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十七話後編

思い出せる一番古い記憶は、雪。


深深と降る雪、それをただ眺めていた。もう冷たいや痛いなんて感覚を通り越して、ただ、眺める。


何人か人が流れていくが、一人も私達に気を止める事はなく流れていく。


私達、私と同じ容姿をした姉が私を強く抱いている。その温もりだけが私のたった一つの絶対。


次に思い出せる二番目に古い記憶は、何も着ないで冷たい椅子に座らされて、重くて痛くて冷たい輪を頭につけられた記憶。私が泣いても叫んでも、どうなったって止めてはくれない。


毎日、毎日、毎日、ずっと真っ白が続く。私はなんでここにいるのか?私は誰なのか?私は……………生きてるのか?


疑問だけは浮かんでくるが答えは一つも出て来ない。


そんな時に私の頭に過ぎった映像があった。


暖かい、凄く暖かい光景。私もお姉ちゃんも笑ってる。美味しいもの一杯食べて、一杯笑ってる姿。私には覚えのある感覚、これは未来にいつかくる映像だ。


私の世界に色がついた。真っ白な世界が鮮やかになった。



それから幸せだった。痛いのも苦しいのも消えはしないが、堪える事が出来た。夜寝るときが幸せだった。そんな幸せな夢をずっと見れたから、毎日夜が楽しみになった。


……………そんな幸せな時からどれ程経ったろうか。


私は寒かった。


気付けば独りだった。一体いつからお姉ちゃんと別れてしまったのか、私は独りで堪えていた。夢も見なくなった。


あれは嘘だったんだ。暖かい世界になんて行けるわけなかったんだ、私の……………考えた夢だったんだ。










「くそ、はぁっ、はぁ……………」


大きく深呼吸、着いた。着いてやった。


藤谷は適当に黒服を捕まえてこの場所を聞き出した。規模の分からない船だが、その船の中心部に位置するらしいこの研究室と船に無さそうな部屋に辿り着いた。


部屋はかなり広く、中心にはコードが何本も繋がっている筒のような物がある。まるで木だ。コードで出来た枝に、中心筒が幹にあたる。


その筒の中にいた。


頭になにかよくわからない輪をつけられたアイの姿があった。藤谷は駆けた。


一秒でも、一瞬、刹那、なんでもいいから速く、速く行きたい。


たった数十メートルの距離が永遠に感じられた。そして目の前までやってきた。


「アイ! アイ! 今こんな所から出してやるからな」


筒から出すためにどうしたら良いか筒の周囲を見渡して何かを探す。最悪こんな筒割ってしまえばいい、中のアイにガラスが当たるのが恐いからこれは最終手段だ。


「それは止めた方が良いよ。色んな意味でね、藤宮藤谷君」


藤谷は声のした方へ振り返る。


少年が立っていた。日本人ではないが流暢な日本語、そして金髪、海を渡ればどこにでもいるような少年、少年といっても藤谷とあまり変わらないだろう少年だ。そんな少年が藤谷を見下したような言葉遣いと見下したような目をして立っていた。


藤谷が違和感を覚えるのは、少年の容姿ではなく、少年がいつの間にこの部屋に入ったか、だ。いくら広い部屋でも、部屋を一周見渡した藤谷が金髪の少年を見落とすわけがない。


藤谷は警戒心を解かない。こんな所に普通の少年がいるわけない、藤谷は如何なる理由があっても倒れるわけにはいかない。アイを救わなきゃいけないし、美々との約束も、親父との約束も、雛子に美味いもの食わしてもやりたい。


あれ?なんで俺はこんな事考えてる?まるでこれから死ぬみたいじゃないか。


死亡フラグを立てた気がして我に帰ると少年が嘲笑を浮かべていた。


嫌な汗がどんどん出て来る。不安が恐怖を呼び、藤谷の体と心を侵食していく。


人の形をして、少年を象った化け物がそこにいる。藤谷は全身が恐怖に縛られて動けなかった。


「さぁ、HとIを置いて帰るんだ。君を生かしてやろう」


そうだ。帰らなきゃ、帰って美々の飯を食うんだ。そうだ、帰ろう船に乗って家に帰ろう。


…………………………………………………


藤谷はアイから離れていく。アイに背を向けて、出口に向かって歩いていく。


突如右頬に衝撃。


なんだ、と思って自分の右側を見ると握り拳が見えた。自分の握り拳だ。


叫びだしたいくらい泣きそうになった藤谷はもう一度その拳で右頬を力一杯殴る。


「クソッ! ざけんな! 俺は、俺はなにやってんだ!」


もう一度、少年を見る。睨みつける。


「へぇ、流石に彼の子供か。彼はね、唯一僕が出し抜かれた人間でね。借りを返せると思って楽しみにしてたんだが」


彼とは親父の事だろう。


でもそんな瑣末な事はどうだっていい、怖くてもなんでもコイツを倒して家に帰るんだ。


藤谷は駆け出す。一気に肉薄、走った勢いを殺さずに生かして右拳を打ち出す。前に倒れる気で打った拳は少年に届く事はなく止まった。


何故?何故止まる?


力を入れても前には進まない。右手が完璧に固まっている。動かない。違う、動けないんだ。


「駄目だなぁ…………君のお父さんなら僕に一撃いれてたよ? 既に二撃目に入ってたしね」


手首が掴まれて動けない。それになんて握力だろうか、いや、なんて力なんだこの化け物は。


「そうか、君は彼のような獣じゃなくて人なんだね。ちゃんと恐怖を感じてるだから動けないんだよ」


「っけんな…………アイを返せよ」


「そんな悔しそうな顔したって無駄さ。君はただの人間、特別な存在とは違うんだ。僕やI達のようなね」


「うるさい…………俺はアイを連れて帰る」


「無理だよ君には」


さっきから藤谷は強がりを言うだけで全く体が動いてない。本能的な恐怖に身を完璧に奪われているだけだ。


悔しい、悔しくて悔しくて、どうすればいいんだよ。


「助けを呼ぶかい? 君のお父さんに借りを返したいからね。呼びなよ」


さっきからコイツの言うことが妙に染み込んでくる。コイツの話を聞かなきゃいけない気になっている。


「I達は必要なんだよ。優しく甲斐甲斐しく世話しようじゃないか、ははは」


「アイをどうする気だよ!?」


なんとか振り絞って叫ぶ、少しでも精神に喝を入れるために。


「うん? それはね、僕の寿命を延ばすためだよ」


は?寿命?なんだよそれ、アイや雛子となんの関係があるんだよ。


「信じられないって顔してるね。これでも僕は君のお父さんより歳上だよ。それにL、ああリサだったっけ? あれも君達と同じ歳だしね」


そういえばこの船に押し込まれた時にリサが言っていた。


「だがリサももうだめだね。この任務は本来僕が手を貸さずに終わる予定だったのに、起きてこなきゃいけなくなった。まだアイの心は喰えてないってのにさ」



「なんだよ!? わけわかんねぇよっ!」


「そうだね、君は利口じゃないみたいだからね。だから言ってあげるよ、僕は人の中身を喰らって生きるんだ」


その瞬間全て停止した。



情報の点と点が線で繋がり、爆発的に断片しかなかった情報に解答が出されていく。


「がぁぁぁぁぁぁぁ!」


全てが繋がった瞬間、藤谷の感情は破裂した。


自分が何をしたかは分からない。無理矢理恐怖という鎖を引きちぎって体が動かせただけが分かった事だ。


そして藤谷は床を転がっている。すぐに立ち上がって反撃を、と行動に移すより先に腹を踏まれる。今日はよく虐げられる日だ。


いくらもがいても足はびくともしない。寧ろ強く減り込んできて呼吸が出来ない。両手でなんとかしようと足を掴んで動かそうとしても駄目、殴りつけても自分の手が傷付いていくだけだ。


「ふーん、やっぱり蛙の子は蛙なんだね。君も獣でしかなかったか」


見下ろされてる。


アイを傷付け、雛子を傷付け、リサも、その他にもコイツは…………………………


憎い、憎いよ。コイツが憎い、なにも出来ない自分が情けない、親父が来て助けてくれる映像ばかり思い浮かべてる自分が情けない。


畜生………………畜生…………


「本当に、愚かな獣だ」


藤谷が抵抗する気を失った事を察した少年は足退けて、右手で藤谷の首を掴み、軽々と片手で藤谷を持ち上げた。


腹の次は首、首を締め付けられて藤谷は息が出来ない。腹より確実に呼吸を制限されてる。


「さて、君をどうしようか。殺すのは簡単だし、だけど、君の父上に対しての人質もいいな」


年相応、いや、外見相応の無邪気な笑い方をする少年、藤谷は閉じゆく意識の中であるモノが目に入った。


「まぁ、死体を見せただけでもいいか。君のような汚らしい獣はさっさと処分だな」


方針を決めたらしく首への力が強まった。


藤谷は息をしてなかった。息をするより先に、藤谷は視線の先の純白に釘付けだった。


視界も真っ白に染まっていく中、藤谷は純白を見続けた。








藤宮美々もとい、香里美々は信じている。


私以外の女の為だなんてちょっと妬けるけど、アイは家族だ。家族はノーカウント、浮気じゃない、藤谷は浮気なんてしない。……………………………さっきから胸の中に巣くった小さな不安が暴れている。暴れて暴れて、大きくなっていく。


藤谷がいなくなってしまう。


私は今一体何を考えた!?有り得ない、そんな事あるわけない。藤谷は約束を必ず守る。なんたって私の旦那様なんだから。


「嬢ちゃん、藤谷が心配かい?」


ちょっと前を歩く藤宮宗二が問い掛けてきた。


因みに雛子となづけられた少女は宗二の背中で寝ている。さっきの撫で回し以外に、きっと疲れていたんだろう。何をしても起きそうにない。


「心配なんてしてません。また誰かの為に怪我したりしてきたらお仕置きですけど」


嘘だった。精一杯強がった。


「そうか、俺もな心配してねぇんだ。寧ろ安心してる。それと少し寂しいな」


歩きながらこっちに振り返ってお義父さんは豪快に笑った。


美々はこの言葉がなにを意味するか解らず投げられた言葉のボールを返せないでいる。


「昔な、自慢じゃないが俺はケンカで負けた事はなかったんだ。だけど、ある日俺より弱いと思ってた奴とある理由からケンカした。どうなったと思う?」


「そう聞くって事は負けたんですよね」


多分その相手とは藤谷を産んだ方の父親だろう。


「ああ。それが笑っちまう。手も足も、なんにも出なかった。一方的に動けなくなるまでやられた。理由は、俺がやられるって分かってるケンカに向かおうとしたからだ。それで俺をぶっ飛ばすのはねえよなガハハハ」


確かに、それでは本末転倒じゃないか。でも、藤谷の父親って感じがする話だ。馬鹿っぽい所が特に。


耐え切れず美々はクスクスと笑った。


「続きがまだあるんだ。それでな、ソイツは一人で罠にかかりに行って全員やっちまいやがった。俺は驚いたよ。満身創痍の体引きずって行ったら、ソイツ以外は皆寝てんだからよ」


「それで、その話と藤谷に関係は?」


待ちきれなかった。失礼と分かりながら話の腰を折って聞いてしまう。


「ああ、藤谷がな。してたんだよ、アイツと同じ目をさ。何かを守る時の目をさ」


そう言って嬉しそうに笑ったお義父さん、私は嫌な予感にかられて歩いてきた道を振り返ってしまった。


藤谷、必ず帰って来るよね?










血が巡る。熱い血が、体中を廻り、巡る。


今日、藤宮藤谷は死んだ。


「……………ぐっ、やってくれるね。大人しく死ねば苦しまないのに」


藤谷の体は勝手に動いていた。気づけば右拳を少年の顔に見舞っている。朦朧とした頭でそれを第三者のように見ていた。


もう敵わないし、どうしようもない、誰か助けてくれ、なんて馬鹿の中でも許せない馬鹿な事を考えていた藤谷は死んだ。


「アイを泣かした! 雛子を傷付けた! 俺の大事な家族を傷付けたお前だけは、お前は俺がぶっ飛ばす」


今、藤谷は完全に戻った。こっからが藤宮藤谷の本調子だ。



藤谷はアイの方を見る。


あの時アイは泣いていた。焦点の定まらない光のない瞳で泣いていた。そして、あの時、藤谷が意識を失いかけた時、アイは言ったんだ。音は聞こえなかったけど口が動いたんだ。「とうや」って動いた。


じゃあ、俺がやらなきゃ、俺に助けを求めてんだ。アイが、家族が、藤宮藤谷は戦わなきゃいけない、家族を取り返して家に帰るためにも。


「おい、晩飯までの軽い運動だ。お前を泣かして改心させてやるよ」

ビシッと格好をつけて少年を指差す、もう藤谷には弱気はない、あるのは一本通った強い願いだけだ。


「お前のせいだからな。お前がいなけりゃ美々との約束を破らずに済んだのに」


「ん~? 一体なんの事かな? 小さい獣君」


相変わらず上からの喋り方の少年、年齢的には少年じゃないんだっけか、まぁそんな事はどうだっていい。


「後悔しろ、テンニャラフポンポン秘拳だ!」


美々との約束、破るのは本当に心苦しいが、仕方ない。


テンニャラフポンポン秘拳、毒蛇の沼。


テンニャラフポンポン秘拳666個あると言われる技の一つ。


独特の構えから、腰を落とし、にじり寄る。


「ふふふ、獣風情が」


「小さい獣に噛まれたって死ぬときは死ぬんだよ」


完璧に射程に入った。藤谷は指を全て伸ばした状態にする。ここから繰り出すのは突き、相手を突く事にだけ集中する。集中する位置が重要だ。


藤谷の集中が極限まで高まった一瞬、瞬きを終えて目を開いた時には少年の拳が腹に減り込んでいた。


「ぐぅっ!」


藤谷は堪らず呻いた。顔に嘲笑を浮かべたままの少年は、そのままハイキックで藤谷の左側頭部を蹴り飛ばした。


大したガードも出来なくてそれに直撃してしまった藤谷は、ふらつきながら何歩か後ずさる。


極度の興奮によって、なんとかボロボロガス欠の体を奮い立たせてる藤谷だが、そろそろ本当に限界らしい、目が霞んできてる。


それでも、そんな体でも、なんとか地面に立つ。倒れはしない、負けはしない、勝って必ず帰るんだ。


「全く、紛れのラッキーヒットか。彼とは比べものにならないくらい君は弱ぃ……………!?」


やっと体の異変に気付いてくれたらしい、テンニャラフポンポン秘拳、毒蛇の沼にかかった事に。


毒蛇の沼、その名の通りに毒蛇に噛まれた者は否応なく毒に飲まれ、命を終える。藤谷の突きは完璧に少年の両足を捉え噛み付いた。


ガードを捨ててでも打ち込んだんだ。ある程度の結果はなくては割に合わない。


「畜生! なんだこれはこの!」


必死になって足を叩く少年、藤谷はそれにゆっくり近づいていく。


「ひぃっ!」


さっきまでの嘲笑はどこへやら、上半身は動くわけだし、男ならシャンとしてろっての。


いくら超能力者でも、体の構造からは逃れられないらしいな。


ふと、藤谷の目の前をなにかが過る。


「…………………」


藤谷を射抜く双眸の矢、藤谷の足が止まる。リサが藤谷と少年の間に割って入って、少年を背に藤谷の前に立ちはだかっている。


「フジミヤ………………」


藤谷の名を呼んでリサは押し黙る。


「ははっ、Lか、いいところに来たじゃないか。少し時間を稼げ」


「主様、もう止めましょう。アイを返すんです」

リサは振り返らず、背中を向けたまま会話をする。


「なにを言ってる。人形が僕に意見するな! 僕の為に動けばいいんだっ!」


「こんな事が主様の為にはなるとは思いません!」


「このぉ、出来損ないがぁっ! あのIは優性な種なんだ。あれも成熟した。それを喰らおうという時にぃびっ!」


藤谷はもう我慢してられなかった。リサの横を抜けて気付けば馬鹿野郎の顔を殴っていた。


正直言ってこれ以上は無理だって、ただでさえ加減する余裕なんかないのに、


「お前もう喋んな。この馬鹿野郎!」


「フジミヤ!」


「君もっ! もうやめろよ」


藤谷は絶句した。リサが泣いている。


泣いている?なんで?畜生、あんな最低な奴のどこに泣く要素がある。


やっぱり女性が、人が泣くのは見たくない。燃え上がっていた炉の火が少し弱まった。


「お願いフジミヤ、アイは返すから、これ以上彼を………………」


「俺は、アイを返してくれればなにも言わない」


もう藤谷の炉は静まりきっていた。


「ええ、少しま」


「え?」


なんだよ、なんでだよ、どうして、なんで、わかんないよ。


「リサぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」


藤谷は駆け寄った。倒れてしまったリサを抱き起こす。べっとりと手に血がついた。体が一気に冷える。


「見ないで…………見ないで………………………」


顔を手で覆って彼女は譫言のように呻いていた。撃たれた。少年が持っていた銃で彼女は撃たれたんだ。どうして、リサなんだよ。


「なんで俺を撃たねぇんだよ!!」


「安心しろ次は君だ」


全く、今日は何回銃口むけられんだよ。


「フジミヤ…………見ないでぇ………………」


そういうことかよ。


藤谷は心の中で一言吐いて、上着をかけてやる。やっぱり女の子なんだろう、腹の痛みより顔を見せたがらないなんて。


「リサ、ちょっと待ってろ。絶対死ぬなよ」


「死なないよ。ちょっとしたお仕置きさ。僕のいうこぶっ!?」


藤谷は既に肉薄して、蹴りを見舞っている。


「もう喋んなって言ったろうが」


テンニャラフポンポン秘拳、獅子乱舞。


右手で少年の首を掴む。そこから右手の腕力だけで持ち上げて、床に頭からたたき付ける。持ち上げる、たたき付ける、持ち上げる、たたき付ける。


「これはテメェの為に傷付いた人達の分だ!」


テンニャラフポンポン秘拳、餓狼の牙。


「リサの分っ!」


たたき付けるのを止めて、最後に壁にたたき付けて無理矢理寄り掛からせて立たせる。


そこから、右手の拳を振りかぶって打ち込む、次は反動を利用して左手、右手、左手、右手、左手、速度を上げて打ち込み続ける。


テンニャラフ………………こっから藤宮家の怒りだ。


「雛子の分っ! アイの分っ! 分、分だぁぁぁぁぁっっ!!」


更に蹴りも交えて右、左、と順に打ち込み続けた。


止めた時には少年は白目を剥いて、口を開いたまま、糸が切れた人形のように崩れた。


「うしっ!」


大きな達成感に藤谷は包まれていた。見上げるとなんか心地好くてこのまま後ろ向きに倒れてしまいそうだった。だが、まだ倒れられない。


よろよろとおぼつかない足取りでまずはリサの元へ、


「大丈夫か? すぐに医者に連れてってやるからな」


船に医者ぐらいはいるだろう。朦朧とする頭で、彼女を抱き上げる。服は血でべったり、水と違って嫌な湿り気があって気持ち悪い。


「傷は、塞がってる…………私、そういう生き物だから」


さっきの少年の台詞を思い出す。何故か藤谷もリサが大丈夫だと理由のない確信があった。あの時のリサは傷ではなくその後に訪れる体の変貌を気にしていたから。本当に傷口も塞がってるのか、これ以上血が出てる感触はないな。


ああ…………駄目だ。…………アイはどっちだ…………霞んでよく見えないぞ。



「フジミヤ、アイの所まで行ってくれる? 装置から出してあげるわ」


「ああ……………アイはどこだ?」


「……………そのまま真っ直ぐ歩いて」


藤谷の状態を察してくれたらしく、リサは優しい声音で誘導してくれる。


ようやく藤谷の目でも確認できる純白が見えた。


酷く眠いような状態だ。目を瞑って倒れてしまいたい、さっさとこんな船からはおさらばしたい。


「ちょっとそこで待ってなさい」


藤谷の腕からするりと抜けて、リサは上着を頭の上から被った状態で、なにやら台のような物を操作している。


その後、駆動音が聞こえ、アイを覆っていたガラスの筒が上に上がっていく。


藤谷はそれを見て、また必死に足を動かしてアイに向かう。


「アイ? 待たせたな。怖かったろ? 帰って美々のご飯食べよう……………」


藤谷はアイを抱きしめ、そのまま意識は白に包まれた。








とうや。


藤宮藤谷。


私は、家族は、アイは。


「とうや、とうや」


アイは気付けば泣いていた。藤谷を抱きしめて、アイは泣いていた。どうしてこんな所で泣いているのか、どうして心がこんなに溢れてるのか、分からないけど泣いている。


とうやのおかげだ。とうやが嬉しい時にも泣けるって教えてくれたんだと思う。だから今は嬉しくて、寂しいのが吹き飛んだのが嬉しくて泣いている。


「アイ、生きなさい。私の分まで生きてね」


アイは知っている。目の前に立っている彼女を知っている。とても強く輝く人だ。忘れるわけない、姿は変わっていても心がそう伝えてくれている。


「アイは、アイのためにしか生きられないよ」


「そうね、その通り。だから、時間の話よ。私は老い先短そうだからね、私の分まで時間を生きて」


「ううん、時間じゃないよ」


「あらら、随分言うわねアイの癖に」


そう言って彼女はアイの鼻を指で叩いた。昔からそうだ、彼女は。


「私は行くわね。彼の事、やっぱり好きだから。惚れた者負けね」


そう言って特徴ある笑い方をした彼女の姿は、昔アイ見た姿だった。


惚れた者負け。いつか美々に聞いた。


「アイも負けだぁ…………」









藤谷が次に目覚めたのは病院、しかも、つい最近お世話になったばかりの病院だ。


今回は透の差し金ではなく、新倉早苗にいくらさなえさんという妙齢の女性の処置らしい。


そしてこの新倉さん、なんだか初めて会った気がしない。それに、なんだか早苗って名前に引っ掛かりを覚える。


「流石は藤宮君の息子ね。まさか体をここまでズタボロにしてもケンカするなんて」


ケンカじゃありません。必死でした。


「まぁ、大した事はねぇんだろ? 良かったじゃねぇか」


と豪快に笑う父親、結局藤谷とアイを船内から出してくれたのはこの男らしい、気を失った藤谷は知らないが、詰めをミスるとはなんとも情けない話だ。


「それじゃあ、藤谷君またね」


そう言って白衣の女性は出ていった。なんか恐ろしく意味深だ。『またね』とか、この病院の正式な先生じゃないらしい所とか。


あの後、少年とリサはいなくなっていたらしい。やっぱり、リサは少年の事を……………誰かに大事に思って貰えるのって幸せな事だよな。でも、罪は償うべきなのに。


「あの~、三人様、私めの腹の上でケンカは止めてください」


「ごろにゃ~ん」


「わふわふ」


「にゃん」


雛子、アイ、美々がベッドの、というより藤谷の上を占領していた。


さっきまでは、新倉さんがいるまではおとなしくしてたのに。


「それにヒナ、なんだよそのキャラは?」


「いえ、ノリが良くないと家族関係に皹が入りかねないので。にゃん」


思った四十倍くらいたくましいので、この子は心配ないだろう。


とりあえず、今日は色々ありすぎた。本当に、非常識で非現実的で非日常的だった。もうこんなことは懲り懲りだ。


藤谷は平穏な明日を迎えるために眠る事にした。



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