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社会に疲れし若人よ森の聲を聽け

作者: 冬見

 山林の中に伸びる石の階段。

 その前には辰砂によつて塗られた朱色の鳥居が聳える。



 鳥の聲に耳を傾ける。

 蟲の羽音は煩はしい。

 大地の匂ひをかぎ分ける。

 草木が風に搖れ、木漏れ日が穩やかに差し込む。



 時に思ふ事がある。

 ふと、かう思つたのだ。

 アニメやゲームといふのは現實逃避の對象足りうるのか。


 いささかばかりわづらふ。

 世の辛い現實といふのは大量消費文化……その起源たるコマーシャリズムやキャピタリズムによるものではないのかと。

 競爭社會、人々はコンペティブな葛藤や執着により、自らの在り方を見失つてゐる一面があると見た。

 其れらが完全に惡いとは言はない。

 アグリーな部分もあり、私自身さう言つた文化を樂しんでゐる節は存在する。

 何より、大局たる現實の在り方を只人が變化させるのはむづかしいものだ。


 私はある時、電子の三千世界の東西南北にて樣々な在り樣を見た。

 比較によりコンプレックスに陷る者、流行の逆張りにより在り方をさらに失ふ惡循環に陷る者、流行に乘り遲れたことに戸惑ふ者。


 花は咲き亂れ、いつしか散るもの。

 確かに、永遠に不變であるものは存在しえない。

 故に其れを、不變にするのであれば、心の中に座すものだ。


 ヲタクといふ在り方は昔とは變化してゐるのを承知で語るなら、その心に座すものを愛する事といふものを最近の者は失つてゐる。

 其れは消費文化を一つ、流行として追ひ續けねばならず、其れがファスト文化にも繋がつてゐるとも言へる。



 ある種、ライブなどのリアルイベントを主體とするコンテンツ愛好家といふ面で言ふなら、私はその中の一人なのであらう。


 故に、かうして都市や雜沓を離れ、自然の中に身をやつした。


 無論、勿論其れは現狀のペンディングにあつてはならないと思ふ。

 だが、義務感を持つてはリフレッシュにならづ、あぢきなく終はるであらう。



 自然の中といふのは畏し。

 だが、耽溺に値する脱衣欲求も生じる事がある。

 其れは抑壓からの解放に近いものではないか。


 其れ等は本質的にはアニメやゲームにある暴力表現など社會とは相反する欲求の解放と同じ部分から生じてゐるものであらうか。



 恐れといふのは自然といふ未知に對するものであらうが、其れ以外にも自らが自然に還つてしまふのではないかといふ懸念もあるのであらう。

 最も、此れは文明への執着といふのであらうか。


 山林の中でふと樹冠を見上げるとさう思ふ時がある。

 げに何とも不思議なものだ。


 そして、その森の中に立つてゐると自らはゐたづらに虛無で無智なのだと知らされる。

 その事に私は安らぎと喜びを感じるのだ。


 ゼロベースでの思慮へのコミットといふのは、時にベターなものだと思ふ。


 都會の雜沓やライブ會場、豪華絢爛たる演出には、どこか藝術作品「人の子」や「ゴルコンダ」に近い無機的な氣味惡さを感じてゐた事があり、良い意味で人と離れるといふのは今の文明的過密症候群に陷った社會人に必要なものではないのであらうか。



 自然の中で、森に還らうとする自分を感じ、人とは何かといふ問ひを投げかける。


 否、その答へは神にしか知りえないのであらう。

 だが、その問ひを自らに問ひ續ける事もまた人生ではないのであらうか。

 かつて其れを繪に描き表したゴーギャンのやうに。

 恐らく其れは普遍的な問ひなのであらう。


 気付くであらう。自己存在確立の未熟など、廣い自然の中では浅はかだと。

 森林浴にはさう思ひ起こさせる何かがあると私は思つた。

 スピリチュアルや疑似科學ではなく、此れは己との向き合ひなのであらうな。



 サスティナブルやダイバーシティといつたエシカルなマインドになれなければ、其れ等にアンチテーゼとなるシニカルにもなれない。

 そんな問ひを續けてゐた事がある。


 SNSに潛む毒や、大量消費文明の龜裂、變化のない日々や無機的な社會。

 此れによつて現代文明パラノイアとなつてゐる事があげられる。


 エシカリストの意見としてではなく、一人の文明人として、この社會に警鐘が必要なのか。

 否、其れは私といふ只人がする範疇ではないし、其れは自分自身の意見でしかない。

 あるのは、ここに會ったことを記すのみ。



 生きるといふのはむづかしいものだ。


 時にサブカルチャーを離れ、自然のうるはしさに目を向けるのも良い事だと思ふ。

 古來より傳はる傳統文化もまた良い。



 人生とは線香花火であり、櫻である。

 散りゆく刹那を思ふからこそ花なりき。



 散つた櫻を見て、初夏を迎へる。

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