母さん、貴方のすね、異世界には無いようです。
「え? オレのズボンに水かけてくれちゃってさ、どうしてくれんの? ねえ」
「すみ・・・ません、でし、た」
「いやいや泣いて済むわけねーじゃん親のツラ見てーわ」
「面・・・白いです」
「ははは! 君と同じ顔ってわけ!? 親子だもんなぁ! 笑っちまうなぁ!? 」
オレは今、カツアゲにあっている。
見ての通り、現在進行形で。
いや、まだ金は取られてないから恫喝の方が正しいかもしれないが、兎も角カツアゲにあっている。
まあ、今回のこの件に関しては僕も悪かった。
何せ意図せずとは言えど、不手際で水をかけてしまったのは事実なのだ。
申し訳ない。
ここに陳謝しておこう。
それと、ほかに要因として考えれるものといえばこの顔である。
先刻の会話のとうり、ちょっとばかり被差別対象的な顔なのだ。
母親から貰った大事な顔なのだけれど、こればっかりは恨めしい。
「まま、こんぐらいで許してやりゃすか」
僕の独白の間に、やたらとスマートに暴力行為が為されていたが、いやしかし困った。
服がところどころはだけてしまっているし、軀にも殴られた痕跡が散見される感じだ。
これでは体躯を余さず全て使って、虐められたことを表明しているのと変わらないではないか。
「いちち・・・」
僕の母親は、とても優しい人だ。
だからきっとこの有様を見れば、流石に心配されてしまうし、挙句泣かれる、なんで展開もあるだろう。
僕が引きこもりを始めて幾星霜の月日が経ったが、別段母親に恨みがあるわけではないのだ。
だから、そんな光景はあってはならならない。
あってはならないのだが、既に一度泣かせてはいる。
まあ、これは僕が引きこもった要因にも関連した話なのだが、僕には、被差別的容姿な為に虐められていて、辛かった時期があったのだ。
別に今が辛くないわけではないが、当時は真っ向から差別と相対していたが為、少しばかり傷も大きかった。
で、その差別に屈して見事に引きこもってしまったわけだが、それでも母は、僕に諦めないように、いや、負けないようにと励ましてくれていたのだ。
だけどその優しさは、余裕のなかった僕には届かなかった。
ぼくは、あろうことか『僕が虐められているのは、あんたの遺伝子を引き継いじまったからだ』というような旨を叫び、激しく母に糾弾してしまったことがあったのだ。
母が悪くない事は分かっていたくせに。
1番の要因である差別的な風潮には兎角言わずに、その場にいた最も殴りやすい弱者を、サンドバックにしてしまったのだ。
己が弱さが醜く化膿し、漏れ出た訳だ。
道化にしてもあまりに不出来な男である。
ピエロかクラウンかは、わからないけれど。
まあ、そんな厳密な区分な話はいい。
僕の話だ、今は。
僕は罵った。
罵詈雑言を吐き捨てて、酷薄無残にこきおろした。
だけど母は、そんな僕の事を少し困った顔で見つめながら、ひたすらに、ごめんね、ごめんね、と、繰り返し謝るばかりだった。
僕はそんな母の様子に益々苛立ち、更に激しく罵倒を続けた。
ずっとずっと。
繰り返し繰り返し。
しばらくして落ち着いたあと、いくらなんでも良心の呵責を感じたんだろうな、ふと母の様子が気になってしまい、そっと母の様子を覗いてみた。
そして、それは視界に飛び込んだ。
母は、一人すすり泣いていたのだ。
あれだけ僕に酷いことをされたというのに、未だ僕を気遣って、心配させないようにと、声を抑えながら。
それをみた時、僕は己が所業を理解した。
どれだけ残酷で、愚かしくて、醜いことかを。
気がつけばトイレに駆け込み、嘔吐していた。
吐露した想いの分だけ、吐瀉物は喉を逆流していた。
恥ずかしいかった。
自分の行いが。
それでも、僕は母に対して、何かアプローチをかけるでもなく、今の今まで過ごしてきてしまった。
臆病だったんだ。
ただ健全な、『ごめんね』と、『いいよ』の応酬ですら、僕には怖かった。
自分の感情が乱れるのが嫌だからって、ずっと逃げ続けた。
外に出るのから、働くことから逃げ続けるのと同様に。
だけど、ちょっとした契機というか、きっかけがあって、取り敢えず外に出ることだけでもしようと思い、今に至る訳だ。
まあきっかけと言っても、さすがに30代になっちゃったしニートは不味いなって思っただけなんだけれどね。
いやでも、『だけ』と表するには、いささか過剰に過小な物言いだった。
30代まで、やっていたことが親の脛齧りだけ。
十分外に出るに値する理由だ。
当然すぎると言っていい。
まあ、だとしてもあまりに酷い字面だった。
もう少し余所行きの感じが欲しい。
どうにかできないものだろうか。
うーん。
そうだ。
『親の脛、齧り続けて30代』
どうだこれ。
少し『』をつけて、文意を汲んだ編集を加えるだけで、まるで老舗料理店のキャッチコピーの様な様相を呈しているではないか。
天才かもしれない。
この調子で、ちょっと萎える感じの文章に品位を与えていってやるか。
例えばそうだな。
『こんなんだから僕はダメなんだ』
そうこれ。
自虐する時の常套句である。
こんな自分で自分を貶して何も残らないような一文にも、プロの意匠が加わればこうである。
『こんなことじゃだめだぞう?ボクぅ』
なんて事だ。
一切合切全くもって文意を変えずして、大人のお姉さんから優しく怒ってもらえているようではないか。
これが天賦の才という奴なのか。
震えるほかあるまい。
他には、そうだな。
『アンタって本当に何にも無いよね』
これである。
相手の無個性を嘲る畜生以下の文言だ。
こんな人の欠点に対し残酷にこきおろすような一文にも、神の一手を加えればこうだ。
『〇〇くんは優しいから・・・』
見たか。
何一つ文意を組み替えずして、いい感じの褒め言葉にまで昇華されているではないか。
全く、神の寵愛が重くてならない。
恐るべき、僕。
・・・。
いや、文意どころか悪印象まで変わってなかった。
無個性を嘲るのから無個性を取り繕うのに変わっただけだった。
悲しい現実である。
どうやら僕は、普通に俗物だったらしい。
「はあ・・・」
しょうもないところで打ちひしがれていると、道の真ん中を子供が遊んでいる様子が見えた。
元気だねえ、危ないからやめとけよ。
と内心で忠告し、その場から立ち去ろうとした。
特段わざわざ声に出してまで注意するほどの道徳心を持ち合わせるわけでもなし、まあ僕らしい行動だった。
がその時、視界の端には見えていた。
道路上を右往左往して見るからに危険な感がある車が、
子供の方へと走って来ているところが。
さすがに、声をあげようとした。
が、十数年の引きこもり生活は、僕の発声器官を著しく損ねたらしい。
声にならない声が、うめき声のようなものに置換され、単なる不審者を生み出していた。
このままでは、おそらく子供達は助けられない。
だが、畜生どうする。
放っておくのか、このまま見過ごしてみすみす死なせるのか。
だめだろそれは、僕は今までの僕と変わりたくて、家族に報いたくて外に出て来ているというのに、それじゃ今までと変わらない。
だったら、だったら━━━━!
気づけば、僕は駆け出して、子供の背中を押していた。
刹那、体躯を歪ませる衝撃に起因して、僕は宙へと浮いていた。
「か━━━━━ッハ! 」
口腔内が血反吐で満ち、容量を超え体外に散った。
現実味に欠けた表現だけれど、事実、僕のこの口から。
受け身も出来ないままに地に叩きつけられると、僕の身体は面白いぐらい跳ねた。
もはや感覚は無い。
なんだか視界も他人の物を見ているみたいだ。
夢現ってやつか。
僕の場合、夢空ってかんじだが。
・・・字面だけはロマンチックだな。
少し経って、騒ぎを聞きつけてか、青い顔した父さんと、連れられてきた母さんが僕を覗き込んでいた。
何か叫んでいる様だが、何も聞こえない。
ああ、ごめんな母さん。
父さんも、ずっと脛齧っててごめん。
最後に、人生やり直すつもりだったけど、やっぱり所詮は僕だったよ。
ごめんよ、ごめん・・・。
謝罪も虚しく、段々と意識は薄くなり、それが濃厚に死を嗅ぐわせた。
ああ━━━━━暗━━い。
※
「貴殿起きよ、其方は永眠した」
なんだか、妙にトンチンカンな台詞だ。
永眠してる奴を起こそうとするなよ、生き返るじゃねえか。
「いや、実はその話なのだ」
へ?
いや、どういう・・・?
というか勢いでツッコんだけど、やっぱ僕死んだのか?
「是。
貴殿は息絶えて、この天界にて、この神の元にて現界したのだ」
お、おぉ・・・、やっぱそうなんだ・・・。
そっか、死んだか・・・・。
マジか・・・そっか・・・。
そりゃ、死ぬか、死ぬわな・・・。
いや、でも、ええーーー・・・・
「その様子、まだ混乱している様だな」
まあ、そりゃあね。
「無理もあるまいて、あんな、予定にない死を迎えればな」
いや、死なんて往々にして予定にないと思うが・・・いや、思いますが。
「いや、そうではない。
私達の予定にない死、という意味だ」
「え? どういう事ですか? 」
なんだか、意味深なことを言っている気がする。
ちょっと情報が足りなすぎてよくわからないが。
「つまり、貴殿の様な下界に遍く生物の死は、我々天界の者どもが管理していて、基本例外は無いはずなのだが、少しばかり手違いが起きてしまい、貴殿は我々の予定に無い死を遂げてしまった。ということなのだ」
「そ、そうなんですか・・・」
なんだかとても信じられない話だけど、どうしてか彼の言葉には重みがあった。
流石は神ということか。
「そして、我々の手違いによって死んでしまった代わりとして、強力な能力と共に、貴殿には異世界に転移をする権利がある。 貴殿は、どうしたい?」
「・・・・」
「・・・どうした、何か喋らぬか」
「・・・同じ世界には、生き返れないんですか?」
「残念ながら、それは無理だ」
「そう、ですか」
ずいぶんと、理不尽な話だ。
勝手に殺した立場のくせに、同じ世界には生き返らせはしないと、そういうらしい。
・・・。
戻れないというのなら、いっそこのままでもいいとも思う。
正直なんだか気力がないのだ。
一度死んで、何かどうでも良くなってしまった節すらある。
だが、それではいけない。
だって、僕は決めたのだから。
「僕は、両親に、母さんに報いたいです」
※
「ま、眩し・・・」
長い眠りから醒めたようだった。
だけどやっぱり目覚めってものは不変な様で、例外なく、光が瞼を貫いた。
どうやら、異世界転移は成功したらしい。
「ようやく、気がつきましたか」
虚をついて、その声は僕を貫いた。
どこか、威厳が張り詰めていて、重厚な感すらある声だ。
「あ、貴方は・・・? 」
思わず、名前を聞いた。
ほとんど条件反射だったけど。
「私、ですか? 私は日野豊と言います」
「ヒノユタカ・・・変わった、名前ですね」
「そう、ですかね。
そう言われたのは初めてですが」
そういう彼は、なんだか壮年の男性という感じの容貌で、なんだかそれ相応にやつれて見えた。
「では、貴方の名前をお聞きしても? 」
今度は、彼の方が聞き返した。
まあ、答えない理由も、特にない。
「僕の名前は、ウィリアム。
ウィリアム・ヴォルフ・テオドールです」
※
「あれから、10年経ちましたね」
「そうだな、懐かしい」
「ええ、まさか貴方が、総理大臣にまで上り詰めるとは」
「はは、いやオレも、お前から代わりに選挙に出馬しないか、なんて言われた時は、こうなるなんて思っても見なかった」
そう、オレは10年前、覆面をした謎の選挙立候補者、日野豊と入れ替わった。
彼の覆面をオレが引き継いだわけだが、体格も身長も似ていた俺たちの入れ替わりに、気づける者は居なかった。
「あの当時の私は、色々と限界でしたから・・・。
周囲からのプレッシャー、競争の圧力、問われるカリスマ。
・・・たまったもんじゃありません」
「だからって初対面の他人にそれを話して、挙句入れ替わるなんて、大胆不敵なんてもんじゃねえな」
「故に出馬なんて役過剰もやらかすわけです」
「・・・だとしても、宴会の場で周りにノせられたから、なんて理由で出馬すんのは恐れ知らずがすぎるって」
「それをいうなら、この話を聞いて直ぐに入れ替わりを受諾する貴方の方こそ、なかなかに半端ではない」
「はは、確かに」
十年来の知己との応酬は、なんだか心地が良かった。
豊の方は未だに少し硬いところがあるが、殆ど親友と言っていいだろう。
「・・・そろそろ、教えてくれませんか?
貴方が何故、私と入れ替わってくれたのかを」
唐突に、豊はそんなことを言い出した。
打って変わって、少しシリアスな風味で。
「・・・うーん、お前とは、長い付き合いだしなあ。
・・・笑わないでくれよ? 」
「笑いませんよ、私を信用してください」
「そっか、じゃあ、いいけどさ」
彼にしては珍しく、実に興味深いといった感じだ。
肩が普段より0.3センチ高い。
期待してる証拠だ。
とはいえ、流石に言いづらいな。
なんだかんだずっと誤魔化して来たから、やっぱり少し恥ずかしい。
いや、ここで言わなければ裏切りだ。
話さねばなるまい。
・・・よし。
「・・・オレ実は、別の世界から来たんだよね」
なんだか、教師の叱責に怯える子供のようだった。
彼の反応が、恐ろしくてたまらない。
こんなに僕って臆病だったか。
クソ、やっぱりいうんじゃなかった。
「それはまあ、そうなんでしょうね」
・・・あれ?
思ってた反応と違うぞ?
「えと・・・それはどういう?」
「いやいや、そこまで考えなくてもわかるでしょう」
「ええ・・・わかんないけどな・・・━━━あ!」
このとき、僕の脳裏には映し出されていた。
十年前の、カツアゲの記憶が。
*
『え? オレのズボンに水かけてくれちゃってさ、どうしてくれんの? ねえ』
『すみ・・・ません、でし、た』
『いやいや泣いて済むわけねーじゃん親のツラ見てーわ』
『面・・・白いです』
『ははは! 君と同じ顔ってわけ!? 親子だもんなぁ! 笑っちまうなぁ!? 』
*
「・・・そっかあ」
「そうでしょう、顔が白い人間なんていたら、異世界ぐらいは想起させます」
「・・・確かに」
言われてみれば当然だった。
何故気づかなかったのか。
「そもそも、あなたがそんな容貌だからこそ、私のような覆面手袋全身スーツのスタイルを、引き継いでくれると思ったんですよ」
「まあ、普通この世界なら隠したいわな、白い顔」
「他人事ですねぇ」
「過去の自分なんてほぼ他人だよ」
ちょっとした持論である。
なんかかっこいいでしょ。
「はは、貴方がその顔ということは、ご両親も? 」
「いや、そんな全員が白い顔な訳ではないよ」
「なるほど。
という事は、お母様とお父様のどちらかは白で、どちらかが異なる色なのですよね」
「ああ、白い顔した母さんと、青い顔した父さんがいる」
再び、何故か僕の脳裏に、十年前がよぎっていった。
※
少し経って、騒ぎを聞きつけてか、青い顔した父さんと、連れられてきた母さんが僕を覗き込んでいた。
※
「最期まで青かったなあ」
「なんか悪口みたいですよ」
「そんな意図はねえ」
まあ、それはともかく。
「・・・で、その世界で車に、馬車に轢かれて死んじゃった後、神様にあったんだよ。
こちらの不手際故の死なのだから、代わりに異世界、つまりこの日本で、劇的な能力と共に転移する権利をやるってな」
「ほお、で、その能力とは?」
「いやいや、そこまで考えなくてもわかるだろう?」
「何ですか、意趣返しです・・・━━━あ!」
「そう、僕の能力は『カリスマ』さ」
カリスマ、まあつまりは、人を惹きつける魔力のような物だ。
この能力のおかげで、国会に遍く全て議員達からの支持を、この手に欲しいままにしたわけだ。
「それで貴方は、国会議員になって、たかだか数年のひよっこでありながらここまで上り詰めたわけですな」
「そそ、そゆこと」
与えられた才能とはいえ、今まで、結構頑張って来た。
届いたのだろうか、報えたのだろうか。
そんな事ばかりが気がかりだ。
だけど、答えてくれる母さんや父さんは、ここにいない。
ならば僕には、最後まで、最期まで、必死に生きて報い続ける義務がある。
どれだけ報いても、この努力は身を結ばないけれど。
それを含めての贖罪だ。
贖え、最期まで。