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異教徒、トルコ説話の一片 The Giaour, A Fragment of a Turkish Tale. (1813)  作者: バイロン卿ジョージ・ゴードン George Gordon, Lord Byron/萩原 學(訳)
表紙と前書き
1/46

『異教徒』表紙及び

絵画はWikipediaにあるウジェーヌ・ドラクロワ画『異教徒とハッサンの戦い』(パブリック・ドメイン)。このような傑作が生まれる程度には、本作は当時、大いにウケた。背景には東方への憧憬と反発が綯い交ぜになったオリエンタリズムの流行があり、本作品にもバイロン卿自身が言及したウィリアム・ベックフォード『ヴァテック』、Henry Weber "Tales of the East"(1812,未訳)の影響がある。

The Giaour,

A Fragment of a Turkish Tale.


by Lord Byron.


"One fatal remembrance— one sorrow that throws

"Its bleak shade alike o'er our joys and our woes—

"To which Life nothing darker nor brighter can

bring,

"For which joy hath no balm—and affliction no sting."

Moore


London, 1813.

挿絵(By みてみん)


TO

SAMUEL ROGERS, ESQ.

AS A SLIGHT BUT MOST SINCERE

TOKEN

OF ADMIRATION OF HIS GENIUS,

RESPECT FOR HIS CHARACTER,

AND GRATITUDE FOR HIS

FRIENDSHIP,

THIS PRODUCTION IS

INSCRIBED

BY HIS OBLIGED

AND AFFECTIONATE SERVANT,

BYRON.

London, May, 1813.


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ここに掲げる雑多な断片が示す物語は、東洋では往時ほど一般的ではなくなった事情に基づいている。在りし日よりも女性たちが用心深くなったか、あるいはキリスト教徒がより幸運であるか、冒険心をなくしたのである。

The tale which these disjointed fragments present, is founded upon circumstances now less common in the East than formerly; either because the ladies are more circumspect than in the 'olden time', or because the Christians have better fortune, or less enterprise.

この物語は概ね、不貞の罪でムスリム式に海へ投げ込まれた女奴隷を巡る冒険譚になる。その恋人である若いヴェネツィア人が仇を討つもので、当時ヴェネツィア共和国は七つの島を領有し、またアルナウ人が、ロシアの侵略後しばらく荒らしたモレアから撃退された直後であった。

The story, when entire, contained the adventures of a female slave, who was thrown, in the Mussulman manner, into the sea for infidelity, and avenged by a young Venetian, her lover, at the time the Seven Islands were possessed by the Republic of Venice, and soon after the Arnauts were beaten back from the Morea, which they had ravaged for some time subsequent to the Russian invasion.

ミシトラ占拠を拒否されたマイノテスは、その事業を放棄し、モレアの荒廃に繋がったが、その間に各方面で行われた残虐な行為は、信仰史上でも類を見ないものであった。

The desertion of the Mainotes on being refused the plunder of Misitra, led to the abandonment of that enterprise, and to the desolation of the Morea,during which the cruelty exercised on all sides was unparalleled even in the annals of the faithful.

挿絵(By みてみん)

thrown, in the Mussulman manner, into the sea: 「ムスリム式」と言っているが、実際はイスラム教よりずっと前からメソポタミアに伝わる「水神の審判」であろう。拙訳『ハンムラビ法典』にも、罪人を「水に投げ込む」刑罰が出てくる。その場合、処刑された者が助かれば無罪となり、告発者が偽証につき有罪となる。「水」は海ではなくユーフラテス川で、後にヘブライ人がこれを取り入れ「洗礼」と称した。

the Arnauts: アルバニア人

the Morea: ペロポネソス半島

the Mainotes: マイノテス、マニオット人 Maniots またはマニアテス人 Maniates(ギリシャ語: Μανιάτες ) は、ペロポネソス半島南部マニ半島に伝統的に居住するギリシャの少数民族。古代スパルタ人の末裔を称し、しばしばそのように描写された

Misitra: ミストラス(Μυστράς, Μυζηθράς / Mystras, Myzithras)は、ペロポネソス半島南東ラコニア県にある中世城塞都市遺跡、及び付近の集落。

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