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ルサルカ~夢幻の城~  作者: 黒崎蓮&柊夕徒
Route Crimson
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アンバランサー

「『化粧品とジャム論』『ガレノスの釈義』などを著した、」

「行ってください!」

「走って!」

「くっ……!」

「……大予言などでも知られる人物は誰?」


 それからも一問一答クイズがいくつか続いた。ほとんどの問題で一番最初に緋村が合図を出していたのだが、ここに来て翠谷のペースが速くなっている。

 一歩前を行く絵裡の背中。必死に足を動かしているうちにどんどん距離が離れていく。

 だめだ。追いつけない。疲労と焦りに反して、スイッチは無慈悲にも押された。


「藍沢選手押した、翠谷選手解答どうぞ!」

「……」


 切り替えよう。そう思ってスタート位置に戻ろうとした僕の耳に、なかなか答えが入ってこなかった。

 翠谷は口をきつく閉じたまま固まっていた。どうしたのだろうか。


「翠谷選手、あと三秒で答えてください。三、二、一。残念! 次に早かった緋村選手に解答権が移ります」

「ミシェル・ノストラダムス」

「正解! しかもフルネーム! 少し難しかったかー! 藍沢・翠谷ペアには距離ペナルティ五メートルが与えられます!」


 落ち着いて答える緋村。幸運にもポイントは取れたし、走る距離にも差を作ることができた。

 絵裡の走るレーンに設置されたスイッチ台が、他のものより遠くへ移動される。

 スタート地点に戻ると翠谷が絵裡に向かって、両手を合わせて謝っているジェスチャーをしているところだった。


「答えをど忘れでもしたのかな」

「さーてどうかな~」


 口元を上げて含みのある返事をする絵裡。なんだ、何かの作戦なのだろうか。相方が答え損ねたにしては余裕が見える。

 考える間もなく次の問題が読まれ始める。

 

「次の問題! 七十二歳の誕生日に……」

「行って!」


 最初の単語も言い終えないうちに、翠谷の声で絵裡が発射される。さすがに速すぎる。それとも定番の問題なのだろうか。それにしては緋村の合図がない。


「……撮影された舌を出した写真が有名である、」

「走って!」

「……”相対性理論”で知られる人物といえば誰?」


 緋村の声に僕も弾かれる。けれど絵裡はもうスイッチを押す直前だった。

 まるで答えが最初から分かっていたような速さだ。

 ……いや違う。もしかして。


「はい翠谷選手答えをどうぞ」

「……アインシュタイン」

「正解、答えはアルバート・アインシュタインでしたー! ここで一問一答クイズ終了です。次は画像クイズに移ります。準備をしますので少々お待ちください。現在のポイント、順位はこちらになります」


 ステージモニターに映された順位表を見ると、まだ余裕をもって僕らのチームが一位。次点が最後の問題で盛り返したのか絵裡・翠谷チーム。その次に一点差でクイズ研究会のチームがあった。

 これじゃもはや探検部同士の戦いになってしまっている。


「翠谷のやつ、答えが分かる前に絵裡を走らせてるだろ」


 息を整えがてら、僕は絵裡に疑惑をぶつける。

 翠谷の合図がやけに早いのに加え、答えるのに若干の間があった。あれはランナーを走らせている時間を使って問題を聞いて、答えを考えているのだろう。早押しボタンを押してから考える、クイズのプロが使う手をまさか探検部の後輩が使ってくるなんて。


「お、気づいちゃった? さすが志郎。絵裡ちゃん体力は自信あるからさー。無駄走りでものーぷろぶれむなのだ」

「なんてめちゃくちゃな手を……」


 疲労が蓄積された僕とは対照的に、息すら上がっていないように見える絵裡は得意げに答える。

 まさかクイズ大会で絵裡の持ち味が最大限生かされる時が来るなんて思わなかった。


「第二部は画像クイズ! これからモニターに画像と、それに関するクイズが出題されます。よく見て、あるいは考えて答えてください。それでは第一問! この建物は何? 画像が時間差で四枚出ます。どのタイミングでも構わないので、分かった時点でアンサーはランナーに合図を送ってください」


 モニターに最初に映し出されたのは湾曲した石壁に囲まれた、同じく石造りの階段。何かの建物の中のようだが、全く分からない。

 緋村も目を凝らして考え込んでいる。

 翠谷も合図を送らない。ここでブラフを使うにはさすがに早いのだろう。


「誰も動きませんね~。次の画像お願いします」


 翔が楽しそうにスタッフに指示を出す。

 次に現れたのは青銅色の大きな鐘。屋内に設置されているようで、壁に空いた窓から差し込む陽の光に照らされていた。

 ヨーロッパ方面の有名な建築物かもしれないというのはなんとなく予想できた。おそらく美術の知識を齧っていれば予想はつけられるのかもしれないけど、名前が出てこない。


「走って!」

「あ、うぅ……行ってください!」


 ただ一人、緋村が合図を出す。それにつられて翠谷も叫ぶが、たぶんあれはハッタリだ。

 考えながら、地面を蹴る。絵裡の足音がすぐ後ろまで迫るが、すんでのところで僕の手がスイッチに届いた。


「ピサの斜塔」

「正解! この時点で分かったのは強すぎる!!」


 翔の興奮気味な判定に呼応するように、観客席側からも歓声が上がる。

 ピサの斜塔が、あの斜めになっている石塔のことだというのは分かるが、それにたどり着けるような手掛かりは無いように見えた。


「残りの画像も見てみましょう。そう、この斜めになってるのが有名ですね、ピサの斜塔です。ちなみに何で分かったんです、緋村選手?」


 ニヤニヤしながら、翔はマイクを緋村に向ける。まったく白々しい奴だ、探検部での練習を知っているから聞きたくなる気持ちも分かるが。

 突然振られて驚いたのか、周りをキョロキョロとしながら緋村はスタッフからマイクを受け取る。


「……鐘の画像の時に、窓があったでしょう。ああいう風に陽の光を取り込むような造りはロマネスク様式のもの。その代表的な建築物は何かと考えたときに、ピサの斜塔が浮かんだの。けっこう賭けではあったわ」

「ほぉ~やば……じゃなかった、お見事! 解説の必要なしですねぇ!」


 たどたどしくも、落ち着いた緋村の解答に感嘆の声を漏らす翔。

 たぶん僕も無意識に同じような声を出していた。

 芸術の知識は緋村の目標から最も遠いジャンルだと思ったのに、まさかしっかりとした知識の土台から推測までするとは。

 観客席だけでなく、クイズ研究会のスタッフ席からもざわめき声が生まれていた。

 緋村の方を振り向くと、ちょうど目が合った。

 目を細めて、とても満足げな微笑みを浮かべていた。

 ——あぁ、そんな良い笑顔初めて見た。

 声が届く距離だったら言ってやりたかった言葉を胸にしまって、僕もつられて頬が緩んだのだった。


*****


 心臓が高鳴っていた。

 緊張というのもあるが、不思議な高揚感が全身に纏わりついて熱くなっていた。

 吸収した知識を生かせる快感。観客たちの歓声。どれも新鮮で、刺激のある体験だった。

 クイズは続く。ほとんどの問題を一番最初に答えられている。クイズ研究会メンバーの面子を潰しているようで気が引けるけど、それ以上に楽しくなってしまっていた。


「走って!」


 私の合図に天野君が走って応えてくれる。真っすぐにゴールを見つめて、迫る藍沢さんや他のランナーたちを振り切っていく。

 身体に、握り拳に、声に自然と力が入る。

 応えてくれる彼のためにも、私が間違えるわけにはいかない。問題が読まれ始めた瞬間に、あらゆる知識へ脳を接続させる。きっとこれはこの先の私にとっても有用なはずだ。


「緋村選手、正解! 天野・緋村チームの快進撃が止まらない! クイズ研究会どうするー?!」


 とても順調に進んでいる。このままいけば優勝を狙えるかもしれない。

 最初は図書カードを景品として貰えるからという、本当にただそれだけの理由だった。けれどここに来るまでも、そして大会それ自体も本気で取り組んでいる自分がいた。

 変な言い方だが、久しぶりに”呼吸”ができた気がした。

 今まで勉強漬けの毎日で知識を入れて、問題を解き続けていた日々。それから、似ているようで少し違う一週間と少し。

 息抜きができたともいうのかもしれない。

 でも、絶対に手は抜きたくない。


「問題。この四字熟語は何?」


 藤田君の問いに合わせて、モニターに画像が表示される。

 長さの異なる黒い横棒が数本、白い背景に置かれているだけだった。ここから四字熟語を導き出すということは、画数を足して単語を作っていくのだろう。

 目立つのは一番目と三番目に置かれた長い横棒。あれはそのまま漢数字の”一”が二つとして使えるだろう。

 一朝一夕。一言一句。

 これは他の文字の横棒が少ない。

 一日一善。一長一短。

 近いかもしれないが、横棒の間隔が微妙に合わない。

 頭の中の辞書が、あてはまりそうな四字熟語を猛スピードで羅列していく。

 見つけた。

 意識が答えを認識する前に、私は身を乗り出していた。


「走っ……ごほっ、けほっ」


 合図を出したつもりだった。けれど声より先に咳が口から洩れる。そういえば練習の時は、本番と同じような距離感で、ここまで大声を出してはいなかった。

 らしくなく叫び続けたからか、なかなか咳が止まらなかった。


「大丈夫か緋村?!」

「あー、分かった!! 走ってください!!」


 天野君の声と、翠谷さんの合図が重なる。止まらないで、走って。

 藍沢さんはもう走り出していた。いくら距離ペナルティがあるとはいえ、このままでは先にスイッチを押されてしまう。

 あの日。夕暮れの中走っていた彼の姿が浮かぶ。運動部でもなかった彼は、この一週間という期間をずっと走り続けていた。その頑張りの結果のおかげで私は答えられているし、今の私たちの得点につながっている。

 ここまで来ることができたのは天野君のおかげだ。

 きっと走り続けて体力も削れているはず。

 私のせいで、彼の努力を無駄にはさせたくない。


「走って! 志郎!!」


 咳を押し殺して、叫んだ。

 天野君は一瞬固まってから、勢いよく飛び出した。フォームも乱れて、息はかなり上がっているように見える。

 だめだ。さすがに遅すぎた。


「翠谷選手、解答をお願いします」

「一期一会!!」

「正解!」


 取れたはずのポイントだったのに、私のせいで。

 天野君が息を切らしながら私の方を見上げるけど、反射的に目を逸らしてしまった。


「緋村選手、大丈夫ですか?」

「えぇ、ごめんなさい。お見苦しいところを見せてしまって」


 俯きながら、掠れた声で答える。隣にいる翠谷さんが、藍沢さんや他の参加者たちが心配の目で私を見ていることが気配で分かった。


「ごめん翔、一瞬席を外す。続行してくれて構わないから、良いよな?」

「お、おう? 分かった」


 天野君が走ってステージに上がって、藤田君に何事か声をかける。そしてそのままステージ裏の方へ走って行ってしまった。

 何をしようとしているんだろう。このまま続いてしまったら得点差がさらに縮んでしまう。戻ってもらうように言わなければ。


「天野選手の希望により一時退席となりますが、このまま続行します。続いての問題は……」


 藤田君のアナウンスで問題は進む。

 私は足早に天野君の後を追ってステージ裏のカーテンをくぐった。ランナーが居なければアンサーが立ち続けても意味がない。

 カーテンの向こうに誰の姿も無かったが、すぐに慌ただしい足音とともに息を切らせた天野君が現れた。


「あぁ、緋村。ちょうど良かった。水、買ってきた。飲んでくれ」


 目の前に差し出されたのはペットボトルのミネラルウォーター。わざわざ近くの自販機で買ってくれたのだろうか。受け取るとひんやりと冷たく、火照った身体に染みた。けれどその冷たさもすぐに私の手の熱で常温へ変わっていく。

 こんなところでのんびり休憩している場合じゃない。


「……大丈夫。それよりもすぐに戻りましょう。これ以上私のせいで取れる問題を減らしたくない」

「大丈夫じゃないよ。焦らず、まずは水を飲もう。また咳込んじゃうかもしれないし、身体にも悪いだろ」


 天野君の気遣いを無下にしてまで戻ろうとしたけれど、逆に強引に返されてしまう。天野君は真剣な表情でペットボトルを私の方へとぐっと押し付ける。


「無理するな。楽しくいこう。クイズ大会は一人で戦ってるわけじゃないだろ。緋村が遅れたら、僕がその遅れを取り戻せば良い。そのために僕だって走る練習をした。緋村だって慣れないクイズの練習をしてくれた」


 身体に巡っていた酸素が、天野君の言葉で脳に回って、少し考える余裕ができた。

 一人で戦っているわけじゃない。これはチーム戦。分かっている。それこそ私がほとんど経験のないことだから、なおさら分かることは、これ以上遅れを取らないことで天野君に無駄な走りをさせないことだけだ。


「でも……」

「確かに僕だって疲れてる。なら、少し休んだって良いんだ。思ったんだけど、あえて答えずに一、二問やり過ごせば休憩時間として使える。僕も息を整えられる。緋村だってここで水を飲んでおいて、気持ちを落ち着かせられる。十分体力を回復させた後に、追い込みをかけよう」

「あえて休む、ってこと?」

「そう」


 戸惑う私に天野君が笑って頷く。

 一理あるかもしれないと思った。その発想は、考え付きもしなかった。


「でもそれはその後の問題をほぼすべて、私が答えられる前提の作戦でしょ。もしものことがあったら……」

「それこそ大丈夫だよ緋村。今までの問題も、クイズ研究会のメンバーすら圧倒できてたじゃないか。それに最後は難問クイズ。他のみんなだってそんなに早くは答えられないさ。考える時間を手に入れた緋村なんてそりゃもう鬼に金棒、弁慶に薙刀、虎に羽……えーと、あと何かあったっけ?」

「ふ、ふふっ。あとは、竜に翼を得たる如し、とかかしら?」

「あー、そんなのもあったな。ほら、難問になればなるほど緋村は強い。信じるよ」

「……ありがとう」


 あなたまでクイズに強くなってどうするのよ。

 そんなツッコミは胸にしまって、私は礼を言う。気が付けば身体の火照りは引いていて、気持ちも軽くなったような気がした。

 それからペットボトルの口を開けて、一口水を飲む。


「よし、行こう。ひとまず画像クイズが続いている間は休んでおこうか」

「えぇ。分かった」


 私たちは振り向いて、カーテンをくぐる。

 誰かが正解したのか、ちょうどそのタイミングで歓声が響いた。

 それを私は自分への、いや、自分と天野君への期待の声として受け取ることにした。


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