九話
あの後、香里と別れた後の事は全然覚えていない。
今分かる事はベッドの上に居るって事だけ、それ以外は何にもない、空虚だ。
さっきから香里の顔が渦巻いてる。会った時からの記憶がボロボロと流れ出してる。そして、最後に見た笑顔が出てきた時に記憶の再認は終わる。そこから空虚を感じて、辛くなるとまた香里の顔を思い出す。
叫びたかった、泣きたかった、香里に掴み掛ってどういうことかと聞きたかった。でも、出来ない。
いつも俺は自分に自信がなかった。今の父親に引き取られた時からだ、怖かったんだ。本当にこの家に居ていいのか、だから父親の真似をした。
『自分が損しても人を助ける』
馬鹿らしかった。損なんてしたくなかった。でも、真似をした。いらない子供だと思われたくなかったから、頑張った。
人助けしてる間は皆の中心にいた。人気者だった。そりゃそうだ、損しても助けてくれる奴と理由もなく距離を取る子供なんていない。
それでも自信がなかった。模倣だから、偽物だから、嘘だから、自分じゃなかった。人気者なのは嘘の自分だから、自信なんて持てなかった。それで今まで生きてきた。そんな俺を香里は好きと言った。
なら、香里が好きなのは………俺じゃない。
いつの間にか夕食が用意されていた。もちろん用意したのは藤谷だ。だがよく覚えていない。
「とうや、みみの荷物がなくなってるよ」
「とうや、もう少しでそうじ帰って来るって」
「とうや、どうしたの?」
「うるさいんだよっ!! グダグダグダグダグダ! 今は! ………ごめん」
感情を考えないでぶちまけてしまおうとしていたが、藤谷は無理矢理自分を冷静にさせた。
アイが泣いていた。
藤谷は頭を掻きむしった。自己嫌悪なんて言葉じゃ今は生温い。自分を消して欲しいとさえ藤谷は思っていた。
「違うよ、これはとうやの涙だよ。とうやが辛いからアイが泣いてるの」
泣きたかった。藤谷だって泣きたかった。でも泣けない、涙が出ない。
「お前は泣けねぇよ。だってまだやる事やってないんだろ」
居間の入口、藤宮宗二、父親が立っていた。