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明日香響の理想社会

作者: 深月みずき

「人間って働き過ぎだと思うんだよね」


 響はコップに注がれた麦茶を飲み干し、ふぅ、と一息吐いてから、テーブルに頬杖を突いて呟いた。


「何? いきなり」


 紗理奈は手に持っていた携帯から視線を外し、料理を注文してから続いていた沈黙を破った友人を見る。


「もっとみんなのんびり生きるべきだと思うんだよね」


 愚痴が始まりそうな雰囲気を察した紗理奈は、携帯をテーブルに置き、一旦麦茶を飲んでから友人の話に耳を傾ける。


「確かにさ、人間いつ死ぬか分からないから、今のうちにやりたいことを、できることをやっておこうって思うのは分かるけどさ、だからって急ぐ必要は無いよね。何を生き急いでるのかは知らないけど、みんなもっとのんびりして良いと思うの」

「……」

「みんなが急がなきゃって思ってるのってさ、上の人が急いでるからでしょ? 上の人たちがあれやってこれやってってバタバタしてるから、それに合わせて下の人たちも急がなきゃいけなくなるわけじゃん。だとしたら上の人たちがもっとのんびりすべきなんだよね」

「……でもそうしないと色々滞るでしょ?」

「色々って?」


 響がそう訊ねながらテーブルを這うように紗理奈の方へ徐に手を伸ばすと、紗理奈はその手に自身の指を絡めて受け止めた。


「例えば……そうね。改修工事とかゲームのメンテナンスとかそういうのも遅れるんじゃない?」

「それは別にみんなのんびりしてるから、多少工事が遅くなっても文句無いでしょ。ゲームのメンテナンスが遅れるのはちょっと困るけど」

「あとは今も待ってるけど、料理の提供も遅れるだろうし、食品の輸送とかも遅れそうよね」

「確かに……」


 響は微かに眉を顰め、繋いでいる手の親指で紗理奈の手を撫でる。


「まぁでも、それくらいなら全然待てるでしょ」

「でもスーパーでレジが混んでたりしたら響は嫌でしょ?」

「うん。めんどくさい。でも別にレジの人がのんびりしてるのは嫌じゃないし、並ぶ前に行けば良い話じゃん」

「お店が開くのも遅いかも」

「それは時間通りやってくれないと。というか焦らなきゃいけないくらい時間に余裕が無いのはおかしいと思うの。スーパーを九時に開ける予定だとして、焦る必要が無いくらいに時間に余裕を持って準備すれば良い話じゃん」

「そうね。今朝も電車が来てるのに走らなかったものね」

「それも余裕を持って家を出ていれば良かった話でしょ?」

「起きるのが遅くてギリギリになったのは響だけれどね」

「それは……ごめん」


 ほんの一瞬だけ、響は顔を上げて紗理奈と目を合わせたが、すぐに目線を下に落とした。


 それを見ていた紗理奈はくすりと笑い、響の髪に触れようと手を伸ばしたが、ちょうどそこへ注文していた料理が運ばれてくる。


 紗理奈が礼を言いながら料理を受け取ると、響が紗理奈の分のフォークとナイフをケースから取って手渡した。


「ありがとう」


 響は何も言わず、そっと胸の前で手を合わせ、「いただきます」と唇を動かした。その顔には待ってましたと言わんばかりの無邪気な子どものような笑みが浮かんでいる。


 紗理奈はそんな響のさり気ない行動や純粋さが大好きで、自身の頬が吊り上がるのを感じた。


 食事中、二人の間に会話は殆ど無い。時折響が口を開くが、出てくる言葉は「美味しい」とか「熱い」といった料理への感想か、若しくはその料理の美味しさを紗理奈と共有しようとする言葉くらいだった。紗理奈の方は元々言葉数が少なく、基本的には響の言葉にリアクションをするだけ。その代わり、紗理奈の視線は料理よりも響の方へと向けられている。たまに響が紗理奈の方を見て、目が合ってしまう事もあるが、そうすると紗理奈はいつも響に向けている笑顔を作り、上手く誤魔化している。


 空腹を満たし、少し落ち着いてきたところで、二人は追加でデザートとしてパフェを注文した。二人がこの見せに入ったのはそのパフェが目的だったと言っても過言ではない。


 テーブルの上にあった食器などを店員が回収していくと、響がテーブルに身を乗り出すようにして肘を突き、また唐突に話し始める。


「私たまに思うんだよね。人間は一回滅びるべきだって」


 その内容はいつも紗理奈の頭からは出てこない事ばかりだ。


「また随分過激ね」


 紗理奈は少しだけ残っていた麦茶を飲み干した。


「地球温暖化がどうとか資源不足がどうとか言うじゃん。それって人間が減ったら解決すると思わない?」

「……まぁ、そうかもね」


 紗理奈には響がこんな話をする原因に一つ心当たりがあった。


 数日前、響がやけに落ち込んでいたのだ。元々響はテンションの差が激しく、昔の事を思い出して不機嫌になっていたり泣き出したりする事もあったので、その日もまたその発作が起きたのだろうと思いつつも、どうしたのかと訊いてみると、どうやらアルバイトで怒られたようだった。


 抱き締めながら詳しく訊いてみると、与えられた仕事をやっている最中に、他の人からちょっとした仕事を頼まれ、そちらを先に済ましてしまおうと持ち場を少し離れた際に、サボっていると思われて怒られたとの事だった。


 確かに何も言わずに持ち場を離れた響のミスでもあるのだろうが、その怒った人がどうやら響に理由を訊きもせずに怒鳴ったようで、それによって響はトラウマのようになっている昔の記憶を刺激され、落ち込んでいたのだ。


 紗理奈はそんな彼女を元気付けるためのデートを計画し、ついでに不満を吐き出させてやろうと思っていたのだが、まさかこんな小難しい話をされるとは思っていなかった。


「というか人間は無駄に長生きし過ぎなんだよ。高齢化とか言うけどさ、日本は無駄に長生きしてるから高齢化が進んでるんでしょ?」

「それだけが理由ではないだろうけどね」

「長生きするのは確かにすごい事だけどさ、それって健康である事が前提でしょ? 碌に動けない状態で生きてても楽しくないでしょ」

「それは……」


 紗理奈は反論しようとしたが、響の言い分も間違っていないように思えた。


「生きててほしいとか言って延命治療とかで生かしてるのはそっちのエゴじゃん。いや、私がそう思ってないだけで、もしかしたら自分で私は寝たきりでも良いから生きていたいって言ってるかもしれないけどさ、こう……自然の摂理に反しているというか」


 紗理奈が思い浮かべたのは自分の祖父母だった。しかし二人ともまだまだ元気で、病気になったという話も滅多に聞かない。


「実際どうなんだろうね。私もまだお婆ちゃんもお爺ちゃんも元気だから」

「普通に歩いて買い物とか行ったりしてるもんね」

「そう。旅行とかも行ってるみたいだし」

「元気だよねぇ。やっぱりもっと運動すべきなんだろうなぁ」

「かもね」


 会話が途切れ、紗理奈は背凭れに身体を預け、響の顔を見る。すると紗理奈の視線に気が付いたのか、響もテーブルを見ていた視線を紗理奈の方へ向け、ほんの数秒だけ目を合わせた後、響は顔を逸らした。


「いっそ車とか電車とかそういうの使えなくしたらどうなるんだろう」


 また突然よく分からない話を始めたと紗理奈は思ったが、先程の会話と少し繋がっている事に気付いて、少し考える。


 若い女二人がカフェでするような話ではないが、良い暇潰しにはなる。


「物を運ぶのが大変になりそうね」

「あぁ、確かに。旅行くらい自分の脚で行けば良いじゃんとか思ってたけど……そうか、運搬で困るのか」

「昔みたいに馬車とかを使えばできなくはないけど、あんまり重たい物は運べないだろうし、時間も掛かる」

「じゃあ運搬だけに車を使えるようにしたら良い感じか」

「それなら良いかもね」

「ね。そうだ、みんな農業すれば良いんじゃない?」

「どういう事?」

「みんなが食糧の生産に専念すればさ、運ぶ物って殆ど無くなるでしょ?」


 響の案を聞き、紗理奈は目を閉じてそうなった世界を想像する。


 大体は時代を遡って同じような事をするという事だろう。牛や鶏を育てる人が居て、野菜を作る人が居る。そして魚を捕る人も居るだろう。


 そこで一つ引っ掛かった。


「確かに運ぶ物は減るけど、食品ってあんまり長時間の保存が利かないから、場所によっては魚が食べられなくなるんじゃない?」

「確かに。深刻な問題だ……」


 響は魚が大好物だった。基本的に食に対しても興味の薄い響だが、食べたい物を訊ねると、二回に一回は魚と答える。生だろうと焼いてあろうと、それは響の好物だ。


「いや、でも農業を中心にやっていればさ、水とかもそれなりに綺麗になって魚もそこそこ捕れるようになるんじゃない?」

「気の長い話ね」

「それはそうだけどね。実現したら結構生きやすいと思うんだよね」

「そう?」

「だってみんな絶対やる事がある筈だよ。基本的にはみんな畑仕事だったり、魚を捕ったり、木を切ったり。あとは医療とか運搬もできるし」

「確かに就職難は無さそうね」

「でしょ? あとはそうだなぁ……。警察みたいな人も居ても良いのかもしれないけど、仕事にするのは微妙だなぁ」

「警察は要らないの?」

「だって、農業を中心に生活するとして、争い事ってそんなに起きるかな? 起きたとしても仲介するリーダーみたいな人が居れば良さそうじゃない?」


 注文していたパフェが途中で運ばれてきて、それぞれ頼んだ物を自分の前に置く。それから響が丁寧に手を合わせて食べ始めるのを見て、紗理奈も手を合わせてから食べ始める。


 紗理奈は甘いチョコレートを味わいながら、向かいで抹茶アイスを食べて幸せそうに笑う響を見て癒やされる。暫く眺めていると、視線に気が付いた響がスプーンに一口分を乗せて差し出してきたので、紗理奈は遠慮無くそれを口に入れる。それからお返しに響と同じように自分のパフェから一口分をスプーンで掬い取り、落ちても大丈夫なように器と一緒に響に差し出してやると、響は口元に掛かっていた髪を除け、目を瞑って、入れてと言わんばかりに口を開けた。どうしてこちらが恥ずかしいのか不思議に思いながら食べさせてやり、満足そうに笑って礼を言う響に笑みを返す。


 そんな事をしながらも頭の片隅では先程彼女と話していた事を考えていた。


「さっきの話だけどさ、自分たちの畑が上手く行かなかったとかで盗もうとしたりする人も居そうよね」


 そう言うと、響は口元を手で覆いながら首を縦に振る。


「確かに。周りが助けてくれるとも限らないからね」

「そう。それに、人間以外にも動物が襲ってくる事だって無い話じゃないだろうから、そういうのを防ぐためにも警察みたいな仕事はあっても良いのかもね」


 紗理奈の案に、響は先程よりも大きく頷いた。それから口の中の物をしっかりと咀嚼し、飲み込んでから口を開く。


「ただの思い付きだったけどさ、農業中心の社会って結構良さそうじゃない?」

「慣れるまでは大変だろうけど、悪くはないだろうね」

「ね。まぁ、そういう社会に実際にしようと思ったらほぼ不可能なんだろうけど」

「うん。日本だけでやろうとしても他の国が協力してくれるとは限らないし、世界を巻き込んでやろうにも、最近のニュースとかを見てる限りでは難しそうよね」

「全然詳しくないんだけどさ、戦争やってるのもさ、資源が無いからでしょ? でもその資源が無いのって、何かを研究するための物じゃん。じゃあその研究しないでいいようにみんなで農業やれば戦争もなくなりそうだよね」

「そう簡単に行けば良いんだけどね」

「まぁね。でも実際世界平和を願うならこれが一番確実じゃない?」

「大規模な戦争は確かになくなるでしょうね」

「武器も何も無いからね。というか人間ってなんであんな住みにくい所に住んでるんだろうね。食べ物が作れないっていうなら作れるところに移動すれば良い話じゃん」

「食糧は無くても鉱石とかそういうのが採れたりするんじゃない?」

「あー、なるほどね。確かにそれはあるかも。農地ばっかりだったら農具とかそういうのを作るための材料が無いもんね」

「そうそう。鉱山とかになると土地が痩せてて農地にはしにくいだろうし」

「そっかぁ……。じゃあそこにはなんとかして運ばないといけないのか」

「まぁ、それくらいならいけそうな気もするけれどね」


 そんな話をしながらパフェを底までしっかりと味わい、足を休めたところで、紗理奈がバッグを肩に掛け、伝票を持って席を立つ。響もバッグを持ち、席に忘れ物をしていないか何度も確かめてから紗理奈の後を追う。


 紗理奈が会計を済ませて響と共に店の外へ出ると、響が千円札を二枚差し出した。


 紗理奈はそれを一瞥し、さっさと歩き出す。


「じゃあ、行こうか」

「ちょっと、無視しないでよ」


 響は小走りで紗理奈の横に並ぶ。


 響よりも紗理奈の方がずっと背が高く、紗理奈が速く歩くと付いていくのも大変なのだが、紗理奈もそれは分かっているので、響が追いついてきたのを確認して歩くペースを落とした。


「本当に良いの?」


 紗理奈が響を見ると、まだその手には千円札があった。


 響は眉をハの字にして紗理奈を見つめていたが、紗理奈はそんな響を見て、ただ気分が良くなっただけであった。


「うん。ここのパフェが食べたいって言ったのは私だから。それに、いつも料理作ってくれてるでしょ。そのお礼も兼ねてるから」

「……そっか。ありがとう」


 響はそう言って、笑顔を向けた。


「こっちこそ、付き合ってくれてありがとうね」

「ううん。良い気晴らしになってるから」


 響は財布をバッグに仕舞い、紗理奈と腕を絡める。


「次は私が奢るからね」

「じゃあその次の日は私が料理しようかな」

「良いけど、指切らないでよ?」

「任せなさいな」


 自信満々にそう言っておきながら、結局指を切って台所から追い出されるのはまた別のお話。


人物紹介

明日香響あすか ひびき

 紗理奈の同居人で、家事を担当している。大学デビューに失敗し、就職にも失敗して落ち込んでいた所を紗理奈に誘われ、同棲を始めた。家事を任されていたが、紗理奈が手伝ってくれる事に有り難みを感じながらも申し訳無く思えてきて、紗理奈と相談してアルバイトを始めたものの、あまり上手くいっていない。

 寂しがり屋で心配性な性格。ヤンデレと言われる事もあるが、本人は否定している。家事が得意なので仕事ができる人間だと思われがちだが、頭の中でよくパニックを起こしてしまい、しょっちゅう怒られている。そのため、怒られるのではないかと常に警戒しながら行動している。


鈴木紗理奈すずき さりな

 響の中学生時代からの友人。大学で再会し、今にも潰れてしまいそうな響が心配で常に気を掛けていた。初めは小動物を見守るような感覚でいたが、響からのスキンシップが多い事も相俟って、最近は恋愛感情に発展しているのではないかと自分で疑っている。

 努力家で責任感が強い性格。歌う事が好きで、一時期はネットに弾き語りを投稿していた。プロを目指してみようかと考えた事もあったが、響とカラオケに行った際に、響が自分よりも遥かに歌が上手いという事を知って心が折れた。

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