マウント合戦と、夜のマッサージ
三回目の会議を終えたその夜。
夕食を終えて洗い物をしながら、今日子はスマホを片手にLINEを打っていた。
「すみません、バザーの件でいくつか確認させてください」
・去年の業者ってどこでしたっけ?
・集合時間って何時でした?
・チラシ配るタイミングっていつからでしたっけ?
・予算の上限ってありましたっけ?
(ふぅ…。もう“確認”って文字、見たくない…)
今日子は、濡れた指で画面をタップしながら、ふと空を見上げた。
会議が終わっても、結局こんなふうに家でもPTAのこと。
気が休まる暇なんて、どこにもない。
ほどなくして、スマホが震えた。長田からの電話だった。
(え、電話…?いや、LINEでよくない?)
「もしもし、今日子さん? LINEありがとうね〜。えっとね、去年の業者はたしか“スギタ屋”さんってとこ。わたし、電話番号控えてあるから、また送るね。それと集合時間はね、去年は9時だったかな〜。でも早めに行ってる人もいて…」
(そうそう、それを聞きたかったの。ありが——)
「でね、うちの主人がさ〜、去年その日に限って休日出勤で〜。やっぱり管理職になると大変みたいで〜。今年はちゃんと休めるかどうか…この前も“課の人がついてこないんだよなぁ”なんて言ってて、ほんと上司って大変よね〜」
(……いや、それ、今必要な情報ですか?)
「でも、そういう責任ある立場を任せてもらえるって、ありがたいことだよねぇ。昔から“君は見込みがある”って言われてたらしいし。職場でも信頼されてるみたいで、なんかほら、“できる男”っていうの?私も惚れ直しちゃって〜」
(はぁ〜〜〜〜……)
今日子は受話器を肩にはさみながら、食洗機に皿を放り込んだ。
泡のついた手で前髪をかき上げ、内心でつぶやく。
(こっちは今日、朝から現場行って、契約書の直しして、帰ってきたらご飯作って、ようやく一息ついたと思ったらこれよ。バザーの準備だけじゃなくて、なんで他人の夫のスペックまで把握しなきゃいけないの?)
「でね、この前、家族で旅行行ったんだけど、主人が全部段取りしてくれて、ほんと頼りになるな〜って思って。仕事もできて、家庭も大事にしてくれて、息子の面倒もちゃんと見るし、ほんと感謝しかないわ〜」
(わたしの務だって、ちゃんと家事してるし、子ども見てるし、文句も言わずに支えてくれてるけど!?
でもそれをわざわざ電話で延々と語ったりしないし!!
ていうか今は“予算”の話しようよ!)
「それと、うちの子ね、この前のテストで100点だったの! しかも先生に“よくできました”のハンコもらって〜。“さすが武くん”って褒められたらしくて〜、やっぱり夫のDNAかなぁ?」
(うるさっ!! いや、いいよ?褒められるのはいいことよ? でも今、それ必要?
これ、私が確認事項まとめてなかったら、ずっと“自慢トークルーム”開設してたでしょ、絶対…)
ようやく話が一段落した頃、今日子はもう心身ともにぐったりしていた。
「ありがとうございまーす、助かりましたー」と電話を切ると、思わずそのままソファに沈み込んだ。
「なんで私、夜までこんなに疲れてんの……」
天井を見つめながら、小さくため息をつく今日子だった。
「ふぅ……」
長田との“自慢混じり確認タイム”を終えたあと、今日子はぐったりとソファに沈んでいた。
麦茶を一口飲んで、ようやく息をついたその瞬間――
「あ……そういえば、堀田さんにも児童数の確認しなきゃだ」
仕入れ数を決めるには、まず人数の把握が必要だ。
それは仕入れ担当として当然の仕事……なのだが。
(でも……なんで私が、全体の人数を聞いてまわってるんだっけ?)
思いながらも、LINEを開いて短くメッセージを送る。
「堀田さん、今年の児童数ってわかりますか? 去年より増えてるって聞いたので、仕入れ数の参考にさせてください」
(これだけ。これだけ送った。話が広がる余地なんて、ないはず)
数分後。
またしてもスマホが震えた。
「……電話、来たよ……」
堀田さつきからの着信。
(いやいや、確認だけだよ?どうして“電話で語りたい人”がこんな多いの!?)
「もしもし、町田さん〜! お疲れさま〜! LINE見たよ〜。児童数ね、今年は少し増えてるの。詳しい数は教頭先生が把握してるけど、1年生が去年より2クラス多くて〜。うちのピアノ教室の子たちもたくさん入ってて、みんな元気いっぱい!」
(お、ちゃんと答えてくれた!ありがとう……って、あれ?)
「今年ね、うちの教室の南ちゃんも入学したんだけど、まぁしっかりしてて! この前も、自分でお弁当箱洗ってたの〜。“自立”って大事よね〜。小さい頃からしっかり躾けてると、ほんと違うわ〜」
(ああああ、来た……)
「うちなんかね、グランドピアノをリビングに置いてるんだけど、本人が“夜は音が響くから練習控えるね”って言うのよ〜。もう、気遣いがすごくて! 私、親として感動しちゃった〜」
(私、ただ児童数を聞いただけなんだけど……なんで“夜の気遣いピアノエピソード”を聞いてるんだろう……)
「あとね、この前主人と話してたんだけど、“うちの子は本当にいい子に育ってくれたね”ってしみじみ言ってて〜。私も“あなたに似たのかしらね”って言ったら、まんざらでもなさそうで〜。やっぱり子育てって、夫婦の連携よね〜」
(ちがうの。私は“仕入れ担当”なの。バザーで配るポップコーンの数を決めたいだけなの。ご主人との心温まる会話劇じゃなくて……!)
「今年の1年生たち、ほんとしっかりしてるから、仕入れも多めにしといた方がいいかもね〜。食べる量も、うちの子なんて男の子顔負けよ〜。この前も“おかわり!”って3回言って〜、食べっぷりも良くて!」
(うん。食べるのは大事だよね。うちの俊もまあまあ食べるよ……いやそうじゃなくて……って、仕入れ数の話、ようやく戻ってきた!?)
ようやく電話が終わったとき、今日子は頭の中で“確認事項”という文字がぐるぐると回っていた。
「児童数の確認から、なんで“食べっぷりの良い子の武勇伝”になるんだろう……
これって、仕入れ係っていうより、もはや『耐久マウントトーク窓口』じゃん……」
そんな自分の役割に、妙な名前をつけたくなる今日子だった。
「はぁ〜〜〜……」
ようやくお風呂に入り、少しだけ汗と一緒に疲れを流した今日子は、濡れた髪のまま、リビングのソファにゴロンと倒れ込んだ。
テレビもつけず、天井をぼんやり見上げる。
何も考えたくない時間。
そこへ、麦茶の入ったグラスを持って、務がやってくる。
「……マッサージでも、しよっか?」
その言葉に、今日子の体がピクリと反応する。
「お願いしまっす!」
返事もそこそこに、うつぶせになって枕に顔を埋める。
務は静かに膝をつき、今日子の肩に両手を添えた。
「固いねぇ……かなり溜まってるでしょ」
「もうね、長田さんと堀田さんの“マウント二段構え”で、心の筋肉がバキバキよ……」
「ふふっ、なんそれ」
「バザーの仕入れ担当ってだけなのにさ、なぜか夫の出世話と、子どもの金賞エピソード聞かされるの。確認したいのは“ポップコーンの個数”だけなんだよ? でもなんかもう、相手の人生全肯定タイムみたいになっててさぁ……」
務はうんうんと相づちを打ちながら、優しく肩甲骨のあたりを押す。
「それって、あれだね。“今日子さん、聞いて聞いて!”会だね」
「そうそう!“仕入れ担当”じゃなくて、“聞き役係”なんだよ、ほんと。わたし、バザーの窓口っていうより、みんなの自己肯定感の増幅装置になってる気がする……」
「そりゃ大変だ」
「はぁ〜……ほんと、なんであの人たち、確認ひとつで電話してきて、そこから“うちの子すごい話”を全開で語れるんだろうね。
こっちは夜、洗い物して、風呂入って、ようやく座れたってとこなのにさ……」
「頑張ってるね、今日子。すごいよ、ちゃんと全部こなしてるじゃん」
その言葉に、少しだけ目尻がゆるむ今日子。
「……むーちゃん、優しいじゃん。惚れ直しちゃうかもよ?」
「はいはい、今だけね。マッサージ終わったら元に戻るから」
ふたりの笑い声が、夜のリビングにぽつりと響く。
今日子は、ようやく肩の力を抜いて、深く息を吐いた。
バザー仕入れ担当として、ただ確認をしたかっただけの今日子。
でも現実は、終わりなき自慢話ラッシュにぐったり…。
そんな疲れた心と体を、優しい夫・務のマッサージがそっと癒してくれました。
今日子にとって、何よりのご褒美は“静かに味方でいてくれる存在”なのかもしれません。