悪夢
とんだ悪夢だ。
目の前にはあんなに大きく見えた背中を小さく丸めて項垂れる彼の姿。
ピー、という電子音がずっと、ずっと耳に張り付いて離れない。
「助けてあげられなかったって何? 最近薬も飲まなくてよくなって、近いうちに退院できるって。家に帰れるって言ってたじゃん。お父さんはすごいお医者さんなのに……」
小さい頃の私は彼が失敗するなんてこれっぽっちも思っていなかった。
失敗がよりによって、母親に起こってしまうだなんて尚のこと。もしかしたら彼も同じ思いだったかもしれない。よりによって彼女の時に、と。
それからの彼は本当に仕事一筋になっていった。
家に帰ってきても’ただいま’すら言わず、院長室では一人デスクに座ってずっと何かを見つめながら頭を抱えている姿が記憶に残っている。
「えぇ、本当に申し訳ございません。僕の力が及ばないばかりに」
患者に、遺族に頭を下げる姿も多く見るようになったような気がする。
完璧なんてない。英雄なんていない。
きっと私は幻を見ていたんだ。マッチ売りの少女が灯した光のように一瞬で消え失せて、もう二度と点くことはないんだ。
「おとうさんはすごいんだよー」
「えぇ、すごかったわね」
「ヒムラ先生、ありがとう、ありがとうって」
「えぇ、私も言いたかったわ」
笑顔で、無邪気に自分の父親を自慢する女の子は、私の声で搔き消えた。
本当に、こんな悪夢は早く醒めないかしら。
いつから夢を見ているのか。そもそも、天野君が見ていた本の挿絵は私の父親の病院だった。
そんなことはありえない。彼の病院は南水鳴病院という名前ではないし、ここまで学校の近くには建っていなかった。
ただ確かに外見も内装も、すべて彼の病院そのものだった。
ということは一昨日、天野君に図書室で声をかけたときからすでに夢の中だった?
この病院が何なのかを調べるために今回の集まりに参加したけど、そもそも夢ならなんでもありだ。辻褄も何もあったものじゃない。
「……道理で、みんなが親しげに声をかけてくれるわけね」
「ん、何か言った? 紫苑ちゃん」
「いいえ。……紫苑ちゃん?」
「ここまで一緒に冒険すれば仲間よ~。私のことも絵裡ちゃんって呼んで良いよ!」
「ありがとう藍沢さん」
「即答?!」
場所も視界も切り替わって、再び探検部のメンバーと一緒に廃墟を歩いていた。
陽の光が入らない場所に出たから、前を歩く藤田君も、後ろでニコニコしながら付いてくる藍沢さんも懐中電灯を取り出して点け始めた。
三人分の光がかなり明るく足元を照らすから不自由なく進めた。
エレベーターなんて動くはずもないから、三人で息を切らしながら五階までの階段を上る。
「きっつ~!」
「ほっほっほっ、運動不足だねぇ。全然余裕だわよ~」
「お前運動部兼部してるわけじゃなかったよなぁ?」
「今は探検部一筋だよ? 中学時代は陸上部だったけど」
「初耳なんだが」
「言ってなかったからねぇ~」
夢のはずなのにかなりリアルな疲労感だった。
上がった心拍音を確かに耳で聞きながら、私は辺りを見回す。
視界は暗いけど確かに、院長室から一番近い病室棟だ。小学三年生くらいからの記憶を辿れば、その病室に誰が居たかも思い出せる。
「さてさて、何かしら起きるならこのフロアだけど」
「とりあえずナースステーションとか行ってみる? ナースコールが鳴ったらすぐわかるだろうし」
藍沢さんの提案に私たちは特に異論なく移動を始める。
いくつもある病室の扉を通り抜ける。突然扉を開けて驚かしに来るような幽霊も、中からぶつぶつと念仏を唱える声が聞こえるとか、そういったことは当然なかった。
面白みのない夢だ。私の夢だから当然かもしれないけど。
「ここか」
「うわ見て、電話が置き去りにされてる。雰囲気出るな~」
「写真でも撮っておくか。上手く映せば確かにこれはけっこう怖いぜ」
そう言って、二人はスマホを取り出して、白い固定電話を懐中電灯で照らしながら撮影会に勤しみ始める。
探検部。変わった集まりだと思った。もとから存在を知らなかったから、もしかしたら私が勝手にこの夢で作り出した集まりかもしれないけど、こんな廃病院に何を期待して探検をするのだろう。
少なくともここに良いものなんて、良い思い出なんて一つもないのに。
「は?!」
「なに! なに?!」
前触れもなく唐突に、それは鳴った。
歪んだ、胸をかき乱すような電子音が廊下中に響き渡る。
患者が異変を知らせるナースコールではないことを私は知っていた。
この音は、医師や看護師が院長を呼ぶときに使うこの病院独自の緊急コール。
「っ!」
「あ、ちょっと紫苑ちゃんどこに行くの一人じゃ危ないって!」
気が付けば私は走っていた。
藍沢さんの静止の声はすぐさま遠のいていった。大丈夫、ここの誰よりもこのエリアには詳しい。
まっすぐに私は音の発生源——院長室の扉の前につく。
他の床や壁のように傷やひび割れもなく、漆を塗られたその木製の扉は変わらずそびえ立っていた。
昔は誇らしげに感じていたその扉を、私は勢いよく開ける。
「鳴っているわよ。あなたを呼んでいる」
中にはやつれた表情の男が椅子に腰かけてデスク上の何か—―どうやら写真立てのようだ—―を見つめていた。
部屋の両端には大きな本棚。そこにはびっしりと隙間なく本が詰まっている。棚には数々の盾やトロフィー、賞状などが飾られていた。
どれも見覚えがある。あの時のままの状態で部屋が保たれていることに、私は遅れて気がついた。
「あぁ。分かっているさ」
見つめていた写真立てを伏せてから、彼は不自然に口元を上げて答える。笑おうとしたんだと分かった。
’あの失敗’の後の彼だと、白髪交じりのその黒髪を見て分かった。
「シオン、お弁当ありがとうな。いってくるよ」
「お父さん……頑張ってね」
「大丈夫。大丈夫だから……」
気が付くと私の隣に少女——私が立っていた。
自分の腰くらいまでの小さな背丈で、懸命に目の前の男を見上げている。
「秋華……」
ふらふらと歩きながら、もういなくなってしまった人の名前を呼ぶ。その目線を少女に合わせることなく扉を開けて出て行ってしまった。
少女はとぼとぼとその背中を追ったが、扉から出ることはなく歩みを止めてしまう。
あの頃からそうだった。まるで逃げるように、母がいた頃は陽だまりのようだった家族という場所に寄り付かなくなった。
私だけじゃ、駄目だったんだ。
自分も悲しかった。空しくやるせなかったけど、母の代わりに彼を支えているつもりだった。
そうしたら母に返したように、私に笑い返してくれると思っていた。
拳を握る少女の背中を見て、デスクにふり返る。
いくつかの資料の中に、裏返しになった写真立てが埋もれていた。
あの頃の背丈では、こんなものがあることに気が付かなかった。
「……」
手を伸ばしかけて、止める。
今さら私はこんなものに何を期待しているんだ。もう何もかも戻ってこないというのに。
「違うわシオン。あなたが助けるの」
小さい子どもに向けるには厳しい声色だという自覚はあった。
それでも背後で立ちすくむ少女に、そして自分に。
はっきりと言っておかなければならない言葉だと、私は明確に判断したのだった。
「なんで。おとうさんは英雄なのに。わたしじゃないよ」
「いいえ。あなたしかいないの」
「違う。ちがうちがうちがう!! 助けて助けてよ!!」
助けて。助けて。たすけて。緋村先生、助けてください。
縋りつくような。恨むような。
か細い少女の声はだんだんと、暴風のような重く低い音へと変わっていく。
老若男女すべての声が、叫びが私のすべてを包み込もうと襲い掛かってくるように。
あぁ、そんなつもりはなかったのに。
こんな悲しみも憎しみもやるせなさもすべて、彼が何度も背負っていたのを見てきたというのに。
「……」
気が付いたら頬に流れているものがあった。
声は出ない。表情を歪ませることもしない。
ただ声が一つ増える度に、一筋、また一筋と流れていった。
いつの間にか部屋は元の薄暗さに戻っていて、周りには無数のベッドが置かれているようだった。
さっきまではクラスメイトが前後にいて照らしてくれていた視界が、今の一人分の懐中電灯ではあまりにも心許なかった。
「……誰か」
声に出すつもりなんてなかった。勝手に胸の奥から押し出された言葉だった。
夢なら早く醒めてほしい。
「—―……ら……ひむ……緋村!!」
音の中に一つ、明らかに違う声が混ざったのを感じた。他の八つ当たりのような感情とは違って、真っすぐに私に向かって伸びた声。
それを知覚した途端、私はそれだけを聞こうと耳を澄ませた。だんだんと他の声が小さくなり、相対的に私への声が大きくなる。
「紫苑! しっかりしろ!!」
肩を揺さぶられて、名前を呼ばれて、私は院長室にあるソファに座っていることに気が付いた。
目の前では天野君が、なぜか泣きそうな顔でこちらを覗き込んでいた。
*****
勢いあまって下の名前を呼んでしまったタイミングで、緋村の表情と焦点が戻った。
場所は院長室に戻っていて、緋村は色褪せてボロボロになったソファにぐったりと腰を掛けていた。
部屋を覆う空気と、頭の中を支配していた声と音は鳴り止んで、静かな廃墟の中に二人の少し上がった気遣いが聞こえているだけだった。
「えと……大丈夫だったか。僕だけなのかもしれないけど、ずっと変な声が聞こえていてさ」
たびたび視界に映った緋村の過去、のような映像にはあえて触れなかった。
やけに臨場感があって連続性もあるから、これが夢であるということも少し疑わしくなってきていた。逆にこれが夢じゃなかったら、僕はこの廃墟に無意識に恐怖して錯乱状態にでもなっているのだろうか。
でもこれが夢であれ何であれ、目の前の緋村は明らかに苦しんでいたのだ。助けを呼ぶ無数の声に身体中を締め上げられているようにも見えていた。
「声。聞こえていたわ。あなたが呼んでくれたの」
まだ寝起きのような少しおぼつかない声で緋村は言う。
思ったより不機嫌そうにも辛そうにも見えないから、あの恐ろしい声は僕だけが聞いた幻聴なのだろうか。
「僕はその、緋村が苦しそうだったから」
「見たんでしょ」
「……何を」
「私が見たもの、全部」
前言撤回。
僕が聞き返す前に緋村は間髪入れずに答える。表情も声も、すぐにいつものクールなものに戻っていた。
およそ同じものを僕らは見たということか。気まずくなって、僕は目を合わせられなくなる。
「だから私は医者にならくちゃいけないの」
「え?」
「昨日、理由を訊きたそうにしていたじゃない。父ができなかったことを、私がやっていくの」
静かに、でも強く緋村は言葉を口にした。
それはあの怨嗟の声をすべて背負うということだろうか。
相当な覚悟だ。立派なことだと思うし、あの勉強量にも頷ける。正直、クイズ大会なんかに誘うのも申し訳なくなるくらいに。
だけど、あまりにも重すぎはしないだろうか。一人の女の子が背負うには、いや、誰だって到底背負いきれるものじゃない。
やめた方が良い。あんなものを背負うために自分を追い詰めない方が良い。
口元まで出かけて、声には出せなかった。
あまりにも緋村紫苑という存在が、眩しく見えたから。
「せぇぇぇんぱぁぁあいい!!!! どうして置いてきぼりにするんですかぁぁっぁああああああああ!!!!」
帰ろう。いろいろな言葉の代わりに出かけた一言が、情けない後輩の絶叫にかき消された。
扉を蹴破るように入ってきた後輩は涙を隠さずに、僕ら二人を見比べる。
「は? 何してるんですか」
「え?」
あまりに冷たい翠谷の声と顔に、僕は今の状況を確認する。
緋村はソファに倒れるようにもたれかかっている。僕はその肩に手を置いて、覗き込むような姿勢になっていた。
「……ちょっと、近いかも」
「いや、違う!!!! 違うからな断じて!!」
「署まできてもらいましょうか。具体的にはボクの家まで」
なぜか後輩の家まで連行されそうになりながら僕は緋村から離れる。
それから二、三の釈明をしながら三人で院長室を出て、程なくして絵裡と翔とも合流することができた。
絵裡たちは絵裡たちで、なにやら遭遇したらしく顔色があまり良くなかった。
とにかく話はここを離れてからにしよう。
誰かがそう言って、僕らは足早に、予定していたワックへと自転車を走らせたのだった。
*****
「本当にホラー展開が待ち受けてるとは思わなかったよねぇ。いやびっくりした。食事も喉を通らないとはまさにこのことだよ」
「てりやき二個も頼んでおいてよく言うよ」
バクバクとハンバーガーを平らげていく絵裡を前に、僕は溜息を吐くように呆れることしかできない。
まぁ僕も絵裡のように肩の力を抜いて、無事に五人でこうやってワックまでたどり着いて昼ご飯を食べられていることに一先ず安心するべきなのかもしれない。
廃病院から出てきた有象無象の怪物に追われることも、誰かが突然おかしなことを呟いたりすることもなく、雲の無いお天道様の下に居られている。
「とりあえず録った音声は明後日、部室でみんなで聞こう。ここで聞くのも迷惑だし、音声データだけ渡されて部屋で一人で聞くのも怖いだろ?」
「なんか呪われそう」
「やられた当事者だってのに楽しそうだな。もしかして肝試し気分か?」
「そうかも~」
翔の提案にヘラヘラと笑う絵裡。どれだけ強心臓なんだ。
隣に座る翔や翠谷、それに向かいに座る緋村も、楽しいランチの時間というには表情が固かった。
収穫なんてないものだと思っていたけど、どうやら院長室から鳴ったというコールは録音することができたらしい。
本に載っていたナースコールではなかったけど、まぁ似たようなものだ。他にもいろいろ撮りためた写真を使って話を盛れば、文化祭の発表や展示やら、何かしら雰囲気の出るモノは作れるかもしれない。
「そっちは何かネタになりそうなものはあったか? こっちのはインパクトはあるもののこれだけだしな。数があればそれだけ尺稼ぎ……もといボリュームも増やせるんだけど」
「確かにそうだけど……」
訊かれて、ちらりと緋村の方を見る。
緋村は話を聞いているのか聞いていないのか分からないような表情で、手に持ったハンバーガーをもぐもぐと咀嚼しながら見つめていた。
「なんだかすごい数の幻聴を聞いたような」
「本当か?! なんて言ってた?」
「いや、具体的にどんなのかは思い出せないんだけど。いろいろな声が混ざってたというか、それが逆に不気味でさ」
遠からずも近からずな返答をして濁しておく。
あの光景はたとえ緋村の許可を得られたとしても他人にべらべらと喋るものではないだろう。
現実なのか夢なのか、今この時ですら、怪しいのだから。
「そっか。まぁあとはスマホで動画も取ってたから良い具合に編集して、本の内容とかで情報の飾りつけをしとくくらいだよなぁ」
「もはや怪談体験レポをする部活みたいになってますよね」
「台本構成は任せたぜ翠谷監督!」
「読むのは好きですけど、作るのはまた別の才能ですってば。それに今年行った場所はまだあるんですから、皆さんにも協力してもらわないとやり切れませんよ」
翔と翠谷のやり取りで、文化祭が近づいているのだという現実に意識が向く。
どんな形であれこの探検を終えたということは、探検部としては珍しく真面目に頑張る期間が始まるということだ。
去年を経験した身から言うと、この期間もなかなか刺激的で楽しい。普段使わない頭を使うというか、とにかく新鮮ではある。
「緋村も良かったらどうだ? 体験入部みたいな感じでさ」
「え、でも私は……」
ちょっと内輪な会話になりかけたところで、翔が緋村に会話のパスを投げる。
相変わらず気配りのできるやつだ。翔が言わずともどこかのタイミングで僕から声をかけていたかもしれないけれど。
「駄目だよ翔。紫苑ちゃんはクイズ大会があるんだから」
「そーですよ藤田先輩。それにクイズのサポートだってしてあげなくちゃ緋村先輩が可哀想です。いきなりクイズ大会に出ろーだなんて言われたらボクだったら断ってますよ」
「おーおー、なんだかレディスの攻撃が激しいな。そういや俺が頼んだんだよな。いやー、これから忙しくなるぞー」
「よ、よろしく頼むわね藤田君」
言葉とは裏腹に嬉しそうな翔に、僕の口角も上がる。
今年の文化祭には、緋村のクイズ大会参加というもう一つ楽しみがあることを危うく忘れるところだった。
皆もそれを思い出したのか、さっきまでの重い空気がいくぶんか和らいだような気がした。
「と、いうことで問題です」
「どういうことで? あと食べるの速くない?」
「……ふふ」
唐突な絵裡の切り返しに僕は思わずツッコむ。少し目を離した隙にてりやきバーガー二個が消滅しているのも合わさって、普通に不意打ちだった。
おかげで緋村の貴重な笑い声に意識を持って行く余裕が無かった。おのれ絵裡。
「だってちょうど良いクイズがあったんだもーん。いくよ、問題! 『最後の晩餐』『モナ・リザ』などが代表作である、中世イタリアの芸術家といえば誰?」
視線を下に向けて、何かを読み上げ始める絵裡。見ると、同じ内容の問題がトレーの敷き紙に書かれていた。
中世風の、おそらくその人物の肖像画のようなものまで描かれている。有名な作品だし聞き覚えはあるけど、ぱっと作者の名前が出てこない。中学の美術の時間でやったような気もするけど、日常で使わない知識は忘れていってしまう。
「モナリザの絵なら分かるんだけどなー。作者となると……こういうオッサン、この時代にいっぱいいるからわかんねーわ」
「そりゃそうだろうけど」
「……レオナルド・ダ・ヴィンチ」
「お、紫苑ちゃんせいかーい!」
僕と翔が下らないやり取りをしている間に、すんなりと正解を叩きだしたのはやっぱりと言うべきか、緋村だった。
僕の知る限りこの探検部に美術に心得のある人間はいないから時間の問題だったかもしれない。
「うわ、ダヴィンチね! 人が手を広げてる絵だったら分かったんだけどな~」
「藤田君が言ったのは『ウィトルウィウス的人体図』という絵ね。とある建築家の建築論を視覚化した絵、とでも言えば良いのかしら」
「すげー予備知識まで出て来るのかよ。やっぱり緋村誘って正解だったな。今年の文化祭は盛り上がるぞぉ!」
勉強ができるやつというのはもちろん分かっていたつもりだけど、今みたいなちょっとしたクイズでも知識量の多さを感じることができるとは思わなかった。
こんな風にクイズを解いてたら普通にカッコいいし、見応えもある。
ますます楽しみになってきた僕とは対照的に、緋村の顔は俯いたままなんとなく曇っていたというか。
「昔読んだクイズの本に書いてあったの。それを思い出しただけよ」
一見照れ隠しで声が小さくなった風にも聞こえたのだけど、廃病院での緋村を見ていた僕には少し違って見えた。
あの時、幻聴に飲み込まれそうになった時と同じような寂し気な表情が一瞬だけ現れて、すぐにいつものクールな顔に隠れた。
「でもすごいじゃないか、緋村。僕、文化祭が楽しみになってきたよ」
かと言って特別なことは言えず、素直な言葉を投げかける。
こういう時に口下手な自分が嫌になる。
僕の声は同じように、がやがやと緋村を褒めたたえる絵裡や翔、翠谷の声に紛れてはっきりと耳に届かなかったかもしれない。
「……ありがとう」
それでも、はっと口を開けて、僕の眼を真っすぐに見て出たその言葉を、僕は自分に向けられたものとして受け止めることにした。