三話
私、香里美々の朝は早い。
起床後は目を覚ますためにまず洗顔、歯を磨き、髪を整える。
手早く着替え、鞄を持って出発する。
いつからだろうか?この私以外いない家に『行ってきます』『ただいま』を言わなくなったのは?
一応、保護者には父親と言うものがいるのだが、居ないのとなんら変わらない、数ヵ月に一回帰ってくるかこないかなのだから。
しんみりして少し遅れてしまった。そう思って美々は歩調を速めた。
毎朝藤谷の寝顔を見て、それから朝食の支度、それが済んだら寝顔をもう一度見る。
この日課、客観視すると家政婦さんとなんら変わりないが、ただ愛情という感情は凄い、愛情を力とし、糧とし、行動は喜びに変えられるのだから。
歩きながら小さなあくびをする。藤谷には隠しているが、美々は本当は朝に弱い。だが、これは知られてはならない。
何故ならそれを藤谷が知ったらきっと、朝先に起きて美々が到着する頃にはすっかり朝食の準備を終えているか、『無理するな、ちゃんと真っ直ぐに学校へ行け』と言われかねない。
一番手っ取り早いのは、あの家の二階、藤谷の隣の部屋が物置になっているのでそこに寝泊まりすることだ。実際一度提案したが、絶対に駄目との事、でもまだ諦めてない美々であった。
「おはよう、香里さん」
「えっ?」
不意に声をかけられた。この声には聞き覚えがある。あまり知り合いの少ない美々に名前を呼んで声をかけてくる相手など消去法で簡単に行き着く。
「おはようございます会長」
右手の人指し指を立てた眼鏡の麗人、顔は笑っているが、敵意が痛いくらい突き刺さってくる。
「ねぇ、少し時間をくれないかな?」
「すみません、先を急ぐので」
藤谷に会うために折角早起きしてるのに、この後に待ってる幸せを前にお預けなんてごめん被る。
そう言って隣を通り抜けた。
「藤谷君ならいないよ」
その声に美々は振り返る。眼鏡の麗人は相変わらず無邪気に見える笑みを顔に張り付けていた。
「どういう……」
そこでポケットの携帯電話が振動していることに気付いた。
開いて確認すると藤谷から、会長を見ると掌を上に向けて何かを差し出すように『どうぞ』と言った。
美々は電話に出る。
「すまん、急に会長が体育祭の準備で力を貸してほしいらしい。今どこだ?」
「えっ? 向かってる………最中」
「そうか、すまない」
「ううん、気にしないで、私も急用が出来たから。でも何かお詫びはしてね、デート一回とか」
「………わかった。検討する」
互いに『それじゃあ』と言って終話ボタンを押す。
「これで時間、くれるね?」
美々は無言で頷いた。