はじまりのくじ
月末の金曜日。
営業先から戻った私は、ロッカーに鞄をしまいながら、そっとため息をついた。
「……今日、PTAの役員決めだったんだよなあ……」
子ども、俊が通う小学校では、毎年この時期になると“友の会”という名のPTA活動が動き出す。主な仕事は、バザーや親子行事の企画・運営。なかなかの重労働らしい。
(今年は当たりませんように……)
そんなささやかな願いを胸に、仕事優先で欠席連絡を入れた私。
ところが、くじ引きという“運命”は、そう甘くはなかった。
『町田今日子さんに決まりました!』
その一文が、スマホの通知に表示されたとき――
思わず、口から出た。
「……うそでしょ」
営業ノルマに追われ、家ではやんちゃ盛りの俊の世話。
ただでさえ毎日フル回転なのに、ここに“PTA役員”が加わるなんて――
(なんで私が……)
PTA会議の初日
「夕飯、お願いねー!」
会社を出た私は、スマホを片手に走るようにして駅へ向かっていた。
『大丈夫。俊、さっき“ママの分も残しておくね”って言ってたよ』
夫の声に、少しだけ気持ちが和らぐ。
(……俊、ちゃんと食べてくれるかな)
19時ちょうど、小学校の家庭科室に到着。
夜の学校は静まりかえっていて、少しだけ背筋が伸びる。
部屋にはすでに10人ほどの女性が集まっていた。
スーツ姿の人もいれば、エプロンのまま駆けつけた人もいて、みんなどこか“いろいろ抱えてる”感じがする。
「では、今年度の“友の会”第一回役員会を始めますね」
部長の北村菜月さんが、柔らかな口調で会を始めた。
こざっぱりとした印象で、控えめに笑うその人も、自己紹介のときに「私もくじで当たっちゃって」とさらりと告白していた。
(あ、この人も“くじ当たり”なんだ)
それだけで、ちょっと親近感が湧く自分がいた。
「さて、まずは今年のバザーについてですね」
ここからが本番だった。
だけど――
「去年、何が人気だったんでしたっけ?」
「手作りの布小物は結構余った気がします」
「でも、ああいうのを楽しみにしてる方もいるから……」
「食べ物系は衛生面がね……」
「フリマっぽくするのもいいと思うんですけど、トラブルが……」
会話はあっちへ行ったりこっちへ戻ったり、いっこうにまとまる気配はない。
(……終わらないな、これは)
時計を見ると、すでに20時近い。
俊が寝る前に電話、できるかな……と、今日子はそっとスマホに目をやった。
そのとき――
「町田さんって、お仕事で営業されてるんですよね? 企画とか、お得意なんじゃないですか?」
やわらかく、でも逃げられないトーンの声で話しかけてきたのは、副会長の長田真由美さん。
どこか人当たりが良すぎるその雰囲気に、逆らいにくさがあった。
(ちょ、待って……ただの“くじ当たり”ですよ、私は)
「いえ、そんな……得意とかじゃ……ないです、はい」
曖昧に笑って返したつもりが、その場にいた誰かが軽く頷いたのが見えた気がした。
(え、なに? これ、もしかして“決定”コース……?)
思わず背筋に冷たい汗が流れた。
「やっぱり、例年通りでいいんじゃないかと思うんですよね」
長田副会長がそう言った瞬間、場の空気がスッとそちらに流れた気がした。
「あ、そうですね」
「たしか去年もそうでしたよね」
「うん、それなら準備もスムーズかも…」
最初はぽつぽつと出ていた意見も、いつの間にか“同調”に変わっていた。
(なんか……おかしくない?)
今日子は胸の中にふわりとした違和感を覚える。
みんなで話し合って決めるっていうから、時間をやりくりして参加してるのに。
結局、副会長の長田さんが流れを作り、周囲はそれにうなずいてるだけ。
(だったら、最初から決めといてくれたらいいのに……)
長田さんは、もう何年も“執行部”として活動しているらしく、バザーのことも、備品の置き場も、収支の流れも、すべて把握しているようだった。
確かに頼れる人ではある。でも――
「町田さんは、どう思います?」
唐突に名前を呼ばれて、今日子は一瞬、口が開いたまま固まった。
(え……今、私に振る?)
場の流れ的に「例年通りでいいと思います」と言えばいいんだろう。
でも、なんとなく言いたくない。言えない。
「……私も、初めてなので、よくわからなくて……すみません」
そう答えるのが精一杯だった。
すると長田さんは、「そっかあ、じゃあ慣れてる私たちで、できる範囲を組んでおきますね」と、またにこやかにまとめ始めた。
(いや、やっぱりもう、決めてるよね……)
今日子は、無意識にペットボトルのお茶をもう一口飲んだ。
ぬるくなったその味が、どこかこの場の空気と重なって感じられた。
突然引き当てたPTA役員。
話し合いとは名ばかりの空気に疲れ
今日子の日常は、こうしてまたひとつ、新しい「やること」が増えていく――