子狸、ポンポコリン
「と、とにかく、逃げましょう」
「う、うん」
私たちは小屋から何とかはい出ると、そのまま逃げることにした。
もう意見を戦わしている場合ではない。本能が逃げろと言っていた。
それは二人とも同じ思いだった。
「と、ところで稔の奴はどうしたんだろう」
「知らないわ。あんな奴。大方車のところまで逃げて、鍵なくてうろうろしているんじゃないの」
ようやく立てるようになった私たちは、まだ膝ががくがくしていたけど、そのまま校舎の裏手を回って正門へ向かって走った。と、二人の足が同時に止まった。
グランドの真ん中に何か変な塊を見つけたからだ。
「なにかしら、あれ」
「さ、さあ、なんだろう」
黒っぽくてよく分からないけれど、大体人ぐらいの大きさの塊が、ちょうど私たちと正門までの直線にどんと存在していた。まるで私たちの進行を邪魔するように。
「迂回しましょう」
「何か確かめないの?」
「確かめない。好奇心が猫を殺すって言葉知らないの? あんなものスルーするに限るわ。
できるだけ距離をとって正門へ急ぐの」
私たちはその謎物体から距離をとって、正門へ向かった。丁度通り過ぎようとした時、雲に隠れていた月が姿を現し、グランドを明るく照らした。と、同時に黒い塊がサァーと水が流れるように広がった。
そして、私たちは見た。稔の死体を。
稔は半分白骨化していた。
なんで稔とわかったかと言うとぼろぼろになった衣服と、半分残っていた顔と持っていた赤いバットが横に転がっていたからだ。
なんでそんなことになったのかすぐに理解できた。
というのもグランドに広がった黒い粒のようなものが私たちめがけて近づいてきたからだ。きっと、あの黒い粒みたいなものに稔は襲われて食われたてしまったのだろう。
「逃げろ!」
健司の号令で私たちは走った。走ったが、黒い粒はものすごく早く、急速に私たちに近づいてきた。そしてようやくわかった。その黒い粒のようなものは信楽焼の狸。多分大きさは5cmぐらい。小さな子狸の信楽焼の狸だ。
信楽焼の狸って歯が案外するどいのね
サユリの言葉が思い出された。
「あ、痛っ、痛い」
ある程度近づいてきた子狸たちのいくつかは、ぽんぽんとジャンプして私たちの背中や首筋のとりついてきた。とりつくと同時に奴らはその鋭い歯で私たちに噛り付いてきた。
それを懸命に払いのけながら走った。走りながら、私は絶望に囚われる。
このまま正門までは走れるだろう。だけど、あの正門をくぐるのはどうしたって手間取る。その間に絶対にとりつかれてしまう。
もうダメだ。詰んだ
そう思った時、目の前に健司の手が差し出された。その手には車のカギが握られている。
「これを持って、早く」
「で、どういうこと?」
「いいから、時間がない」
戸惑う私の手に鍵をねじ込むと、健司は走るのをやめた。
「え? ちょっと、なにしているの!」
「止まるな走れ! 君だけでも逃げるんだ。ここは僕が引き受ける!」
そんなことって!
走りながら私は健司を振り返る。健司はすでに黒い塊になり、ふらふらとよろめきばたりと地面に倒れた。
「健司!!」
私の悲鳴は月夜の学校に響き渡った。
2025/4/30 初稿