見えない戦いの始まり
PTA会議、三回目。
今日子は、仕事帰りに家に立ち寄り、俊に夕飯を用意してから小学校へ向かった。
もう慣れたはずなのに、学校へ近づくにつれて胃のあたりが重くなる。
PTA会議、担当決めも終わり、今回は進捗の確認だけのはずだった。
「じゃあ、始めますね」
副会長の長田真由美が、いつもの落ち着いた声で会を仕切る。
今日子は、仕入れ担当。
前回すでに決まっている。あとは進めるだけ。
淡々と確認が進み、今日子にも去年のリストが配られた。
「町田さん、人数増えてるから、食材は少し多めにね。配達もできるか一応確認お願い」
「はい」
短く答えた今日子をよそに、会議はさっさと形式だけ終わり、空気がゆるみ始めた。
ふわっとした雑談――そのはずだった。
だが、すぐに“それ”は始まった。
「うちの子、今回学年でトップだったんです〜!全然勉強してないって言うんですけどね」
長田さんが、笑顔で切り出す。
「すごい~!」
「やっぱりできる子は違うわね!」
と周りが持ち上げると、
「いや〜、でもうちも頑張ってますよ。中学受験目指してるので」
と、すかさず別の母親がかぶせる。
「えっ、中学受験?すごいですね〜!」
「やっぱり早めの準備が大事ですもんね」
「そうそう、塾代もかかるけど、将来のためだしね」
さらりと“うちはそれだけ教育にお金をかけてます”アピールが入る。
そこへ、別の母親が続く。
「うちはスポーツ一本!学力より体力!県大会も行きました〜」
誇らしげな声。
「すごい~!やっぱり何かに打ち込めるって素敵ですよね〜」
子どもネタでのマウント合戦が、どんどんヒートアップしていく。
(……誰が一番すごいか、競ってるみたい)
今日子は無言でノートを見つめた。
(うちは、宿題終わらせるだけで一苦労だよ…)
そして話題は、夫へ。
「うちの主人、今度本社勤務になったんです。やっぱり東京は違うわ〜」
長田さんが満足そうに言う。
「うちもこの前、昇格したんですよ!残業増えて大変そうだけど」
別の母親もすかさず続く。
「うちは、もう独立しちゃって。小さい会社だけど社長です〜」
さらに別の声が重なる。
「え〜!社長さん!?すごい!」
(社長とか、縁なさすぎて想像もできないな…)
誰かが笑いながら「うちは、まだまだヒラ社員ですよ~」と謙遜する。
でも、“まだまだ”という言い回しに、“いずれは”という含みが透けて見えた。
そして、家の話へ。
「今のマンション、買って大正解だったわ。ローンの残りもあとわずかよ」
長田さんがさらっと言うと、
「うちは去年、建てたばっかり。庭が広くて、子どもがサッカーできるの!」
と、別の母親。
「うちは…賃貸だけど、駅近だから便利なのよ」
別の母親も負けじと加わる。
誰も悪意はない。
でも、誰もが「うちも悪くないでしょ」と言いたい空気が充満していた。
(もう、帰りたい…)
今日子は、仕入れリストに目を落とし、数字を指でなぞった。
関係ないふりをして、存在を消すように。
「じゃあ、次回はまた来月。進捗、よろしくお願いしますね」
副会長の締めの言葉で、ようやく雑談タイムも終わった。
母親たちは、名残惜しそうに話しながら帰り支度を始める。
笑い声だけが、やけに響いた。
今日子はカバンを肩にかけ、そっと席を立った。
誰にも声をかけられることなく、ひとり、静かに帰路につく。
三回目のPTA会議。担当も決まり、形だけの進捗確認のはずが、母親たちの雑談はやがて子どもの成績、夫の仕事、持ち家自慢へと姿を変える。
マウントを取り合う空気の中、今日子は孤独と無力感を噛みしめながら、静かに席を立つ――。