廃校の惨劇
学校の中から改めて、校内を見回してみたが、入ったことを後悔する気持ちしかなかった。
何十年も手入れされずに、雑草がそこかしこに群生している広場。朽ちた鉄棒。窓ガラスがすべて割れている平屋の木造校舎。どれもかしこも気持ち悪かった。
それなのに稔たちは全く意に介していないようだった。
ためらうことなく正面の校舎に向かって進んでいった。私たちも仕方なしについていく。
げた箱のすぐ左は職員室。職員室の対面は倉庫のようだった。特に何かがあるわけでもなく。崩れかけた机や椅子。カビが生えたような書類の残骸ばかりが目についた。カビ臭いにおいが我慢ならなかった。
右のほうは教室で、教室の対面はなにに使われていたのかわからない部屋だった。
「なんだ、見掛け倒しだなぁ。こう、解剖標本とか骸骨の人形とかないもんかねぇ。
せっかくこんなところまで来たのに、こんなんじゃ割に合わねーよ。くそ!」
最後の部屋である教室を物色した後、稔は腹立たしそうに近くにあった机を蹴り飛ばした。
机は勢いよく転がり近くにあった椅子とかを巻き込み、思った以上の物音を立てた。
「ちょっと乱暴はやめろよ」
さすがに健司が注意をしたけれど、稔はへらっと笑うと「なんでだよ」といってまた手近にある椅子を蹴り飛ばした。
ガラガラ、ガシャン
けたたましい音が校舎内に響き渡った。
「机蹴ったてさ、誰も文句なんて言わねーよ。それともタヌキでもでてきて怒るか? ほらよっと!」
そう言うと稔は机や椅子を手当たり次第に蹴り始めた。
ガラガラ グシャ カランカラン ギギギ
「えー、ちょっとぉ、危ないよ」とカオルが顔をしかめて注意をしたけど、稔は逆に面白がってさらに暴れる。
「なんだよ。お前もやってみ。結構たのしいぜ。へへへへ」
ガラガラ ガシャン ギギ ガシャン ガラガラ ギ、ギギギ カランカランカラン
「ね、ちょっとさ」
サユリが言った。両手をぶんぶん振って必死にみんなの注意を引こうとした。
「あん? なんだよ」
うるさそうに稔はまた、近くにあった椅子を蹴り飛ばした。
「なんか変な音しない?」
カラン ギギギ ギリギリ カラカラ ギ、ギギギ カラ カギギ
椅子の転がる音に混じって確かに聞きなれない音がしていた。みんなが一斉に凍り付いたように固まった。
ギ ギギ ギギ
ギギギギ
何がざらざらしたものを擦り合わせるような不快な音だった。いったい何をするとそんな音がするのかわからない。そんな音が聞こえた。
ギギギギ ギギ
その音は部屋の外の廊下から聞こえきた。そしてゆっくりでこちらに近づいてきていた。
ギギギ ギギギギ ギギギギギギ
不意に音が止まった。丁度廊下へ出るドアの前で。
「お、おい。健司。ドア開けてみ」
ひそひそ声で稔が言った。 まったくなんてことを健司に振るんだこの男は!
私は健司の手をしっかりつかむと、必死になって首を横に振った。これはダメだ。ドアを開けたら絶対にダメな奴だと私の直感がそう言っている。
「絶対にダメよ。やりたきゃ、あんたが明けなさい!」
稔を睨みつけ私は小声で怒鳴りつけてやった。
「ちっ、しゃーね。おいカオル、お前みてこいよ」
「はぁ? あたしが? なんで。いやだよ」
舌打ちした。こいつ。
しかも、あくまで自分じゃやらずに女にやらそうとするって、正気か?
拒否られてるけど。
と、健司の手がピクリと反応した。そうだ。健司は優しいから女の子に、それがどんな女の子であろうとこんなことをやらせるタイプじゃない。私は健司の腕にしがみつき必死に抑え込む。上目遣いで健司を見つめ、ふるふると首を横に振る。ここで健司を行かせては絶対ダメ。
健司は困ったような表情で、それでも私を振り払うこともできずにいた。
「おい、じゃあ、サユリ、開けてみろよ」
「え? え? わたし? なんでわたし?」
業を煮やしたように稔は今度はサユリにお鉢を回した。絶対に自分では手を汚さない。最低な人間だ。
「いいから、開けろよ。このままじゃ帰れないだろう。大丈夫だ。なんもないし。なにかあってもこんだけ人数居るんだからたすけてやるって」
「えー、でも……」
サユリはカオルや私たちのほうへ視線を向けるけど、あいにく私たちも自分たちのことで精いっぱいなので、無視することにした。するとサユリはしぶしぶドアのほうへ近づいていった。ドアに手をかけると一度だけ私たちのほう向いてからドアを一気に開けた。
「へ?」
ドアを開けたサユリは間の抜けた声を漏らした。
廊下にいたのは狸だった。本物の狸ではない。信楽焼の狸だった。大きさはサユリが見上げるほどの大きさだった。誰がこんなものを置いたのか。誰もがそう思った。
「え、タヌキじゃん」
拍子抜けしたような声を上げるサユリ。きっとだれもが拍子抜けしていた。
だけど、私は目の前の狸の左手がゆっくり上がるのを見た。
きっとサユリも同じなんだろう。
左手に握っいる徳利が振り上げられるのを目で追っていたのが分かる。まるでスローモージョンの映像を見ているようだった。
頭上高く振り上げられた徳利は次の瞬間、サユリの頭めがけて一気に振り下ろされた。
ゴキン
月夜が差し込む教室に鈍い音が響き渡る。殴られたサユリは一瞬電気に打たれたように体を震わせるとよろよろと私たちのほうへ振り返った。その表情は信じられないものを見て呆然とした顔、一種、弛緩した呆けた顔にも見えた。
「タヌキ、タヌキ……タヌキいたよ。あはは」
だらりと血が流れサユリの顔の半分を覆う。
グシャ
タヌキの徳利が再び振り下ろされ、サユリの後頭部を直撃した。サユリはそのまま受け身をとることなく前のめりに倒れた。
みんな、あまりのことに声がでない。身動き一つとれなかった。ぴくぴくとサユリだけが体を痙攣させていた。
狸はギリギリと不快な音を立てながら痙攣しているサユリの足をつかむとずるずると引きずって去っていった。
「きゃーーーーーーーー」
どのくらい経ったのか。数分、いえ、数秒もなかったのかもしれない。カオルの悲鳴でみんな、我に返った。
「サユリ、サユリがっ! なんなん? なんなのあの…た、た、たぬき。あれ、あれ、なんなんな? なんなのよ!!」
「知らねーよ。俺に聞くな!」
詰め寄るカオルを稔は突き飛ばした。そして、ゆっくりと廊下のほうを見て、つぶやいた。
「いねぇ……。あいつ、どこ行きやがった。
おい、健司、いくぞ」
「いくって、どこへ?」
「逃げるに決まってんじゃねーか」
「ちょとぉ、あんた、サユリのことはどーすんのさ!」
「あ? サユリ。サユリより自分のことを心配しろ。とにかく戻って警察にでもなんでも知らせて探してもらえばいいだろう」
「あ、そうだ。警察。電話して、ってあれ、圏外になってんじゃん。なんで?
さっきまでつながっていたはずなのに」
「そんなの後からにして、さっさっとこの村から出るぞ。おい、健司、なにやってんだ。お前がいなきゃ、車出せないだろ」
「いや、だけど……」
稔は最低で、道義的に間違っているかもしれないけれど、判断は正しい。あの狸がなんだったのかわかんない。本当の信楽焼の狸が襲ってきたなんては思わないけど、狸の着ぐるみを着た頭のおかしい奴が襲ってきたってことは可能性としてはある。なら、また戻ってこないとも限らない。今すぐここから離れるべきなのだ。たとえ、サユリって子がまだ生きている可能性があるとしても……
「行きましょう!」
ためらう健司の腕を私は引っ張った。
「え、でも……」
「こんな山奥で、私たちだけで探したってしょうがないわ。電話のつながるところまで行って、警察を呼んだほうが、結果的には早いのよ。それに、またあのへんなのが襲ってきたら私たちも危険だわ」
「いや、まあ、そうなんだけど……」
「とにかく! ここにじっとしているのは絶対ダメだから!! とりあえず外へ出よう!」
私は健司とカオルを連れて校舎の外へ出た。
「ちょっと、これ見て!」
校舎の外に出たとたん、カオルが大声で地面を指差した。グランドの地面になにかを引きずった跡がくっきりとついていた。ところどころ赤い血の跡もあった。
「これ、サユリだよね。これ追いかければサユリの所に行けるよね」
「うん、そうだね」
カオルの言葉に健司も同調する。そこへ稔が割って入ってきた。
「馬鹿っ! まだ、そんなこと言ってるのか。サユリのことは諦めろよ」
「いや、しかし、彼女はまだ死んじゃいないと思う。今ならまだ間に合う可能性が高い。少なくとも追いかけられるところまでは追いかけてみるべきだろう」
「ああ、勝手にしろ! じゃあ車のキーを貸せ! 俺が電話のかかるところまで行って助けを呼んでくる。そしたら戻ってくるよ」
「ダメよ!」
稔に言われて鍵を渡そうとする健司を慌てて止めた。
「稔に鍵を渡しちゃダメよ。この人は絶対帰ってこないから」
「バッ! 馬鹿なこと言うな!!
ちゃんと戻ってくる。いい加減なこと言うなよ」
「いい加減なのはあんたでしょう!
そもそもサユリさんはあんたの知り合いなんだし、あんたが、巻き込んだんだからあんたが少しは責任取りなさいよ!」
「なんだとこの女! 黙って聞いてりゃ言いたい放題言いやがって何様のつもりだ」
稔が私に掴みかかってきたけれど、健司が盾になって私を守ってくれた。
「止せ! いい加減にしてろ。こんなところで言い争っている場合じゃない。
分かった。鍵は渡さない。
サユリさんを助け出すにしろ男手がいる。稔、お前も一緒に来るんだ。良いな。
それから、真美のことを女呼ばわりするのは止めろ。良いな」
健司に一喝されて、稔も観念した。言うべき時にバシッと言う健司は素敵だ。少し惚れ直した。
「一緒に探してくれるのね! ありがとう。ありがとう」
カオルが涙目で私たちに感謝してきた。意外と友達思いのよい子なのかもしれない、と思った。
「探すわ。だけど、それなりの準備をして探しに行きましょう」
「準備?」
「そうよ。それなりの武装をして探しに行かないと」
「武装ったってそんな都合の良いものがどこにあるっていうんだ」
「さっき探した倉庫になにかあると思うの。それを持ってサユリさんを探しに行きましょう」
2025/4/30 初稿