9 花ちゃんはぽてぽて歩く
「竜様万歳! さぁ買っとくれ、一生に一度のチャンスだよ! 普段なら最低でも100グラム5万ルアン以上する魔魚の切り身が、ナントナント100グラム500ルアン! 500ルアンだよっ!」
「竜様万歳! こっちは焼いた魔魚だっ! 1切れ1000ルアンでほっぺたが落ちるほど旨い魔魚が食べられるよっ!」
「竜様万歳! 並んで並んで、順番だよ! 水族館はこちら、トランポリンはあちらだよ、それからーー」
広い広場では「竜様万歳!」が合言葉のように人々の口から発せられ谺していた。
百万羽の鳥が鳴いたみたいに人々の声がざわめき轟き、活気に満ちたお祭り騒ぎであった。王都中至るところから人々が集まり、熱気と賑わいが匂いたつように大気を染めていた。
あまりの人出に広場では火熱で炙られたように熱が溜まり、人々の声が反響し残響し充満して、空へと長い長い螺旋階段の如くぐるぐると昇っていくようだった。
「す、すごい! 大きい!」
「うわぁ、船だって丸呑みする魔魚がいるってのは、吟遊詩人のホラじゃなかったんだな」
「おいしい、こんなおいしいもの初めて。パパお願い、もう1つっ!」
「よしよし、1000ルアンで魔魚が食べられるなんて、もう一生ないからな。今のうちにた~んとお食べ。パパも魔魚を食べるのは初めてだが本当に美味しいね」
「旨いねェ。旨過ぎて寿命がのびた気がするよ。これも竜様のおかげだねェ」
広場の中央では、100メートルはある魔魚が仮死状態で解体されていた。その周囲には屋台が並び、切り分けられた側から新鮮な切り身として売られたり、食欲をそそる匂いを振り撒いて焼かれたり煮込まれたりしてどんどん買われていった。
魔魚の後方には、高さ5メートル幅10メートル長さ150メートルの大きさで、海の一部分をそのまま移動させたような、ガラスのない魔力結界による大水槽が設置されていた。
その横には小規模の遊園地のような、長大な滑り台やトランポリン、魔力を動力とするメリーゴーランドやミニ観覧車や振り子のバイキングなど、この世界に存在しない遊具が子どもたちを大喜びさせていた。
トランポリンでポーンポンポンポン、とてん、と跳ねても落ちても笑って。子兎のようにまた跳ねて。
滑り台ですべっては駆け上がり、また滑って。子犬のように駆けて駆けて。
きゃあきゃあと面白くて。
わぁわぁと心が踊り。
子どもたちは楽しくてときめいて、遊具を満喫していた。
しかも水族館では。
「竜様万歳! さあ、さあ、ひとり一回だよ。この虫取網は、魔法結界を一回だけ通り抜けて巨大水槽に入れることができるよ。チャンスは一回だけだけど群れに突っ込んで何匹も捕った子が続出だ~! もし捕れなくても新鮮な鰯を一匹プレゼントするよ!」
海まで馬で30日の距離がある王都では、鰯は高級魚である。庶民は新鮮な海の魚など生涯食べることができない。だから子どもより親の方が真剣であった。
群泳して銀色の球体をつくる鰯を。
魚体の尾びれを左右に振って泳ぐ鯛を
鳥が羽ばたくようにひらひら泳ぐ鮃を。
雲のように群れが集まり流れ来て流れ去って行く魚や高速で泳ぐ魚、多種多様な魚たちを。
子どもたちの網が一生懸命に追いかける。チャンスは一回だけ。勝利の雄叫びを全身で上げる子どももいれば、しょんぼりぴゃーぴゃー泣く子どもも、隣の子どもと慰めあい鰯を貰って笑顔の子どもも。
どの子どもも、最高に胸が弾けるような1日を楽しんでいた。
子どもが遊ぶ遊具は全て無料であった。
ジェラルードが無償提供したからだ。
ジェラルードは、王都から海まで30日も馬でかかるのに2時間で魔魚を獲って戻ってきた。
「小さい5センチは無理だが、大きいものならば魔力制御ができる。ちちちゃに教わったからな」
と魔魚を仮死状態にして。
「魔魚はかかちゃの見舞いだから、解体したらかかちゃにも届けてくれ。残りは自由にしていい。あと、これらも使うといい」
ジェラルードは数千年間、価値あるものからガラクタまで貯めこんだ空間収納から遊具を色々とり出し、アネモネの兄の商人に渡した。さすがに異世界の動力源はなかったので、兄は念力持ちの魔術師を手配して上手く魔力と遊具を組み合わせた。
「魚の補充も毎日するし、魔魚もまた獲ってきてやるぞ」
結果。
昨日は、巨大な竜の出現に恐怖でぶるぶる震えていた王都の人々は、今日は竜を讃える歓声を上げていた。
魔魚は安くて極上に美味しいし、今まで見たこともないものばかりだし、大人も子どもも夢中になって歓喜に湧きたっていた。
広場を采配するのは、第三王子とアネモネの兄たちである。
商人の兄が商業ギルドから、薬師の兄が薬師ギルドから、狂喜乱舞する集団をまとめ、第三王子が群衆で埋め尽くされた広場を警備する騎士や兵士の指揮をしていた。
「うおおっ! 最上級の魔魚の生き血ィ! 夢の欠損回復の薬が作れるかも!?」
「うおおっ! 最高位の魔魚の歯っ! 骨っ! 身っ! もうもう丸ごと宝の山だ~!!」
「解体は丁寧に、慎重に。血の一滴も無駄にするなよ」
「おい、その上質な身の部分は王宮への献上品だ。目玉は? 右目が国王陛下で左目が競売用だったか?」
人件費や場所代や諸経費はかかるが、超超超高級魔魚の元値がタダなので、誰もが小躍りして働き続けていた。
そう、元値がタダだから普段の100分の1の大安値で魔魚の身を売っても利益がでて、もっと利益のでる魔魚の歯や骨や血が山のようにあるから不眠不休も苦にならなかった。
しかもしかも魔魚の腹から、執念を感じさせるほど厳重な保存魔法で守られた豪華な宝箱が出てきたものだからテンションは爆上がりになっていた。
そんな嬉し楽しの広場とは真逆に、王宮は死蛍の翅に覆われたような薄暗い澱みで塗り潰されていた。
彫刻と金銀で仕上げられた壁には天空の神々が画かれた絵画が飾られ、高卓の上には華やかな生花を溢れさせた美術品のような花瓶が置かれている室内の空気は、朽ちゆく花の腐蝕の香りみたいに濁り噎せて重かった。
昨日のうちに電光石火で公爵家と派閥の貴族は捕らえられ、牢屋にドコドコと詰め込まれていた。おかげで牢屋は満員御礼である。
長年の間権勢と地位に驕り私腹を肥やしていた、王国の害虫である公爵家を排除できたものの喜びはなかった。
ジェラルードにより、魔素の乱れによる天災の増加と100年後の世界の滅亡を知らされたからだ。
今までも不安はあったのだ。
年を追うごとに年々災害は酷くなってきていた。世界の滅亡までは考えたことはなかったが、来年の再来年の10年後の見通しが不透明すぎた。
このまま悪くなる一方で数十年が経過したら?
常に頭の片隅に不安がこびりつき離れなかった。ジェラルードだけが滅亡を指摘しているとしても、国王たちにとって見逃せる問題ではなかったのだ。
「我は、信じようと信じなくてもどちらでもいい。我には関係のないことだからな。ただ王国には竜脈を張り巡らしたから、そうだな、1ヶ月後には竜脈のない他国との差が明らかになるだろう。けれども、これ以上我に期待するな。自分の世界は自分たちで何とかしろ」
万能感あふれる竜であるジェラルードの言葉に、国王たちは少しばかり恨みがましい目を向ける。花ちゃんとアネモネちゃんの頼みならば迅速に、いや瞬時に行動して叶えるだろうに、と。
「かかちゃに頼るなよ。我はかかちゃを利用する者を許さない。無理矢理おまえたちの望みを押しつけてかかちゃを困らせるならば、我は竜脈を半分にする。王国の半分が徐々に壊れていく様を見てみるか?」
王国で一番贅を尽くした王宮に住む、美しいものを見慣れているはずの国王さえも目がくらむような凄絶な美貌。唇が満ちて欠ける月のように弧を描く。それは警告という名の嘲笑だった。
人型のジェラルードは、その場でひれ伏したくなるほどに凄まじく美しく、恐ろしい。
「だいたいこの世界は5千年前か6千年前かに滅びかけて、それでも人間はしぶとく生き残っているではないか。大陸がひとつ沈んだのに。今回もどこかで誰かが生き残るのではないか?」
「ジェラルード様! その話は!?」
知の天使隊の隊長が身を乗り出す。ひよこぷるぷるの可愛さに大いに満足しているジェラルードは、ちょっとだけ他の人間に比べ彼を贔屓にしていた。
「ん? 海に沈んだ古代文明大陸、とか言って古文書に残されているのではないか? たしかレムア大陸だったか、あの時も魔素が乱れて、そうだ、その結果大災害が起きて原因は、ん~?」
ジェラルードは思い出そうと眉間を揉む。
「ああ、世界の性質だ。魔力のある世界も色々あって、例えば魔法を使えば魔素が消費されて消える世界もあるが、逆にこの世界は魔法を使うことによって魔力が練られて魔素が濃くなるんだ。レムア大陸の時も、魔素の濃度が変化して気候変動が世界崩壊規模で起こったんだった」
国王たちが息を飲み、ジェラルードの美貌に視線が集まった。水を打ったような静寂。ゴクリと喉を上下に動かし国王が声を絞り出した。
「……本当に……?」
「だから信じなくていい。何度も言うが我には関係のないことだ」
ぷい、とそっぽを向いて椅子を鳴らしてジェラルードは席を立った。
アネモネへの好感度アップのため、人間に友好的態度をしめす目的でこの場にいただけのジェラルードに協調性はまったくない。
ジェラルードは他者との歩み寄りに半歩を踏み出したとはいえ、重要なのは花ちゃんとアネモネとハモンだけであった。ジェラルードにとって宝物は花ちゃんであり、尊い命と思うのはアネモネとハモンの二人である。それ以外は尊重すべきでも守るべきでもない、居ても居なくても同じその程度の価値しかない存在だった。
竜は懐に入れた者しか愛さないのだ。
特別とその他大勢、それしかない。
しかし部屋を出ていこうとするジェラルードを止めたのは、頭の上でちんまり座っていた花ちゃんだった。
「花ちゃん、何も知らないもん。何もわからないもん。だってひよこだもん」という顔をしてジェラルードの頭の上に小餅のように乗って、花ちゃんは邪気のない様子であどけなく可愛く会議をずっと見つめていた。
会議に出席する重臣たちの目には、いたいけな愛くるしいひよことして映っていたが、天使隊の隊長は騙されていなかった。隊長は花ちゃんを理解していた。その隊長がヒソリと国王に耳打ちをしているのも、花ちゃんは見ていた。
花ちゃんはジェラルードの上からパタパタと降りた。
昨日、王宮破壊の危機には国王の前まで飛んでいった花ちゃんだが、今日は、ポテン、と机の上に国王から距離を置いて降り立った。ぽてぽて、綿の実がはじけたようなふわふわの小さな体をゆらして短い脚で歩く。
ぽてぽて。
ぽてぽて。
歩く姿が可愛さを極めすぎるくらい可愛い。
脚が短いので、ちまちま進む小さな毛玉は本当に愛らしい。
しかし可愛いは最強だが最恐をも体現する花ちゃんなので、そのドングリお目目は、利用されてあげてもいいよ? と国王を見てあざとく笑っていた。
「花ちゃん」
国王は、ぽてぽて歩きでなかなか近寄って来ない花ちゃんに呼びかけた。花ちゃんは焦らすようにちびこい尾羽をふりふりさせて距離をとっている。
「ハモン・フィールドを伯爵にしよう。アネモネちゃんは伯爵夫人となる。領地は負担になるだろうから年金で。社交は自由、税金は免除。そしてアネモネちゃんには生涯に渡り王族以上の護衛と名誉を約束しよう」
国王は堅苦しい言葉は使用せず端的に花ちゃんが望むもの、アネモネの安全を明確にした。
1ルアン=1円
花ちゃんでセンチとグラムがでているのですが、お金まで円にすると異世界感がなくなってしまうので、お金の単位はルアンにしました。
次回の10話目は「不可能を受け入れない竜には限界がない」の予定です。
読んで下さりありがとうございました。