忘れたお弁当箱
緑色のジュータンが広がる中に、点々と草を喰む馬が見える。道に残る汚れた雪は、いつになったら姿を消すのだろう。
時折、冷蔵庫の様な冷たい空気が漂うこの町は、広い道のどこにも、人なんて歩いていない。
バスから降りた城田夏希は、いつも変わらない風景に、深いため息をついた。
あっ、お弁当!
肌寒い春の空気が舞い上げた砂埃は、バスの後ろをモヤモヤとついて行く。
降りる直前まで、手に持っていたはずなのに。
3年生になって、これで何回目だろう。
家に帰ると、母の依子が浅いため息をついて、夏希に呆れていた。
「こんばんは。」
「あら、松木さん。また、夏希の忘れ物でしょう?」
「はい。お弁当箱。」
「いつもすみません。」
「田舎のバスだもの、客の事はだいたいわかってるって。夏希ちゃんが降りる時は、いつも気に掛けて見てるんだけど、今日の運転手は初めての人でさあ。」
「新人さん、入ったの?」
「前はタクシーをやってたらしいよ。今は個人じゃ、厳しいからね。」
「松木さん、ちょっと待って。」
依子は台所からビニール袋を持ってきた。
「奥さんに持っていって。真美ちゃん、アスパラ好きでしょう?」
「なんだかかえって、悪いね。アスパラをもらいにきたみたいだね。」
「こっちこそ、夏希がいつもすみません。」
母は松木を見送ると、居間にいる夏希の頭を、お弁当箱でコツンと叩いた。
「松木さんがいなかったら、お弁当箱、何個無くしたと思ってるの!」
「ごめんなさい。」
夏希はお弁当箱が当たった頭を撫でていた。
「いい加減髪切ったら?部活の時、邪魔になるでしょう。」
「縛れば大丈夫だよ。」
「駅前に美容室ができたって、行ってごらん。」
「今度ね。」
夏希は肩甲骨の位置まで伸びた髪を触った。
忘れても忘れても、松木さんがお弁当箱を届けにくる。
学校であった嫌な事も、バスの中に置いていってしまいたいのに、みんな自分に戻って来る。
夏希は小さなため息をついた。
やっぱり、髪、切ろうかな。
廣岡くんに話しかけられないように、横顔が隠れる長さまで。