十四話前編
藤宮藤谷、あだ名はフジフジ、トウトウなんて呼ばれたり、みやたにと呼ばれた事もあった。名前ネタが尽きない男である。
そんな彼の目覚めは遅い。前日に明日は学校だから、確りと起きよう。そう思った筈なのに、目覚ましはかけてはいない。
可愛いと言うより見た目的には美人で、そして、女性として体がとても発達している自慢の恋人が藤谷にはいるからだ。
他の男共からは「この勝ち組め!」だとか「非国民!」とか、きっと色々と中傷されるだろうが、そんな雑言を藤谷は軽い気持ちで流す事が出来るだろう。
「ちょっと! 藤谷、起きなさいよっ!」
ん?
なんか違う。間違え探しを見ていて違和感に気付くが、何が間違いなのか見破れない。そんな違和感。
夢と現実の狭間でゆらゆら揺れている藤谷の脳には、この違和感が見破れない。
少しずつ現実に帰ってきている頭が一つ違和感を解き明かした。
揺すられている。
ゆさゆさと、なんか新妻が寝ている旦那様を起こすときみたいに揺すられている。
藤谷の恋人である女性なら、そろそろ起きない藤谷に痺を切らし「執行」の一言共に「愛と義の為に戦い、狭間で揺り動く騎士の像」を落としてくる筈だ。
ちなみにこの「愛と義の為に戦い、狭間で揺り動く騎士の像」にゃんとらふひは鉱石でできているらしく、重さは二十キログラムに達する。ただの石を削っただけに見えるが気のせいらしい。
ちょっと話が逸れたが、つまり「執行」がいつまで経っても執行されない。
「もう、本当にアンタは私がいないと………仕方ないわねぇ………」
おっ、くるか。そろそろ腹にくるはずだ。
藤谷はくるはずの衝撃に備えて少し腹筋に力を入れる。
ぐにー
「なに!? なんだなんだ? 像は!? ぐぁっ!」
頬を引っ張られるという予想外、予定外、有り得ない起こしかたをされた藤谷は一瞬で覚醒し、飛び起きた。
そして、上半身を思い切り起こし、何かに頭突きをしたらしい。おでこが痛む。
「つぅ………なんなんだよ。今日はそういう予想外な起こし方をする日なのか………あれ?」
藤谷を起こした女性が尻餅をついておでこを撫でている。どうやらおでことおでこがぶつかったらしい。
じゃなくて、いい加減言うまでもないが、目の前で尻を床につけて膝を少し上げている女性は美々ではない。
そう、白だ。
いや、違う違う。
スカートの中身の話ではなく。
「穂村………?」
「痛い………なによぉもう」
「いや、本当に穂村か?」
藤谷の小さな記憶力の中で、態々部屋に入って来て自分を起こしに来るような女性の知り合いは美々を除いて、穂村希その人以外はいない。
「そうよ。穂村希ちゃん」
そう言って限りなく平な胸を張る希。
「えっ? いや、マジで穂村なのか? だってロンドンだかオーストラリアに行ったんじゃ……」
「イギリス! つか、ロンドンとオーストラリア全然違うわよ。本当にアンタ頭悪いわね」
「なっ、なんだと! これでも進学校にだな」
「はいはい。たまたま、偶然、奇跡よ奇跡」
手をあっち行けみたいにヒラヒラと振る希。
「この格好見てみなさいよ」
また平野の様な胸を張る希、そんな失礼な事を思いながら上から下まで眺めてみる。
「うちの学校の制服? まさか!?」
「そう、そのまさかよ」
「盗んだのか!?」
「なんでよ! どこからよ!?」
美々が家に置いてある制服を盗ったのかと思ったが、よく考えるとそれは違うだろう。胸が山脈と平野じゃ大きく違う。
「なんだか失礼な事を考えているようね」
「ソンナコトハナイデスヨ」
希は額に手を当てやれやれと頭を振った。
「まぁいいわ。久々の会えたのになんかないわけ?」
なんか?
藤谷は小さな脳を回して思考する。
ベッドから降りて携帯を開いて中身を確認、
「ああ、久しぶりだな穂村」
メールが一件、美々からだ。
『今日はちょっと遅くなるの。でもギリギリなんとか起こす事は出来るから大丈夫。朝御飯は歩きながら食べられるのにするから、おにぎりかパンにする予定だから』
成程、こういう時に限って………いや、ラッキーか。俺の寝ている間に二人を出会わせていたら…………怖いな、美々は嫉妬深いし。
「っんの!」
ぐにー。
また頬を引っ張られた。
「だから痛いって! 何をするんだよ」
およそ五秒程頬をつねられ、解放された藤谷は頬を押さえながら希を睨みつけた。
「何をする? 何をするのはアンタの方よ! 折角幼馴染みとの再会なのに何よその態度! 四年よ、四年も間が空いた再会よ? なんでなんでそんな適当な態度なの!? お別れの日にアンタが流した涙は嘘だったの!?」
流れ落ちる滝のように言葉を紡ぎ出し続ける希、もうあれは紡ぐという吐き出しているマーライオンもビックリだ。
そして、補足するとあの日泣いていたのには理由がある。普段料理なんてしない希が急に『お礼がしたい』と言い出し、俺と仲のよかった数人の女子を交えてケーキをご馳走になった。
……………辛かったんだ。景色がぐにゃぐにゃに歪んで見えるくらい辛かった。そのままお別れという流れの時は皆揃って苦しみの涙に明け暮れたものだ。
ようやく脳が正常運転を始めた。
何か家が隣だったいうこともあって、こいつの両親とうちの親父は仲が良くて、よく一緒にされて遊んでたけど、この我が儘姫様には随分困らされた記憶が………大量にある。
「穂村、そういやお前なんで家にいるんだ?」
聞き忘れていた。確かに幼馴染みだが、なぜこの娘は俺の部屋にいるのだろうか。しかも両腰に手を当てて威張るようなポーズで。ない胸張って。
「今失礼な事考えてた」
なにぃ!?こいつも俺の心が読めるのか?
「私が部屋にいるのはお父さんに許可もらったからよ」
「そうか、親父に……………ん? いるのか親父が?」
「え、ええ、お父さんが居ちゃおかしいの?」
まぁ普通はおかしくないな。普通の仕事をしてたらいてもおかしくない。いないとしても、もう出勤してるかどうかという感じだ。
だがしかし、残念ながら普通の職業ではなく、夢とロマンに溢れたどころか、夢とロマンだけで形成された職業についている父上は、ついこの間日本を出ていったばかりだ。
希はまだ親父が冒険家として復帰する前に遊んでいたからな。結構家にいるイメージがあるのだろう。
「まぁいい、着替えるから出てけ。学校への道が分かんないなら送って………………やるよ。仕方ない」
美々と会わせる事になるが、仕方ない。多分これからも顔をあわせる事になるだろうから、早い内に済ました方がいいだろう。
「なんか冷たくない? もう少し温かい反応してもいいじゃない………」
唇を尖らして渋々外に出ていく希、残された藤谷は着替を始める。
何か久しぶりに会ったのに順応してるなぁ。
少し回想する。
穂村希、子供の頃から小学校六年の卒業式の一週間後まで付き合っていた幼馴染み。
面倒くさがりで、男勝りで、何だか女性としての繊細さに欠ける幼馴染み。
四年経てば流石に女性らしく変わるもんだな。
ポニーテイルとツリ目と細いのは変わらんが。
寝惚けもまだ残る頭で少し回想すると、良い思い出が出てこない。そんな時、扉が強く開け放たれた。
「とうや! 大変だよ大変だよ! みみと………馬の尻尾の人がけんかしてる!」
馬の尻尾の人?
ああ、ポニーテイルとはよく言ったもんだな。
「…………ってケンカしてるだと!?」
未だに半分寝惚けていた頭が急激に覚醒する。
頭の中で警鐘、警報、アラートが頭が破裂する勢いで鳴り出した。
本来なら藤谷が間に入って希の事を紹介するのがベストプランだったが、もう遅い。
「直ぐに行く!」
藤谷は部屋を飛び出し、階段を無視するように跳びながら下りる。
「だから、アンタの勘違いよそれ。アイツは誰でも助けちゃう悪癖があって、それでアンタが勘違いしてるだけで………」
「貴方は一体何? 急に人の家から出てきたと思ったら藤谷の事何を知ってるっていうの?」
その瞬間藤谷は終了した。
断頭台に頭を預けた所か、全身を固定され、四肢各々にもギロチンが用意された気分だった。
まだ刑が執行されるまで猶予がある。ある筈だ。あるといいな。
だから、今は動く。
「や、やぁ、これはこれは。奇遇だね、僕の家の前で二人に出会えるなんてさ。HAHAHA」
高笑いまでして誤魔化してみたが二人の間に流れる空気はより悪くなった。
「ねぇ藤谷、この人は誰?」
と美々さん。
「アンタね。人助けが趣味ってのも考え物よ。もう少し相手を考えて………」
「まぁ待て穂村」
ここで誤解しないで頂きたい。俺が好きなのは美々であって、穂村は単なる幼馴染み、だから、美々の機嫌が悪くなるのが恐いだけで、彼女に気を配る必要はな…………くもないな。
「なによ」
やっぱりムッとしてらっしゃる。昔からそうだ。誰にでも高圧的なんだよこいつは、まぁ、良いところもその分知ってるから嫌いにはなれないが。
「紹介するよ。彼女は俺の――――」
その時藤谷の頭に選択肢が浮かぶ。
一、紹介するよ。彼女は俺の恋人なんだ。
二、紹介するよ。彼女は俺の奥さんなんだ。
三、紹介するよ。彼女は俺の婚約者なんだ。
……………うーん。とりあえず事実の範囲内の選択肢を並べてみたんだが、どれがいいかな?
「ワクワク」
不味い、左横に口で言っちゃう程ワクワクしてる人がいる。
「恋人なんだ!」
藤宮藤谷、無難に生きてしまう男だった。
左横から視線の槍が飛んでくる。二か三ならもう少し良い反応が期待できただろうに、でも恥ずかしいものは恥ずかしい。
対して希の表情は酷い。
きっとツチノコを発見したら、こんな顔になるんだろうなっていうくらい驚いた顔をしてる。驚愕とはこの事、顎の関節が駄目になっちゃうんじゃないか、あれ。
「ちょっと待ちなさいよ。おかしいでしょ! なんでアンタに彼女がいんのよ!?」
「彼女くらいいてもいいだろ! お前に迷惑かかるわけじゃないし!」
「だって、私達許嫁でしょ!?」
まさか数十秒後に自分が驚愕するとは思わなんだ。