十四話後編
拳で殴られ、足で蹴られ、鉄パイプで叩かれる。
藤宮藤谷は頭から血を流しながら考えた。
なんでこんな事してんだろう?
血を流し、流させながら、なんでこんな不良漫画みたいな展開に自分が興じているのか。
頭部からの流血で少し冷静になってきた。痛みが自分を確かにする。
「もういい! もういいから…………」
悲痛な叫びが聞こえる。声も震えてる。多分泣いてんだろうな。泣かしたくないのに、誰にも自分の為に泣いてほしくなんかないのに!
「黙ってろよっ!!! 絶対助ける」
周りの男達の罵倒が聞こえる。だがそれも一枚板を張ったようによく聞こえない。目も滲んでぼやけて霞んでる。
最後に聞いたのは罵りの言葉、後振り下ろされる鉄パイプを眺めながら時間がゆっくりと流れるのを感じていた。
朝に遡る。
気まずい。つうか空気が重すぎる。
鉛が混ざったみたいな空気を吸っては吐きながら藤谷は泣きそうになる。
両手に花、なんて冗談でも言えそうにない。
「とうやとうや、お昼は私が作ったからね」
「ああ、ありがとうアイ……………っ!?」
アイがいる。何か同じ制服着て、いつの間にか希との間に割って入って腕まで取られてる。
驚きで一杯の藤谷は今日二度目の愕然。
「聞いてなかったの? 今日から通うそうよ。お義父様が帰ってきたのもその為だって」
「えっ? なんで俺も知らない情報を当然の様に知ってるんだマイハニー」
「朝にお義父様が言ってたからよマイダーリン、因みに、口を大きく開きながら藤谷も隣に立ってわ」
『義』の字については置いておこう。ついでにノリで『マイハニー』と言って、明らかに機嫌の悪くなった希も置いておこう。
藤谷は朝の記憶を巻き戻してみるが、希との再会とアノ発言しか思い出せない。希はあれから何か考えてるようで全く口を開かない。
「ふー…………ん?」
あれ?何かおかしい。何かが抜けている。
思考しろ、思案しろ、何を考えから抜かしている?なんだなんだなんだなんだ。
「アイ!? お前どうやって編入試験合格したんだ? 学年は? やっぱ一年か?」
何だか今日の藤谷の頭はよく動かない。油が切れたか随分察しが悪い、悪すぎる。
自分でそんな突っ込みを心の中で自分に入れてへこんでる最中に、その質問に美々が答えてくれた。
「今朝お義父様が電話してたんだけど、国家のなんとか、特別措置がどうとか言ってけど…………」
藤谷と美々が顔を見合わせ、ゆっくりと空に手を伸ばしてきゃっきゃと跳び跳ねてる少女に目をやる。
「やっぱりそういうことなんだろうな。もうアイの事は置いておこう」
うん、なんか恐い事に首を突っ込むのはいくない。
そんな悟りを開いた藤谷は、アイに倣って空を仰いだ。まだ夏の陽気が残る日射しが目に痛かった。
「あのさ…………」
そんな時横を静かに歩いていた希が遠慮がちに口を開いた。
「どうした?」
「あのアイって子の事は君のお父さんにいくらか聞いたけど、本当にただ住んでるだけなの? あっ、あの、他意はあんまりないんだけど……その、なんだかあなたにべったり過ぎな気がして」
一回に喋る量が多いのは相変わらずだが、なんだか遠慮してるみたいだ。口調もおかしい、『アンタ』って言わないところが特に。
「…………変なところだけ鋭いんだから………」
美々が何かを呟いた気がするが、小さすぎてよく聞こえなかった。
「うーん、兄弟みたいに思ってんだけど、なんかべったりなんだよな。なんで?」
疑問のままにしないでアイに向き直って聞いてみる。
「ふみゃ? アイがとうやの事好きだからだよ」
その発言の直後激怒した美々に噛みつかれたのは言うまでもない。
「藤宮アイですよろしくお願いします!」
そう言ってアイは元気にお辞儀した。
「穂村希です。日本から離れててちょっとズレちゃってるかもしれませんが、よろしくお願いします」
続いてお辞儀、実は挨拶はまだある。
「リサ・フィールです。入院してしまった山吉先生の代わりです、頑張ります」
……………誰だよ。
山吉先生とはあの中年の現国教師だ。美々との出会いのきっかけになった意外に重要な人物だったのだが、まさか病気で入院してしまうとは。
リサ先生は名前の通り日本の方ではなく、その後に続いた自己紹介を聞く限りでは寒い地方の方らしい。
「これで朝のHRを終わりマス、えと………号令を」
日直が号令をかけて、皆席を立ち二人の転校生の元へと寄って行く。
まるで動物園の人気の動物の檻だな。そんな事を藤谷が机に頬杖つきながら見ていると声をかけられた。
「フジミヤ、話が、アリマス。少し時間ください」
いつの間にか席の真横に立っていたリサ先生が上手くない日本語で話し掛けてきた。
「は、はぁ………」
二人は大丈夫かなぁ。まぁ、アイは明るいし取っ付き安いし人見知りはしないから大丈夫だろうけど、希は…………大丈夫か、あいつなんだかんだで容量良いし。
窓の外を見ながら藤谷が空に思いはせていると、自分に用がある人が入室してきた。
「お待たせしました。話をしましょう」
リサ先生は机を挟んだ反対側に座ると何枚かのプリントを机に置いた。
「先生、意見する気はないんですが、なんで態々生徒指導室でこんな会話するんすか? 悪いことした気分ですよ」
「失礼、でも他の部屋は使用中との事なので。次の授業もアリマス、これを読んでください」
リサ先生は三枚の紙をこっちに寄せてきた。藤谷はその三枚を手に取り読み出した。
三枚ある内の一枚は英語ではない何処かの国の言葉だと思われる字で書かれていて読めないが、一枚目は日本語で尚且アイの写真まで貼ってあるのだから分かる。
こいつら、アイで実験してた奴らだ。
親父に聞いた話を思い出す。『あの子がいた施設は子供達を投薬や頭の中いじくって実験する所だった』
そんな場所から救い出した親父は正しい事をしたと思う、いや確信する。
そうなると敵意しか持てない藤谷は、目元をきつくして対応する。
「アンタらなんだよ? アイは普通の女の子だ。返せって言われたって返してやらないぞ」
「それは勘違い、フジミヤ、私はアイの味方です。アイを学校に行かせてあげたい。それを補佐するためにやってキマシタ」
「本当ですか?」
「ハイ」
騙されやすい藤谷だ、恋人の美々の嘘だって見破れる自信がないくらい嘘に弱い、でも、勘違いかもしれないが、リサ先生の目は真摯に藤谷を見ていた。
………負けだ。信用したくなった、内容もこの人の事も。
「分かりました。それで何で俺を呼んだんですか?」
「このちょっと手を加えた書類をあなたに保管してもらう事と、あなたから見てアイが幸せかどうかを聞くためデス」
『ちょっと手を加えた』と仰ってるが、多分、『ちょっと』の度は軽くこえてるんだろうなぁ。
「幸せかどうかなんて本人に聞かなきゃ分かりませんが、少なくとも不幸にはなってないと思います。願望かも知れませんが」
「いえ、アイはきっと幸せですよ。思ってくれる人がいるだけで、人は幸せになれるんです。本当にフジミヤさん達には感謝しています」
ここにはいない父親にも感謝してるようで、リサ先生は何か考えるように天井を見上げ、そしてゆっくりと表情を崩し笑った。
正直、一番の立役者は親父だ。俺は特に何もしてない。
どっからか救い出すこともしてなければ、新しい家を提供したのも俺ではない。でも、家族には多分、いや、絶対になってやれる。俺と親父がそうなのだから。
「あなたは本当にいい人です」
藤谷の考える顔を見てか、そんな言葉を口にしたリサ・フィール、対して藤宮藤谷はそれに怪訝な表情で返した。
「私の持論ですが、人間の価値は自分では決められないんですよ」
そうリサ先生は言い切ったところでタイミング良くチャイムが鳴った。
「さぁ、授業ですよフジミヤ」
先生、普通はチャイムが鳴ったら開始なんです。ここにいるって事は問題ありなんですよ。
張り切って部屋の扉へ歩いて行くリサ先生の背中を追いながら藤谷は心の中でそんな呟きを漏らした。
リサ先生の初授業は言うまでもない、五分程短縮授業となった。それどころか、リサ先生が教室に入った時点で皆授業の準備を済ませ、静かに着席してることに先生感心してた。
素性は謎で、アイの関係者であることぐらいしか分からないが、ちょっとズレてるって事は十分に分かった。
藤谷の密度の高い長い長い一日はまだ終わらなかった。出来ればこのまま一日をフェードアウトしたかったが、運命を司ってる神様は藤谷の事が嫌いらしい。
放課後『買い物に行くけど藤谷は絶対に来ては駄目』と、美々とアイに念を押され、寂しくとぼとぼと家に歩いて帰る藤谷、きっと今自分の背中を見た人はあまりの寂しさオーラに驚く事だろう。
「藤谷!」
後数歩で校門を出ようという所で、聞き覚えのある声に呼ばれた。
藤谷が振り返ると、駆け寄って来る希、何故かは解らないが逃げ出したい衝動にかられたが、なんとかそれを自制する。
「どうした? 何か………用は沢山あるよな」
『許嫁』、この言葉が頭の中で重く残る。
俺は会ってないが、親父はいるらしいから思い切り問ただしてやる。拳や蹴りも含めて。
「そ、そこまで用があるってわけじゃないんだけど………その……そう! 商店街に行きたいんだけど、様子だって大分変わってるみたいだから案内を……してくれたらなぁ、なんて」
美々という存在がいるからだろうか、随分希は藤谷に対して遠慮している。昔の男子より前に、誰よりも前にいて、自分を巻き込んでいた台風の様な少女がまさかこんな風になるとは。
そんな小さな感動を覚えつつ、藤谷は出来る限り優しいトーンで答えた。
「ちょうど暇だったんだ。案内くらいなら俺でよければ引き受けるよ」
「ほ、本当に? じゃあ早速行きましょ!」
そして現在。
別に軽々しく引き受けなければ良かったなんて思ってない。実を言っちゃえば自分で引き起こした問題だ。
思い出話をしながら商店街を目指し、昔に『ここには魔物が住んでいる』なんて今考えたら悶えて倒れそうになる思い出がある路地に入ったら、なんか偶々恐喝の現場に出会しちゃって、他校の制服を着た眼鏡の男子が三人の男に囲まれてるのを藤谷がいつも通りに放っておけなくて助けに入り、眼鏡の男は逃げて、希も逃げただろうと思ったら死角から、どこから持ってきたか分からない鉄パイプで襲いかかろうとしているのを見張りをしていたのだろう四人目にあっさり捕まり、ナイフを首に当てられ捕縛された。
余りにも上手くいきすぎて、運命を司ってる神様に菓子折りを持って行ってどうにかこの事態が好転しないかお願いしようかと本気で考えてみている。
以上、ダイジェストで振り返ってみたが、ダイジェストにしたって特に何も変わらないな。痛いのも全く消えないし、うん。
頭がぼーっとする………右腕が動かないし、多分折れてんなこりゃ。
余りの情けなさに笑えてきて小さく笑おうとしたが、体が痛くて笑うことも出来はしない。
「がっ!」
背中を思い切り踏みつけられ何か理解できない言葉を吐いてる男A、鉄パイプで頭をぶっ叩いてくれたのはコイツだ。
「さぁて、カッコつけて失敗しちゃった彼氏のお仕置きは済んだし、次は彼女、いってみようか」
四人は揃って下卑た笑い方をする。
希の顔は真っ青、これから何かされるかもしれない恐怖からか、それとも幼馴染みが血だらけでコンクリートにへばりついてるからか。
ったく、恐いなら逃げりゃいいのに………でも、その辺変わってなくて嬉しいな。
目の前にピンチの女の子がいる。なら、男なら、男の子ならそれを見過ごしちゃあいけない。
「…………へへっ、オイオイ………まだそんなんじゃあ倒れらんないよ……やるならもっとしっかりやれよ」
強がりもいいとこ、強がりの中の強がり、手と足を使えるだけ使って産まれたての小鹿のようになんとか立ち上がる。立ち上がってるといっていいか微妙な状況だが、膝はついてない。
またなんか理解できない言葉を吐きながら四人共寄って来る。
つか、この男達は恐喝を邪魔しただけでここまですんのかよ。
そんな負け惜しみが出てくるようじゃ、格好悪いなぁ………
男A(鉄パイプ装備)が奇声を上げながら寄ってくる。鉄パイプを振り上げて、振り下ろす。
至極単純な動作、あれ喰らったら流石の藤谷も持たないだろう。
藤谷は目を瞑り、自分の終わる時を待った。
…………………その時は何時まで経ってもやってこない。
「……………ん?」
恐る恐る目を開く、目を開くと言っても、右目は血が流れてて開かないから左目だけ。
最初に目についたのは男Aの驚愕の顔、同様にBCDも、ちょっと笑えるくらいに驚愕してる。
男A鉄パイプは握ってる。その鉄パイプをゆっくりと視線を上に移していくと、手があった。
岩を削って作られた様にゴツゴツしている。その岩の手は確りと鉄パイプを握り締め、これ以上藤谷に近付くのを止めている。
「オイ、息子、なにやってんだ?」
低く、響く声でそう問われた。
「すま、ん」
謝るしか出来なかった。格好悪くて仕方ない、こんな姿絶対に美々にだけは見られたくない。
親父が来てくれて安心してる自分がいるのが情無くて仕方ない。自分で勝手に助けに入って、挙句女の子一人救えず、父親に頼ろうとしている。
今からでも体に一喝入れて、希を任せて四人の相手をしたいが、体が言うことを聞きそうにない。
悔しい、悔しい、本当に悔しい、悔しいの一言に尽きる。
「むんっ!」
親父は左手で鉄パイプを握り締めたまま、男Aの腹部に思い切り蹴りを入れた。
蹴りを受けた男Aは地から足が離れ、少しの間自己の意思とは関係なく飛ばされる。
浮いた男Aに親父は追撃の右ストレート。
それを顔面で受けた男Aは見事なまでに吹っ飛び、積まれたビールケースに突っ込んで、ビールケースの下に埋もれて動かなくなった。
「わりぃな。俺も親なんでな。息子を痛めつけられると怒っちまうらしい」
そっからは酷いものだ。藤谷は立ってるだけ、倒れるにも体は動かず、ただ止まってるだけしか出来ない藤谷は見ていた。
人が宙を舞い、地面に落ちる前に更に一撃を受け、格闘ゲームみたいなコンボを受ける様を。
あっ、という間に四人は地に倒れ、唖然としてる希と反応も出来ない藤谷と、まだ格好をつけて立っている親父が残った。
「全く、お前にはもう少し教える事があるな藤谷」
まだ俺に教える事があるのが嬉しいのだろう。親父は豪快に笑いながら近付いてくる。
藤谷はまだ倒れない。倒れるわけにはいかない。まだ、まだやり残した事がある。
笑顔で近付いてくる親父に狙いを絞り、藤谷は倒れる気で、その力も上乗せし、最後の力を左拳に乗せて、親父の顔を撃ち抜いた。
「んのっバカ野郎っっ!! 許嫁ってなんなんだぁーっっっ!!!」
多分今の一撃、藤宮藤谷史上最強最大の一撃になったに違いない。
心から満足した藤谷はそのままコンクリートを抱き締めに逝った。
穂村希の目には『これ以上何かされたら死んじゃう』ってぐらい重傷の幼馴染みが映っていた筈なのだが、助けに来てくれた父親に倒れながらも『ゴキッ』なんて擬音が聞こえるパンチを顔面に見舞って、満足した顔で倒れていく様だった。
希はあの満足した顔を見て、幼馴染みを亡くしたとちょっぴり確信したのだった。