写真は何も語らない
午後の授業が終わると、昼に言っていた通りボク達三人は天野先輩の家に向かった。
正直こんな形でもお邪魔できる日が来るとは思ってもみなかった。
まあ、贅沢を言えば藍沢先輩には遠慮して欲しかったが、話の流れだったので仕方がない。
「ただいまー」
「おかえりー」
「お邪魔し……え?」
藍沢先輩がすかさずボケているのに反応してしまう。
最近はこの二人の距離感をより間近でみる事が多い分、いちいち反応してもキリがない。そこに関してだけ言えば、ここのところは悪夢のような日々だ。
「我が家みたいなもんだからね。一軒隣にあることくらいしか違いがないし」
「そういえば高校入るちょっと前くらいかな? からずっと言ってるなそれ。お茶でいいか?」
ボケじゃなく習慣だったのか……。
それにしても先輩が高校に入る前、か。少し苦い思い出が頭をよぎる。
「あ、お構いなく」
「ねえ、お構いなくってどういう意味なの翠谷ちゃん?」
「やっぱり知らなかったか。まあいいや、お茶持ってくるから座ってて」
「あ、私がやるからいいよ。志郎こそ座っててー」
予想していたやりとりが、そのまま目の前で行われる。
あまり見ていたくなかったので、何か話題になりそうなものはないかと部屋を見回す。
「お、立派なアルバム発見。どれどれ……」
「ごめん絵裡頼んだ。翠谷は待て、だ。ステイステイ」
目につくところに志郎と書かれた綺麗な装丁のアルバムを見つける。
思いの外良い収穫物だ。先輩の過去話を聞けるいいきっかけになるかもしれない。
「おおー、このちっちゃいのが先輩ですか。可愛らしいですねぇ食べちゃいたいくらい」
「ステーイ」
「こっちはもしや、藍沢先輩ですか?」
……これも少しは予想していた。先輩ともうひとり、同い年くらいの女の子と手を繋いで仲良さそうに笑っている写真。すごく、嬉しそうだ。
「ん? ああ、そうだね。ウチとは付き合い長いからねぇ。半分くらいは絵裡と一緒に写ってるかも」
「ふーん。あ、中学校の写真。こっちは卒業式のか……」
話題を変えようとパラパラとページをめくる。見覚えのある所で思わず止まったが、これは……。
中学校の看板と、傍に二人の先輩。暗い雨の中、天野先輩の傘に二人で入っていて、良い笑顔で写っている。
「だねぇ。あの日は雨が急に降ってきたからちょっと濡れちゃってるけどね。……そういえば、翠谷もあの後大丈夫だったか?」
「大丈夫でしたよ」
大丈夫ではなかったけど。
「そ、そうか」
時折先輩の言葉を聞きながら、またパラパラとページをめくる。笑顔、笑顔、藍沢先輩、笑顔、藍沢先輩……きっと、天野先輩の宝物なんだろう。隣から覗き込んでいる先輩の表情もずっと笑顔だ。
ふと、他とは雰囲気の違う写真があってめくる手を止める。
これなら、少し別の話題を引き出せるかも知れない。
「へー、こっちは綺麗な川の写真ですねぇ。これは珍しく誰も写ってないんですね」
写真には河原と川が半々くらいに写っている。バーベキューの下見の写真でも撮ったのだろうか。
「え、どれどれ……ほんとだ、ただの綺麗な川の写真が入ってる。おかしいな、家族写真のアルバムのはずなんだけど。……なんだこれ」
さっきまでとは違い、少し怪訝な表情になる先輩。
空気の変化に、とっさに冗談が口から出る。
「或いは生命の源は母なる海、そしてそれに連なる川と、大きな意味で言ったら家族といっても過言ではありませんね」
「過言だよ。……うーん、おかしいな。このアルバムは風景とかじゃなくて家族写真しか入れてなかった気がするけど。絵裡、何か覚えて」
天野先輩の言葉は、ガラスの割れる音で遮られた。
藍沢先輩がそばまで持ってきてくれていたコップを落としてしまった。急に話題を振られてびっくりしたのだろうか。
「あっととご、ごめん」
「おおっと、翠谷、何か拭くものもって……えっと、あっちの引き出しに入ってるタオルでいいや、お願い。絵裡はこっちで座ってな」
「はーい。これが天野邸に流れる川、天の川ってやつですか」
間を開けず、天野先輩が手際よく指示をだす。
言われた通りタオルを取りに行きながら、普段通り軽口を叩いてみる。
「ごめん、ごめんね、私のせいで」
「翠谷、今のはよくない」
「あ……ご、ごめんなさい」
一瞬遅れてから、天野先輩に嗜められたのだと気づく。
今まで聞いたことのないくらい暗く、重い声。
雰囲気を軽くしようと言った冗談だったのだけど、今の状況では流石に良くなかったのかもしれない。
散らばったガラスの破片と、水浸しになった床。
藍沢先輩は呆然と立ち尽くして、吸い込まれるように一点を見つめている。その目線の先は、さっきまでボクたちが見ていた川の写真。
本当に意味のない、くだらない冗談のつもりだった。
でも言葉の意味以上に、何かとんでも無いことを口走ってしまったかのような感覚が、冷や汗になって全身を襲う。
「あと、絵裡の前でこの写真の話はよそう。僕もなんだか気分が悪くなってきた」
先輩の声がさらに低くなる。
怒っているんだ。怒っている先輩は初めて見たかもしれない。
いや、ボクだ。ボクが先輩を怒らせてしまったんだ。
「あ……ごめんなさい。すみませんでした……っ」
謝ることもままならない。咄嗟に拾うのを手伝おうとして、散らばる破片に手をつけて切ってしまった。
「翠谷!破片は僕が拾うって…指切ったろ? 見せてみな」
先輩の大声に身体がすくむ。
なんでこうなった? 誰のせいだ?
先輩の手が伸びてくる。
怖い、嫌だ、怖い、怖い、怖い。
この場所に居たくない。嫌われたくない。
「ごめんなさい、失礼します!」
荷物を掴み、玄関に向かって駆け出す。
「え? おい翠谷っ…行っちゃったか。大丈夫かなアイツ……絵裡も大丈夫か?」
先輩の声が追いかけてくるが、振り返れない。
外に出て、そのまま自分の家へと逃げるように走っていく。
せっかくのチャンスだったはずなのに、先輩の事をもっとよく知れたかもしれないのに、ふいにしてしまった。
むしろ、ボクのせいで、先輩を怒らせてしまった。嫌われているかも知れない。
完全に裏目にでてしまった。
ただ、距離を縮めたかっただけなのに。
あのアルバムには、笑っている先輩しかいなかったのに。
藍沢先輩の隣では、ずっと笑っているのに。
なんでボクばっかり、こうなるんだろうか。
やっぱりこの世界にも、ボクの居場所はないのかな。
*****
昨日は妙な一日だった。絵裡も翠谷も、いつもとは違う雰囲気が流れた。
コップ一個割って慌てるのは、この歳にもなればそう大した出来事でもない。
しかし、結果として、絵裡はそれから要領を得ない返事しかしなくなり、翠谷に至ってはすぐ帰ってしまった。
二人とも、コップひとつで、とは少し考えにくい反応の仕方だった。
妙、といえば僕もそうだ。あの写真だ。気になって頭から離れない癖に、何も思い出せる気配がない。
見た感じ、翠谷の言うようなバーベキューでもしてそうな構図だった、
河原の写真。
誰も写っていない、僕のアルバムに挟まれた空白。
バーベキューといえば、昔はほぼ毎年藍沢家と一緒に夏にやっていた。
ずっとやっていたのに、いつの間にかやらなくなっていた。何か理由があっただろうか。
バーベキューをやっている最中に喧嘩したとか、怪我したとか、そんな記憶もない。
覚えていないという事は、案外どうでもいい事なのかもしれない。
でも今になって、こんなに気にしているのは何故だろう。
矛盾している。
これも、この世界に来た影響なのだろうか。
そんな事を考えていると、いつもより少しだけ遅い時間に絵裡がやってきた。
「おはよう、絵裡」
「おいっすー志郎。昨日はごめんね! コップも割っちゃって。あんな手が滑ったのいつぶりだろーって感じだったよ」
「いいさ。絵裡には怪我がなかったみたいで。それにあのコップもだいぶ古い奴だったからさ」
言いながら、あの時の絵裡の表情を思い出す。コップを落とす時、きっと普通ならしまった、というような表情だったり、目をつぶっていたりするものだろう。しかし、そういうふうには見えなかった。
あの時の絵裡は無表情だった。少なくともコップに意識は向いていないように見えた。もっと遠くのどこかを見るような、何にもピントがあっていないような。
でも、その事についてわざわざ絵裡に尋ねるのは憚られた。僕自身あまり気乗りしないし、あの写真の事を思い出すだけで、落ち着かない気分になる。
あの後、絵裡も少し様子がおかしくなってしまってすぐに帰ってしまった分、今日は元気なようで安心した。
僕が知っている絵裡だ。
「私も見たことある柄のやつだったから尚更ショックでさ~……。翠谷ちゃんも大丈夫だったかな。気づいたらいなくなっててビックリしちゃったよ」
「僕も驚いたよ。ドア開けたらいなくなってて。そんなに怒ったつもりなかったんだけど、怖がらせたかな」
自分も写真や絵裡の事で混乱しているうちに、急に帰ってしまった後輩の事を思い出す。あまり余裕がなかったから、少し申し訳ない事をしてしまったのかもしれない。
「かなー? 翠谷ちゃん見かけたら声かけてあげた方が良いかもね」
「だな、そうする」
「ところで志郎くん、昨日の”サンなん”は観たかね?」
「切り替え早いなお前は。観た観た。お前の推しが大活躍だったな」
”サンなん”は”サンドマンがなんかやる”というタイトルのバラエティ番組。
サンドマンという名前の絵裡が推してるアイドルグループが、クイズや企画、アトラクションなどに挑戦する番組で、最近はその話を結構持ち掛けてくるから、僕も釣られて観てしまっている。
「タクヤ君の珍解答! 天然じゃなきゃあんな答え出せないよね~! 本当可愛い」
「確かにあれは笑ったな。周りのメンバーみんな答え分かってたのにタクヤだけ分からなくて、あの解答だもんな」
「それそれ~。あとはリョウくんがさ……」
相変わらず楽しそうなやつだ。
いつも通り元気な絵裡の声を聴きながら、僕らは二人で学校までの道を歩いたのだった。
昼の時間になっても、今日の後ろの席は空席で、静かだった。
相変わらず元気な隣の絵裡は、弁当箱をカバンから取り出す僕に寄ってくる。
「志郎、もしかして今日のお弁当、卵焼き入ってるんじゃないの?」
「まだ開けてもいないからわかんないだろって。……入ってるな。なんでわかるんだ」
「ふっふっふ。この間は翠谷ちゃんに先を越されて食べそこねたからね。さあ観念して、その卵焼きをよこすのだ!」
「別に卵焼きがある日イコール絵裡にあげる日って訳じゃないんだけどな。たまには僕が二個食べちゃダメか?」
「そしたら泣くことになるよ」
「暴力はんたーい」
「私が」
「やめてくれ」
絵裡の好物は数多く、というかなんでも美味しそうに食べるものの、特にうちの母特製の卵焼きは本当に幸せそうに食べる。小学校の運動会は毎回天野家のシートに乗り込んできていたし、挙げ句中三の時なんかウチの夕飯会で泣きながら食べていたのを妙に覚えている。
卵焼きひとつでそこまで幸せを感じるものなのか、と考えたが、自分も日常に幸せを感じる者として、あまり差はないのかもしれない。
「あの甘さとしょっぱさのバランスは本当に志郎ママ作でしか味わえないのよ。後生だから〜」
「ほら、一個だけだぞ」
「助かる……! この御恩は絵裡ちゃん作の卵焼きで返すから……!」
「お前のはスクランブルエッグにしかならんのだよなぁ」
勉強、運動共に大体なんでもそつなくこなす絵裡だが、料理だけは相性が悪いらしい。昔はよく指を切って泣いてるところに絆創膏を持っていったものだ。最近はその事が若干トラウマにでもなっているのか、そもそもキッチンからは足が遠のいているらしい。最後に怪我を見てやってのはいつだっけ。昨日は怪我がなくてよかった。
いや、昨日は翠谷が怪我をしていたんだった。あいつは大丈夫だろうか。
「ところで絵裡、翠谷を見かけなかったか?」
「翠谷ちゃん? あー、そういえば見かけてないかも。朝からずっといなかったはずだよ」
「そうだよな。昨日のコップの破片で切り所が悪かった、なんてこと無いと良いんだけど」
「確率低いかもだけどあったら嫌だな~。傷口からばい菌が入って……ひィ~! 想像しただけで痛い!痛い!」
「うわーやめろやめろ。痛い話は嫌いなんだよ」
やや食欲が減退するような話をしながら昼食を口に運んでいく。
結局、これ以上この日の昼食がにぎやかになることはなかった。
*****
昼食を食べ終え教室を出て廊下を歩いていると、小さな背中を見つけてふと足がとまる。
ちょうど廊下の突き当りの、普段は使われていない教室から出ていく所だった。
あの教室でこの時期なら、また文化祭の準備に勤しんでいたのだろうか。
なるべく昨日の事は気にしていないように、フラットに話しかけるよう心がける。
「よー翠谷。今日は授業サボりか?」
「っ……せ、先輩」
翠谷が振り返りながら、身体が一瞬飛び上がるようなオーバーリアクションをする。またびっくりさせてしまったのだろうか。
「……昨日はすみませんでした。何か御用ですか……?」
普段のように軽口も飛んでこなければ、必要最低限の返事だけぎこちなくしてくる。
まるで別人のような様子の翠谷にこちらも出鼻をくじかれ、少し言葉に詰まる。
「いいって別に。ああ、特に用があるわけじゃなかったんだけど」
とっさに、さっき翠谷が出てきた教室のほうを見ながら、話題を振ってみる。
「何か文化祭の準備でもしてたのか? 翠谷の場合どこのクラスのになるんだ? もともとは……確かお化け屋敷だったか?」
「いえ、あの、個人的な準備というか。その、気にしなくていいですから。じゃ、じゃあボクはこれで、失礼します」
「あ、おい翠谷」
こちらも見ずに離れていこうとする翠谷を呼び止めながらとっさに左手の手首を掴む。
昨日の切った所だろうか、左手の人差し指に絆創膏が巻かれている。そのまま目の前に持ってきて問いかける。
「これは昨日のやつか? 大丈夫だったか? 消毒はちゃんとしたか?」
普段の翠谷がするような、矢継ぎ早な物言いになってしまう。
翠谷の調子が狂っているせいか、こっちまで少しおかしくなっているのを自覚する。
「だ、大丈夫ですから」
「そ、そうか……痛くなかったか?」
「大丈夫です……もう、いいですか?」
「あ、ああごめん。心配だったから、つい……ごめん」
あの普段だったら口のまわる後輩が、今日は口を縫い付けられたように、或いは何かに怯えるようにぼそぼそとしゃべっている。それだけで、こうも会話が続かなくなるものなのか。
「いいえ、悪いのはボクですから……では」
かろうじてそれだけ言い、今にも抱えている本をとりこぼしそうになりながらふらふらと去っていく背中を、今度は見送る事しかできなかった。
昨日の件をそこまで気に病んでいたのだろうか。自分の中では軽く一言たしなめただけだったつもりだが、想像以上に重く受け止めてしまっているのかもしれない。
昨日の一件が絡んでるし、絵裡の手は借りられないだろう。あの写真に少しでも関わっているようなことは、なるべく速やかに片付けたい。そんな気がする。
さて、どうしようか。




