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おまけ前編

藤本裕谷ふじもとゆうや。あだ名谷谷。ゲシュタルト谷崩壊。


そんな良い感じに貶められる男である。中肉中背、成績は下へ向かって真ん中から数えた方が早く、運動は真ん中から上へ向かって数えた方が早いくらい。本気で本当に普通な男。


これだけは負けない、というものはなく。何かが苦手だ、ということもない。


ゲームの主人公ってこんな感じではないだろうか?


都合の良い格好をつけた言い方をすればオールマイティで、皆の足も引っ張らずにそれなりに出来る。残念な話をすれば、僕裕谷は主人公のように特別な何かがないため、万年脇キャラなのだが。


こんな居ても居なくても変わらない僕の人生を変えるイベントはないだろうか。脇から一気にスポットライトを浴びる存在に変わる何かはないだろうか?


答えはあるわけない。


そう思っていた裕谷の人生は5分前に終わった。


「あれ? えと、藤…………どっちかな? ごめんなさい! 悪気があって忘れたわけじゃないの、友達がね、よく藤宮君の話をしてるんだけど、君と彼がどっちがどっちか分からないんだ。気を悪く…………するよね、当たり前だよねごめんなさい………」


言葉の大津波。のまれて何も言えなくなりそうだったが、ぺこぺこと頭を何度も下げて、その小さな頭が取れてしまうんじゃないか、という心配をしながら裕谷はなんとか切り返す。


「ああ、宗の事ですね。でも、僕よりはあいつ目立つでしょ? 目立たないほうが藤本、目立つのが藤宮って覚えて下さい」


言ってて悲しくなるが事実。


裕谷には昔からの付き合いで、色気のない幼馴染みの藤宮宗二という親友がいる。体を鍛えるだけが趣味のような男で、夢はアマゾンの奥地で不老不死の薬を見付ける事、なんてほざく馬鹿だ。正真正銘の。


「うーん、たしかに彼は目立つけど。私は藤本君も中々に特徴あると思うよ。あっ、さっきまで忘れた私が言うことじゃないかな」


彼女は笑うと凄い可愛い。素直にそんな感想しか出て来ない。


放課後の図書室、二人きりの図書室で憧れて憧れてやまない女性と二人きり、大事な事だから三度言う二人きり。そんなイベントは、この目立たない僕には奇跡で、一発人生大逆転のイベントだ。


「――――君?」


「あっ、ごめんなさい、ついボーッとしちゃって」


何と言う失態だ。こんなに幸せなイベントなのに話を聞いてないなんて、彼女は退屈してないだろうか。いや、「もうこんな目立たないカスの相手やだなぁ、早く帰ってくんないかな?」とか思われてないだろうか?不安で潰れてしまいそうだ。


「ふふっ、藤本君って意外に面白いんだね。同じクラスなのにあんまり話した事ないんだもん。ねぇ、私と友達になってくれないかな?」


何と言う日だ。これは夢か、夢なら納得して、へこんで、また明日へ行こうとするんだが、この出された小さな手の平は本物だ。裕谷は深い感動に身を震わせていた。


この手を取っていいのだろうか?これを取れば、彼女の友人となり、今日から僕は脇キャラ脱を果たすだろう。しかし、こんなに細くて綺麗な手に触っていいのだろうか?汚れないだろうか?アルコールで殺菌したり、煮沸消毒したり、行程を済ませずに触っていいのか?


「あっ、やっぱり、話した事もあるのにどっちか分からなくなるような失礼な私じゃ駄目だよね? 本当にごめんね。友達になれなくても、もう二度と忘れないから大丈夫…………って何が大丈夫なんだろ、あはは」


そう言って引っ込めようとした手を裕谷は素早く取った。細くて、冬だからか冷え切っている。気付いたら両手でその右手を挟んで温めようとしている変態行動を取る自分がいた。だが、この手を離す事が出来ない。


「あっ―――」


振り払うような感じで手が引っ込められた。流石にやり過ぎた、とまたも死に切れないくらいの後悔をしている裕谷。


「あの! 違うの! 嫌だったとかじゃなくてね。その、急に両手だったから恥ずかしくて、思ったより男の人の手が逞しくて…………だから、そのごめんね。こんな手で良かったら、いくらでも握っていいから」


裕谷の崩壊気味の精神は一周回って少し正常になってきたらしい。これ以上は反射的に変態行動することはなかった。


「その、僕もごめん。調子に乗りすぎた。だから、よろしく」


右手でその手を優しく握った。


「えへ、じゃあ友達だね」


そう言ってはにかんだ彼女は、今まで見てきたものの中で一番愛らしかった。


それが藤本裕谷と真中奈穂の大事な思い出の始まり。









真中奈穂、肩までかかる栗色の髪が特徴の女の子。皆は可愛い顔だと言うが、裕谷にとってそれは邪道。やっぱり女性は髪。


成績は上の方、運動神経も良い、故に先生からの信頼も厚く、気さくな性格は誰からも好かれいつも輪の中心、真逆である裕谷が惹かれるのは当然だった。


話す事もありえないのに、友達になれるだなんて、本当人生解らないものだな。



「んでよお前はいつまで付き纏うんだよ!?」


「え~、宗ちゃんが、私を恋人にしてくれるまでに決まってんじゃん」


藤宮宗二、裕谷の幼馴染みであり親友、そして相棒のような間柄だ。またこの男馬鹿であり、

中学まで成績の良かったら裕谷と宗二はなんの因果か、学力の高い高校を受けて受かってしまい、今では馬鹿野郎達ということでセットで少し浮いている。


また藤宮宗二の問題は言っていたらきりがないが、一つだけ言わせてもらいたいのがその容姿である。体を鍛えるのだけが趣味のこの馬鹿野郎は、体つきが良くなり過ぎて、気付いたら柄の悪い方に絡まれている。ただ、ガタイが良いだけでは絡まれない、目元や、髪型、なんか全てがマイナスになってそういう方に絡まれるんだろう。


お利口さんだらけの学校だと、それが余計に目立ってしまう。それに付き合って一緒に絡まれたりした日はもう泣きたくなるくらい最悪だ。


「んで! いつまで僕の後ろでいちゃいちゃしてんのかな!?」


いい加減我慢の限界だった。


新倉早苗。宗二と新倉の親は、親だけに親友らしく、裕谷とは全く繋がりはなかったが、宗二と付き合っていれば嫌でも新倉の行動理念が分かる。分かりやすい行動理念、


「宗ちゃん大好きだよ。だから結婚しよう」


愛、解りやすくて奥深い行動理念だ、と思う。色恋を理解してない裕谷が言えた事ではないので、そこに関しては全く突っ込みをいれる気はないのだが、なんで態態恋人のいない裕谷の後ろでいちゃつくのだろうかと問いたい。


「いや、俺はお前と遊びに行きたくてな」


「私はそれについていってるだけ~」


「僕は宗と遊んでる暇はない! だからどっか行って勝手にいちゃつけ!」


いや、なんで宗は本気で落ち込んだ顔をしてんだよ。お前の遊びって、ただの筋トレじゃん。公園の木で懸垂したりするだけじゃん。インドア派の僕にそんな事出来るわけないだろ。


「じゃあ今回はダブルデートにしよう!」


何か変な電波を受信したらしい新倉は、意味不明な事を言い出した。そっちは二人としたって、裕谷は一人だ。脳内で彼女作って、それを相手にダブルデートしようってか。そりゃ変人とカップルの怪しい三人組じゃないか、怪しいのは裕谷ただ一人なわけだが。


「またボーッと考え事かな?」


裕谷の体は弾かれたように飛び上がった。妄想の螺旋に入り込んでいて、戻って来たら目の前に女の子の顔があったら誰でも驚くだろう。それが気になっている女性なら尚更だ。


「ま、まま真中しゃん!? いや、真中さん。どうしてここに?」


「ふふっ、本当に藤本君は面白いねぇ。私、真中奈穂が藤本君のダブルデートのお相手です! どうかな? 役不足?」


敬礼して、小首を傾げる真中さんは動物の赤ちゃんの三倍くらい愛らしい、愛くるしい。


「いや、いやいや、嫌味じゃないよね? 役不足なのは僕の方でしょ?」


「じゃあ決まりだね。でも、これだけは言っておくけど君は私が見るにはとても素敵な人だよ」


なんだか、胸が少し軽くなった。


「それじゃあレッツゴー!」


新倉の掛け声と共に遊ぶ場所に困らないだろう駅前に向かう事にした。


「俺は筋トレしたかったんだが…………」


宗は最後までそんな文句を言っていたが、裕谷の足取りは軽くて仕方なかった。今日はきっと重力が大安売りなんだろう、月面を歩いてる気分だった。









「はぁーっ、楽しかったぁ!」


新倉の一言が全てを語る。駅前に到着した僕達はカラオケに行ったりと遊べる限り遊び尽くした。新倉は宗にピッタリくっついて、座る時には必ず隣を陣取る気合いの入り方だった。


僕はそのせいか、いや、その恩恵で真中さんの隣に常時座れた。最近つきが回ってきたのだろうか、絶好調だ。


真中さんも笑ってくれてるし、新倉のダブルデートとやら大成功だ。本当に気分が良い。


「―――藤本君?」


「えっ?」


あれ?また耽っちまってたのか?


「ごめんごめん、またやっちゃったみたい」


「もう。結構大事な事話してたのに」


頬を膨らますのも可愛いな。普通だったら、なにぶりっ子してんだよキモい、となりそうなのに彼女がやると可愛い、なんて不思議な事象だろうか。


「あれ? 宗や新倉は?」


「帰りましたよ。誰かがどこかへ旅立ってる間にね」


「あれ? それで真中さんはこっちの方なの?」


あれ?


三度目の「あれ?」裕谷は今自分の位置を確認して、歩いている方向を考えると、家とは逆方向に歩いている事が分かった。そりゃそうだ。宗とは家は隣同士だし、たしか新倉も家は近い。


「もう。さなちゃんが私を送ってあげたらって言ったら、藤本君が『ああ、そうだね』って言ったんじゃない」


今僕の真似したんだろうか。これでもかってくらい似てなかったぞ。でも愛らしいな。さなちゃんってのは新倉の事だよな。


そろそろまた変態的思考に入りそうだったので、頭を振ってなんとか頭を落ち着かせる。


日が暮れて、街灯の明かりを頼りに道を行く。何と言うか、情緒あるというか、ロマンチックというか、これはきたんじゃないか。


「だから名前!」


「名前?」


途中から聞いていたので思わずおうむ返ししてしまう。それで真中さんは更に頬を膨らました。


いけない、そろそろ真中さんの頬が破裂してしまう。


「なんで藤本君は私のさん付けで、さなちゃんは呼び捨てなのかな? クラスの女の子でも大体呼び捨てじゃない。私だけだよね? なんで? 最近は結構仲良くなってきたと思ったのに」


また返す暇なく言葉の豪雨だ。


「じゃあ真中」


だいぶ気恥ずかしいが、とりあえず要望には応えておこう。


なのだが、真中さんの頬は萎まない。


「な・ま・え!」


「なまえ?」


何と無く彼女の意図は解る。解った。しかし、それは、流石に問題ある。


「奈、穂!」


確かに彼女の口から今一番聞きたくない言葉が聞こえてくるのは時間の問題だったが、それだけはマズイ。


女の子の名前を呼び捨てしたことなんて裕谷にはない、全くない。しかもそれが気になる女の子、有り得ないだろ。


そこで裕谷の中で二つの意見が生まれた。よくある表現をすると天使と悪魔が現れた。でもあれは実は天使と天使が現れるらしい。


少し脱線したが『気になる女の子が名前で呼んでくれって言ってんだろ? これはチャンスだって! このまま畳み掛けちまえ!』『気がなきゃ名前でなんて呼んでと言わない。もう脇役人生には戻れないでしょ? これを足掛かりにじっくり攻めましょう』


あれ?なんか二つ意見を合わせても今やることが一緒じゃないか。


「な、な、奈穂さん」


「えっ? にゃ、にゃんだか恥ずかしいねぇ。藤本君の事だからきっと断られると思ったのに」


「ちょっと、僕だけなんてずるいんじゃないかな?」


「なっ!? 裕、君」


「っ!!!」


凄いな。これは凄い!


名前どころか、ニックネームのように呼ばれてしまった。体中になにか良いものが流れていったような感覚、アルプスの雪解け水のような清涼感、もう最高だ!


奈穂さんなんて耳まで真っ赤だ。きっと僕もそうだろうな。でも、嫌な感じは全くしない、結構良い気分だ。同じ気持ちを共有してるような、きっと共感してる。


「さ、さて! 帰りましょうか!」


気付いたら立ち止まっていた裕谷達、どうやら熱中していたらしい。奈穂さん恥ずかしさを紛らわすようにスタスタと先を行ってしまう。


裕谷はそれを慌てて追いかけた。










「うっそー…………でけー」


「そ、そうかな? やっぱりそうだよね? でも、でもでも私はあんまり好きじゃないんだよ。昔よくお嬢様、なんて周りからよく呼ばれたけど、本当に嫌だったんだから。私は普通で普通なんだもん。でも、お父さんもお母さんにも感謝してるから、そのえとあの」


とりあえず、奈穂さんが最後の方に自分何が言いたいのか解らなくなって絡まった事は解った。後は早口過ぎて何を言ってるかよくわからなかった。


「ふふふ、とりあえず落ち着いて下さいお嬢様」


態とらしく畏まった態度を取る。


「あっ! あーっ! 裕君酷いよ! 私、お嬢様じゃないもん」


そう言ってそっぽを向いてしまう奈穂さん。もう形容できない愛くるしさだ。


「さて、僕はもう行くよ。明日も学校あるし、補導されたくないしさ」


「あっ、うん、ごめんね。送ってもらっちゃって」


「気にしないで、僕は送れてよかったから」


そう言って裕谷は歩き出す。


「また明日学校でねー!」


彼女はいつまでも大きく手を振っていた。










「ただいま……………と」


さっきまでの明るい空気が嘘だったように静まり返った家に着いた。裕谷は特にやることもなく居間のソファーに崩れ落ちた。


幸せだった。奈穂さんと一緒にいれること、奈穂さんの笑顔を思い出しても幸せだ。凄く胸が暖かい。


でも、この家の空虚さを奈穂さんで埋めてる自分が汚く思えた。


このまま、そう、このまま空虚にまみれ、暖かみを覚えた中で眠ってしまおう。


そんな日に僕は夢を見た。見てしまった。


最悪な夢だ、最低な夢だ。


朝起きたら、お母さんが料理とお弁当を作っている。お父さんは新聞を読んで朝食を待っている。僕は、朝食の催促をして、身支度を済ませる。


漫画なんかでよくある朝の風景、実際にだってあってほしい風景、僕がもう二度と見ることのない風景。


そして僕は起きた。冷たい空気を肺が取り込んで無理矢理に頭が覚醒していく。凄く嫌な気分だ。昨日の出来事を反芻してなんとか頭の中のドロドロを掻き出す。


シャワーを浴びて気を取り直す事にした。










「……………えへへ、来ちゃった」



僕は開けた家の扉を閉めた。


そして一拍もう一度開けた。


「ん?」


「どうしてここに?」


自分でも驚く程冷静だった。


「だから、来ちゃった」


「どうしてこの場所が?」


まだまだ冷静だ。クールに、スタイリッシュ(?)に。


「さなちゃんに聞いたのさ。藤宮君の家の隣だっていうから二分の一に、後は表札を見て解答にたどり着いたわけだよ」


「は、はあ………………」


探偵っぽく気取って手振りまで付け加えてる奈穂さん。裕谷はげんなりするしかなかった。


「お、おはよう!」


「あ、宗か。おはよう、なんだか、走った後みたいだな」


宗を見ると慌てた様子で、肩で息をして、制服もいつもより着崩してる感じだ。


それに宗はもっと登校は遅いはずだ。かく言う裕谷も宗と一緒ぐらいに登校するのだが、今日はチャイムを鳴らされて大分早い。


「学校、行くんだろ? 行こうぜ」


おお、宗が学校に行きたがっている!?明日は多分コロニーかなんかが落ちてくるなこりゃ。


「う、うん。じゃあ皆で行こうか」


奈穂さん何だか機嫌が悪そうだな。どうしたんだろうか?ああ、さては宗が苦手なんだな。たしかに見た目だけだとちょっとガラ悪めだし、やっぱりお嬢様にはきついよな。宗は良い奴だし、ここは上手くフォローいれとかないとな。


……………駄目だ。語彙が足りない。とりあえず、後にでもなんとかしとこうかな。


「んじゃあ行こうか」


そして、あんまり仲良くなく三人で登校と相成った。










そんな事があった日の放課後。


裕谷は寒さに身を縮こまらせながら学校からの帰り道のスーパーを目指していた。クリスマスも近いということで商店街は賑わって…………別にクリスマス関係ないか、たしかにクリスマスの装飾はしてあるけど、商店街はいつもの賑わいだろう。クリスマス当日でもない限り変わるわけないか。


道の端っこを人に当たらない様に進む裕谷、ごった返す程人がいるわけじゃないが、また悪い癖でボーッとしかねない。故の端っこ歩きだ。


「きゃっ!」


気をつけてるのにやってしまった。


「あっ、ごめんなさい。大丈夫ですか?」


慌てて手を出す裕谷。また考え事をして横から出てくる人に気づかなかったらしい。


と、言うより、慌てても女の子に手を出せるようになった自分に驚きだ。


いや、違う。女の子に裕谷が手を差し出せるわけがないんだ。目の前で尻餅をついてる女の子が綺麗すぎるからだ。


人形。それが第一印象。長い黒髪、整った顔立ち、本当に整ってる、整い過ぎてるから人形だ。その人形が制服に包まれている。真っ黒なコートを着てるためにあまり制服度は高くないが。


「あら、私も注意不足だったから貴方が謝る必要はないわ」


第二印象というべきか、少し乱れた長髪の黒髪を直し裕谷の手を取って立ち上がった彼女。人形に血が通い、表情を作った時ここまで言葉にならなくなるのだろうか、息ができなくなるのだろうか、目が離せなくなるのだろうか。


「あら? どうしたの? 変なところ打った?」

冷たい細い指が裕谷の頬に触れている。覗き込むような仕種が美しい、美し過ぎる。


「あ、あの! だい、大丈夫ですから!」


逃げた。走って逃げ出した。きっとキャパを超えたんだ。もう限界だったんだ。


その後に裕谷はスーパーに寄って何を作るのか自分でもよく解らない適当な材料を買って、足早に店を出たが。


「二度目は流石に運命かしら?」


またぶつかった、そしてまた手を差し出している。


「ごめんなさい……………」


「うふふ、悪いと思うならそこで紅茶でもご馳走になろうかしら? 少し待ち合わせまで時間があって退屈してるの、どう?」










「アイスティー、なんですね」


「あら、そんなに可笑しいかしら? 私、熱いの嫌いなの、だから大体アイスよ」


そんな言葉を発した小さな唇はストローを含んで、小さな喉が揺れた。


煽情的、でも涼しげで冷ややかで静かなイメージを受ける。きっと彼女がアイスティーを飲んでる姿を見ただけで芸術家は絵を描けて、音楽を作り、小説家はお話を一つ書けるくらいのインスピレーションを手に入れるだろう。


扇情的といえば、彼女の異様に発達した胸部に注目が行ってしまう。華奢な印象を受けるのに、そこだけが異質となっていた。店内に入りコートを脱いだ時に現れたそれは、裕谷が素直に対面するのを拒否しようかと思った程だ。冬場の結構着込む制服の下でもこれだけ自己主張激しいとは――――


話を戻す。なんと言っても戻す。スーパー最寄りのあまり大きくない喫茶店の中が僕の現在地。時間帯からか周りに客は少ない、しかし、この子が先陣をきって店内に入った時店員含め男性の視線は一点に集まった。そんな彼女と一緒に座る謎の優越感に浸りながら、ホットコーヒーを啜る僕。

「なにか? あんまりジロジロ見ないでくれる? 私、そんなにおかしいかしら?」


「いえいえ、その、かなりあなたが綺麗だから、つい」


擬音を出すと、ボンッ、人形さんの顔が真っ赤に染まった。


まさかと思うが照れてるのか、こんな容姿を持ってるんだから絶対にこんな言葉聞き飽きてるだろう。


「あ、あまりそういうのは軽々しく口にするものではないわ。言葉が軽くなってしまうもの」


「そうですか、でもやっぱり言うべき時は言わないと」


「それが今だったってわけ?」


「いえ、今のは、結構自然に。意識しないでも意識してしまう程にあなたが綺麗だなって僕は思ったんだと思います」


あれ?どうして僕はこんなに饒舌なんだ。やっぱり彼女が綺麗過ぎるからか、だからこんなに女の子と意識しないのか。


「意外にナンパ男なのね。もう少し穏やかな男性だと思ったのに」


そう言ってそっぽを向く彼女。


「いや、ナンパなんて一度もしたことありませんよ。女の子と二人で喫茶店なんて初めてだし」


「私も初めて、ついでに男性をナンパしたのも初めて」


頬を染めながら彼女は喋る。そんな彼女への印象のベクトルが少し変わる。


綺麗から可愛いへ。


優雅な仕種が、よく目を凝らして見ると可憐さが見つかる。少しずつ印象が変わる。きっと彼女も僕の印象を見直しながら、距離を考えているのだろう。


「それで、なんでお茶に僕を誘うんですか?」


「あら、さっきも言ったわ。待ち合わせまでの時間潰しよ。後は貴方に良い印象を受けたから、二回もぶつかる運命もね」


彼女は態とらしく微笑を浮かべた。態とらしく、さっきから気付いた事だ。見方を変えてから気付いた。


「そうですか」


「ええ、後敬語は良いわ。貴方とは同い年みたいだしね、留年してなきゃ」


「えっ? なんで歳が解ったみたいな言い方を?」


彼女はトントンと人差し指で首を叩く。


首?


学ランの襟しかないのだが。ああ!それか!


「よく知ってまし…………知ってたね。でも飛び級した可能性とかは………?」


「あら、結構つまらない冗談を言うのね」


我が学校は学ランの襟に長方形のプレートがついてるのだが。色分けがされていて、数は三色、三学年がローテーションで使っていて、二年の裕谷は赤である。


「その制服どっかで見たことある気がするんだよな…………どこだろう?」


「隣の駅の山奥の学校よ。別に気にしなくていいわ」


隣の駅、山奥、キーワード二つで一件が、裕谷検索エンジンに引っ掛かった。


「って! あのお嬢様学校!? 駅からバスで終点までの」


「そうよ。普通は寮に住むような学校。私はそんな監禁みたいなの嫌だから自宅通学だけど」


名前は出て来ないけど由緒がありまくる名門女子校の筈だ。政界やら色んな方面に優秀な人材を出すという話の。


「じゃあ君も結構凄い人?」


「あら、良い学校で皆が皆凄いわけじゃないわ。貴方だってそれなりに学力のある学校でしょ? まぁ、人の良し悪しは勉強が出来る出来ない、運動が出来る出来ないじゃないもの。私は貴方結構いい人だと思ってるわ、私の男性を見る目はたしかなのよ。男性経験ないけど」


なんじゃそりゃ――――


「あら、もうこんな時間。そろそろ行くわ」


右腕についている小さな腕時計を確認して、彼女は上着を着て、身支度を整えだした。


「そっか。退屈は潰せた?」


「ぼちぼちね」


「こりゃ手厳しいな」


「それじゃあ行くわ」


「うん」


「また、ね」


彼女が立って、彼女の綺麗な黒髪が接近してくるのまでは知覚した。そして最後に裕谷が見たのは彼女の豊満な胸部、そして、額に残る柔らかな感触だった。


彼女は跳ねるように店内を後にした。残された裕谷は呆然と額を押さえた。









裕谷は額を押さえながら歩く。家までの帰り道を歩く。


額に残る彼女の感触、彼女の髪から香った匂い、彼女が僕を征服していた。


って!僕は何を考えてるんだよ!?僕には憧れの真中奈穂さんがいるんだぞ。最近モテ期だからって調子に乗りすぎだ、二兎を追う者は一兎をも得ず、だ!


「―――――く、ん?」


「えっ? うわぁっ!」


「どうして………そんなに驚くの?」


あれ?なんだこの違和感?


また思考の螺旋に呑まれているところに奈穂さんに声をかけられた。またやらかしたらしい。


でも、なんだろうか。違和感がある。奈穂さんの口調がいつもと違う、なんだか責められてるような感じだ。どうしてだろうか。


「どうして…………どうして?」



「奈穂さんこそどうしてここに? 奈穂さんの家って反対側だよね?」


周りを見渡すともう夜の帳はおりている。


場所は裕谷の家の近くだ。こんな時間にこんな場所にいたら家に着く頃には結構経ってしまう。


「ねぇ! なんでよ!?」


奈穂さんが掴みかかってきた。右手が襟を掴んで少し呼吸がしにくい、左手は胸を掴んで少し痛い。


「なんで? なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで」


泣いている?


奈穂さんが泣いている。


「あの、奈穂さん? 落ち着いてよ」


「私、私は……………嫌………嫌だよ………取らないでよ…………」


僕の胸に顔を埋めた奈穂さんはずっと何かを呟いている。僕にはそれがよく聞き取れなかった。そんな時、彼女の涙に呼応したように雨が降り出したんだ。その時の僕はどうしたら良いのか解らないから、彼女の手を取って走り出したんだ。



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