七話2
「藤宮藤谷」
フルネームで呼ばれた直後に頬を引っ張り上げられた。人間の体を頬だけで引っ張り上げるのは大変よくない。
上がったのは上半身と言っても、頬にかかる負荷は半端じゃない、伊達じゃない、冗談じゃない。
「痛い! 凄く痛い!」
引っ張り上げられている時は、奇声に近い叫び声をあげて、解放された今はその相手を睨みつけた。
「ぐっもーにん藤谷」
そこには冷たい殺気を放ちながら、笑顔を張り付けた香里さんがいらっしゃった。
「その横で藤谷の奇声にも動じずに寝てる子はどちら様?」
笑顔は張り付いたまま、しかし、声からも放たれる殺気からも怒ってるのは明白な事実、下手な事を言えば何されるか。
「いや、その、アイがね、その、ね、ね」
「うん、それで?」
「一緒にお風呂入るって聞かなくてしょうがなかったんだ」
「………今日、泊まるから、添い寝は断らせない」
「いや、俺が緊張して寝れなく………」
「答えは聞いてない」
「………はい」
もそもそと背後で布団が動く。
「おはよ、みみもおはよう」
朝から上機嫌な藤宮アイさんである。寝起きというものは基本この少女には存在せず、常にトップギア、ハイテンションだ。
「おはよう、今日はアイの服を買いに行くわよ。いつまでも私の服と自前の一着じゃ持たないわ」
「ああ、それに関しては俺も考えてた。香里に付き合って欲しいと頼もうとしてたんだよ俺も」
「あら………」
何を考えたか香里は口に手を当て、なぜだか頬を赤くしている。
「ついに私の苦労も報われたのね」
「えぇい、下手な泣き真似すんな。買い物に付き合ってくれと言ったんだ」
「知ってるわよ、それくらい」
………こいつめ!
ギリギリと奥歯を噛んでどうにか怒りを抑える。
「でも、その気になったら直ぐに言ってね」
そう言って柔らかな笑顔を浮かべた香里は、久々に態とらしくはなく自然に見えた。
「ねぇねぇとうや、昨日は暖かったね。とうや寝惚けてギュってしてきたし」
「藤宮藤谷君、言い残す事は? 後三秒お祈りの時間をあげるわ」
「えっ!? それってなにもできな………」
「執行」
まさか完全に覚醒していたのに、そのまま悪い意味の睡眠へと逆戻するとは全く思わなかった。そう思いながら闇の中へと落ちていった。