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ルサルカ~夢幻の城~  作者: 黒崎蓮&柊夕徒
Route:Navy
36/36

【エピローグ Route:Navy】:明日の夢の話をしよう

「これからは、僕は僕の朝を往く。だから、おやすみ」


 長年連れ添った相棒は、最後にそんな事を言って私達に別れを告げた。

 人目に触れないような辺境の川に私達を放り、彼は去っていった。


 最初、私達にとってそれは大した問題ではなかった。

 夢の世界を堪能する人々に至上の幸福を与える。その存在意義を全うするのに忙しかったから。

 でも、時間が経つにつれて一人、また一人と私達は消えていく。

 意識の限界を超えた夢の住人が輪廻へと戻るたび、必要のなくなった私がまた一人消えていく。

 私に夢を見る人間が、消えていく。

 そうして、私達は私だけになった。


 みんな、私だけを置いて、行ってしまった。

 どこに行ってしまったんだろう。

 幸せにしていただけ。ここにいた人間は皆、笑顔で消えていった。

 今、私はどんな顔をしている?

 教えてくれる人も、誰もいない。


 冷たい。静かで、光が揺らいでいる。

 暗い。口をひらく度、言葉は泡になって消える。

 私は何処にも行けない。流れる川が、私の足を掴んで離さない。

 きっとこのまま、私が私ですらなくなった時、きっと私は消える。


 怖い。寒くもないのに身体が震える。両腕で身体を抱きしめても止まらない。温かくもならない。

 夢の世界とは正反対な、冷たくて、息苦しくて、何処にもいけない場所。それが此処。


 誰か。


 大きく光がゆらぐ。沢山の泡の群れが、目の前に飛び込んでくる。


「助け……」


 その群れに飛び込み、抱きしめ、その手にナイフを握り込ませてそのまま。

 胸に、突き立てる。


「私を、ひとりにしないで」


*****


 —— ひとりにしないで。


 頭の奥底から聞こえた声に、瞼をゆっくりと開ける。

 白い空間にぽつりと、白い髪の少女が立っていた。

 溶けるように静かに佇みながら、その目はこちらを向いている。

 背後に絵裡はいない。先に帰ったのだと、なぜか理解した。

 今は僕と目の前の少女、二人だけの空間であると、当然のことのように認識している。まるで夢の中で、夢に気づけない時のような感覚と一緒だ。

 彼女——ルサルカの顔は愁いを帯びているような、それでいてどこか満足しているような、複雑な表情をしていた。


「三回だよ。君を夢に三回取り込もうとして、全部失敗した。私も、もう廃業だね」


 ため息交じりに口から漏れた声は、もはや絵裡のものではない。

 どこか中性的なこの声こそが本来のルサルカのものなのかもしれない。


「僕ほど流されやすい人間はいないだろうに」


 僕の声にもすでに緊張や恐怖は無い。慣れたのか麻痺したのか。

 その変に冷静になっている頭で、僕は記憶を掘り起こそうとする。

 三回。

 夢の中にいた時の記憶は曖昧だけど、この夢に入る直前の記憶はだいぶはっきり思い出してきた。

 確かにあの時の僕であれば、こんな夢の世界はまさに理想だったはずだ。断る理由も無い。

 ポストに入れられた手紙。探検部の集まり。探検先を決める最中、森の中で見つけた湖に浮かぶ様に建っていた城。思い返せば、あれは水鳴祭の直前だから十月ごろの話になる。

 夏真っただ中にいる気分の今の僕からは時間軸がズレ過ぎていて、現実に戻るのが怖いくらいだ。

 起きたらいったいどれだけのことを覚えていて、どれだけのことを忘れているのだろう。


「基本的には全部忘れる。だけど、どうかな。さすがに三回分も私の世界に入り浸っていれば、起きても何か残るものはあるのかもしれない。そんな人はいなかったけど。だいたいは全部忘れて現実へ戻るか、夢の世界で幸せに暮らして死ぬかの二択だから」


 僕の心の内を読んだのだろうか、訊いてもいないのに帰った後の記憶に関して補足をする。怪異のくせにアフターケアもしっかりしていると、変に律儀すぎるくらいだ。


「力に対する制約と、まぁ私の性格によるものだよ。私の中にいた藍沢絵裡は最初から君だけを狙っていた。他の人はどうであれ、君をこの世界に招待できなかった時点で私の負け。最後の望みだったのに、いよいよおしまいか」

「終わったのなら、どうして僕だけ残したんだよ。ここで説得されても心変わりなんかしないからな」


 毎回心を読まれるのも癪なので、自分から口を挟む。

 ルサルカは辟易したように首を振って、それから懐に手を入れて、何かを取り出す。

 もはや剥き出しになった淡い、青い刀身。


「これが私の、本当の身体と呼ぶべきもの。もともと残り少なかった私の力だけど、今回でさすがに限界。最後にこの身体に、私を眠らせてくれる人が必要なのさ」


 カラン、と乾いた音を立ててナイフが落ちて僕の足元まで滑り込んでくる。

 何をさせようとしているのか察しがついて、少女の顔を真っ直ぐ見やる。


「変わるとは言ったけど、人殺しになるつもりはないよ」

「私は人じゃないよ」

「そう、だけど」

「じゃあ、ここに残ってくれるのかい?」


 ひとりぼっちにしないで。

 聞こえた声は絵裡のようであり、それでいてルサルカのようにも聞こえた。

 絵裡や僕らを夢に捕らえて喰らおうとした怪異だから、同情する義理は無い。

 彼女のことを何も知らない。僕はこのまま彼女の言葉を独り言として処理して、踵を返したって良い。

 だけど脳裏に映った、彼女の過去と思われる映像はどこか、悲しげに見えてしまった。

 僕らを散々弄んだ怪異でも、見た目は幼い少女。

 これから僕にやらせようとしていることは、少女を一人殺すこと。実際に人が一人死ぬことではないのかもしれないけど、それはできそうにない。正直、度胸が無かった。

 それにほんの少しだけ、同情してしまっている自分もいた。

 考えて、自分でも突拍子の無い考えが驚くほどすぐに頭に浮かんだ。


「じゃあ、’僕’をここに残すよ。変われずに止まったままの僕を。意識を依り代にするっていうのなら、そういうこともできるんじゃないのか?」


 中学までの絵裡の意識を依り代にルサルカが存在しつつ、絵裡自信は記憶を失いながらも同時に存在していられた。

 そうであれば、’変わらないことを望む僕’がなくなることで、僕は現実でこの変わりつつある意識を保ったままでいられるかもしれない。ルサルカも、消滅せずに済むかもしれない。

 僕の意識に悪い影響が出る可能性はある。また性懲りもなく大切なことを忘れてしまうことだって考えられる。

 けれどそれは、絵裡の隣にいることで思い出せるようになる。人任せだけど、そうやって一緒に補い合いながら歩いて行けるかもしれないと、この夢の中で思えた。


「こんな意識で良ければくれてやる。だから僕は、きみを殺さない」


 ぽかんと口を開いた後、少女は笑った。

 快活な、今まで聞いたことのない混じり気の無い笑い声が、空間に響き渡る。


「くくっ、現金なやつというかなんというか。……変わらない、不変の、停滞した意識、か。確かにそれは夢の怪異である私にふさわしい、最後の拠り所なのかもしれないね」


 言って、少女は僕にナイフを渡す。

 青い刀身は透き通っていて、僕の顔を映し出していた。普段、鏡で自分の顔をまじまじと見つめたりはしないけど、いつもより少しだけ凛々しく見える気がした。

 この顔を、現実へ戻ってからも続けられると良いのだけど。


「夢から覚めることを強く念じて。同時に、その決意も。そうすればきみの古い意識は勝手に剝がれて、この世界に残る」


 目を瞑る。言われた通り、僕は現実へ帰ることを想像する。

 記憶を辿る。

 夢を見せよう。決して覚めぬ夢を。

 文化祭のたこ焼きづくりを抜け出して、森を自転車で走って抜けた、荘厳な城の中。

 ナイフを自分の胸に突き刺す直前、そんな声が聞こえたのだっけ。

 だけど覚めない夢は無い。いつかは起きて、地に足を付けた現実へ戻って歩み続けなければならない。

 止まって、思い出に浸ってただ静かに死を待つこともできる。眠っているように生きて、終わることもできる。

 だけどこの夢で見た可能性を、目を開けたまま見て、そして笑いたい。

 そのためにはやっぱり進まなくてはならない。変わらなければならない。


「いってらっしゃい」


 ルサルカの声とともに、身体の中心から何かが抜けるような感覚があった。酔うような、少し不快な感覚に薄目を開けると、少女がイタズラっぽい笑みを浮かべて僕を見ていた。

 そしてその隣には、僕がいた。

 少女とは対照的に、ぼーっと、つまらなそうに僕を見つめている。


「しばらくはこの天野志郎くんと一緒に、無限の城で踊っていようかな。変わらず、永遠に楽しい夢の舞踏会でも開いてやろう」


 言って、彼女は天野志郎の手を掴んで踵を返す。

 そのまま行ってしまうのかと思ったら、何かを思い出したかのように立ち止まって、また振り返った。


「でも忘れないで。夢を見終わったら、次こそはきみを喰らいに行く。だから心して待っていることだ。少しでも隙を見せたら、私はきみの夢の中へ行くからね」


 それはごもっともな忠告だった。

 いきなり変わるのは難しい。この意識を保っていられずに、やっぱり嫌だと駄々をこねる日があるかもしれない。

 隙に付け込まれるときが来るかもしれない。

 その時こそきっと、ルサルカの隣にいるのが’僕’になるのだろう。


「そうならないように、頑張るよ」


 今はもうそれしか言えない。

 未来のことは誰にも分からない。だからこそ目を開けて、進んで、その先で人に出会って、何かを体験して、気づいて知り続ける。そうして変わり続けることが、現実で生きることなのだ。

 そんな大層な結論は、胸の中に、最初からあったかのように静かに置かれていた。

 白い空間が、さらに白く光った気がした。

 視界が霞んでいく中で、何か確信めいたものを掴んだような感覚。

 それもすぐに、ぼやけていく少女の背中とともに薄く、不確かなものになっていく。

 視界が渦を巻いて、その姿も完全に霧散する。

 代わりに、学校、裏山、商店街、自分の家、どこか木々や湖の映像が目の前をものすごい勢いで通り過ぎて行って、聞き取れない言葉や音たちが耳をかすめていく。

 それが子守歌のように、僕の頭の中を埋め尽くしていった。


「……」


 眠気が脳内を、身体を支配していた。

 夢から覚める前兆なのだとなぜか理解した。

 心は穏やかに、でも今すぐにでも起き上がって走り出したそうな、相反する状態だった。

 映像が止んで視界が白に、それから黒に変わる。


 ——おはよう。


 一瞬だけぶつりと、意識が途切れたような感覚。

 次の瞬間には、誰かの声が、耳にはっきりと届いた。

 ゆっくりと瞼を開ける。

 視界には鞘に収まったナイフを握った僕の手が映っていた。はっきりとその革の材質を感じられて、ここが現実なのだと理解する。

 そのまま視界に映るものを認識すると、ここが城の一室なのだということを思い出した。そうだ、僕は探検部のみんなで謎の城を見つけて、今まさに探索の途中だったのだっけ。

 僕は顔を、声のした方へ向ける。どうやら扉の向こうから声をかけたみたいだ。


「おはよう」


 長い眠りから目覚めた直後みたいな、ガラガラ声が部屋に響いた。

 扉の向こうで声の主は笑って、また言葉を返した。


「良い夢見れた?」


 良い夢だったかどうかは分からない。もしかしたら悪夢だったかもしれない。

 ただどちらにせよ、今の僕は清々しい気持ちでいた。この気持ちを忘れないうちに、覚えている言葉や感覚を誰かに伝えたかった。

 僕は立ち上がって、ドアノブに手をかける。

 今すぐにも外に出て、扉の向こうにいる相手に話をするために。

 広がっているであろう世界を、ただひたすらに走りたい。そんな出所の分からない希望を満たすために。


*****


 吸い込まれるような青空には雲一つなく、照り付ける太陽の光を遮るのは気休め程度に今被っているキャップだけ。

 熱は貫通して、頭皮を通り越して脳まで焼きそうな勢いだ。

 そんな中で僕はぼんやりと、空と、眼前に映る山々を見つめていた。

 まるで蜃気楼のようだけど、実際にそこにある。

 実際に近くに行けば、山肌とか坂道、木々の一本一本がはっきり見えて、より現実に存在していることが分かるのだろう。

 でも今ここで見る限りは絵画と変わらない。風景画を眺めるのと同じ。

 きっと一番大きいのが、明日登る予定の金糸山だろう。今日は近くのキャンプ場でバーベキューだけをしに来ているから気が楽だけど、あれに登るとなると相当気を引き締めないといけない。


「気を引き締める、か。緩めるための最後の機会だってことで、みんなで来たはずなんだけど」


 高校最後の夏休み。みんなで山登りをしようだなんて言ったのは翔だったか。

 ゲン担ぎとか言っていたけど、果たして山に登ることが縁起の良いことかどうかは僕の知識では判断できない。

 受験前にぱーっとバーベキューでもして、楽しもうという素直な提案に乗った。

 高校生だけでは危ないということで、本当にいろいろな紆余曲折あってマサさん——絵裡のお父さんが保護者として付いてくることになった以外は、探検部のメンバー全員での参加。

 僕、絵裡、翔、翠谷、そして最近加入した緋村を加えて、今はせっせと食材の準備とか、キャンプの設営とか、サボりとか、割り振られた仕事をしているところだった。


「お、サボり発見。こんなところにいたら溶けちゃうよ」


 背後から声が聞こえて、振り返る。

 さっきまで見ていた景色と同じような空色と、煌めくような海の色を身に纏った絵裡が、穏やかな笑みを浮かべて立っていた。

 中学生の頃、夏祭りの射的で買ってあげた青い水晶のキーホルダー。そしてつい最近、これもまたいろいろ紆余曲折あって買ってあげることになった青色のワンピース。

 夏空の下、それこそ同じ色で溶けてしまいそうな格好だったけど、その明るい髪色が存在感を確かなものにして、藍沢絵裡がそこにいることを示していた。

 ただそれだけのことだったけどなぜか安心感が胸に込み上げてきて、長く息を吐く。後を追うように腹の虫も鳴いた。


「お腹が空いて動けなくて」

「あー、そういえば朝ご飯食べてないって言ってたね」


 今日は寝坊した結果、ご飯を食べる時間もないまま藍沢家の車で揺られてここまで来ていた。いつもは寝坊なんてしないから、みんなからは口々に珍しいと言われたものだった。


「そうだ、そんな志郎ちゃんにちょうど良いものがあるんだよね。ちょっと待ってて!」


 絵裡は何か思いついたように言うと、元来た道を駆けだしていった。

 もう準備ができて肉でも焼いているのだろうか。だとしたら本当に腹を空かせてサボるだけの奴になってしまって本気で申し訳なくなってしまう。


「どのくらいここにいたんだっけな……」


 ポケットからスマホを取り出して時間を確認する。体感ではほんの数分ぼーっとしていただけだったのだが、三十分くらいは経っていたらしい。

 特に行き先も言わずに離れたから、もしかしたらマサさんにも心配をかけてしまっているかもしれない。


「へい、お待ち!」


 考えているうちに絵裡が全速力で駆けてきた。そこそこ離れた場所にテントを張っていたはずだが、もう戻ってきたらしい。さすがの脚力と感心している間もなく、リュックから半透明の小さなタッパーを取って差し出してきた。


「なんだこれ、肉?」

「まだ焼いてないってば。良いから、開けて見て」


 満面の笑みを浮かべて促す絵裡。その顔はどうもからかっている時のようなイタズラっぽいそれではなく、純粋に僕の反応を楽しみにしているような表情に見えた。

 何だろうか。少しだけ気を引き締めて、僕はタッパーの蓋を開ける。


「おぉ、これは。……うちの卵焼きか?」


 片手大のタッパーにはぎっしりと、卵焼きが奇麗に整列していた。

 色合いや形に見覚えがあって、咄嗟に僕は自分の母親が作る卵焼きを思い浮かべる。得意料理の一つで、藍沢家にも評判が良い。


「ちがーう! 絵裡ちゃんが作ったの!」

「はっはっは、ご冗談を。どう頑張っても絵裡はスクランブルエッグにしかならなかっただろ」

「めちゃくちゃ頑張って練習したんだってば! とにかく食べてみてよ」


 頬を膨らませて訴える絵裡の顔を見ると、どうやら本気のようだ。

 割と何でもできる絵裡の数少ない不得手が料理なわけで。我が家で卵焼きを何度か練習しているところを見たことがあるが、言った通り、ちゃんとした形になったところを目にしたことは無かった。

 ただ今目の前にあるのは、母親が作るものと遜色ない見た目。

 半信半疑。いや二信八疑くらいの割合の気持ちのまま、僕は持ってきてもらった割り箸を割って、掴んでそのまま口に運ぶ。


「……美味い」


 食べ慣れた甘じょっぱさ、弾力のある触感が口の中に広がって思わず素直な感想が漏れる。あまりに味が再現されているからちょっとからかってやろうとも思ったけど、そんな余裕もなかった。


「でしょ? 美悠さんの特別レッスンの賜物よ」

「いつの間にそんなこと……」

「美悠さんの時間があるときに家に来てもらったり、いろいろね。志郎の知らないところで絵裡ちゃんは成長しているのだよ」


 上機嫌に、絵裡は言う。

 感心しながら僕は無意識にもう一個、卵焼きを口に運ぶ。お腹が空いているのもあるのだろうが、噛み締めるたびにどこか懐かしい気持ちと、胸の底から温かくなるような充足感がじわじわと湧き上がってくる。

 知らないところで成長している、か。

 その言葉に少し寂しさを覚えるが、湧き上がり続ける充足感を冷ますようなことはなかった。

 成長している、変わっているという言葉は、そのまま僕にも当てはまるから。


「そっくりそのまま返してやるよ」

「えー、なにそれ? サプライズでも隠してるの?」

「まだ秘密にしておく」


 サプライズというほどでもない。

 やりたいことができた。なんて、そんな改まった話題は、単に言うタイミングが無かったから話していないだけ。

 今年は特に絵裡とは違うクラスになってしまったから尚更、距離が離れてしまったような感覚もないと言えば嘘になる。

 絵裡の知らないところでちょっとした出会いとか経験とか、とにかく僕が将来やりたいかもしれないことが、ぼんやりとだけど見え始めていた。

 綺麗なものを見たい。光を追い続けたい。

 輪郭の無い願望が少しずつ、知見や経験が積もることによって形が解り始める。そんな感覚が、確かにしていた。

 ただ、まだ言葉にするには早いというか。声に出すことで揺らいでしまいかねない、もう少しだけ僕の心の中で大事に育てておきたいものでもあった。


「ふーん。でもいつか教えてくれるんでしょ」


 さも当然のように絵裡は言って、僕の隣に座る。

 口を開きかけたけど、咄嗟に答えられなかった。

 ずっと一緒にいた幼馴染。はしゃいで、励まし合って、時には喧嘩して。隠し事だって少なくとも僕はこれまでしてこなかったつもりだ。

 思い返せば、これが初めての秘密なのかもしれない。

 打ち明けられるようになったとき僕は、絵裡はどんな姿でどんな顔をするのだろう。

 想像すると楽しくなって、口元が自然に上がる。


「なんだよその意味深な笑みは~」

「いやいや、当たり前だろって思ってさ」


 充足感は溢れかえって言葉になり、それを最後に僕らの間に沈黙が訪れる。

 気まずさは無い。ただ幸せだという感情が、曇りなく胸の中にあった。

 遠くから聞こえる蝉の声と、穏やかに凪ぐ風がたまに吹くくらい。それに身体も心も委ねて、二人でぼんやりと空を見上げる。

 今は真っ青なこの空も、夜になると星が綺麗に見えるらしい。

 そういえばこの山に来て流れ星が見たいと、絵裡がいつか言っていなかったっけ。


「夜になったらまたここで、星を見よう」

「あー、良いね。流れ星とか見れたら良いな」


 もしも流れ星が見えたとして、絵裡は何を願うのだろう。

 こいつのことだ。星の流れる間許されるだけ願い事を念じるかもしれない。だけどその中のたった一つでも、僕と同じであると良い。

 

「なぁ絵裡」

「んー?」


 その先の言葉は零れ出るかのようだった。

 空から目を離して、ちょうど僕の方へ向いた絵裡の眼を真っすぐに見つめる。

 いつの日か言えなかった想いを、僕は誤魔化さず、真っすぐに絵裡に伝えた。



fin.


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