伝えたい気持ち、あふれる夜
夕方。まだ日が残るオフィスに、今日子が勢いよく戻ってきた。
「お疲れさまですっ!」
明るく元気な声に、数人の同僚が顔を上げる。
上司の杉山が書類に目を通しながら顔を上げると、今日子がまっすぐデスクにやってきた。
「杉山さん、さっきの田中さん、契約前向きです!次回、契約書をお持ちすることになりました!」
「おお、それはいい報告だな。時間かけたかいがあったな」
杉山が笑顔を見せると、今日子も満面の笑顔でうなずいた。
「不安が大きかったみたいですけど、じっくり話して、納得してもらえました」
その表情には、達成感とほんの少しの誇りがにじんでいた。
そこへ、奥のカウンターから船越さんが歩いてくる。
「今日子ちゃん、なんだか嬉しそうね」
「聞いてください、船越さん!今日、契約前向きって言ってもらえたんです〜!」
思わず弾んだ声に、船越さんも目を細めて微笑む。
「よかったじゃない。きっと、今日子ちゃんの丁寧さが伝わったのね。
焦らずじっくり向き合えるって、すごいことよ」
「ありがとうございます。ほんとに今日は、いろんなことが報われた気がして……」
顔をほころばせたまま、荷物をまとめながら、心の中でつぶやく。
(今日は早く帰って、務に報告しなきゃ)
(俊も喜んでくれるかな? よーし、美味しいごはん作ろっと)
カバンを肩にかけ、オフィスを出る足取りは、まるで風に乗るように軽やかだった。
玄関の鍵を開ける音と同時に、「おかえり〜!」と元気な声。
俊がランドセルを片づけながら、駆け寄ってくる。
「ただいま、俊。今日は早く帰れたから、ちゃんと作るよ〜。リクエストしてた肉じゃが、あるからね!」
「やった!」
俊がうれしそうに声を上げ、今日子はエプロンをつけて台所へ向かった。
コンロに火をつけ、肉じゃがの鍋をかき混ぜながら、俊の話を聞く。
俊は椅子に腰かけ、少し真剣な顔で口を開いた。
「今日ね、席決めのくじ引きがあってさ。ある子が、『お前の隣なんか嫌だな〜』って言ってて、ちょっとムカついたから、
『そんなこと言うなよ』って言ったら、言い合いになっちゃって……」
今日子は手を止めて、俊のほうを向く。
「……で、ちょっと強く言いすぎたみたいで、その子が泣いちゃって。先生に注意されたんだ」
「そうだったんだ……でも、それって、俊は悪いことしてないと思うよ」
「うん。でも、もう少し言い方考えればよかったなって思ってる」
「そうだね。優しい言い方で伝えられたらもっとよかったけど……でも、誰かの気持ちを守ろうとしたその気持ち、ママはすごく誇らしいよ」
今日子はそう言って、肉じゃがに火を止めた。
「えへへ」
俊が少し照れくさそうに笑う。
そのとき、「ただいま〜」という声が玄関から聞こえた。務が帰ってきた。
「おかえり!待ってたよ!」
俊が先に走っていく。「今日さ、学校でね……!」
「ちょっと待って、私も聞いてほしいことあるの!」
今日子もエプロンをはずしながら、リビングに入っていく。
俊と今日子が、まるで競うように今日あったことを話し出す。
「俊がね、友達のことをかばって注意したの。でも言い方がちょっと強くて……」
「でもちゃんと反省してるし、先生にも謝った!」
「あとね、ママね、お客さんに家を買ってもらえることになったの!次回契約書持っていくの!」
「へえ〜、ふたりともすごいなあ」
務は目を丸くしながらも、穏やかに微笑んでいる。
「そんなに一気に言われたら、どっちから聞こうかな?よし、じゃあ順番に!」
と言いながら、俊の頭をくしゃっと撫で、今日子には「おめでとう」と小さく囁いた。
家の中には、肉じゃがと塩サバの香り、そして家族のあたたかい声が溢れていた。
帰宅後、俊の学校での出来事を聞きながら夕食の準備を進める今日子。
それぞれが今日あった「伝えたいこと」を胸に、家族みんなで言葉を交わす夜。
頑張った一日を、あたたかな食卓がやさしく包みこんでいく。