十話2
「なんの騒ぎですか一体?」
扉の中から、怪訝な表情の柏原さんが出てきた。最初に会った時より服装が確りとしていた。場所に合わせて着替えたのだろう。
「って藤宮君じゃないか、なぜこんなところへ? どういうことだい」
驚くのは無理もないだろうホテルで婚約者と寛いでる所にホテルの従業員でもない一般人が訪ねてくるんだから、二人の内一人は髪も服も真っ白な少女だっていうんだから。
「すみません、中に入れてください」
「えぇ、ちょ、ちょっと!」
なかば無理矢理押し入る。ズカズカと中に入り、扉を閉める。
「本当にすみません、ちょっと話がしたいんです。貴方と香里と」
困った顔した柏原さんは眼鏡のズレを直しながら、俺の真摯な気持を酌んでくれたらしい。
「どうやら真面目な話のようだね、奥に入ってくれ。」
柏原さん促され後に続いて奥へ向かう。
流石に高級ホテルだ。内装にも凝っているし、ただただ広い、恐ろしく綺麗で広い。
着いた奥とは寝室だろう。大きな窓と………ベッドが一つ、意味深過ぎる。
窓から見える街を見下ろす夜景は、自分が飛んでるような錯覚に陥る。窓に近付いてよく見たい、そんなことを思える余裕はまだあるらしい。
「………藤谷」
ベッドの上、真っ黒なドレスを着たお人形が喋った。えらく綺麗な人形だった。
本当にそれが香里美々だと気付くのにかなりの時間を要した。
「ドレス姿凄い綺麗だな…………香里美々、話を聞いて欲しいんだ」
自分でも驚くくらい素直に言葉が出て香里を褒めていた。その言葉に黒いドレスの人形に血が通ったようだ、少し赤くなった。
「態々ここまで来たんだ話を聞くよ。藤宮君にはだいぶお世話になったみたいだからね、美々さんが」
柏原さんは会った時と同じ、爽やかに笑ってる。その笑顔がようやくちゃんと見れた。その笑顔にはなんにもない、人間らしさというか匂いというか、なんにもないんだ。
香里の事をまだ所有物扱いしたセリフにその空っぽな笑顔を睨んだが、空っぽに心を波立ててもしょうがない、それを流す事にする。
「香里、俺さ、自信がないんだ。自分に自信が全然ないんだ。でも、さ。香里それを好きだって言ってくれた、嘘だらけの見栄だらけの俺を好きだって言ってくれた…………」
中で一番不思議な顔をしてるのはもちろん柏原さん、驚いた表情から考えるような仕草を取っている。
「藤宮藤谷、貴方は私の事をどう思ってる? 嫌い? 好き?」
人形のガラス玉のような冷たさに綺麗さと鋭さが同居する視線で見つめてくる。
言うまでもなく『好きだ』でも、香里が求めてる言葉はそんなんじゃないと理解してる。ここまで家族の力を借りて無理矢理来たんだ。引くわけにはいかないし、親父との約束だ『絶対に後悔しない』
「俺は、俺はお前が欲しいんだ。誰にも渡したくない。だから、結婚してくれ!」
言い切った。藤谷は満足していた。充足感に溢れていた。
周りなんか見えはしない。絶句と言った感じで周りが黙っているのも見えはしない。
後悔しない選択をしたのが藤谷に取って重要だからだ。これで断られても、すぐには歩き出せなくてもいつか絶対進める筈だ。
「藤谷!」
「うぉっ、香里!?」
黒い人形さんが胸に飛込んできた。暖かくて、柔らかい重みが心地好い、そして香水の匂いが凄い、脳の一部が溶けたんじゃないかってくらい良い匂いだ。
「五十点、名前」
「み、美々?」
「大正解」
そう言って俺の胸に頬擦りしてくる香里、改め美々、なんでこうなってるのか全く理解できない、脳が追い付かない。
「こ、香里? これはどういぃっ!」
痛い、胸に歯を立てられた。
「名前! ちゃんと呼ばなきゃ結婚しない……………うう、でも結婚したい」
「あ、あの、美々さん? なにが一体………?」
と柏原さん、当然だろう。なぜか婚約者の友達がホテルの部屋に押し掛けてきて、結婚を申し出たかと思ったら、婚約者がその男の胸に飛込んで胸に頬を擦り付けてんだから。
その言葉でようやく胸から剥がれた美々は、柏原さんに向き直った。後頭部しか見えないので表情は窺い知れないが、多分嫌な笑い方をしてる、確信がある、なぜか。
「私、この方と結婚しますから。貴方は恋人の元へ戻ったらどうです?」
「な、なんで……それを?」
藤谷の視点からでも見える柏原さんの表情は青ざめている。なにか嫌な点でも突かれたのだろう………かって………
「恋人!?」
脳の中で処理をしていった所で、エラーが生じたキーワードを口に出してしまった。
「そう、柏原透さんには恋人がいるの、結婚したい位のね。でも、父親の命令で私と結婚する事になった。まぁ、私もその点では一緒かな」
こっちに振り返り、説明をしてくれる香里。
思い切り横腹をつねられる。
訂正、説明をしてくれる美々女王様、以上訂正終了。
「でも、僕達が結婚しないと父達の会社が、社員達が………」
頭を手で押さえ、真剣に、本当に馬鹿みたいに真剣に悩んでる柏原さん、それを見て藤谷はこっそり美々に耳打ちした(ギャグではない)。
「やっぱりあの人と結婚した方がいいんじゃないか? 俺より裕福で、楽な生活出来るぞきっと」
言ってみると、不機嫌な表情の香里、改め改め、美々に再度横腹をつねられる。
「もう絶対貴方以外と結婚しない! 逃がさないんだから……だから、私も逃がさないで」
向こうの人は何かここから飛び下りちゃうんじゃないかというくらい悩んでるのに、こっちはこっちで頬を朱で染めた美々に目を奪われていた。
「別に、父親達は勝手に手を取り合ってくれれば問題ないでしょ? それで貴方と私は本当に好きな人と一緒になる。これでハッピーエンドじゃない」
冷たくそう言い切る香里さん………すいません、もう俺の腹は限界です。風呂に入るとき赤い花が沢山咲いてそうです。許してください。
「しかし………本当にいいのかい? 美々さん」
「あら、なんの事ですか? 私は藤谷と結婚出来れば何の問題もありませんよ。寧ろ、藤谷と結婚出来ないならこっから飛び下りる考えもありましたよ」
今日来てよかった、本当に今日実行してよかった、ありがとう星になった親父、ありがとう本当にありがとう、そしてさようなら。
密かに藤谷は父親に別れを告げ、美々は柏原に別れを告げた。
「そうだよな。父さん達が手を取り合う口実に結婚なんて………しなくていいんだよな。うん、ありがとう美々さん、父達に僕から説明してくるよ」
妙なやる気を見せた柏原さん、そりゃ本当に好きな人の為ならって事だろう。俺だってこんな事してんだから、でも、一つ忘れ物だ。
「柏原さん、ちょっとこっちに来てください」
藤谷はおいでおいでと手で柏原さんを呼ぶ。
「えっ? なんだい藤谷君」
それに従って柏原さんは歩み寄ってくる。
「恋人居るのにそんな下らない事すんじゃねぇっ!」
藤谷は渾身の力を込めた右拳をお見舞いする。柏原さんは身構えてなかったわけで、眼鏡をどこかに飛ばしながら倒れた。
「柏原さん、次はアンタの番だ。俺は婚約者取っちまったんだから、そしたら仲直りして、友達になりましょう」
急に殴っておいて、意味分からんと思うが、藤谷だって意味があると思ってなかった。でも、自分の大切な人が片手間で、適当に愛されるかもしれなかった事が許せなかった。単純で、短絡的な、どう表せばいいか分からない真っ直ぐな感情の暴発だ。
「ふふ………そうだね、なら僕の番だっ!!!」
力抜いてる時に奇襲してしまったので、後ろめたさからか藤谷は力を抜いて柏原さんの一撃を受けた。
柏原の右拳を受けて藤谷は無理矢理右を向かされた。もちろん力はそれだけでは止まらず地面から足が引き剥がされ、後は重力に従って倒れる。痛みは後からジワジワ拡がる。
「つぅ…………体育会系ではないと思ってたんですが、かなり上手いですね殴るの」
「ふふ、いやいや、すまないね。護身で少し、ね」
爽やかに笑った柏原さんの手を借りて立ち上がる。
「んじゃあ友達ッスね。柏原さん」
「透さ。藤谷」
「いやぁ、馬鹿っぽいですね、俺達」
「でも、なんかいい気分だよ藤谷」
握手しながら笑いあう。
「うっわぁ…………意味わからない。ね、アイ…………アイ?」
この空気に追い付いていけない美々はげんなりした顔しながら、さっきから黙っているアイにはなしかけるが、
「アイ? 大丈夫か?」
それに気付いた藤谷は、壁に寄りかかってるアイに駆け寄る。
「…………うにゅ? 大丈夫だよ………ちょっと疲れたの………なでなでしてくれたら治るからなでなでして」
「あ、ああ。それぐらいならいくらでも」
アイに言われた通りにする。アイは気持ち良さそうに目を細め、ゴロゴロ言っている。猫みたいというか、猫と何が違うのか。
あれ?後頭部にレーザーのような視線を感じる。痛い、痛い凄く痛いよ。
「あら、お嫁さん前にしてなにしてるのかしら?」
冷たい一言、冷たすぎて痛い、逃げ出したい。
「ああ、そういうわけで俺とアイはこの辺で帰るよ。うん、ご迷惑をおかけしました………」
藤谷はアイを脇に抱え、頭をペコペコ下げて、少しずつ入口に移動する。
「いや、何を言っているんだい藤谷?」
真面目な透に『何を言っているんだい?』って表情されると結構凹む。