

ルズリカは桜の枝を指差す。

「毎日見ていると徐々に蕾が大きくなるのが分かるの。この桜は母さんとの思い出の桜だから花が咲くのが待ち遠しくて。」

「そうか。この桜は家族にとって思い出の詰まったものだもんな。俺もこの桜を見るたびに初めて立った時の事を思い出すよ。俺とアミルの方へゆっくりと歩いて来る姿に泣きそうになった。」

「大袈裟な。」

「こんな小さかったルズリカがもう立派なレディだな。パーティには参加したのか。」

「まだ、アミル兄さんが仕事を優先させてるから。」

ルズリカはアデルテラに言った。

「ああいう場は一度経験しておくといい。とても勉強になる。」

「でも、私綺麗じゃないし兄さんみたいに華がない。顔だって。」

ルズリカは自身のコンプレックスであるそばかすの頬に触れて言った。

「お前は可愛いぞ。俺が嫁にもらいたいくらいだ。」

「兄さんって、やっぱり女の人の扱いうまいね。」

「これが俺の仕事道具だからな。」

アデルテラはルズリカの頭を撫でるとじっと見つめ出す。

「本当に綺麗になったな。今まで男に声をかけられなかったのが奇跡だと思うよ。」

「大袈裟な、周りなんて綺麗な人いっぱいだよ。」

「そんな事ないさ。パーティにでも行ったら声をたくさんかけられるぞ。俺も一緒にいれたら見極めが出来るが、難しいだろうな。」

アデルテラは残念と言わんばかりにため息をついて言った。

「アデル兄さん、ありがとう。」

「どういたしまして。」

「おい、アデル。何をしてるんだ。」

外から帰って来たばかりのアミルテラが2人の方へやって来る。

「俺はルズリカと話していただけだぞ。」

「ふん、随分と暇なんだな。」

「アデル兄さんにそんな事言っちゃだめだよ。」

ルズリカはアデルテラを睨み付けるアミルテラに言った。

「ルズリカ、次の仕事が決まった。早速、仕事に取り掛かるぞ。」

「おい、少し乱暴過ぎないか。」

「うるさい。」

アミルテラはアデルテラを押し除けてルズリカを立たせる。

「アデル兄さん、私は大丈夫。また夕食の時に話聞かせてよ。」

「分かった。アミル、あんまりルズリカをこき使うなよ。」

「こき使った覚えはない。」

アミルテラはアデルテラにぶっきらぼうに言うとルズリカを家の中へ連れて行った。

 アミルテラが依頼されたのは紅茶専門店の店舗の設計だった。図書館のようなコンクリート建築という条件以外、好きにしていいという事だったのでアミルテラはルズリカと議論を交わしていく。

「ルズリカ、室内に川を流そうと思うんだがどう思う?」

「川?」

「依頼された店で扱っている紅茶の産地は東の国のものらしい。その国は水の国と呼ばれているらしく、水源が豊富だそうだ。」

「店から水を水路から流して外のカフェスペースに持って行くの?」

「その通りだ。水のそばに庭とはいかないが、植物を置きたい。ルズリカ、この周辺の設計を頼めるか。」

アミルテラは即席で描いたデザインをルズリカに見せる。ルズリカもアミルテラのイメージを理解すると店内の川沿いに小さな庭を描き上げた。

「そんな感じでいい。外の庭もお前に任せる。僕も建物全体のデザインを明日中に描くからお前もそれに間に合わせてくれ。」

「分かった。」

ルズリカは今日も眠れないなと思いながらもアミルテラと同じ熱に冒されてそれすらも楽しくなっていた。

 ルズリカは任された仕事を進めて、気が付くと次の日の夕方になっていた。集中力が切れたと同時にルズリカの身体に重力がのしかかる。

「疲れた。」

ルズリカは出来上がった図面をアミルテラに渡そうとするが、アミルテラは未だに何度も書き直しを繰り返していた。

「違う、違う。」

アミルテラは完全に自分の世界に入り込んでおり、ルズリカはそっと作業室から出た。

 リビングに座り、何かメイドに作ってもらおうかと考えていると庭からアデルテラが帰って来た。ルズリカは窓を開けてアデルテラを迎えて言葉を失った。池にでも飛び込んだかのようにずぶ濡れでだった。

「兄さん、どうしたの?」

「あぁ、少しな。」

アデルテラはルズリカにお茶を持って来たメイドに風呂の用意を頼んだ。

「何があったの?」

「ルズリカの気にする事じゃないさ。アメルア家に先日の謝罪に行っただけだ。」

「それって、アミル兄さんが怒らせた家だよね。どうして、アデル兄さんが謝罪になんて行ったの。」

「このままじゃ、ラサル家が危ういと思ってな。俺には建築の才能はないが、口がうまいからどうにかなるかと思ったが。」

アデルテラは弱々しく笑うと慌ててやって来たメイドからタオルを受け取ると濡れた髪を拭いた。

「今日は何してたんだ。」

「新しく出来る紅茶専門店の店舗の庭の設計をしてた。」

「それってポーツか。すごいな。」

「昨日からデザイン考えてはみたものの、自信がない。」

ルズリカは顔を俯かせて言った。

「兄さんもかなり苦戦してるみたい。私もデザイン描き直さないと。」

「ルズリカはポーツの店行った事あるか?」

「ないよ。」

「なら、行くか。」

アデルテラは思い付いたようにタオルを風呂の用意が出来たと呼びに来たメイドを渡して言った。

「風呂入ったらポーツの店に行くぞ。ルズリカ、用意しておけ。」

「もう、夕方だよ。」

「本店はレストランも併設してるから夜までやってるんだよ。息抜きがてら行こう。」

アデルテラはそう言い残すと濡れた服のまま浴室へ向かった。

 ルズリカはアデルテラに言われるままに顔を洗い身支度を整えてソファに座り待っていると髪をしっかりと乾かして一張羅を着たアデルテラが戻って来た。

「母さんの形見のネックレスは付けないのか。」

「うん、今の私には勿体無いし。」

「そうか。馬車を風呂に入る前に呼んでおいたから行くぞ。」

アデルテラはお姫様を扱うようにソファに座るルズリカの手を取って立ち上がらせると馬車までエスコートした。

 アデルテラは馬車の中で、ルズリカに仕事はどうだとか他愛のない話をして車内を盛り上がらせた。ルズリカはアデルテラの根っからの聞き上手にすっかりとハマり、アミルテラとの仕事の話だけでなく些細な出来事まで全部話させた。

「昔から贔屓にしている職人ですら、邪険に扱うのはないな。」

「やっぱりそう思うよね。でも、アミル兄さん全く聞いてくれないの。」

「あいつは昔から、自分の世界だけが自分の世界そのものだからな。あまり他に興味ないんだろう。」

「でも、それだけアミル兄さんの世界はすごいよ。その点は私尊敬しているんだ。」

ルズリカはアデルテラに言った。

「お前は本当にアミルの事が好きだな。」

「アデル兄さんの事も大好きだよ。優しいし、聞き上手だし、アデル兄さんと話してるの好きだよ。」

「ルズリカは嬉しい事言ってくれるな。俺とアミルは一卵性の双子で見てくれは瓜二つだが、どうも性格だけは似てないから本当はただのそっくりさんかと思う事がある。」

アデルテラはルズリカに冗談めかして言った。

「でも、似てるよ。好きなものとか仕草とか2人とも一緒だもん。」

「例えば?」

「朝ごはんのパンを耳から先に食べたり、朝日を見てため息を吐いたり似てる所ばっかだよ。」

「ルズリカは俺らの事をよく見てるな。」

アデルテラはルズリカの観察眼の鋭さに驚きながら言った。

「確かに俺らは似てるが、根本は違うよ。あいつは建築家になって俺は外交の道を進んでいる。生まれた時に代々の建築家の血を全てアミルに持って行かれたからな。」

「兄さんはどうして、建築家になる事をやめたの?」

「言ったろう。アミルに建築の才を全て持って行かれたからだ。あんなのと隣で勉強していたら自分の限界が見えてしまうよ。」

「ごめん、変な事聞いた。」

「お前が謝る事じゃないさ。その点、ルズリカはすごいと思うよ。アミルによくついて来られるな。」

「ついて来れているかどうか分からないけど、私は建築が好きでこの仕事をやってるんだ。」

ルズリカは自分の手で新しく作り上げる楽しさを思い浮かべてアデルテラに言った。

「アデル兄さんも昔から外国に興味を持って語学を勉強してたでしょ。アミル兄さん、楽しそうに勉強してたの知ってるよ。」

「ルズリカは本当によく見てるな。やっぱりすごいよ。」

アデルテラはルズリカにそう言うと馬車から先に出てルズリカの手を取った。

「俺はお前にこんなに見てもらえている事を知れて嬉しいよ。今日は半年間分、とことん語り合おう。」

アデルテラはルズリカにウィンクすると白いギリシャ建築調のポーツの中へ入って行った。

 アデルテラとポーツで食事と紅茶を楽しんだルズリカは作業室に入り、真っ暗な部屋に灯りを付けた。アミルテラの机を見るとアミルテラは親指の爪を噛んで何度も書き直した図面を睨み付けていた。

「兄さん、爪噛んじゃダメだよ。」

ルズリカはアミルテラのそばに行くと右手を両手で抑えた。

「どこか行ってたのか。」

「アデル兄さんとポーツのレストラン行ってた。」

「あいつと?」

アミルテラは眉間に皺を寄せて言った。

「せっかくだったから兄さんも誘えば良かったね。」

「構わない。それよりも庭の方はどうだ?」

「一応、書いてみたけど。」

ルズリカは机の上の図面をアミルテラに見せた。

「これはダメだな。」

「やっぱりそうだよね。ポーツの店に行ったら何か得られると思ってたけど、何にも無かった。」

ルズリカは古代建築の要素を取り入れた建物に興味を抱いたが、自分達の求めるものがなかった事にため息をつく。

「僕らの建築は唯一無二だ。既存のものにそんな事求めるな。」

アミルテラはルズリカを叱るように睨み付けると立ち上がった。

「ルズリカ、散歩に行くぞ。」

「今から?」

「全くアイディアが浮かばないんだ。ついでに息抜きもしたい。」

アミルテラは掛けてある黒いコートを着るとルズリカと一緒に作業室を出た。

 3月の夜風は非常に冷たくルズリカの頬に刺さる。アミルテラは頬を赤くしたルズリカの手を引いて気の向くままに歩く。

「お前と仕事以外でこうやって過ごすのは久しぶりだな。ルズリカ、寒くはないか。」

「平気だよ。」

「仕事詰めで周りの事に気を取られる余裕がなかったが、もうすぐ春なんだな。」

アミルテラは街灯に照らされた桜の枝の蕾を見て言った。

「ひと段落したら別荘にでも行かないか。しばらくすればあそこの桜も見頃になる。」

「珍しいね、兄さんが休みの事を言うなんて。」

「お前と何にも仕事でなく一緒にいたら、そう思えて来た。」

アミルテラはルズリカの方を向いて言った。

「随分働き詰めだったし、隣国まで足を伸ばすのもいいかもしれない。あそこの博物館はまだ行った事がない。」

「隣国の博物館って、マレスとアリサが設計した建物だよね。兄さんは本当にご先祖様が好きだね。」

「僕は彼らを誰よりも尊敬している。そして、隣国の建築は湿気が多いから作りが独特なんだ。僕らは古今東西から学び、その全てを建築に込めなくてはならない。」

アミルテラは熱を込めてルズリカに言った。

「僕らの建築はどの国にも人種にも縛られてはならない。ルズリカはどう思う?」

「難しい事は分からないけど、私は自分のいいと思うものを作れればいいと思っているよ。」

「それでいい。僕らは自分達の最良を求め続けていればいい。」

アミルテラはルズリカと思考の共有が出来た事に喜びを覚えていると、設計のアイディアが浮かんで来た。

「ルズリカ、帰るぞ。今夜中に具体的なイメージを固める。」

アミルテラは憑き物が取れたように軽やかに言うとルズリカの手を引いて家へ戻った。

 作業室に戻るとアミルテラは何かに取り憑かれたようにペンを走らせて3時間足らずで全体像を書き上げてるとルズリカに見せた。

「このイメージでいきたいと思うが、どう思う?」

「もう少し店舗の窓の面積を増やしたらどうかな。その方が明るくならない?」

「いや、これでいい。店内を薄暗くして逆に外に行った時の開放感を作りたい。」

「分かった。それなら、これはどう?」

ルズリカはアミルテラの作ったデザインに思い付いたものを書き加える。

「外の方に植物を増やして行って庭の方にお客さんを誘導するようにしてみるの。」

「面白い。ルズリカ、やってみろ。僕も図面を描き直す。」

「分かった。」

ルズリカはアミルテラの強く頷くと自分の机に座り、庭の図面を描き始めた。

 ルズリカとアミルテラの設計したポーツ新店舗は想像を絶するくらいの大盛況となった。今までになかった斬新なデザインと内装はすぐに評判となってアミルテラの名前が広く知れ渡る事となった。

「ラサルさん、今度うちの別荘を新築するのだがお願い出来ますか。」

大貴族のアメルア家の一件以来、距離を置いていた貴族や老舗の旦那衆も手のひらを返したようにラサル家に依頼を持ち込むようになった。

 ガレオンもこの様子に安堵したものの、もう自分の出る幕はないと現場への引退を完全に決意してアミルテラの完全に家督を譲る事にした。

「アミルテラ、お前はこの家の誇りだ。これからも家の名に恥じない働きをして行ってくれ。」

ガレオンは書斎にアミルテラを呼び出して家長に伝わる指輪をアミルテラに手渡した。

「言われなくても僕はルズリカと2人で建築の道を進んで行く。」

アミルテラは指輪を受け取ると部屋から出ようとするのでガレオンは引き留めて本題に入った。

「それでだ、そろそろ嫁を取ってみる気はないか。」

「は?」

アミルテラは露骨に嫌そうな顔をしてガレオンに睨み付ける。

「見合いはもうしない。あのお花畑家族の件だけだと言っていた。」

「跡取りはどうするんだ。お前の才能を後世に伝え、この家を守る存在は必要だ。」

「それならアデルテラがいるだろう。あいつに何とかして貰えばいい。」

「そう言う訳にはいかない。お前は家長だ。たとえ双子の兄のアデルテラでもそれは出来ない。お前自身の子供が必要だ。」

ガレオンは諭すように言うとアミルテラは静かにガレオンを見た。

「ルズリカがいる。」

「ルズリカ?」

ガレオンは聞き間違いではないだろうかという淡い期待を抱き聞き返す。

「僕にはルズリカがいる。僕はルズリカと結婚する。」

「アミルテラ、自分の言っている事が分かっているのか。ルズリカはお前の妹なんだぞ。」

「それが何だって言うんだ。僕はルズリカを愛している。」

ガレオンは随分前からアミルテラのルズリカに対する執着が度を越したものだと考えていたが、このような形で表に出て頭を抱える。

「この国では兄妹婚は合法だ。それにラサル家は兄妹が作り上げたもので、変な事じゃない。」

「待ってくれ。確かに近親婚は合法でこの家の歴史はそうだ。だが、世間の目は違う。近親婚はタブー視されているし、何十年かは行われていない。」

「僕には関係ない。」

「ルズリカの気持ちはどうなるんだ。」

ガレオンは自分の考えに押し進んでいってしまう息子に言った。

「僕らは一心同体で共に歩んで行く。ルズリカが僕を受け入れないなんて有り得ない。」

「いい加減にしてくれ。仮にルズリカと結婚したとしても世間はそれを許さないぞ。それこそこの家は終わりだ。」

「僕はルズリカ以外の女と添い遂げるつもりはない。僕にとってルズリカは全てだ。」

生まれて初めて聞く息子の恋に狂った姿は何とも憐れで救いようがないように見えた。せめてそれが庶民であればまだ喜べただろうが、相手は血の繋がった妹だ。ガレオンはどうするべきか思考を巡らす。

「今日、ポーツ主催のパーティに呼ばれているからルズリカも連れて行く。」

「お前、まさか。」

「世間にルズリカが僕の妻だと公言してくる。」

「それだけはやめてくれ。何を言われるか分かったものじゃないぞ。」

「知るか。僕にはルズリカだけなんだ。」

アミルテラは理解を示そうとしないガレオンにそう怒鳴りつけると書斎を出て行った。

 生まれて初めての社交パーティーに行くルズリカは仕事を早めに切り上げてメイドに身支度を整えてもらっていた。ルズリカの見に纏う淡いピンクのドレスは19歳の誕生日の時にガレオンから贈られたもので袖を通したのは今日が初めてである。

「お嬢様、とてもお似合いです。」

母親がわりだったメイドがルズリカに化粧を施しながら言った。

「変じゃないかな。私、そう言う場所初めてだし。」

「誰にでも初めては付き物ですわ。お嬢様はバレリア様と同じように愛らしい方です。すぐに殿方のお目に止まります。」

「だといいけど。」

ルズリカは頬紅を付けた頬に触れて言った。

「私、他の女の人より背が高いし胸はないしそばかすだし恥ずかしいよ。」

「そんな事言う男なんて無視すればいいんです。」

メイドは化粧を終えたルズリカの両肩を叩く。

「アミル坊ちゃんも一緒なんです。お嬢様に変な事を言えば坊ちゃんがお怒りになるでしょう。」

「兄さんが暴れたら大変な事になるよ。」

「私には貴族の交流というものを分かりませんが、使えるものは使うに越した事はありませんよ。」

「兄さんは道具じゃないよ。」

「アミル坊ちゃんはお嬢様の為なら例えカルデアス様であろうとお怒りになります。きっと、お嬢様に何かあれば間違いなくお守りして下さいます。」

メイドはそう言うと宝石箱の中からダイヤのネックレスを取り出すと金色のチェーンを外してルズリカの首に付けた。

「ルズリカ様が奥様の使われていたネックレスをお使いになられる日が来てとても嬉しいです。今のお嬢様の姿を見られたら奥様もお喜びになられたでしょう。」

メイドは綺麗に着飾ったルズリカの姿に涙ぐみながら言った。

「ありがとう。」

「せっかくですし、旦那様にも見せに参りましょう。」

メイドはハンカチで涙を拭くとルズリカを連れてガレオンのいる書斎へ向かった。

 書斎に着くと顔色の優れないガレオンがルズリカを出迎えた。

「ルズリカ、そのドレスを着たのか。」

「父さん、顔色悪いけどどうしたの。」

「あぁ、ちょっとな。」

ガレオンはアミルテラとのやり取りで疲労を隠せないで言った。

「旦那様は働き過ぎなのですわ。アミル坊ちゃんがいらっしゃりますし、どこかにご旅行でも行かれてはいかがですか。」

「その必要はない。ルズリカ、その今日のパーティーは本当に行くのか。」

「えっと、そのつもりだけど。」

ガレオンの言葉に困惑しているとバタンという扉を開ける音を立てて黒いタキシードに身を包んだアミルテラが入って来た。

「準備は出来たようだな。」

「うん、大丈夫だよ。」

ルズリカは美丈夫として周囲の女性を虜にするアミルテラの凄さを思い知らされる。

「馬車を用意したから行くぞ。」

「おい、アミルテラ待て。」

「父さん、僕は今日ルズリカを連れて行くって決めてるんだ。そして、改めてポーツや他の人間にルズリカをとして紹介する。」

「お前。」

「行くぞ、ルズリカ。」

アミルテラはルズリカに言うと肩を抱いて部屋を出た。

 アミルテラは馬車に揺られる道中、じっと何を言うでもなくルズリカを見ていた。

「やっぱり変だったかな。」

ルズリカは母親譲りの美貌で童話の『桜姫』に出てくる黒曜石の君のようなアミルテラの隣に立つには不釣り合いだと思い始める。

「今日のルズリカは綺麗だから見惚れていた。」

「急にどうしたの?」

「今日だけじゃないな。ルズリカはいつだって魅力的だ。今更ながら行くのが嫌になって来た。」

アミルテラはルズリカの綺麗にセットされた髪を撫でて言った。

「兄さん、お酒でも飲んでるの?」

「飲む訳ないだろう。あっちに着いたら、僕のそばから離れるんじゃないぞ。パーティーなんてろくな輩がいない。」

「お仕事くれている人のパーティーなんだからそんな事言っちゃダメだよ。」

ルズリカはせっかく招待してくれたポーツに申し訳なくなってアミルテラに言った。

「お前は何も知らないからそう言う事が言えるんだ。」

アミルテラはルズリカの胸元のネックレスを見て微笑む。

「母さんのネックレス付けてるんだな。」

「うん、せっかくだし付けないと思って。」

「似合ってる。」

「ねぇ、兄さんのその指輪って、もしかして父さんの?」

ルズリカはアミルテラの右人差し指にある金色の指輪を見て言った。

「あぁ、今日もらった。」

「それじゃあ、兄さんが正式なラサル家の家長になるんだ。おめでとう。」

「ありがとう。」

「それなら尚更、綺麗でいいお嫁さんを見つけないとね。」

ルズリカがそう言ったと途端、上機嫌だったアミルテラの顔は険しくなる。

「お前も父さんみたいな事を言うんだな。」

「だって、跡取りならお嫁さん必要だよ。私に力になれる事があれば力になるよ。」

「その必要はない。」

「どうして。」

ルズリカは言葉を続けようとするが、アミルテラから放たれる圧で阻まれた。

「今日はお前の顔見せも兼ねている。気を抜くんじゃないぞ。」

アミルテラはそれだけ言うと仕事に向かう時の顔つきになり、窓の外を眺め始めた。

 招待されたパーティーの会場は300年前に建てられた迎賓館だった。その珠玉を凝らした装飾や建築デザインはルズリカを魅了するには十分であった。

「本で見た事あったけどこんなに綺麗な場所だったんだね。」

ルズリカは精密な細工のされた柱を見ながら感嘆の声を漏らす。

「驚くのはここだけじゃない。僕も2回来たが、大した建築だよ。だが、今日は見学に来た訳じゃないのを忘れてはいないだろうな。」

「分かってるよ。」

ルズリカは自分の建築を模索する教科書としてこの建物を隅から隅まで回りたいという気持ちを抑えてアミルテラの隣を歩く。

 世界中の重鎮を出迎えて歓迎して来たこの建物はルズリカが見て来たどの建物よりも重々しくのしかかった。ラサル家の建築家になるという事は将来的に大規模な建築を建てる事を意味する。ルズリカもいつかはアミルテラのように自分の力で何百年も先まで残る建築を作りたいと考えていた。だが、アミルテラの建築といいこの建物といい自分にここまでの力があるか自信も無くなってくる。

「どうした?」

「何でもないよ。」

ルズリカは頭の中でごちゃごちゃと考えていた事を心の片隅に仕舞い目の前の現実に向き合った。

 ルズリカ生まれて初めてのパーティーはとても騒がしくこの建物に見劣りしないくらい美しい料理や男女が軒を連ねていた。

「ラサルさん、ようこそおいで下さいました。」

「ポーツさん、お招きいただきありがとうございます。」

アミルテラは金髪でプレイボーイ風のポーツに頭を下げる。

「ルズリカさんも来ていただけて嬉しいです。以前お会いした時よりも更に磨きがかかりましたね。」

ポーツは慣れた手つきでルズリカの髪に触れようとしてアミルテラに手を振り払われる。

「妹に触れないでいただけますか。」

「ちょっと、兄さん。」

ルズリカは気を悪くしてしまったであろうポーツを見るが、当のポーツは愉快そうに笑っていた。

「すいません。綺麗な女性がいるとつい。」

「触れるなら取り巻きの女達にすればいいでしょう。あなたなら女はよりどりみどりでしょう。」

「相変わらず、お堅いですな。アミルテラさんこそ、その容姿と家族としての家柄があるのですから女性には困らないでしょう。何なら、誰か紹介しましょうか。」

「結構、僕にはルズリカがいるので。」

アミルテラはルズリカを抱き寄せて言った。

「ラサル家は兄妹の建築家から始まった家だと伺っています。まさに、アミルテラさんとルズリカさんはマレスとアリサの再来という訳ですね。私は他に挨拶回りをしていますので、ごゆっくりなさってください。」

ポーツは軽くアミルテラとルズリカに会釈すると見目麗しい複数人の女を連れて行ってしまった。

 ルズリカはその後もアミルテラと依頼をもらっているクライアントや興味を持っている人間と話をした。会う人全てがアミルテラの建築を讃え、ルズリカはアミルテラの手伝いをしている妹という認識だった。そして、ルズリカの神経を一層刺激したのはアミルテラに見合いを断られて恨みを持っている女達とアミルテラに近づこうとする女達の視線だった。アミルテラの妹だと知らない為、口々にルズリカの陰口を叩き気分が悪かった。

「大丈夫か。」

アミルテラは若干過呼吸になるルズリカを椅子に座らせて言った。

「ごめん、少し疲れた。」

「あの女ども、こっちが何もしないからいい気になりやがって。飲み物を取ってくるついでに言ってくる。」

「いいよ、兄さん。やめて。」

ルズリカはアミルテラを止めようとするが、アミルテラは5、6人で固まった女達の方へ行ってしまった。

 ルズリカはトラブルを自分から起こしに行くアミルテラに頭痛を覚えて項垂れていると目の前に黒のタキシードを着た男が立った。

「お嬢さん、大丈夫かな。」

聞き覚えのある声にルズリカは驚いて顔を上げると肩甲骨までの伸びる黒髪を銀色のリボンで結んだアデルテラがいた。

「アデル兄さん、どうしたの?」

「知り合いに誘われて来たんだが、ルズリカがいるから驚いたぞ。」

「そうなんだ。」

ルズリカはアデルテラの顔を見て安心して言った。

「そのドレスは父さんが誕生日にプレゼントしたものだよな。似合ってる。」

「ありがとう。」

「アミルのやつはこんな所でも騒がしいな。ポーツ氏が必死に火消しにかかってる。」

アデルテラはルズリカの陰口を言い合っていた女達に殴り込んだアミルテラを平静を装いながら宥めているポーツを指差す。

「止めに行かなくていいの。ポーツさんにも女の人にも悪いし。」

「いいんだよ。ポーツ氏はかなりのやり手だから、何とかなるだろう。それにルズリカを悪く言った婦人達にいい薬になる。」

「兄さんまでそんな事言う。私は大丈夫だよ。」

「お前はもっと自分を大事にするべきだ。建築家の道を目指すなら、自分の身は自分で守れるようにならないとダメだぞ。特にあいつがでしゃばっているようなら尚更な。」

アデルテラはルズリカの頬に触れて言った。

「ルズリカ、本当に顔色が悪い。俺が送って行くから帰ろう。」

アデルテラはルズリカを立たせると周囲に気付かれないように会場を後にした。

 翌日、ルズリカは朝早くに目が覚めると1人で家を出た。夜明け前の街はとても静かで嫌でも頭の中に自分の建築について考えさせられた。このままアミルテラの妹という認識のまま、建築人生を終えるのがルズリカにとって嫌だった。だから、自分の建築の道を模索してルズリカだけの評価が欲しかったのだ。

「見つかるかな。」

ルズリカは煉瓦造りの街並みからアミルテラの得意とするコンクリートを使用した建物に変わりつつある街並みを見ながらぼやく。ルズリカはアミルテラのようにコンクリート建築を設計出来る技術がない事を重々理解していた。特にアデルテラが建築の道に見切りをつけるくらいアミルテラの才能は抜きに出ており、ルズリカの中で一生アミルテラには敵わないとまで思っていた。だが、それでも自分のスタイルを見つけない事にはこの葛藤から逃れられない事も分かっていた。

「私の強みはなんだろう。」

ルズリカは1人、石畳の冷たい道を歩いて行く。

 自分を探す道は容易なものではなくルズリカはどんどんとドツボにばり、気が付いたら今まで来た事のない労働者階級の住む貧相な家が目立つ地域へ来てしまっていた。

 時折見かける煉瓦造りの建物も手入れがなされていないのかひび割れが目立ち、ルズリカには廃墟のように思えた。

「あれ、ルズリカちゃんじゃないか。こんな所で何をしてるんだ。」

薄汚れた白壁の家の中からステテコ姿のガルドが出て来て目を丸くした。

「おはようございます、少し散歩に出たつもりが道に迷ってしまって。」

「そうかい。で、どうだ。ここの感想は。」

「何というか、違う街に来たような気がします。」

ルズリカは自分の知る都市計画のなされ整頓された街とは違う無秩序な街並みを眺めて言った。

「だろうな。まぁ、せっかくだし中に入って朝飯でも食っていけ。終わったら、近くまで送って行ってやる。」

「ありがとうございます。」

ルズリカは本ですら見た事がない質素な木の扉の奥をガルドに続いて入って行った。

 家の中は朝の支度をするガルドの妻や住み込みの若衆でごった返しており、ものが散在していたり罵声も聞こえた。

「おい、ラサルさんの所のお嬢さんが来たから食事の準備頼むぞ。」

「ラサルさんの所のお嬢さん?」

大柄で汚れたエプロンを着けた妻がガルドを睨みつける。

「散歩してたらここまで来ちまってみたいでさ、飯食わせたら中心地まで送ってくる。」

「お邪魔します。」

ルズリカはあまりにも騒がしい雰囲気に気圧されながらも落ち着きを取り戻して頭を下げた。

「そこの空いている席に座ってちょうだい。」

妻はルズリカから一番手前の長机を指差した。

「失礼します。」

ルズリカは縮こまりながら席に座ると食事の定位置に着いた男達から奇怪な視線を送られる。

「お前ら、このお嬢さんはラサルさんの所のルズリカちゃんだ。粗相がないようにしろよ。」

ガルドはルズリカの隣に座るとざわつく男達を黙らせた。

「あの、すいません。」

「気にするなや。ここは品もなくて上流階級と違うから戸惑うだろうが、ゆっくりしていけ。」

ガルドは日に焼けて真っ暗な手でルズリカの頭を乱暴に撫でて言った。

「貴族のお嬢さんに口に合うか分からないけど。」

ガルドの妻は豆の煮込みをルズリカの前に置いた。

「ありがとうございます。」

「お前ら、全員揃ったな。」

ガルドは食器を鳴らすと一斉にガルドの方を向く。そして、ガルドの合図で食事が始まると全員が無我夢中になって豆の煮込みを食べ始めた。

「いただきます。」

ルズリカは初めて食べる豆の煮込みをスプーンで掬い口に入れる。

「美味しい。」

干し肉も入ってるから旨みもあり、とても美味かった。

「これ、とっても美味しいです。」

ルズリカは様子を伺っていたガルドの妻に言うと、妻はニカリと笑い「そうかい」と返した。

「あんたは、あの仏頂面のアミルテラさんの妹なんだろ。何か面白い話聞かせてくれよ。」

「面白い話?」

ルズリカは若い職人の質問を聞き返す。

「アミルテラさんの面白い話だよ。あの兄ちゃん全然隙がなくて何か弱点がないかと思ってさ。」

「弱点ですか。」

ルズリカはアミルテラとほとんどの時間を過ごしているが、彼の安らいだ姿を見た事がない。厳格で身なりもそれに象徴するかのように一才の緩みがなく完璧だった。アミルテラの弱みなんてルズリカから見てどこにも見当たらなかった。

「分かりません。」

「ルズリカちゃんと兄ちゃんって、兄妹なんだろ。何か浮いた話とかないの。もしかして、男の方か。」

「どうでしょう。」

ルズリカは頑なに見合いと名家の令嬢達を拒み続けるアミルテラに男色の気がある可能性を考えた事はなかった。アミルテラがそうならば、今までの事の説明がつくとルズリカは考える。

「あれだけの容姿が整っていれば、男も女もよりどりみどりだよな。羨ましい限りだよ。」

「ラサル家の若旦那って、そんなにいい男なのかい。」

ガルドの妻が会話に入って来る。

「女将さん、あの兄ちゃんはかなりの美男だぜ。この子も可愛いが、若旦那はそれ以上にすごい。」

「てめぇ、ルズリカちゃんを貶してるんだ。」

「いいんです。よく言われますので。」

ルズリカはアミルテラの容姿に惚れ込んで見合いに挑んで破綻した令嬢から逆恨みを受け、罵声を浴びせるだけでなく手が出る事もあった。

「ルズリカちゃん、おかわりいるかい。」

妻は空になったルズリカの木皿を見て言った。

「是非、お願いします。」

「ルズリカちゃん、細い割に結構食べるんだな。」

「昨日の夜も食べてなくて。」

「若旦那にも言えるが、仕事のし過ぎで倒れるんじゃないぞ。」

「気を付けます。」

ルズリカは山盛りになった豆の煮込みに再び手を合わせると豪快に口に入れた。

 食事が終わり、ルズリカはガルドと住み込みの見習いであるミアレドと周囲を散策していた。

「ルズリカちゃんがこの地域を見たいだなんて言ったから驚いだぞ。」

ガルドは変哲も無いこの下町地域に観光名所なんてないと言わんばかりに言った。

「お仕事じゃないのにすいません。」

「それはいいんだが、この辺りの建物は低所得の人間の住居がメインで作りあまりいいとは言えない代物だ。ルズリカちゃん達の作る上品な建築とは全く違うものだぞ。」

「この辺りの長屋のような建物、私見た事なくて参考にさせて欲しいんです。」

ルズリカは常備しているメモを取り出して簡単なスケッチを取る。

「本当に物好きだな。こんなのが参考になるのか。」

様子を見ていたミアレドが思わず口を挟む。

「見た事のない建築を見るのはどうであれ、勉強になるし楽しいですよ。」

「そういうものか。」

「ミアレド、お前は少しぐらいルズリカちゃんを見習え。」

ガルドはミアレドの頭にゲンコツをお見舞いして怒鳴る。

「建築に携わるというのは並大抵の事じゃない。お前だって、あの庭を見て感動したろ。」

「図書館の中庭を一緒に作ってくれたんですか。」

「こいつは若いものの見込みのあるやつなんだよ。それで連れて来たんだが。」

ガルドはミアレドの方を見るとミアレドは懐からメモを数枚取り出した。

「もし、必要ならこの辺りのスケッチを取ってある。使うか。」

「使います使います。いいんですか。」

「構わないよ、俺あんたの庭を見て初めて建築に興味を持ったんだ。そのあんたの力になれるなら。」

ミアレドはルズリカに照れ臭そうに言った。

「すごく丁寧に書いてありますね。ミアレドさんは建築家を目指しているんですか。」

「いや、けど建築に関わっていきたいと思ってる。」

「ガルドさんは父の頃からずっとお世話になっている凄腕の職人さんです。きっと、ミアレドさんもいい職人さんになりますよ。」

ルズリカは自分の作った庭で建築に興味を持ってくれた事に嬉しくなり、声弾ませて言った。

「ミアレドさん、私またここに来るのでこの地域の事を教えてもらってもいいですか。」

「いいぜ。」

「ガルドさんにも職人さんの事教えて欲しいです。お家に伺ってもいいですか。」

「構わないが、貴族のお嬢さんがこの地域に1人で来るのはまずくないか。」

ガルドはルズリカの立場を気にかけて言った。

「ここに来れば何か何か掴めそうなんです。みなさんにご迷惑をかけません。お願いします。」

ルズリカは深々と頭を下げてガルドに頼み込む。ガルドは一瞬唸ったが、ミアレドの方を見て頷くと「分かった」とルズリカに返した。

「俺にとってルズリカちゃんは娘みたいなもんさ。そんな子に言われちゃしょうがない。俺の出来る限りの事をするよ。そうだろ、ミアレド。」

ミアレドもガルドに促されてルズリカに頷く。ルズリカは2人に「ありがとうございます」と満面の笑みで返すと目の前の建物について2人に質問責めを始めた。

 ルズリカが家に帰る頃には日もすっかり上がって昼近くになっていた。ルズリカはメイドからサンドイッチを持たされて作業室に行くとアミルテラは1人、机に向かって書き物をしていた。

「兄さん、ご飯持って来たよ。」

ルズリカが銀のトレイを机の上に置くとアミルテラは顔を上げた。

「どこに行っていた。」

「ちょっと散歩に行ってたの。」

「今日は完成した神殿を見に行くと言ったはずだったが。」

「ごめんなさい。」

ルズリカは体から血の気が引いていくのを感じながら言った。

「僕らの時間は限られている。カルデアスみたいに無限じゃないんだ。それを分かっているだろうな。」

「すいません。」

「ルズリカ、お前は他のものに目が行き過ぎている。その年になっても僕が管理してやらないとろくにスケジュールが分からない訳ではないだろう。」

アミルテラはルズリカを睨み付け怒鳴りつける。

「次にこんな事があれば、1人で外に出さないからな。」

アミルテラはそう言うと乱暴に書きかけのものを完成させると封筒に入れると封をした。

「行くぞ。時間がもったいない。」

アミルテラは黒のコートを着ると封筒を持ってルズリカを連れて外に出た。

 移動の馬車の中でもアミルテラは不機嫌でルズリカは身を縮こませながら向いに座る。

「昨日はアデルに連れて帰られたそうだな。」

「ごめんなさい。」

「ルズリカに何にもなくて良かった。ポーツは女好きだし、あんな場所に来る男なんて碌なもんじゃない。僕の目を盗んでアデルがルズリカを連れて行ったのは癪に障るが、まぁいい。」

「心配してくれてありがとう。」

ルズリカはアミルテラの方を向いて言った。

「またこうした場に行く事が増えるだろう。ルズリカは必ず僕が守るから安心しろ。」

「ありがとう。でも、昨日すごく迷惑かけちゃったしお仕事支障が出ない?」

「それなら心配ない。昨日新しい依頼を2件もらって来た。」

「2件も!」

ルズリカは目を丸くしてアミルテラに言った。

「一つは商工会議所の設計、もう一つは新しく出来る駅の設計だ。」

「そんな大きな仕事決まったの。」

「ああいう場は少しくらい行っておくと何かといい事があるんだ。情報も手に入るし、行かない訳には行かないんだ。」

「パーティーって、そういう場所なんだね。」

ルズリカはアデルテラの勉強になるという言葉の意味をようやく理解した。

「今日は夜までスケジュールが詰まっている。おまけに厄介なの相手をしなくてならない。」

「厄介なの?」

「着けば分かる。」

アミルテラはそれだけ言うとポケットからチョコを取り出して口に入れた。

「ルズリカも食べるか。」

「ありがとう。」

ルズリカはアミルテラからチョコをもらい口で溶かしながらアミルテラの嫌煙する相手が誰なのか考えを巡らせた。

 カルデアスの神殿は春の空に凛として聳えていた。空気は建築途中と違い、異様に冷たく人間の来る場所ではないと伝えているようである。ルズリカはアミルテラの横でアミルテラの持てる全ての技術を費やしたこの芸術品に瞬きすら出来ない。

「ここにカルデアス様が泊まられるんだね。兄さんはカルデアス様に会ったんでしょ。どんなお方なの。」

「あれは人を見透かしたような得体の知れない化け物だ。正直、あまり関わりたくない。」

アミルテラは天井の窓から差し込む日差しを眩しがりながら言った。

「神様はやっぱり、普通の人と違うんだね。」

「すぐに僕の言っている事が分かる。」

「それって。」

ルズリカはアミルテラの今にも帰りたそうな顔を見て不安になるが、間も無く背後から体の芯が冷たくなる存在が近づいて来た。

「アミルテラ、素晴らしいものを作ってくれたな。」

ルズリカは胸の奥に響く声に後ろを振り向くと雪の中に咲く水仙を擬人化したような人物に時が止まる。

「カルデアス様、ようこそいらっしゃいました。」

アミルテラは動けなくなっているルズリカの横で深々と頭を下げた。

「アミルテラ、隣のがお前の妹か。」

「はい、妹のルズリカです。」

「ルズリカ・ラサルです。はじめまして、カルデアス様。」

ルズリカは自分のできる限り頭を思いっきり下げてカルデアスに言った。

「お前にはこの神殿の案内を頼んだ筈だが、ここにいたのだな。」

「申し訳ありません。時間がありましたもので、ご案内する前に妹と何か不具合がないか確認しておりました。」

「構わない。約束より早く来たのは私だ。それよりも、誰を得体の知れない化け物か私にも詳しく聞かせてくれ。」

「カルデアス様、申し訳ありません。兄は少し口は悪いですが、悪気はないんです。」

ルズリカはカルデアスに先程の会話を聞かれただけでなく、気分も害したと思い急いで謝罪する。

「君はとてもいい子だね。アミルテラとは大違いだ。」

カルデアスはルズリカの目の前に行くと人差し指をルズリカの顎の下に入れて顔を上げさせる。

「あまり似ていない兄妹だとは思ったが、瞳は瓜二つだ。」

「私は兄と違い美人ではありませんし。」

「ルズリカ、君は美しいよ。」

物心着く頃から教会で祈り続けていた神カルデアスの優しく温かみのある言葉にルズリカは感動して涙が溢れ始めた。

「今日は君にも会えて嬉しいよ。アミルテラ、この神殿を隅々まで案内してくれ。」

「畏まりました。」

アミルテラはカルデアスの前に立つと今いる部屋から案内を始めた。

 アミルテラの案内は2時間近くに及び、全て終わる頃にはカルデアスの数人の従者は疲れ切った表情になっていた。

「私の神殿はいくつもあるが、ここは今までにないものだ。アミルテラ、見事であった。」

「ありがとうございます。」

「庭はないのだな。アルスの図書館の中庭は私が見たどの庭なんかよりとても美しかった。」

「お庭は作らないというのがご要望だと伺っていたので。」

アミルテラは話し合いの時にふんぞり返って出しゃばってアミルテラの提案を押し除けていた従者を睨みつける。

「私の妻は草花が好きだから、あのような庭があれば喜ぶと思っていたのだが。」

「少しお時間をいただければ空いた土地に庭を作りますが、どうされます。」

「空いた土地には陣を描くのだ。惜しい気はするが、諦めよう。」

カルデアスは従者に命じて白い馬車の扉を開けさせた。

「お前達の話をもう少し聞きたい。宮殿でお茶でも飲みながら続きをしよう。」

「カルデアス様、この者達を馬車に乗せるのですか。」

「何か不服があるのか。」

カルデアスは白の聖職服を纏った従者に言った。

「私はこの2人が気に入った。才能ある人間はとても貴重だ。有意義な時間になる。」

カルデアスはアミルテラとルズリカを睨み付ける他の従者にも言い聞かせるように言った。

「遠慮せずに乗りなさい。」

「ありがとうございます。」

ルズリカはカルデアスに頭を下げてアミルテラを見る。アミルテラは表情こそ出さないもののあまり乗り気でないのは明白でルズリカはカルデアスに粗相をしないか心配になる。

「アミルテラ、構わないな。」

「お心遣いありがとうございます。」

アミルテラはそれだけ言うと馬車に乗り、ルズリカもそれに続いた。

 馬車の中でカルデアスは優雅な面持ちで2人と会話を交わし、アミルテラとルズリカの先祖であるマレスとアリサについて語り出した。

「彼らの事はよく覚えている。身一つでこの国にやって来てお互い支えながら建築の仕事を一からやっていた。」

「カルデアス様はマレスとアリサの事をご存知なんですか。」

「私は彼らの婚姻を自ら承認した。兄妹であるが故に家族にすら迫害されて遥々この地にやって来た彼らをどうしても祝福したくてな。マレスは花嫁姿のアリサを見て大号泣していた。お前達を見ていると彼らの事を思い出す。」

カルデアスはルズリカに優しく微笑む。

「ルズリカはミルアの事を知っているか?」

「ミルア様ですか。春の花のように美しく慈愛に満ち溢れた女神様だと聞いています。」

「そして私の妻であり、実の妹だ。」

カルデアスは強調するかのように力を込めて言った。

「ルズリカ、宮殿に着いたらお前に見せたいものがある。」

「見せたいものですか。」

「あぁ、君に適任だとアミルテラから聞いているからな。」

カルデアスは関心なさそうに窓の外を見るアミルテラの方を見る。

「それにしても、アミルテラは大した男だ。私がいるというのにどこ吹く風とは。」

「申し訳ありません。」

「別に怒っている訳でないぞ、ルズリカ。寧ろ私はお前の兄をとても気に入っている。そうでなければ、完成前の神殿に来やしない。」

愉快そうにカルデアスは笑いながらアミルテラの髪を撫でる。

「私はなアミルテラ、お前にシンパシーを感じているのだ。お前は私に似ている。」

カルデアスの白い指がアミルテラの頬に触れた瞬間、アミルテラは思いっきりカルデアスの手を振り払う。

「触らないでいただけませんか。」

「私に触れられて喜ばないのはお前くらいなものだぞ。」

「私には男色の趣味はありませんので。」

「私はこの世の何よりも美しい。万物が私に愛でられる事を望むのにアミルテラ、お前だけがそれを拒むのだ。興味を持たない訳があるまい。そう思わないか、ルズリカ。」

カルデアスは返答に困り果てているルズリカを見た。ルズリカはアミルテラとカルデアスの双方を見てどう返答すべきか困り果ててしまう。すると、カルデアスは再び笑い出し、ルズリカの頬に触れた。

「私に触れられてお前はどう思う。」

「どうって。」

ルズリカは神である以前に家族以外の男に触れられて言葉を詰まらせる。アミルテラはこの様子を見てつかさず自分の方にルズリカを抱き寄せるとカルデアスを睨んだ。

「妹はあなたのおもちゃじゃない。」

「やはり、お前は私と似ている。宮殿に着いたらたくさんお前達の話を聞かせておくれ。」

カルデアスは馬車が停まると外に出た。ルズリカもアミルテラに続いて外に出て、空の雲のように純白の宮殿の中へ入る。

 アミルテラとルズリカが案内されたのは巨大な滝と川の流れるガラス張りの植物園のような場所であった。

「ここにある植物は全て妹のミルアが丹精込めた植物達だ。どれを取ってもミルアの面影を感じる。」

カルデアスは道の横に生えていた変哲もない草に触れて言った。

「ルズリカ、お前はこの庭をどう思う?正直に言っていい。」

「とても大切に手入れをされているお庭だとは思いますが、調和がないように思います。」

「というと?」

「元々の植物の配置から植物がずれていって全体のバランスが崩れているんです。そこの草も元々もう少し川べりにあったんじゃないですか。」

「驚いたな。少し見ただけではそこまで分かるのか。」

カルデアスは立ち上がるとアミルテラを一瞥してルズリカに言った。

 カルデアスは2人を庭が一望できる場所に連れて行くとガラスの椅子に腰掛けた。

「座りなさい。」

アミルテラとルズリカはその言葉に向かいの椅子に座り、ポットからお茶を注ぐ。

「ここに人を招いたのはお前達が初めてだ。」

カルデアスは優雅に3人分カップにお茶を注ぐとルズリカとアミルテラの目の前に差し出した。

「遠慮はいらない。くつろいでくれ。」

「ありがとうございます。」

ルズリカはカルデアスの淹れたお茶に手を付ける。

「ルズリカ、お前に頼みたいのはこの庭の手入れとちょっとした家を作ってもらいたい。」

「家ですか。」

「滝のそばに空き地があるだろ。そこに作りたい。」

カルデアスは滝のそばにある広場を指差して言った。

「この箱庭はミルアと私にとってのいこいの場なのだ。ここには従者はこないし、秘め事をするにはいい場所でな。」

ルズリカは急に色っぽくなったカルデアスの神らしからぬ発言に顔を赤くしてしまう。

「お前もそのうち色を覚える。男と女とはそう言うものだ。そうだろ、アミルテラ。」

「妹で遊ぶのはいい加減にして下さい。それでご予算はどうされますか。」

「お前達の好きにしたらいい。だが、出来うる限り早く仕事を始めて欲しい。ミルアが帰って来た時に荒れ果てた庭に変わり果てていたら悲しむ。」

「ミルア様は今いらっしゃらないんですか。」

ルズリカはカルデアスが頻繁に妹神の事を話すものの一度も顔を見せていない事に今気が付いた。

「いない。悪い人間に唆されて連れ去られたのだ。」

「誘拐されたんですか。」

ルズリカは聞いてはいけない事を聞いてしまったと後悔しながらもカルデアスに聞き返す。

「ルズリカは女神教というのを知っているか。」

「いいえ。」

「近頃、出来た新興宗教でそこの主神にミルアが祭り上げられているのだ。ミルアは心配になるくらいのお人好しでそこの教祖に拐かされて私が留守の間に連れ去られた。」

「すいません。変な事聞いちゃいました。」

「構わないさ。奴らの潜伏先は分かっているし、近いうちにミルアを迎えに行く手筈だ。だが、この事は内密な事なので他言無用で頼むよ。」

カルデアスは冷めた紅茶を飲み干して新しくポットからお茶を注いだ。

「話は変わるがアミルテラ、あれは書いて来たか。」

「ここにあります。」

アミルテラは懐から作業室で書いていたものをカルデアスに手渡す。

「最初の方は丁寧なのに最後の方になると書き殴ったようになっているな。」

「色々、ありまして。」

「まぁいい。ルズリカ、今日はお前に会えてとても嬉しかったよ。次会う時にはミルアにも会わせよう。とても気が合いそうだ。」

カルデアスは立ち上がると2人を宮殿の外まで自ら案内して、自分の馬車で2人を家まで送った。

 翌日、ルズリカは夜明け前に家を出てガルドとミアレドの元を訪れていた。ルズリカはミアレドとガルドからこの辺りの住宅についてのレクチャーを受け必死にメモをしていた。

「この長屋は木製だから、火事になりやすいんだ。だから、火事になった時はこの一棟を壊して他に燃え移らないようにしている。」

ルズリカはミアレドの言葉に頷きながら疑問に感じた事をすぐに質問した。専門的過ぎてミアレドが答えられない時にはガルドが口を出して質問に答えたりした。

「何かいいアイディアが掴めたかい。」

「はい、実は私個人に仕事が来たのでこの長屋を使えないかって考えているんです。」

「ルズリカちゃんに仕事が来たのか。それはすごい。で、一体どこのお貴族様なんだい。」

「それは秘密です。先方から口外しないように言われているんで。」

ルズリカは昨日、カルデアスの従者から何十枚にも及ぶ契約書の束を手渡されていた。家に帰って内容を確認すると仕事を行うにあたっての注意事項が細かく記載されており、仕事内容は家族にすら言ってはいけないと書いてあったのだ。

「こんなに協力してもらっているのに言えなくてすいません。」

「いや、いいんだよ。俺らはルズリカちゃんの為になっているならそれでいい。な、ミアレド。」

「俺と親方はあんたがこの場所に価値を見出してくれている事が嬉しいんだ。それが確かに身を結んでいるなら何も言う事はない。」

ミアレドはルズリカの緻密なメモを見て言った。

「ルズリカちゃん、そろそろ朝飯が出来る頃だからうちに寄ってけ。豆の煮込みしかないがな。」

「ありがとうございます。」

ルズリカは声を弾ませてガルドとミアレドと共に建築の話に花を咲かせながらガルドの家へ向かった。

 豆の煮込みを3杯もお代わりしたルズリカは流石に腹がはち切れそうになりながら、ミアレドと街の中心部まで歩いていた。

「あんた、その体でよくあんなに食えるな。」

「だって、美味しいじゃないですか。」

ルズリカは腹を摩りながら言った。

「あんたってつくづく変わってるよな。貴族のくせに偉そうじゃないし、俺達と対等に扱ってくれる。」

「兄さんからよく言われる。職人さんと仲良くするなとか庶民と仲良くするなとかすごいよ。」

「確かにアミルテラさんは俺達の事をひどくこき使うよな。」

ミアレドは仕事終わりに口々にアミルテラの悪口を言う兄貴分達を思い出して言った。

「兄さんはものすごい完璧主義者で、自分の理想通りじゃないと気が済まないんです。悪気があってやっているわけじゃないのは分かってもらえると嬉しいです。」

「それはみんな分かってるよ。みんなアミルテラさんがどれだけすごい人か分かってるし、今までにない未知の建築を作るのに生きがいを感じてる。性格に難はあるものの、アミルテラさんの事は認めてるよ。」

「そう言ってもらえて良かった。兄さんは昔からああだから敵を作りやすいし、同業者から恨まれる事だってあるんです。」

ルズリカは現場にアミルテラに仕事を取られたと逆恨みして殴り込みに来ていた同業者の姿を見た事があった。ルズリカはなにふり構わず刃物を振り回すその姿に怯えてしまってたが、アミルテラは臆する事なくそれに立ち向かい威勢で返り討ちにしていた。その時のアミルテラの姿はとても気高く美しいもので、一層アミルテラに強く憧れたのであった。

「ルズリカさんはあんな人と一緒で疲れないのか。」

「怒鳴られるのは日常茶飯事だし、ダメ出しなんてない日はないです。でも、それ以上に兄さんから学べる事が多いんです。」

「尊敬してるんだな。」

「兄さんは世界一の建築家なんです。私もその技術を学んで一人前の建築家になりたいって思ってるんです。」

ルズリカは常にアミルテラの妹ではなく、ルズリカという個人としての評価を求めていた。ようやく仕事を手伝わせてもらえるようになったものの、そのうち自分の建築のスタイルを確立させてアミルテラの元から独立する事がルズリカの一つの目標であった。

「なぁ、ルズリカさん。建物の設計って、難しいか。」

「設計ですか。」

「あぁ、俺も図面通りに建物を作るんじゃなくて建物を設計したいんだ。」

ミアレドはルズリカの真っ黒な目を見て言った。

「なるほど。少しお時間をいただいてもいいですか。」

「構わない。無理を言ってすまないな。」

ミアレドは申し訳なさそうにルズリカに言うと来た道を戻って行った。

 ルズリカは家に帰ると自分の部屋や作業室を漁って、設計に使えそうな本や資料をかき集め始めた。あまり使わない棚や引き出しを掘っくり返すと昔課題で書いた図面やレポートが出て来てルズリカの心は懐かしさでいっぱいになる。

「掃除をしてるのか?」

作業室に入って来たアミルテラは埃を撒き散らしながら棚の中をひっくり返しているルズリカに言った。

「うん、ちょっと。」

ルズリカはアミルテラに半人前の自分が設計を人に教えるなんて知ったら大激怒するのが目に見えていたので口を濁す。アミルテラもそれ以上は詮索せずにルズリカを見ていたが、気になるものを見つける。

「随分懐かしいものが出て来たな。」

アミルテラはルズリカの横に座り出て来た木箱を手に取った。

「どうしたの?」

「忘れたか。」

アミルテラは箱を開けて綺麗に折り畳まれた紙を取り出す。

「お前と僕とで書いた初めての図面だ。」

「まだ残してあったんだ。」

「当たり前だ。その後、図面を元に一緒に小屋を作ったな。あれは楽しかった。」

アミルテラは図面を開いてルズリカに工具の手解きをしながら庭に建てた荒屋と言っても過言ではない粗末な小屋を思い出す。アミルテラにとって、自分達のやりたい事を形にする作業はどんな歪でもやりがいも出来も美しく感じられた。そして、この経験はルズリカへの想いを自覚するきっかけとなっていた。

「僕がやった仕事の中で、あれほど面白かったものはない。」

「兄さんがそんな事言うなんて珍しい。今の仕事が嫌なの。」

「嫌ではないが、自分の赴くままに建築が出来る訳でない。僕は何にも縛られずに僕のセンスで作品を作りたい。」

アミルテラはルズリカの書いた少し歪んだ線をなぞる。

「この小屋は僕に今のキャリアを与えてくれた。教会も図書館も住宅も全てこの小屋からインスピレーションを受けたんだ。ルズリカ、僕はいつかこの小屋みたいに思う存分自分のやりたい事を建築に込めたい。誰にも真似できない唯一無二のものを作り上げたいんだ。」

ルズリカはアミルテラの持つ野望と向上心に気圧されかけていた。自分のスタイルを確立しきれていないでもがいている自分とは全く別の場所にいるアミルテラは雲の上の存在のように思える。

「ルズリカ、お前も一緒だ。僕がお前の才能を育てより良いものにする。そして、2人でこの世が終わるまで残り続ける作品を作っていこう。」

「兄さん、私は。」

「なんだ?」

「ううん、何でもない。」

ルズリカはアミルテラに自分の持つ思いを喉の奥に飲み込んで笑って返した。

 数日後、ミアレドに設計を教える準備を整えて大きなリュックを背負ったルズリカは意気揚々とミアレドとの待ち合わせ場所に向かった。周囲は薄暗くルズリカしか歩く人間もいない。街並みも徐々に見慣れたコンクリート建築と伝統的な赤煉瓦造りの建物が混合する風景から質素な木造と白塗りの家々の並ぶ風景に代わり始める。待ち合わせ場所の広場に行くとミアレドは既に木に寄りかかりルズリカを待っていた。

「ルズリカさん、早いな。」

「おはようございます。」

ルズリカは小走りでミアレドに駆け寄ると小石につまづいて転びかけてしまうが、ミアレドが素早くルズリカを抱き抱える。

「そんなに急ぐ事ないだろ。」

「すいません。」

「ていうか、その荷物どうした。」

「ミアレドさんに設計を教える為の最低限の資料を持って来ました。」

ルズリカはミアレドに言った。

「本当か。こんなに荷物になるとは思わなかったから、悪い事したな。」

ミアレドはそう言うとルズリカからリュックを受け取ってその重さに驚く。

「あんたよくこんなもの担いで来たな。女には大変だったろう。」

「大丈夫です。私も多少工具や建築材に触れる事があるので慣れてます。」

「建築家ってかなり大変な仕事だな。」

ミアレドは自分の肩にのしかかる重さを噛み締めながらルズリカと歩き出す。

 ミアレドはルズリカの建築家としての仕事を聞きながら、自分の想像している以上にガテン系で苦労の多い事を知る。

「設計したのにドタキャンなんてあるんだな。」

「ありますよ。父さんが仕事をしていた時に予算が合わないから図面を描いた直後に言われた事があるみたいです。」

「酷い話だな。」

「クライアントが料金踏み倒そうとして警察沙汰になりかけた事もありますよ。」

ルズリカは逆上したクライアントとアミルテラが殴り合いになって大惨事になった事を思い出す。おまけにクライアントは元から中流貴族であるラクサ家に料金を払うつもりがなかったらしく、家の威厳を振り回して喚きちらいていた。ルズリカはあの時の様子から階級社会の理不尽さを目の当たりにすると同時に建築の事だけを考えてい続ける訳にいかないと言う事を悟った経験である。

「それで金は払われたのか。」

「そもそも、相手にそこまで払える余力がなくて約束していた何割かしか払われなかったです。」

「最低だな。」

ミアレドは苦虫を潰したような顔をして言った。

「ミアレドさんも独立する事を考えているなら相手の経済状況とちゃんと約束をしておかないとダメですよ。」

「分かってるさ。そうじゃなくちゃ、世の中渡れない。特に俺は地方から出稼ぎで来てるんだ。そう言った話はいくらでも聞く。」

「ミアレドさんはどちらの出身なんですか。」

「北部のクロメだ。何にもない場所で仕方ないからここに来た。」

ミアレドは暗い空を見上げて言った。

「都会育ちのルズリカさんには分からないだろうが、クロメは見渡す限りの山で仕事も限られている。俺はツテを頼ってここに来たんだ。」

「クロメなら私も行った事があります。うちの別荘がそこにあって、子供の頃はよく遊びに行ってました。」

「確かに貴族の避暑地として人が来るには来るが、それだけじゃ産業は盛り上がらない。俺はここで腕を磨いて大工として一人前になって戻るのが夢だったが、ルズリカさんやアミルテラさんの建築を見て変わったんだ。俺も建築を学んで大工仕事だけじゃなくて家も建てられる人間になりたいって思えた。ルズリカさん、俺にどんなに厳しくてもいいから教えてくれ。俺、頑張るよ。」

ミアレドは自分なんかよりも背の小さいルズリカを見て言った。

「分かりました。私もあまりお手伝い出来る事は限られてるですけど、頑張ります。」

ルズリカはミアレドが設計にも興味を持ってくれて嬉しくて声を高くして言った。

 それから、ルズリカのミアレドへの特別講義が始まった。建築の基礎から計算方法まで設計に欠かせない知識をミアレドに叩き込んだ。

「ルズリカ、前の課題で分からなかった所があるんだがいいか。」

「いいよ。」

ルズリカはミアレドの質問に丁寧に答える。

ルズリカはミアレドを指導していると自分自身の至らない箇所を見つける事もあった。それはとても有意義な時間でルズリカ自身も職人達の技を深く学ぶ事が出来た。場所はガルドの家から近い大きなイチョウの木の下でランタンの灯りを頼りに行った。

「ミアレドは住むならどんな家に住みたい?」

「俺か。俺は温かくて寒くない家に住みたい。」

「そうじゃなくて、デザインとか外観の事。」

ルズリカはデザインを描きながら隣のミアレドに尋ねる。

「住むとしたら、俺は小さな家でもいいからルズリカの好きなデザインの家がいいな。」

ミアレドはルズリカの書き途中のカルデアスから依頼を受けた小屋のデザインを見ながら言った。

「これね、大切な人と過ごすのに使う場所なんだって。だから、ミアレドならどんな場所に住みたいか聞けば参考になるかなって思ったの。」

「そうだな。なら、こうやって恋人と寄り添える陽だまりみたいな部屋があればいい。」

ミアレドは肉体仕事で鍛え上げた熱い胸板にルズリカを抱き寄せて言った。

「ルズリカはあの親方も認める建築家なんだ。もっと自信持てよ。俺の恋人は天才なんだからさ。」

「お立てても何にも出ないよ。」

ルズリカは目を閉じてミアレドの胸の音を聞きながら言った。

「俺さ、また一つ夢が出来たんだけど聞いてもらってもいいか。」

「夢?」

「ルズリカと建築の仕事をやりたい。」

ミアレドは胸に抱くルズリカに言った。

「俺には学もないし、身分も悪い。けど、今のルズリカの仕事を見てるとアミルテラさんの仕事に埋もれているよ。俺、教えてもらってるばかりで何にも出来ないけど親方の所で叩き込まれた腕がある。大工として俺はルズリカを支えるよ。」

ルズリカは生まれて初めて出来た恋人にこんな夢みたいな言葉をもらえて自分が夢を見ているのではないかと疑ってしまう。だが、ミアレドの温もりは本物でこれが現実だと目を見開いてミアレドの青色の瞳を見る。

「ルズリカが単独で評価されないなんておかしいだろ。みんなアミルテラさんの妹だけで、ルズリカを見ようとしない。俺に見せてくれるボツになった図面だって他の建築家のやつに比べても見劣りしないし、むしろ優れていると思う。俺はルズリカの隣に立ってルズリカと建築の道を歩みたい。」

「ミアレド。」

ルズリカは今まで誰にも言われた事のない賞賛の言葉に涙が溢れ来た。自分のやっている仕事は少なからず評価されていて、自分を手助けしたいという存在が現れたという衝撃に打ち震える。

「俺はルズリカの為なら何でも出来るよ。だから、考えておいてほしい。」

ミアレドは枝の間から差し込む朝日の下、自分の最愛の人であるルズリカと共に歩む未来の為に一歩踏み出した。

 その日からルズリカは自分の将来について真剣に考えるようになった。ルズリカがアミルテラの仕事を手伝うようになって3年の月日が流れ、21歳になろうとしていた。

「何をぼけっとしている。」

作業台ので頬杖をついたルズリカをアミルテラは叱咤する。

「ごめんなさい。少し考え事をしてて。」

「なんだ?」

アミルテラはルズリカの隣に座りルズリカを見る。

「ルズリカが仕事でそんな体たらくな事をするのは余程の事だろう。何があった?」

「別に兄さんには関係ないよ。」

ルズリカはアミルテラの方を見る事なく仕事に戻るが、頭の中にはミアレドの甘くて魅力的な誘いが焼き付いていた。どんなに消そうとしてもそれは消える事なくルズリカの思考を邪魔して離れない。アミルテラは自分を見る事なく僅かに口角を上げて笑っているルズリカを見て思う事はあったもののそれ以上は詮索せずに自分の持ち場に戻る。

「どうしたものか。」

ルズリカの頭の中にはミアレドと独立して2人で建築をする未来が浮かんでいた。きっとそれは大変で苦労が多いだろうが、大好きな人と大好きな仕事をやれるのはそれ以上に充実しているだろうと思っていた。ルズリカの心は既にミアレドと共にあり、アミルテラの思い描く建築の道は崩れかけていた。

 巨大百貨店の建築現場にアミルテラと共に行くとルズリカの視線は冬場であってもタンクトップ一枚で働くミアレドに向かっていた。ミアレドと目が合うとルズリカは小さく手を振り、ミアレドも手を振り返した。

「何をしている。」

アミルテラはルズリカとミアレドを睨み付けると改善点を事細かく指示し始める。職人も変わった空気に一層、仕事に没頭していく。

「ルズリカ、お前はここの箇所をどう思う。」

「ここは。」

ルズリカは気を引き締め直してアミルテラに言われた場所についての意見を述べる。アミルテラはそれに耳を傾けながら、ルズリカと意見を交わし合う。その様子は誰がどう見ても息があっており、一心同体と言っても過言ではなかった。アミルテラはこの瞬間は誰とも分かち合えないものだと理解しており、自分の深い場所を理解するルズリカを愛していた。それはルズリカも同じでアミルテラだけが自分の建築を本当の意味で理解している事を知っていた。それ故に、ルズリカはアミルテラと別々の道を進む事に躊躇している所もあったのだ。

「今回の仕事はなかなかいい。流石だな。」

話を終えて出来上がった空間の様子を見ているアミルテラは職人達に言った。

「若旦那がそう言ってくれるなんて珍しい。ここはうちのミアレドが主体で作業をしたんだ。」

カルドは自慢げにミアレドの肩をばっと叩いて言った。ミアレドはガルドに褒められた事が嬉しくなり顔をにやけさせる。

「彼がか?」

「こいつはまだ若いが見込みのあるやつでさ、仕事を覚え始めてきたから任せたんだ。」

アミルテラは少し驚いた顔をしたが、すぐに表情を戻してミアレドを見た。

「ミアレド君、君はどこで建築を学んだ?」

アミルテラはミアレドにいつもの鋭い視線を向けて言った。

「これは図面を理解しただけでなく、設計の知識がある人間の仕事だ。建築の知識は僕らのような貴族階級の限られた人間にしか無いはずだが。」

「本です。本を読んで学びました。」

「どんな本だ?」

「建築論というミケランの本です。」

ミアレドは冷や汗をかきながらルズリカから借りている本のタイトルをアミルテラに言った。

「あれか。君の仕事はとてもいい。期待している。」

「ありがとうございます。」

ミアレドは深掘りしないアミルテラにホッとしながらその顔が見えないように深く頭を下げた。

 今日の仕事が終わり、ミアレドは中心部の広場に来ていた。今日は女神ミルアの生誕祭という事でルズリカと一緒にマーケットを見ようと約束していたのだ。

「ミアレド、遅れてごめんね。」

「いや、大丈夫だ。」

ミアレドはやって来たルズリカに言った。

「人すごいね。」

「そうだな、迷子になるといけないから手繋ぐか。」

「うん。」

ルズリカは小さく頷くとミアレドから差し出された手を握る。

「ルズリカの手、冷たいな。」

「寒いからかな。大体この日になると冷えるから。」

「ルズリカは祭りによく来るのか。」

「子供の時に一度だけ、友達に誘われて来たよ。」

ルズリカは物珍しい屋台を物色しながら言った。

「楽しかったな。買い食いして、ゲームをして自分の知らない世界だった。」

「貴族でもそう言う事するんだな。」

「しないよ。そんなの品がないって怒られちゃう。私を連れ出してくれたのはうちにいた庭師の子で年が一緒だったから仲良くなったの。マーケットに来たのもその子が服を貸してくれてこっそり連れ出してくれたからなんだ。」

「そうすると、家族が大変だったんじゃないか。」

「めちゃくちゃ怒られたよ。特に兄さんは私が使用人の子供と仲良くするのをよく思っていなかったから、しばらく外に出してもらえなかった。」

ルズリカは懐かしむように言った。

「今日は大丈夫なのか。」

「大丈夫。私だってもう子供じゃないよ。兄さんも今日は呼ばれ事があって遅くまで帰って来ないんだ。」

「それならいいけどさ、アミルテラさんに見つかったら俺殺されるよ。」

「その時は私が兄さんからミアレドを守るよ。」

ルズリカは胸を張ってミアレドに言った。

「ルズリカにこんなに想われるなんて俺は幸せものだな。だけど、ルズリカにはもらってばかりで何にも返せてない。」

「そんな事ないよ。ミアレドのおかげで下町の事を知れたし、私のスタイルももう少しで掴めそうなの。」

「本当か。」

「うまくは言えないけど、私の中の何かが変わりつつある気がするの。」

ルズリカはアイディアを描き出している時や目線が以前と違うように思っていた。アミルテラとの擦り合わせの時も以前ならなんて事なく円滑だったが、意見が合わなくなる事が多くなっていた。

「それで今日も兄さんと喧嘩しちゃって大変だったの。仕舞いには出て行けって作業室追い出されちゃった。」

「大変だったな。」

「兄さんと顔合わせるの気まずい。」

ルズリカは最後に見たアミルテラの剣幕を思い出して言った。

「元気だせ。ほら、あのお菓子買おう。あの屋台去年食べたけど美味かったんだよ。」

ミアレドはりんご飴の屋台を指差して言うと、ルズリカも「そうだね」と笑いりんご飴を買った。

 ルズリカの人生2度目のマーケットはまるでおとぎの国に迷い込んだかのように新鮮で感性を刺激した。特にミアレドとその時間を共有出来ている事はルズリカにとって何とも言えず幸せに思える時間でこのまま時が止まってしまえばいいとすら考えてしまっていた。

「ルズリカはアクセサリーとか付けないのか。」

「パーティの時に母さんの形見のネックレス付けたくらいで持ってない。ネックレスとか指輪とかして現場で無くしでもしたら怖いし。」

「それもそうか。」

ミアレドは何となく残念そうに屋台を見ているとルズリカの足がアクセサリーを取り扱っている屋台に止まる。

「欲しいものでもあるか。」

「そう言うのじゃないけど、綺麗だなって。」

「その髪飾り、ルズリカに似合いそうだけどな。」

ミアレドはルズリカの髪に桜の花の髪飾りをかざす。

「髪飾りなら邪魔になる心配ないだろう。おばさん、この髪飾りちょうだい。」

「ミアレド、いいよ。こんな綺麗なもの私には似合わない。」

「何言ってるんだよ。ルズリカは世界で一番可愛い女の子だぜ。」

ミアレドは代金を支払うとルズリカの髪に買った髪飾りを付けた。

「やっぱり似合ってる。買って良かったぜ。」

「本当にそう思うの?」

「俺は嘘をつかねぇよ。」

ミアレドは疑心暗鬼なルズリカに笑って言った。

「まだ、反対側も見てないし行こうぜ。」

「うん。」

ルズリカは自分の事を可愛いと言ってくれるミアレドに照れながら頷いた。

 翌朝、ルズリカの中では未だに昨日の出来事が続いているような感覚に陥っていた。朝起きるとルズリカは身支度を整えるとミアレドからもらった髪飾りを丁寧にとかした髪に着けて1人鏡の前でにやける。

「可愛いか。」

ルズリカは家族以外で言われる事が滅多にない「可愛い」という言葉を恋人のミアレドに言われて自分のそばかすの頬が幾分好きになった気がしていた。

「夢見ているみたい。」

ルズリカは髪飾りに触れて夢ではない事を確認すると頭を切り替える為に頬を叩き、化粧台から立ち上がった。

 食堂に行くとアミルテラが新聞を読んで座っていた。ルズリカは顔をあせないようにそっと席に座るとアミルテラの方から言葉が飛んだ。

「何かいい事あったのか。」

「どうしてそんな事聞くの?」

「顔が明るい。そんな顔久しぶりに見た。」

アミルテラは新聞をたたんでルズリカに言った。

「マーケット覗いてきたからかな。色んなものがあって楽しかったよ。」

「あんな場所へ1人で行ったのか。」

「うん、ちょっと気分転換に。」

ルズリカは口を滑らせたと反省しながらどう誤魔化すかを考えを巡らせる。

「うちは中流といっても貴族なんだぞ。家の品を落とすような事はするな。」

「ごめんなさい。」

「ルズリカ、お前もラクス家の建築家だ。その自覚を持って行動しろ。」

「分かりました。」

ルズリカはテーブルクロスに目を向けて言った。

「今日は打ち合わせ2件と昨日の続きをする。気を引き締めていくぞ。」

アミルテラは昨日の事など無かったかのようにルズリカに言った。

 夕方になり、作業室に戻ると昨日途中まで進めていた駅庁舎のイメージと構想をルズリカとアミルテラは議論を交わしていた。

「兄さん、やっぱりここは屋根を置くべきだよ。」

「何度言えば分かるんだ。そんな事をしたら全体のバランスが崩れる。」

「だけど、使う人のことを考えたら雨風が凌げないのは辛いよ。」

「ここは他の国から来る人間の玄関口になるんだ。やって来た人間があっという気持ちにならないと意味がない。どうしてそれが分からないんだ。」

アミルテラは全く意見を変えないルズリカに苛立ちをぶつける。ルズリカも自分の意見を譲るつもりはなく、アミルテラに齧り付く。話は全く解決の糸口を見出せず、ルズリカもアミルテラも互いに自分の感性をぶつけ合う。

「もういい、出て行け。この仕事は僕1人でやる。」

怒りが頂点に達したアミルテラはルズリカを部屋から追い出すと部屋に鍵をかけてしまった。締め出されたルズリカは自分の意見を全く聞き入れてくれないアミルテラに悔しさで涙が溢れる。

「自分の何がいけないの。」

ルズリカは扉に寄りかかり項垂れて1人つぶやく。扉の向こうではアミルテラの図面を描く音だけが響き、ルズリカの心を一層冷たくした。

 落ち着きを取り戻し泣きながら自分の部屋に帰るとカルデアスから依頼を受けた小屋と庭の草案を描き始めた。ルズリカの中はこの仕事で自分の評価を上げてアミルテラを見返したいという野心に燃えていた。

「兄さんよりもすごいものを作らなきゃ。」

ルズリカはアミルテラの元で学んだ集大成を今ここに作り上げようとしていた。ルズリカの集中力は凄まじく、寝食を忘れるくらい熱中した。

「もっと、もっと。」

ルズリカは自分の魂を注ぎ込むように鉛筆の線に力を込める。その姿は周囲の誰も彼も寄せ付けない迫力があり、ルズリカの様子を見に来たアミルテラでさえ黙って出て行く程だった。ルズリカは自分を極限まで追い込んで行き、全てを終わらせた時ルズリカの意識は闇の中へと消えて行った。

 2日後、アミルテラがルズリカの部屋に行くと出来上がった図面の上で気絶したように眠るルズリカを見た。

「そんな事をしたら、図面が汚れる。」

アミルテラは起きる気配のないルズリカをベッドに寝かせるとそっと髪を撫でてから布団をかけて作業台の図面の前に立つ。

「お前の本気、見せてもらうぞ。」

アミルテラは作業台の図面を手に取る。アミルテラは全てクマなく見終わると肩の力が抜けてルズリカの成長を実感し胸が熱くなった。

「まだ建物の設計に甘い箇所があるが、よくやったな。」

アミルテラは図面を戻すとルズリカの方に戻ると頭を撫でてルズリカの唇と己の唇を重ねた。

「ルズリカ、僕はお前が愛おしくて仕方がないよ。お前の成長を誰よりも近くで見れる事、お前と同じ道を歩める事がとても幸せなんだ。目を覚ましたら僕にもっとお前の力を見せてくれ。」

アミルテラはルズリカに再びキスをすると起こさないように静かに部屋を出た。

 ルズリカが目を覚ましたのは夜更けの事だった。いつの間にか布団に寝ていたのでルズリカは驚きはしたものの、とてもよく眠れたので大きく背伸びしてベットから出ると灯りをつけた。

 作業台には書き上げた図面が綺麗に置かれており、ルズリカはアミルテラが自分をベッドに寝かせて図面を見た事を知る。ルズリカはアミルテラの見た図面を手に取り、部屋を出ると作業室へ向かった。

 扉に鍵はかけられておらず、ルズリカは中に入ると作業台で仕事をするアミルテラの後ろに立つ。

「起きたのか。」

アミルテラは椅子を回転させてルズリカを見て言った。

「図面、どうだった。」

「柱の本数を減らせ。室内の建造物だからそんなに必要ない。小さな建物で廊下を作るな。そのスペースをリビングに当てろ。」

「分かった。」

「それと、庭の設計と外観のデザインは良かった。指摘箇所を改善すれば、十分仕事として成り立つ。」

アミルテラはルズリカの頭を撫でて「よくやった」と笑った。

「驚いたよ。ここまでやれるとは思わなかった。」

「ありがとう、兄さん。」

「今週中に書き直せ。来週早々先方に出しに行く。」

アミルテラはそう言うと作業台に戻り作業に戻った。ルズリカもアミルテラの隣の作業台に座り、指摘箇所を夜が明けるまでに訂正してアミルテラに見せると「これでいい」と頷いた。

 朝食の時間になったので2人は食堂に行き、休憩を入れると再び作業室戻るとアミルテラは書いた図面をルズリカに見せた。

「駅のデザインを書いてみた。お前の意見が聞きたい。」

ルズリカはアミルテラから図面を受け取るとその美しさに言葉も出なかった。自分が否定していた箇所は全くの見当違いで、屋根がない事でスペースの開放感が生まれて見事な調和を表現していた。

「お前に屋上の庭園を作ってもらいたい。」

「屋上に庭園を作るの?」

「お前の庭園の図面を見ていたら欲しくなった。やってくれるな。」

アミルテラはルズリカの黒い瞳を見て言った。ルズリカは少し複雑な心持ちになっていたが、アミルテラから追い出された仕事に再び着手出来るので首を縦に振った。

「明日は現場に行った後、出かけるからそのつもりでいろ。」

「どこいくの?」

「近頃、仕事以外で出かける事が無かったからな。ちょっとした息抜きも必要だろう。」

アミルテラはルズリカの髪につけている髪飾りに触れた。

「安物みたいだが、どうした。」

「変かな。」

「悪くはないが、お前がアクセサリーに興味を持つなんて珍しい。どこで買った。」

「マーケットで見つけたの。桜の花が可愛くって。」

ルズリカはアミルテラに尋問されているような心持ちになって冷や汗をかいた。

「確かにルズリカに似合っている。だが、身なりと言うのは己の立場を示す。公の場では好ましくないと思う。」

「でも、普段使ったりするのはいいでしょ。現場に行く時とかぐらい。」

「現場に着けていきたいのか。」

「可愛いもの着けていたらモチベーションが上がるでしょ。」

ルズリカはミアレドに出来るだけ髪飾りを着けた自分の姿を見せたいと思い強めに言った。

「そんなに気に入っているならそうすればいい。」

「ありがとう、兄さん。」

ルズリカは声を高くして明日会えるミアレドの姿を思い浮かべて言った。

 翌日、ルズリカはアミルテラの隣を歩いてミアレドの姿を見ると小さく手を振って髪飾り触れた。ミアレドもその姿にニヤケが止まらずガルドからゲンコツが飛んだ。

「作業は順調なようだな。」

出来上がった空間を見て言った。そして、職人の集団の中心にいるミアレドの方に歩き出した。

「ミアレド君、君の働きは本当に素晴らしい。」

「あ、ありがとうございます。アミルテラさんにそう言われて光栄です。」

「君は他にどんな勉強をしているだね。」

アミルテラの質問にミアレドは正直に答えていった。ルズリカから教わった事や自分で図書館に通い得た知識も交えながらアミルテラと言葉を交わす。アミルテラはミアレドの持つ知識に一層目を見張るが、建築を探求するミアレドに大きな好感を持った。

「今の君なら、マルスの書いた著書を理解出来るだろう。読んでみるといい。」

「分かりました。これからも頑張ります。」

ミアレドは大きく声を上げて勢いよく頭を下げる。ルズリカはミアレドの声が裏返ったのがおかしくてくすりしてしまった。

 現場の様子を見終わったルズリカはアミルテラと馬車に揺られながらアミルテラと話していた。

「兄さんが他の人を褒めるなんて珍しいよね。」

「身分はどうであれ、建築への情熱を持つ人間は同志だ。僕は彼に好感を持っている。おまけにそれが独学とは信じられない。」

「確かにすごいよね。自分であんなたくさん勉強してすごいよ。」

ルズリカはアミルテラに恋人が褒められて声を弾ませて言った。

「彼のような人間が職人連中にもう少しいればいい作品が出来上がるのに残念でならないよ。」

「大丈夫だよ。兄さんの作品は職人さん達みんな大好きだから分かってくれるよ。」

「お前は随分と彼らに肩入れするな。」

「みんなすごくいい人達だし、話をしていると参考になるよ。この前だって。」

ルズリカはガルドの家に行き聞いた話をアミルテラに聞かせようとするが、アミルテラの顔が険しくなる。

「僕はあまり馴れ馴れしくするなと言ったはずだが。」

「でも、今回のカルデアス様の依頼もここからインスピレーションを受けた場所もあるんだよ。」

ルズリカはガルド達との交流が無駄ではない事をアミルテラに訴えかけるように言った。

「確かに、今回の依頼で僕はルズリカの成長を実感できた。そして、自分のスタイルを掴もうとしているのも理解している。だが、彼らとは身分が違う。僕らは貴族だ、それを弁えろ。」

「でも、そんな事したら視野が狭まるよ。」

「お前は勘違いしている。彼らの生活は僕らとは全くの無縁だ。そして、僕らの作る建築は彼らの為のものじゃない。僕らの才能を理解して対価を払う人間達のものだ。彼らはそれを作る手足でしかない。」

アミルテラは反抗的なルズリカに言い返す。

「彼らの生活は一昔前のもので僕らとは違う。彼らに近づくという事は僕らの価値を落とす事にもつながる。」

「そんな事ない。だって、職人さんの技を学んだからカルデアス様の依頼も私の成長も出来たって考えてる。」

「お前は僕との歩みに何一つ学ばなかったというのか。お前をここまで育てたのはこの僕だ。少し出来るようになったからと言って調子に乗るな。」

アミルテラはルズリカを怒鳴りつける。

「でも。」

「言い訳は許さない。お前の成長は僕とともにある事で出来るんだ。事務的に何一つ成長しない連中とつるむのはやめろ。それが出来ないのなら、僕と一緒にいる時以外外出さないからな。」

アミルテラはこれ以上の反抗を許さないとルズリカに威圧して黙らせると馬車の扉を開けた。

「行くぞ、時間がもったいない。」

アミルテラはアミルテラの迫力に押されてうなだれて動けなくなっているルズリカの腕をつかむと外に出た。

 ルズリカが連れて来られたのは老舗の百貨店であった。この建築はマレスとアリサが設計したもので、子供の頃に家族で何度も来た思い出の場所の一つである。

「今日はお前のドレスとその他の宝飾品を新調にし来た。」

「ドレスの新調?」

「これから先、パーティや社交界に出る事が増えるからな。何着か必要だろう。身に付けるものもそれなりのものを持っておいた方がいい。」

アミルテラは乗り気でないルズリカに言った。

「心配しなくても代金は僕が払う。気に入るものを見繕え。」

ルズリカの目の前には高価な宝飾品が並び、奇抜な格好をしたデザイナーがルズリカになんやかんやと勧めてくる。最初のうちは様子を見ていたアミルテラは思うように進まない状況に苛立ち、あれこれ指示を出し始める。

「これの水色はないか。この子には淡い色のものがとても似合う。」

「少々お待ちください。」

デザイナーはアミルテラの指示に従い、ドレスを持ってくる。アミルテラはそれを吟味しながらデザインにも細かい指示を出す。

「ラサル様、こちらは肩の部分をカットした方がよろしいのではないですか。今の流行はショルダーカットですので。」

「この子の肩は平坦だ。そんな事したら、肩幅が強調されてしまう。」

アミルテラはルズリカの肩に触れて言った。

「あんたもデザイナーの端くれならその位分かれ。それと、口紅はあるか。少し青みのあるものが欲しい。」

アミルテラは建築の仕事同様に従業員に指図する。ルズリカはその姿を見ながら自分が果たしてここにいる必要があるのかも感じてしまう。

「ルズリカ、このドレスを着てみなさい。」

アミルテラは何一つ発言せず、成り行きを見守る事しないルズリカに言った。

「この服を着てくればいいの。」

「そうだ。ついでにこの服も持っていけ。比較がしたい。」

ルズリカは女性従業員に連れられて試着室に行くとドレスに着替えてアミルテラに見せた。

「悪くないが、もう少しラインを際立たせた方がいい。次のも着てくれ。」

アミルテラの指示にルズリカは着せ替え人形の如く従い、若草色のマーメイドドレスを着た。

「中途半端だ。ラインがしっかり出て肩の部分が隠れるドレスは他にないか。」

「申し訳ありません。これ以上は当店にお取り扱いがありません。」

「ならば、こう言うドレスを仕立ててくれないか。」

アミルテラは持っていたメモにデザインを書き始める。

「兄さん、これ以上はお店に迷惑だよ。」

「お前に似合う服がないと意味がない。ほら、これを元に仕立ててはくれないか。」

アミルテラはデザイナーに即興で書いた数枚のデザインを渡す。デザイナーはアミルテラに先程からダメ出しばかりで爆発寸前だったが、アミルテラのデザインを見てその全てが吹き飛んだ。

「どのくらいで出来そうだ。」

「1ヶ月程お時間をいただければ可能でございます。」

デザイナーはアミルテラの圧倒的なセンスにひれ伏しながら言った。

「口紅はどうした。用意できたか。」

「はい、こちらにございます。」

場の空気に萎縮した従業員がアミルテラに数本の口紅を見せる。アミルテラはその一つ一つを見てルズリカの唇も比較していくが、納得いく色が見つからない。

「もう少し、ピンク色のあるものはないか。」

「それでしたら、こちらはいかがでしょうか。こちらの色は今年の新色で、若い女性から恋色ピンクと呼ばれております。」

従業員は何とか奮い立たせて右端の薄ピンク色の口紅を手に取り言った。

「この口紅に付けると恋が叶うと若い女性の間で評判になっておりまして。」

「そんなくだらない話は聞いてない。」

アミルテラは話を遮り従業員を睨む。

「他を見せろ。」

「申し訳ありません。」

従業員は大慌てで次の口紅を取りに行ってしまった。ルズリカはじ銀のトレイに置かれた恋色ピンクの口紅を手に取り、思わずうっとりとしてしまう。桜の色にも似たその口紅は甘い香りがしてルズリカの興味を誘った。

「これ付けたらどう思うかな。」

ルズリカはミアレドの事を思い浮かべてにやけてしまう。

「欲しいのか。」

「すごく可愛いなって。」

「そうか。この口紅も追加で頼む。」

アミルテラはルズリカの何とも愛らしい姿に胸がときめいてしまっていた。あまり世間の評判を気にするアミルテラではないが、これを付けて自分と歩くきっとどんな女よりも可憐で愛おしいものであると断言できた。

「兄さん、この口紅は私が買うからいいよ。」

「これは日頃のルズリカへの感謝として僕からのプレゼントだ。遠慮するな。」

アミルテラはルズリカに笑いながら言った。

「次は装飾品だ。僕がお前に相応しいものを選んでやるから安心しろ。」

アミルテラは自分の手でこの世で最も愛するルズリカを着飾れる事に喜びを感じ、甲斐甲斐しく接待する従業員に手厳しく指図を出す。

 アミルテラがルズリカの為にした買い物は3時間近くに及び、その全てが一級品で揃えられた。

「不完全燃焼ではあるが、こんなものだろう。」

アミルテラは最上階にある喫茶室で紅茶を飲みながら言った。

「お前は昔から買い物が終わると疲れて眠そうな顔をするな。」

アミルテラは散々着せ替え人形をさせられて疲れ果てているルズリカの頬を突く。

「お前の好きなチョコレートパフェを頼んだんだ。機嫌を直しなさい。」

「兄さん、兄さんにとって私は何なの?」

「それはどういう意味だ。」

「今日の買い物ほとんど兄さんが選んでた。私が選んだのってこのくらいしかない。」

ルズリカは手の中の口紅を転がしながら言った。

「そのつもりでいたが、ここの連中は目先の流行しか映っていなかった。あのままいっていたらそれに飲まれていただろう。僕はお前を誰よりも知っていて理解している。だから、僕が選んだ。」

「兄さんは私の事を信用してないの。」

「僕はルズリカをこの世の誰よりも信頼しているし、唯一無二の存在だと考えている。だが、お前は気が弱い。今回も僕がルズリカの意図を汲み取って選んだんだ。だからこれは、ルズリカが選んだ事になる。」

アミルテラは当たり前のようにルズリカに言うと窓から見える景色を見た。

「懐かしいな。母さんが生きていた頃はよくここに来ていた。ルズリカはいつも母さんにこうやってチョコレートパフェを食べさせてもらっていた。」

アミルテラはスプーンを取るとルズリカに一口チョコソースのかかったバニラアイスを口に入れる。

「ルズリカはあの頃と変わらないな。好きなものを美味そうに食べる姿も目を輝かせている様子も全て昔のままだ。」

「兄さんは私の事を子供だとに思ってるの?」

「それなりに出来るようになってはいるが、お前はまだ未熟だ。だが、僕がいる。僕の隣で自分のペースで成長していけばいい。」

「そう言う事を言っているんじゃなくて。」

ルズリカが反論しようと来るとアミルテラはルズリカの唇にキスをした。

「そう言うところが未熟だと言っている。あまり感情的になるものじゃない。その熱量を建築に使え。」

アミルテラはしてやったりという顔をして困惑するルズリカに言った。

 翌日からルズリカはアミルテラと共に仕事をしていたが、アミルテラにキスをされた事が頭から離れず1人悶々していた。アミルテラとまともに顔を合わせる事が出来なくなり、コミュニケーションもおぼつかなくなる。

「ルズリカ、この箇所をどう思う。」

「え、うん。」

アミルテラに図面を見せられても昨日の出来事がよぎり、うまく言葉を交わせない。

「何かあったか。」

ルズリカは視線を合わせようとしないルズリカに言った。しかし、ルズリカは答えようとせずにずっと俯いたままである。

「やる気がないなら出て行け。」

アミルテラもまともに返答出来ないルズリカに苛立ち、作業室から追い出してしまう。

「兄さんはどうして私にあんな事をしたの。」

追い出されたルズリカは考えれば考える程アミルテラの近くにいるのが嫌になり、家を出てミアレドのいる現場に向かった。

 ルズリカが現場に入るとミアレドはアミルテラから評価をもらい一層自信がついて仕事に励んでいた。その姿は頼もしくルズリカの誰かに相談したいという気持ちを掻き立てた。

「ミアレド、ルズリカちゃんが来たぞ。」

ガルドの元で働く1人の職人が陰から覗いていたルズリカを見つけて大声を出す。

「ルズリカ、どうしたんだよ。」

ミアレドがルズリカのそばに行くとただならぬ様子に心配になる。

「ちょっと、顔を見たくなって。」

「顔色も悪い。これから休憩だから話を聞くよ。」

ミアレドはルズリカの肩を抱くと現場の外にある公園の人気のない庭園に連れて行った。ルズリカをベンチに座らせるとミアレドは持っていた水を渡す。

「アミルテラさんと何かあったのか。」

「兄さんが私にキスをしたの。」

「キス?」

「昨日、現場に行った帰りに街の中央の百貨店行ったの。その時、突然。」

ルズリカは一体何の意図があってアミルテラがキスをしたのか分からず困惑してどうすればいいか分からないとミアレドに打ち明けた。

「兄さんから唇にキスされた事なんてないし、その時の兄さんの顔がいつもと違っていてすごく怖かった。」

ルズリカはアミルテラの表情が兄妹を見る目と全く違っていた事にも恐怖を覚えていた。その目は恋人のミアレドの事を考える自分と重なって見えたのだ。

「私には兄さんが分からない。でも、このままいったら取り返しのつかない事になりそうで怖い。」

「ルズリカ。」

ミアレドは震えるルズリカを抱きしめると背中をさすった。

「ルズリカ、やっぱり俺と一緒に故郷へ行こう。アミルテラさんが偉大な建築家だとしても、このままじゃルズリカが壊れちまうよ。」

「ミアレド、私を助けて。」

ルズリカは涙を流し滲む視界にミアレドを写した。ミアレドも自分に抱かれて泣くルズリカが愛おしくなる。

「キスしてもいいか。」

「ミアレドがしてくれるの?」

「俺のキスで上書きしたい。」

ミアレドはルズリカの瞳を見て言った。

「ルズリカ。」

ミアレドは目を閉じるルズリカの唇に自分の唇を重ねた。ミアレドの初めてのキスはほんのりとした塩味で涙の味だった。ルズリカも大好きな人との初めてのキスはアミルテラのキスで経験した気持ち悪さと違い天にも昇る心地がした。

「ルズリカ、ありがとう。」

「こちらこそ。」

2人は顔を赤くして顔を背けるが、再び顔を合わせると口付けをした。互いに抱き合い深く絡み合う。その姿は情熱的で僅かに残った残雪を溶かさんと言わんばかりであった。2人の間にはもはや時間が存在せず、冷たい風だけが通り過ぎて行く。そして、その風に乗ってルズリカを探しに来たアミルテラは2人の姿を目撃する。アミルテラは一瞬、人違いだと錯覚するが茶髪のそばかすの頬は間違いなくアミルテラの愛するルズリカだった。アミルテラはその場から音もなく去ると家に帰って行った。

 ルズリカがミアレドと別れて家に帰る頃には夕闇が街を飲み込んで赤く染まっていた。

「おかえりなさい、お嬢様。」

「ただいま、何か顔色悪いけどどうしたの。」

「アミル坊ちゃんが、昼間帰って来たら手を血だらけにして帰られて何かご存じありませんか。」

「いや、知らないけど。」

ルズリカは青ざめたメイドに上着を渡して言った。

「旦那様もアミル坊ちゃんに家督を渡されたのでご旅行に行かれていますし、私どうしていいか。」

「セーラさん、私が兄さんの様子を見てくるよ。」

「ありがとうございます。坊ちゃんはずっと作業場に篭っていますのでよろしくお願いします。」

メイドは深々とルズリカに頭を下げると奥へ引っ込んでしまった。

 今朝の事もあり、アミルテラとあまり顔を合わせなくないという気持ちにはあるもののメイドの様子から聞いてただならぬ様子である事は間違いないので意を決して扉を開けた。

「兄さん、大丈夫?」

ルズリカは暗い部屋の中遠慮気味に姿の見えないアミルテラに言った。

「セーラさんから聞いたんだけど、手が血だらけなんだって。」

ルズリカはゆっくりと部屋の中に進んで行くとカツカツというアミルテラの爪を噛む音が僅かに聞こえてくる。

「兄さんまた爪を噛んでるの。ダメだよ。」

ルズリカは部屋の休憩用のソファの上で蹲り床に血を垂らすアミルテラを見つけるとしゃがみ込んで言った。すると、アミルテラはルズリカの腕を引っ張り自分の胸の中に閉じ込める。

「兄さん、ちょっとやめて。」

ルズリカはもがいて離れようとするがアミルテラは一層腕の力を強める。

「兄さん、一体どうしたの。」

ルズリカは顔も見えないアミルテラに恐怖していると突然、唇を奪われる。アミルテラは昼間の事を消し去るようにルズリカの唇を頬張り舌にまで絡まった。

「ルズリカ。」

アミルテラが一通り満足して唇を離すとルズリカを胸に抱いた。

「ルズリカ、ルズリカ。」

アミルテラはルズリカを失う恐ろしさに襲われながら言った。

「お前は、お前は僕のものだ。他の誰にも奪わせない。他の男になんて、あんな格下の職人ふぜいに。」

アミルテラは震える声でルズリカに言うとソファの上に押し倒す。

「ルズリカ、お前は僕のそばにいるべきだ。そして、死ぬまで僕と一緒に建築の道を歩み続けるんだ。」

アミルテラは泣き叫ぶルズリカの唇にキスをすると自分の存在を刻みつけるように感情を全て曝け出した。

 その日からアミルテラは一層、ルズリカを束縛するようになった。行動も兄妹としてではなく、恋人あるいは夫婦のように扱い周囲からも奇怪な目で見られるようになった。

「私の妻に何か。」

アミルテラは事あるごとにルズリカの隣に立ち当たり前のように宣言した。ルズリカはどうにか抵抗して逃げ出そうとするもののアミルテラに先回りされて退路を断たれてしまう。今もアミルテラはパーティで居合わせたポーツを睨みルズリカの肩を寄せていた、

「失礼しました。奥様のドレスがあまりにも良くてどこのブランドですかな。」

「妻のドレスは私の書いたデザインを元に仕立てさせたものです。既製品でいいものが出来そうになかったので。」

「奥様のドレスをラサルさんがデザインされたのですか。もしよろしければ、うちの妻のドレスもデザインさせていただけませんか。」

ルズリカのドレスに感心するポーツがアミルテラに言った。

「私は建築家であって、服のデザイナーではありません。妻の為のドレスはデザインしますが、それ以外は出来かねます。」

「それは残念。ですが、気が向いたらすぐにお願いしますよ。」

ポーツはそう言うと一回り歳の離れた若い女の肩を抱いて行ってしまった。

「全く、どいつもこいつもルズリカに色目を使いやがって。」

アミルテラは小さく舌打ちを打つと仕事で縁を持ったラサル家と同じ中流貴族の当主に形式上の挨拶とルズリカとの正式に婚約した事を告げた。

 アミルテラのデザインした若草色のドレスを見に纏ったルズリカはパーティの注目を一心に受けて男女問わず声をかけてくる人間が多かった。アミルテラはそれを不愉快そうにあしらい、相手をするもののまんざらでもない面持ちである。ルズリカはアミルテラの側を離れる事を許されず、ただ隣に立っている事しか出来なかった。

「私お手洗い行ってくる。」

「僕もついて行く。」

アミルテラはルズリカが自分の視界から消える事に拒絶反応を起こしており、ルズリカがいないと不安定になっていた。たとえ逃げられない状況であろうとアミルテラはルズリカのそばにいたがった。ルズリカもアミルテラからの執着に日に日に精神をすり減らし、アミルテラの好きにさせていた。

 手洗い場の前まで付いてきたアミルテラを止めて中に入るとルズリカは激しい吐き気に襲われる。

「う、うぉぇ。」

ルズリカは涙を流しながら胃の中のものを吐き出す。全く収まる気配のない苦しさにルズリカの細い体は崩れ落ち、限界に近かった。

「もう、もう嫌。」

ルズリカは頭の中でミアレドの姿を思い浮かべた。今すぐにでもルズリカはここから駆け出してミアレドの胸に飛び込みたい気持ちに支配されていた。しかし、ルズリカにはアミルテラがいて、それは叶う事がない。

「ルズリカ、どうした。」

アミルテラが手洗い場の外から中々出てこない声をかけ始める。ルズリカはふらつきながらも立ち上がると手洗い場の鏡の自分と目が合う。そばかすをいつもコンプレックスに感じ他の綺麗な女に羨望の目を向ける自分と違い、アミルテラによって一切の隙もなく化粧を施した若い令嬢の姿がそこにあった。今のルズリカは身に付けるもの全てをアミルテラによって強要された人形に過ぎなかった。

「ルズリカ。大丈夫か。」

「今、行きます。」

ルズリカは壁に手を伝わせながら手洗い場を出てアミルテラの元に戻った。

 仕事でもルズリカは現場への出入りを禁じられ作業室での仕事を任された。

「ミアレドはどうしているんだろう。」

ルズリカはアミルテラがおかしくなって以降、ミアレドに会っていなかった。職人達の話を聞こうものならアミルテラはヒステリックになり喚いた。ルズリカは諦めて何も聞く事をやめていた。

「ミアレド、会いたいよ。」

ルズリカは図面の上に涙を溢して書いた線を滲ませる。

「ルズリカ、ルズリカ。」

ルズリカが必死に涙を袖で拭っていると窓の外から自分を呼ぶミアレドの声が聞こえてきた。

「ルズリカ、ルズリカ。」

ルズリカは窓を開けて外を見ると右頬が腫れているミアレドが白いシャツを着て立っていた。

「ミアレド、その頬どうしたの?」

「大した事ねぇよ。それよりもルズリカは大丈夫なのか。」

ミアレドは持っていたハンカチでルズリカの涙を拭って言った。

「兄さんに私達の事がバレてそれで。」

ルズリカは昨夜アミルテラに付けられた首元のキスマークを両手で隠す。

「俺はルズリカを迎えにきた。」

「迎えに?」

「行こう。早くしないとアミルテラさんが帰って来る。」

ミアレドはルズリカの腕を引くと窓から出して抱き上げた。

「ミアレド、待って。まだ、準備が。」

「話は後で、とにかく行くぞ。」

ルズリカを抱いたままミアレドは忍び込んだ裏口から走り去った。

ミアレドにされるがままに連れ去られたルズリカは状況が読み込めずにいた。どうして、ミアレドがなぜ自分の家に来たのか自分を迎えに来たのか分からない事だらけである。

「ミアレド、兄さんに見つかったら大変な事になるよ。それに、今の私は。」

「知ってるよ。アミルテラさんと婚約した事も全部聞いてる。」

「なら、どうして。」

「俺はルズリカと建築をしたい。そして、俺がルズリカを幸せにしたい。」

ミアレドはルズリカを降ろして言った。

「ねぇ、ミアレド。もしかして、その頬って兄さんにやられたの。」

「ルズリカの気にする事じゃないよ。大切な妹さんをもらうんだ、この位覚悟してたさ。だけど、アミルテラさんがルズリカをあんな風に見ていると知っていてもたってもいられなくなった。切符も買ってあるんだ。一緒に行こう。」

ミアレドは囚われの姫を救い出す王子様のようにルズリカに言うとルズリカの手を引いて大通りを走った。

 しかし、ミアレドのルズリカを連れた逃避行は間も無く終わりを告げる。駅が見えた直前にアミルテラに捕まり、人気のない路地裏に連れて来られるとミアレドに罵詈雑言を浴びせ殴りつける。

「僕をここまで苛立たせて楽しいか。」

「アミルテラさん、あんたはおかしいよ。実の妹と結婚するなんて普通じゃない。」

「世間で言うまともという言葉に付き合う時間なんてあるものか。ルズリカと僕は運命共同体だ。お前のように、格下で、現実を見ない愚か者に、僕のルズリカが奪われるなんてあって良いわけがない。」

「兄さん、お願いやめて。彼を傷付けないで。」

ルズリカはミアレドを殴り続けるアミルテラを必死に止めようとする。

「ルズリカは僕と共にあるべきだ。その美しい才能を活かせるのは僕だけだ。花びらのような唇に口付けするのも、深い場所を感じる事が許されるのは僕だけだ。無垢で美しいルズリカを誑かした悪魔が。」

「ルズリカの事を考えた事あるのかよ。痩せこけて正気がないじゃないか。」

「ルズリカはお前が消えれば元に戻る。そして、僕らは以前のように建築を作り続けるんだ。」

アミルテラはミアレドの鳩尾に蹴りを入れて言った。

「ルズリカ、お前はもう僕の妻だ。カルデアスの免状もある。その意味をお前も分からない訳がないだろう。」

「兄さん。」

「帰るぞ。」

アミルテラはもう一つミアレドの腹に蹴りを入れるとルズリカの手を引いて行ってしまった。

 数日後、アミルテラとルズリカの婚約の話を聞いた帰省してアデルテラが作業室に押し掛けてきた。

「お前、一体何を考えているんだ。」

「仕事中にやって来て何を言ってる。」

「とぼけるな。ルズリカと結婚なんて、お前は一体何を考えてるんだ。」

「構わないだろ。僕とルズリカの問題だ。」

「お前。」

感情を露わにしたアデルテラがアミルテラの頬を殴った。

「お前どうかしてるぞ。ルズリカはお前の妹で家族なんだぞ。」

「それがどうした。僕はルズリカを愛してるし問題ない。」

「お前は勘違いしている。それは家族としての感情だ。それを恋愛感情と置き換えるな。」

アデルテラは殴られた頬を左手で庇いながら立ち上がるアミルテラに怒鳴る。

「言いたい事はそれだけか、アデル。」

「なんだと。」

「お前は昔から何もかも押さえつけている。それだから一番欲しいものを取り逃がす。」

「何が言いたい。」

アデルテラは殴られてもなお涼しい顔をするアミルテラに怒りの感情を膨れ上がらせる。

「僕は世間で言うまともな人間であった事が一度もない。お前とは違う。」

「お前に俺の何が分かるって言うんだ。」

「お前もルズリカを愛しているんだろう。」

アミルテラはアデルテラの目の前に立ち瞬きもせずに言った。

「僕が知らないと思っていたか。アデル、僕とお前は本当によく似た人間だ。食べ物の好みも仕草も僕と瓜二つと言ってもいい。だが、ルズリカは僕の妻だ。建築のパートナーであり、夫婦だ。ルズリカの柔い肌に舌を伝わせて印を付けていいのは僕だけだ。」

「ルズリカを抱いたのか。」

「夫婦なんだから当たり前だろう。昨夜は少々無理をさせてしまったみたいで寝室で寝ている。近いうちに子供も出来て、名実共々僕らはラサル家の建築家として後世に残る建築となる。」

アミルテラは絶望に打ちひしがれるアデルテラに言った。

「お前も分かっているだろうが、この家の家長は僕だ。これ以上、僕らの事に首を突っ込むな。」

アミルテラはそう言うと机に向かってしまった。

「ルズリカに会おうだなんて思うなよ。僕はルズリカを誰であろうと会わせるつもりはない。」

アミルテラは作業にかかりながら部屋を出るアデルテラに言い放った。

 アデルテラがルズリカの部屋に行くとそこは初めから何もなかったかのようにもぬけの殻であった。

「アデル坊ちゃん、お帰りなさい。」

「ルズリカはどこにいる?」

「ルズリカお嬢様は、旦那様と奥様の使われていた寝室にいらっしゃいますが。」

「寝室。」

アデルテラは乱暴に扉を閉めると奥にある寝室へ向かった。

「ルズリカ、俺だ。」

アデルテラは扉を蹴り破ろうとするものの全くびくともしなかった。

「アミル坊ちゃんが、先日寝室の扉を変えられたんです。鍵もアミル坊ちゃんが持っていて私もルズリカお嬢様のお顔を見れていません。」

「あの野郎。」

アデルテラは自身の行動の先を見越して手を打っているアミルテラに一層憎しみを強くする。

「ルズリカ、俺はアデルテラだ。ここを開けてくれ。」

アデルテラは扉越しにルズリカに呼びかけるが全く反応がない。

「ルズリカ、開けろ。」

アデルテラは扉を殴るように叩くが、部屋の中は静かだった。

「ルズリカ、ここを開けろ。」

アデルテラは自身の手が血だらけになる事も構わず叩き叫ぶが、全く効果がない。

「アデル坊ちゃん、もうやめて下さい。」

アデルテラの取り乱した姿にセーラは泣きながらしがみつき始める。アデルテラも徐々に落ち着きを取り戻し始めると扉を叩くのをやめて体中の力が抜けていった。

「セーラ、すまない。すまない。」

アデルテラは自分の無力さと不甲斐なさに涙を出す。ルズリカをアミルテラ同様に愛していながら、それを罪だと押さえ込んで生きて来た。だが、アミルテラはそれを包み隠さずに表面に出して突き通し実行にまで移してしまう。アデルテラにとってこれ以上の屈辱は他に思い付かなかった。ルズリカが他の男と幸せになる未来なら祝福出来ただろうが、双子の弟であるアミルテラにその幸せを取られる事だけは許せなかった。

「お前にだけにはルズリカを渡さない。」

アデルテラの中にアミルテラへの憎悪が湧いて溢れ出る。アデルテラの明晰な頭脳はルズリカとアミルテラを引き離すかのみに重点が置かれ、他の事柄など見つからなかった。

 セーラから詳しい話を聞いたアデルテラは下町に近い広場のベンチで包帯巻きになったミアレドを見つける。

「君がミアレドかい。」

アデルテラは外交官としての笑みを浮かべて警戒するミアレドに声をかけた。

「あなたは、アミルテラのさんか。」

「私はアデルテラ。彼の双子の兄だ。聞いたよ、弟から随分手酷い仕打ちを受けたみたいだな。」

「俺はどうなってもいい。けど、ルズリカは。」

ミアレドはアミルテラに引きずられるように離れていったルズリカの姿を思い出して悔し涙でいっぱいになる。

「ルズリカは苦しんでいた。実の兄ちゃんにあんな事されて怖がっていたし、体だってぼろぼろだったんだ。俺はルズリカを助けたかったんだよ。」

「君は妹を愛しているんだな。」

アデルテラはミアレドに同情する素振りを見せながら言った。

「それでアデルテラさんは俺に何の用があるんですか。」

「私は君の手助けをしたくて、ここに来た。」

アデルテラはミアレドの隣に座るとアミルテラと同じ黒曜石の瞳でミアレドを見た。

「私が君達を街の外まで連れ出してあげよう。」

「そんな事が出来るのか。」

「私は外交官だ。それなりのコネクションがあるし、策がある。」

アデルテラはミアレドに耳打ちをすると口角を上げた。

「やってみるかい。」

アデルテラの言葉にミアレドは藁にもすがる思いで首を縦に振ると場所を変えて詳しい話を聞いた。

 自分の部屋と違い、広すぎる寝室は寒くてルズリカの骨の芯まで沁みた。

「死にたい。」

ルズリカはベッドの上で涙すら出ない乾き切った瞳で天井を見る。

 ルズリカは毎晩のアミルテラとの営みに疲弊して生きる気力すら失いかけていた。目を閉じるとミアレドと将来を語り合い愛を誓った事が浮かび、身体中には痛みが走る。ルズリカにとってこの状況は地獄絵図でしかなく、夢すら見れない。

「ルズリカ、入るぞ。」

部屋の鍵を開けてアミルテラが中に入りベッドの端に座った。

「今日、アデルテラが来た。僕らの結婚にケチをつけに来たんだ。」

「アデル兄さんが。」

ルズリカはいくらか前に扉を叩き叫んでいた男がいた事を思い出す。

「今の仕事が片付いたら、別荘に行こう。体を休めればお前も元に戻るだろう。」

アミルテラは布団の中に手を入れてルズリカの腹をさする。

「お前の庭の価値を分かり始めた連中がお前に庭の設計を依頼したいという話が出ている。」

アミルテラは手帳を出してルズリカに仕事のスケジュールを告げる。アミルテラの予定を聞きながらルズリカは自分の存在意義について疑問を持ち始める。

「兄さん、私は本当に建築家なの。」

「どういう意味だ。」

「庭の設計しか任されていないし、家だってちゃんと1人で任されたのは一度きりしかない。」

ルズリカはカルデアスの指名で家を設計したが、それ以外で1人で任される仕事は庭の設計しかなかった。

「お前の建築の技量は並だ。そんな奴に設計を任せられるか。」

アミルテラはルズリカの言葉に吐き捨てるように言った。

「建物の設計は僕の領分だ。そして、お前の仕事は庭を作る事にある。僕にはお前のような庭を設計出来ないし、ルズリカ以上のセンスを持つ人間は存在しない。」

「私には兄さんみたいなものを作れないと言うの?」

「お前は確かに他の建築家に比べれば優秀だが、それだけだ。お前の技量では高みへは行けない。」

アミルテラは死刑宣告のように弱らせたルズリカに告げる。

「少ししたら食事を持ってくる。何か欲しいものがあるか。」

ルズリカは何も答える気が起きずアミルテラから背を向ける。アミルテラはルズリカに何も言う事なく静かに部屋を出ると鍵を閉めて行った。

 二週間が経ち、ルズリカは一層体の不調を訴えるようになった。吐き気を催しまともに食事も取れなくなっていった。ルズリカの様子にアミルテラも不安を隠せずに医者を呼んでルズリカを診てもらうと懐妊という結果に終わった。

「お前の薄い腹に子供がいるのか」

医者が帰り上機嫌なアミルテラはルズリカの腹を摩りながら言った。

「お前と兄妹として繋がりを持ち夫婦という繋がりも得た。僕は今とても幸せだ。」

アミルテラはルズリカにキスをすると優しく抱きしめる。

「今日は所用があって遅くなる。セーラにお前の世話を頼んであるから子供の為にもゆっくり休んでくれ。」

アミルテラは抜け殻のようにものを言わないルズリカに言うと部屋から出て行った。

 昼過ぎになり、アミルテラが外に出るとセーラはルズリカの元に昼食を運んで来た。

「お加減はいかがですか。」

「ずっと気持ち悪い。」

ルズリカはアミルテラの皮膚の感触の染み付いた体を強張らせて言った。

「ずっと兄さんに抱かれている感覚が抜けないの。私はミアレドが好きなのに体は。」

ルズリカはミアレドの事を想う事も許されずアミルテラにされるがままの自分が情けなくなり泣き出してしまう。

「ごめん、セーラ。出て行って。私何も食べたくない。」

「お嬢様。」

「1人にして。お願い。」

ルズリカは布団に潜ると体を丸くしてしまった。

 セーラが出て行った後、ルズリカは目を閉じて腹に宿る命に恐怖を抱いていた。ルズリカはどうにか起き上がると窓のそばまで来て下から見える石畳の地面をじっと見つめる。

「飛び降りたら楽になれるかな。」

ルズリカは窓を開けて身を乗り出そうとすると部屋の扉が勢いよく開いてルズリカの体を硬直させた。

「ルズリカ。」

「ミアレド。」

ルズリカは夢の中ですら会う事の許されないミアレドが目の前に現れた事に喜びの涙を浮かべる。

「どうしてここにいるの。」

「ルズリカを迎えに来た。」

ミアレドはルズリカに近付いて強く抱きしめる。

「ごめんな、遅くなった。」

「会いたかった。」

ルズリカはミアレドの熱い胸に顔を埋めるが、すぐに体を離す。

「ごめんね、ミアレド。私、あなたとは行けないの。私のお腹の中には兄さんとの子供がいる。」

ルズリカは自分の腹を摩りミアレドに言った。

「それにね、私はどうしようもない女なの。兄さんに初めてを奪われてからずっと兄さんに求められて来た。心はどうしようもなく辛くて苦しくって痛かった。けど、私の体は兄さんを受け入れて自分から兄さんに絡み付いていた。」

「ルズリカ。」

「来ないで。本当は分かっていた。兄さんに建築でどんなに頑張っても勝てないって。私が建築家としての名声を得る為には兄さんと一緒にいるしかないって事分かっていたの。私は非力なのに、ミアレドと出会って自分も1人で建築家として名を馳せる事が出来ると思い上がっていた。でも、そんなの間違い。だって、兄さんのそばで仕事を見ていたら分かるもの。兄さんは天才で誰も辿り着けない場所にいる。そして私は天才アミルテラの妹でしかないの。」

「違う。ルズリカはルズリカだ。無学な俺に建築を教えてくれたのは紛れもないルズリカだ。そして、俺はルズリカのデザインや図面を見て感動した。アミルテラさんじゃないルズリカの作品に俺は惚れたんだ。」

ミアレドはルズリカを覆い隠すように大きな腕で包み込む。

「俺はルズリカが俺を好きになってくれた事もちゃんと分かっているし、今も俺を好きでいてくれている事も知っている。もう1人で苦しむな。」

「ミアレドはどうしてそんなに優しいの。私は兄さんに穢されて子供までいるのよ。」

「それでも俺はルズリカが好きだ。そして、お腹の子も俺にとってかけがえのないものだ。」

ミアレドはルズリカの心に響くように強く自分の想いをぶちまけた。

「行くぞ。アミルテラさんがここに帰ってくるまでにこの街を出る。」

「街を出てどこに行くの。」

「あまり楽な暮らしはさせてやれないが、俺の故郷へ行こう。俺ら2人で建築の仕事をやるんだ。」

ミアレドはルズリカを立たせると手を掴み部屋の外に出た。

 ミアレドはルズリカと家の裏に停めてある白い帆布で荷台が覆われた荷馬車に乗せると安堵のため息を漏らした。

「この荷馬車、ミアレドが用意したの?」

「いや、アデルテラさんが用意してくれた。」

「アデル兄さんが。」

ルズリカはアデルテラの名前がミアレドの口から出た事に驚きながら言った。

「俺もよくは分からないが、全部手配してくれた。俺にルズリカを幸せにしてくれと強く言っていた。」

「そんな事があったの。」

ルズリカは心の中でアデルテラに感謝の言葉を述べると用意されたみずほらしい労働階級の服に着替えた。

「初めて着たけど動きやすそうだね。」

「貴族が着るような上等な服じゃないけど、似合ってるよ。」

ミアレドはこれからルズリカに苦労をかける未来を想像しながら申し訳なく思いながら言うが、ルズリカの表情は何一つ不安を感じさせなかった。

「ミアレドと出会ってなかったら当たり前のように兄さんの手伝いをして終わっていたと思う。でも、ミアレドが私に可能性を見せてくれた。これから大変な事がすごく多くて辛いって思う事があるかもしれない。それでもこれは私の選択した答えだから後悔しない。」

「ルズリカ。」

「ここまで来たんだよ。ミアレドも腹を括って行くよ。」

ルズリカは自分でも驚く位強い意志を持ってミアレドに告げた。ミアレドもルズリカの覚悟を受け取ると後ろめたさを持っていた自分を恥じて前を向く。

「馬車はこのまま街の外に出て隣の地方まで行く。そこからは歩いてクロメに行く予定でいる。身重で大変だとは思うが、大丈夫か。」

「決めた事なんだから、そんな事言わない。私はミアレドとの未来を選んだんだから。」

「そうだったな。」

ミアレドはルズリカを抱くと隙間から見える街並みに別れを告げた。


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