7 王都来襲
更新が遅くなってしまい申し訳ありません。
それと、もうひとつお詫びを。
今回は、前作の短編ありきの場面があります。
まことに申し訳ありません。
ジェラルードは椅子から立ち上がった。
「ちちちゃ、我は王都へ行く。番が呼んでいる」
涼やかな声で言うと窓枠を掴んで花びらのように身を投じた。窓を開けてから飛び降りたのでジェラルード自身は、窓も壁も壊さず屋外に出たことを我えらい!と自画自賛していたが、周囲は違う。
場所は砦の大食堂であったので、ハモンをはじめ司令官も多くの騎士たちもいた。
「ジェラルード殿っ!」
慌てて窓に駆け寄ったハモンだが、窓から身を翻すと同時に巨大な竜へと竜化したジェラルードから放出された魔力が焼けつく熱風となって巻きおこり、熱せられた鉄の数万の矢の如くハモンに襲いかかった。
「ぐぅっ!」
魔法で防御しつつ、声に魔力を纏わせてハモンは大声で叫んだ。ジェラルードの耳に届くように、と。
「ジェラルード殿! 魔力制御をっ! もう溢れ出る垂れ流しの魔力を身の内に収めることができるはずですっ! 体内で循環させるのですっ!」
ジェラルードを止めることはできないと瞬時に覚ったハモンは、王都で予想されるパニックを少しでも防ごうと声を張り上げる。
「ジェラルード殿のただ漏れの魔圧で人々が傷付かぬように、どうか魔力制御をっ!」
さすがは竜というべきか、ジェラルード訓練2日目にして基礎となる自身から漏れる魔力を制御することに成功していた。
「司令官、王都へ向かう許可を。許可をいただけないのであれば軍を辞めてジェラルード殿を追いかけます!」
本気になったジェラルードは花ちゃんの比ではなく、速い。すぐに王都へ到着することだろう。対してハモンたち人間は時間にして馬で20日。馬は代えることはできても、騎乗する伝令は人間であるだけに疲労もあれば食事も睡眠も必要だ。昼夜を駆け続けても短縮できるのは数日であった。
だからといって、帰ってくるのか不明のジェラルードの帰りを砦で待つなど論外だった。
司令官は重く頷いた。
「わたしも王都へ行く。ハモンと第一部隊、出発は10分後だ。緊急の狼煙をあげろ、色は赤だ。それと青の狼煙で街道の各詰所で代え馬の用意をさせろ。副司令、砦の警備人数は大丈夫か?」
「はい。花ちゃんのおかげで天辺ハゲの騎士たちが、毛根が死滅したのか頭髪が生えてこず砦に残留したままです。砦を守る騎士の人数的には問題ありません」
「花ちゃんは良いタイミングで騎士たちを天辺ハゲにしてくれた。では後を頼むぞ」
緊迫した空気の中を軍靴を響かせ、司令官を先頭にほぼ駆け足状態のハモンたちに、周囲がマントや携帯用の荷物を手際よく連携して渡していく。
接した日数は少なくとも、ジェラルードの実力は石臼でゴリゴリ刻まれたように骨の髄まで沁みこんでいる騎士たちだ。そのジェラルードが向かったのは王都である。最悪の想像が最悪の事実とならぬように。誰もが祈るみたいに王都へ視線を向けた。
「開門! 王都へ出立するっ!!」
放たれた矢の如くハモンたちは馬を全力で駆けさせた。
花ちゃんは王都の上空、泡のように波立つ白い雲の上でジェラルードを待っていた。
アネモネの警護は三大溺愛派閥に任せている。王国軍で一番信頼できる騎士たちだ。それに突き抜けたクセモノである3人の隊長たちと花ちゃんはとっても仲良しであった。
ひよこぷるぷるで相手をホイホイする方法は、知の天使隊と呼ばれる隊長が教えてくれたものだし、ひよこうっふんは権力の妖精たん隊の第三王子が、常日頃に遭遇するハニートラップから詳しく伝授してくれた。ひよこコスプレは武の幼妻ちゃん隊だ。
ひよこに指教する内容ではない、と苦々しく思ったハモンだが、ノリノリの花ちゃんに役立っているので苦情を呑みこんだ。ただ花ちゃんの性格が、したたかであざとく強化されたのは確かなことであった。
「我の番! 我の番! 我は来たぞっ!」
呼ばれて嬉しい嬉しい、と一目散にやって来た恋に一途な男ジェラルードは、もちろん巨大な竜体である。
ぴっ。
よちよちとちまこい羽根で撫でられて蕩けたように双眸を細め、
「我の番。猫耳帽子がよく似合うぞ、え? 兎耳に熊耳もあるのか、かかちゃは天才だな」
とジェラルードはアネモネを大絶賛する。
ぴぴ。
「ああ、わかった。ブレス一発で王都は消滅するけれども、それはダメだのだな? 我は番に従うぞ、うん、計画があるのだな?」
その下の地上では、王都中を大勢の伝令が声を枯らして駆け回っていた。
「伝令! 伝令! 竜が来襲する! 竜だっ! 竜が王都に来るっ!」
「竜は花ちゃんの番である! 決して攻撃しないようにっ! 竜を怒らせてはならぬ、王命であるっ!」
「あわてず屋内にっ! 屋内で待機するようにっ!」
伝説の竜である。
暗闇をのぞきこむ時に感じる恐怖はあったが、それ以上に王都の人々は憧憬やら好奇心やらが勝ってしまい、屋内ではなく屋外に出て空を見上げた。怖いもの見たさというか、自分は大丈夫と根拠のない安心感というか、危険視が足りないというか、最低限の守るべき行動を取ることもなく切迫感も薄かった。
伝令の言葉に従ったのは一部の人々だけであった。さらに一部の人々は、危機感を抱いて冷や汗を流し荷物をまとめ王都から逃げ出そうとした。
そして。
竜の巨体が雲を裂いて現れた時、人々は夢から覚めたようにおののいた。
唖然と空を仰ぎ見る。
下界を睥睨する神の如き竜の威容に人々の心臓が竦み上がった。ぶるぶると足から力が抜けて座り込んだ者も多い。
伝説だと。
おとぎ話だと。
神話の中で語られるだけの生物だと思っていた竜が、本当に現れたのだ。恐怖と呼ばれる音でつくられた檻に囚われたように、人々は無力に貫かれた。
竜は空中で静止すると貴族街へと視線をユラリとめぐらせた。
ばさり、と羽根を動かして、とある伯爵邸へ鋭い爪を持つ脚を降ろす。伯爵の屋敷は、着地した竜により爆音とともに崩壊した。
土埃が咆哮のように巻きあがる。
屋根が割れて柱が折れて壁が崩れて、倒壊は一瞬であった。
竜の着地とともに上下左右に轟くように大地が揺れ動いた。
人的被害はなかった。竜の来襲の前に騎士たちが、屋敷の人々の避難を誘導していたからだ。
計画的にーー花ちゃんと三大溺愛派閥の隊長たちとが作成した、アネモネに害をなす危険な貴族家のリストに則って排除すべき家を潰す。ある意味これは衆目にさらすための見せしめであった。
「虎の威ならぬ竜の威で、晒し首になってもらおうか」
「フフフ、竜の怒りをかった家など社交界はおろか親戚縁者からも閉め出されるだろうからね」
「アネモネちゃんに手をだすとどうなるか、思い知ってもらう良い機会だ。ついでに竜様の王都デビューを派手にね」
花ちゃんも隊長たちも王都を破壊する気はさらさらない。
だが、今後のアネモネの安全のためにも制裁措置をとるのは大賛成だった。くわえてジェラルードに対して、取り扱い注意の札をペッタリ貼り付けたいと考えていた。
「わしの屋敷が……」
もうもうとした土煙の中に、かつての屋敷であったものの残骸を見て、当主の伯爵と夫人が悲嘆を液体にして泣きくずれる。お互いに強く抱きつきあい末期の恋人のようだが、その口はジェラルードに聞こえぬように小声で罵詈雑言を溢れさせていた。
「わたくしのドレス……、わたくしの宝石……、よくもよくも……っ」
この伯爵家は3年前、婚約破棄されたばかりのアネモネを嘲笑する公開処刑もどきの茶会をひらいた家であった。その後ハモンと結婚したアネモネを表立って貶めることができなくなった故に、裏側でネチネチと根も葉もないアネモネの悪口をバラまき、人を使って攻撃をしたり、陰険な蔑みをずっとしてきたのだ。
伯爵家にはアネモネより4歳年上の令嬢がいて、3年前の茶会ではその令嬢を中心にアネモネを虐げたが、母である伯爵夫人も令嬢の婚約者の母の伯爵夫人も参加して11歳だったアネモネを嘲笑っていた。弱い者を見下し侮蔑して優越感にひたる、両伯爵家は似た者同士の、良識ある他の貴族家から眉をひそめられる行動が日常茶飯事な家であった。
伯爵家の令嬢は昨年、婚約者と結婚をしているので。
ぴっ! 次っ!
と花ちゃんの指示のもとジェラルードは念入りに屋敷を踏んで踏んで粉々にして、最後に長い尾をブォン!と一振りして庭木を根こそぎ倒して飛び去った。伯爵家の令嬢の婚姻先へ、と。
ドオォォォォオンンッ!!!
次の伯爵家でも避難は完了しているので、遠慮もなく屋敷に巨大な体をジェラルードは降下させる。
大地は雷鳴が轟いたように轟音を響き渡らせ、粉塵が高く白く舞った。
大小の破片が雨のように降る、その中を果敢にも進み出たのは王国の国王、その人であった。
「ジェラルード様」
国王は頭を垂れた。後ろの重臣たちや騎士たちも同じく跪く。
〈妖精たんを守り隊〉の隊長である第三王子の姿もあった。王子が国王たちをこの場所まで巧みに誘い出したのだ。
「どうか力なき人間にご慈悲を」
ジェラルードは首をもたげて国王を見おろした。
「やめろ、と?」
天上の音楽の如く玲瓏な美しい声に、国王はさらに深く頭を下げる。
幸運なことに国王たちは、第二砦の騎士たちのようにジェラルードのただ漏れの強烈な魔圧に当てられていない。我はできる子!とジェラルードがハモンに言われた通り魔力を制御しているからだ。そうでなければ嵐にさらされる脆い人間のように、国王たちはジェラルードを前にして立つことも難しかっただろう。
「ふーん?」
パカリ。
ジェラルードの開かれた口の中に眩い光が生まれた。
ゴゴツッッッオッ!!!!!!
遠く、王都から彼方に見えていた山が吹き飛んだ。死火山だが、魔鳥の住みかとなっている植物の生えない土壌のため人が近付くことのない、王国で2番目に高い山だった。
「っ、ひぃっ!?」
ぱくぱくと国王たちの口が陸にあげられた魚のように開閉する。ガタガタと震え尻餅をついている重臣もいた。騎士たちは茫然自失して戦う気力さえ失い立ちすくんでいる。
「我は思うのだが」
ジェラルードが晴れやかな声音で言った。力の暴虐の理不尽な見本のように。
「先ほどの屋敷もこの屋敷も古くなって倒壊したのではないか、と」
フルクナッテトウカイシタ?
それは自国の言語なのに、国王たちには異国の言語のように聞こえた。脳が理解することを拒否したのだ。
「老朽化とか経年劣化とか人間は言うのだろう? 壊れたのは我のせいではない。だから、我の番やちちちゃやかかちゃに後からイチャモンは言わぬこと、いいな?」
イイナ?
やはり言葉を国王たちの脳は拒絶したが、ジェラルードが再びパカリと口を開いたのを見て、悲鳴のような声を上げた。
「はいいっ! や、屋敷が勝手にっ、自然にっ、古くなり壊れましたっ!」
「そうだろう、そうだろう、我は親切にも老朽化のテストをしてやっているのだ。さて次は、その赤い服の男の屋敷へ行こうかな?」
「なっ、なななっ!?」
ジェラルードに指名された大臣の体が恐怖に凍りつく。大臣は酸欠の金魚のごとくあぷあぷしながら真っ青な顔になり、身を投げ出して地面に頭をこすりつけ恥も外聞もなく叫んだ。
「ど、どうか、どうかお許しをっ!!」
「ふーん? 我はおまえの屋敷にある、おまえだけが開けられる金庫の中身に興味があるのだ。おまえがそれを国王に渡すならば考えてやっても良いかな?」
「陛下っ!」
大臣はダバダバと涙を流して国王にすがりついた。
「当家は偶然にも先日! とある取り引き現場をおさめた記録玉を入手いたしました! 提出いたします!」
ジェラルードが次に視線を流した男も、その次の男も。
「陛下っ! 当家はとある重要書類をっ!」
「陛下っ!わたしは証拠物件をっ!」
「陛下ーーーー」
と次々と国王に取りすがる。
貴族として同派閥であろうと敵対派閥であろうと、どの家も相手の弱味となるものを秘蔵するのは至極当然の習わしであった。今は味方であっても今は敵対していても、立ち位置が変われば牙を剥くのが貴族だ。
ジェラルードに名指しされた家々は、どの家もハモンの異母兄の母親の生家である公爵家の泣き所を握っている貴族たちばかりだった。ジェラルードが踏み潰した伯爵家も公爵家の派閥であった。
知力も権力も武力も、ついでに財力も人脈もたんまり持っている三大溺愛派閥の調査は完璧である。
「あの公爵は先代国王の弟の地位を利用して色々やり過ぎた。アネモネちゃんのためにもハモンのためにも、何より現王家のために磨り潰して塵にしてしまうのが一番だ」
と好意も善意もない冷笑をたたえて第三王子は言った。今まで甘い汁を吸いまくった公爵家と派閥の力は強大でも、こちらには絶大な竜の威がある。さんざん煮え湯を飲まされ怒り心頭の第三王子は、公爵家を優しく毒杯で許してやるつもりなど毛頭無かった。
目の前で、あうあう泣きながら国王にしがみつく中年と老人の集団を見てジェラルードはうんざりした思いで、ふん、と鼻息を吐いた。ブレスを力のままに自由に吐けないので、ちょっとだけ鼻息をいたずら心が仕事して吐いたのだが。
巨大な竜の鼻息である。直撃した国王たちの集団はあっけなくコロリンと転がった。
「あっ、悪いね」
ちっとも悪いと思っていない口調で謝罪する。ジェラルードは、はじめてのおつかい感覚の屋敷踏み踏みに飽きてきていた。常ならばブレスや魔法で王国を消滅させておしまいなのに。せめてもう少し暴れたいと思って、気軽に、
「なぁ国王、王宮も老朽化テストをしてやろうか?」
と悪意も悪気もなく言った。国でもっとも大きい建造物である王宮ならば踏み潰すのも楽しいかも? というカンタンな理由で。
ガバリ! 国王は土下座した。
ここ10年、災害は増加の一方で悩みの種は尽きないというのに、この上に王宮を失うことになっては王国に争乱が起きてしまう可能性が高い。
「おっ、お許しをっ!!」
ぴっ、計画外。ペチリと花ちゃんがジェラルードの頭をたたく。
ジェラルードが巨体すぎて、その頭の上に乗っている新年のお飾りの黄色い蜜柑のような花ちゃんに今まで気付かなかった国王は、はじかれたように、
「花ちゃん! 助けておくれっ!!」
と祈るように両手を伸ばした。
王国の最高位にいる国王が、たった5センチのひよこに懇願する、ありえない異常ともいえる光景だが国王は必死だ。
王宮の破壊など花ちゃんも計画外である。
けれども、
チャ~ンス!!
とばかりに花ちゃんは国王に恩を高く高く売ることにした。
花ちゃんはジェラルードの頭の上から国王の前までパタパタ飛んで降りると、ぴ? と鳴いた。猫耳帽子のひよこが小首を傾げる姿は反則的に可愛い。
国王には花ちゃんのぴ? の意味などわからない。しかし王国を長年統治してきた主として交渉面では鋭いカンが働く。花ちゃんが何かを要求して自分が了解すればこの危機は乗り越えられる、と猛回転する頭で理解した。
王座の要求はないだろう。花ちゃんの欲はアネモネ至上であるのだから。
国王は第三王子に目を向け視線をかわす。
第三王子は一笑して頷いた。
国王は覚悟を決めた。
「望みをかなえよう。だから頼む」
重臣たちも騎士たちも、苔玉のような雪玉のようなひよこに手をあわせた。花ちゃんは竜が愛する唯一の番であることは誰もが知っていた。
「花ちゃん、お願いします」
が、この愛のヒエラルキーの頂点は花ちゃんではなかった。
「花ちゃん」
花ちゃんが振り返った。ジェラルードも。国王たちも。すべての視線の先にはアネモネがいた。
弱った体を支えられて立つアネモネが。
読んで下さりありがとうございました。