18 花嫁馬車
アネモネは鏡の自分を見ていた。
ぴっ、と花ちゃんも鏡を覗きこむ。綺麗、と花ちゃんがちびちゃい羽根をチタパタさせる。
美しいウェディングドレス。
いつかアネモネに着せてあげたい、とハモンが商人の兄に3年前から注文してくれていたものだ。服は全て手縫い手作りの手工業の世界で、ハモンはアネモネのために時間とお金と労力をかけてウェディングドレスを用意してくれていた。
11歳で結婚したアネモネが肩身の狭い思いをしないように、と。いずれ結婚式を正式に挙げて、アネモネの夫人としての地位を確固たるものに、と。
財産目録に載るほどの、職人が精魂込めて仕上げた最高級のレース、金糸銀糸の刺繍が施された最上質の純白の生地、留め具は贅沢な大粒の真珠。豪奢なネックレス、イヤリング、ブレスレット、指輪、髪飾りなどの品々も絹や天鵞絨や繻子に包まれ優美な細工の箱の中て煌めいている。
ドレスはアネモネに成長にあわせて商人の兄が微調整をしてくれていたので、サイズはぴったりだった。
「ティアラは国王陛下からの贈り物でございます」
侍女の手によって頭上に載せられた小さなティアラは、ダイヤモンドと真珠でつくられた宝石の白薔薇だった。
アネモネは両手を組んだ。
鏡の少女も両手を組む、豪華なウェディングドレスを着て豪華な数々の宝石を身につけて。まるで星が輝くようだ。
囮役として綺羅綺羅しく目立つ自分に満足して、アネモネは静かに立ちあがった。花が開くようにドレスの裾が華やかに広がる。
公爵派閥の残党を誘い寄せるための手段としての役目を、アネモネは覚悟をもって受けとめていた。ハモンや隊長たちに指摘されたが、今後、狙われることが増えるだろうということも。
国王は統治者として相応の敬意を払われている名君であったし、王国の治安は悪くなかった。それでも特権階級を笠に着た横暴な貴族は公爵家を筆頭に、花の香の腐蝕のように生臭く存在して権力を握っていた。
囮役を引き受けたのは自分だが、正直にいうと震えるほど恐ろしい。けれども公爵派閥の残党が、かつての権力を取り戻そうと王都に潜んでいることの方がもっと恐ろしかった。
アネモネは、子どもをひいた馬車を見たことがある。その馬車は子どもをはねて止まることなく走り去った。公爵派閥の貴族の馬車だった。
薬師の兄がいっしょにいたので、子どもは兄に治療され無事だったが、泣き寝入りを強いられ酷い事例になることも多々聞いたことがある。
ハモンとて母親の死因を握り潰された。
あのような、子どもをはねて平気でいるような者たちが追い詰められた時、どれほど人々に被害を与えることか。アネモネはそれが恐ろしいのだ。
兄の店の陳列窓のぬいぐるみを熱心に見ていた少女。
柄がひよこのひよこ剣のおもちゃを腰につけ、カッコよくポーズをしていた少年。
ぴよぴよ低く飛ぶ花ちゃんを追いかけて手を振っていた少年少女。
花ちゃんがいて。
花ちゃんを「かわいい」「カッコいい」と夏の風鈴のように、チリン、チリン、と声を高く弾ませる子どもたちがいて。
そんなアネモネの日常を、公爵派閥の残党が壊してしまうかも知れないというのならば、戦うのは無理でも逃げずにせめて立って囮役を務めたい、と思ったのだ。
昨日の続きに今日があっても、今日の続きに明日があるとは限らないことをアネモネは理解していた。日常も平穏も運命の女神の天秤に似て容易く傾いてしまうことを。
アネモネは、青い結界宝石を握りしめた。
11歳の時にハモンから贈られたものだ。いつだってハモンは惜しげもなくアネモネに愛情をくれた。
今回の件もハモンは深く悩んで、しかし4日間しか側にいられないならば不安の種は今取り除くべき、と判断した。ハモンを拒絶するように嫌悪する異母兄が関わっているのならば、なおさらに。
囮は同種を使う。
鳥には鳥を。魚には魚を。獣には獣を。
人間を招き寄せるためには人間を。けれどもアネモネを囮役にすることに、ハモンも隊長たちも多くの者が内心歯噛みしていることをアネモネは知っている。
だからアネモネは、花ちゃんにジェラルードを呼んでもらった。
「かかちゃ。ちちちゃが自分よりも先にかかちゃの花嫁姿を見るのか、と嫉妬していたぞ」
部屋に入ってくるとジェラルードは片手に花ちゃんをちんまり乗せ、残る片手でアネモネの手をとった。
「かかちゃ、綺麗だ!」
「ありがとうございます、ジェラルード様。実はジェラルード様にお願いしたいことがあるのです」
アネモネがジェラルードに、ドレスの端を摘まみ膝を折って礼をする。動きにあわせて、ほのかに淡く花の香りが立ちのぼった。
「どうか私が囮役をする間、側に居て下さいませんか?」
もしもアネモネが傷つくことがあれば、ハモンたちは我が身よりも苦しむだろう。しかし人間の魔法も剣も無力となるジェラルードがいれば。アネモネは自分のためではなく、ハモンたちのためにジェラルードに頭を下げた。
「頭を上げてくれ、かかちゃ。何を当たり前のことを。かかちゃを守るのは我とちちちゃの役目だ」
ぴっ。花ちゃんもちまこい胸を張って主張する。
「我の番もかかちゃを守ると言っている」
ついでに花ちゃんは、ジェラルードのやる気を天元突破させるために、か細くぷるぷる震え出した。
ぴぃ……、囮役が不安なのとばかりにぷるぷるして、ジェラルードの手にスリリと5センチの小さな体をすり寄せる。
すりり。
すりすり。
ふわふわの羽毛のひよこが弱々しく羽根をぴるぴるさせながら、初雪のごとき柔らかさでくっついて来るのである。脳髄に直撃するほど可愛い。
ぴぃ、ジェラルードだけが頼りなのと小さな嘴が、ちくり、とジェラルードの指先を甘噛みする。
赤子みたいに無垢で澄んだドングリお目目がジェラルードを映して、じっと見つめた。
毎日、約束のスリスリとスーハーとフミフミで花ちゃんに骨抜きにされているジェラルードであるが、出会った初日にジェラルードをメロメロにしたぷるぷる花ちゃんは別格である。
ズバキューン!!! と可愛さを杭のように心臓に打ち込まれジェラルードは床に膝をつきそうになった。
花ちゃんはアネモネの前では可愛いひよこでいたい故にあざとさは見せない。が、ジェラルードは番なのでアネモネの前でもラブラブして、ぷりちーな天使的小悪魔ひよこバージョンでイチャイチャしていた。
「我の番が、我の番が可愛すぎるっっ!!」
天上の美貌がトロリと甘く染まって艶めく。蕩けたジェラルードは花ちゃんの愛のしもべだ。
「我の番、望みは何だ?」
「今日は始まりにすぎない」
第三王子の声が響く。両脇には天使隊の隊長と幼妻ちゃん隊の将軍が立ち、前方には大勢の隊員たちが整列している。
「アネモネちゃんは今までも狙われてきた。しかし、これからは過去の事件など比ではないほど標的にされるだろう。アネモネちゃんを手に入れた者はジェラルード様の庇護が与えられるからだ。諸外国が暗躍してくる、確実に」
第三王子は鋭く隊員たちを見回す。
「今日の作戦はあえてアネモネちゃんに囮になってもらった。今後は守るためにアネモネちゃん自身の協力も必要になってくるからだ。故に今日、ハモンがいるうちに囮となることでアネモネちゃんには少しでも慣れてもらえれば、と思うが」
第三王子の声は途切れることなく続く。
「それは我々の都合にすぎない。アネモネちゃんは守るべき者であり、我々はアネモネちゃんを守る者である。故に作戦を通じてアネモネちゃんと、今まで以上の信頼関係を築くことを今日の目標としたい。公爵家派閥の残党など雑魚だ、と力を見せアネモネちゃんに騎士として役立つことを証明するのだ」
「よいか、我々は今後アネモネちゃんの専属護衛部隊となる。これは王命であるーーーーでは、作戦にとりかかれ!」
「「「「ハッ!!!」」」」
隊員たちは若い狼のように俊敏に駆け出した。軍靴が大地を勇ましく蹴る。
ジェラルードに小僧と呼ばれた国王は、アネモネの警護を強化することを決定した。次に扉が蹴破られた時を想像することすら恐怖で、自力でハゲそうなほど心痛を重ねていた。
それをいいことに第三王子は国王から、かなりの権力を分捕ってアネモネの護衛部隊を電光石火で設立してしまったのだ。
「ハモンと約束したからね。必ずアネモネちゃんを守りきる、と」
月の裏側のように黒く笑う第三王子は、王族らしく腹黒の極致な人物だった。ハモンとは同じ部隊で働いたこともあり友人でもあった。両脇で頷いている二人の隊長もハモンの友人だった。
「アネモネちゃんを守り、世界を救うのだ。いずれ即位される兄上を王国最後の王にしないためにも」
「本当に花ちゃんがジェラルード様の番でよかった。でなければ我々は無力のまま滅びの道を進むしかなかっただろう」
「アネモネ、綺麗だ」
ハモンは心からの感嘆の声をあげた。
王宮の馬車乗り場でアネモネを待っていたハモンは、美しいアネモネの姿に眩しげに目を細めた。
ダイヤモンドと真珠の白薔薇のティアラに繊細なレースの純白のウェディングドレス。頬を染めて立つアネモネは、花の妖精のように可憐だった。
鍛え上げられた体に白いシャツを着て軍の正装を羽織ったハモンも、神話の武人の如く凛々しい。腰には黄金の装飾を帯びた剣、精緻な刺繍と勲章に彩られた騎士服、名工が刻んだ彫刻のようだ。
「アネモネ、愛しているよ。花が咲いたからといって春にすぐにはならないし、ましてや一日で春になることもない。けれども私はアネモネがいてくれれば一日で幸せに、いや瞬時に幸福になれる。今日この日の無上の喜びとともに」
ハモンの表情からは幸福感があふれ抑えることができない。
「アネモネを幸福にすることが私の愛であり生きる全てだ。私の百年をアネモネに、百年先もアネモネを愛しているよ。アネモネ、私の妻になってくれてありがとう」
溺れるほどに捧げられる愛の言葉に真っ赤になったアネモネだが、
「わ、私もハモン様の妻になれて、う、嬉しくて嬉しくて。も、もしジェラルード様にウサギ耳ではなく天使の羽根をつけられていたら、そ、空へ舞い飛んでしまっていました」
と一生懸命にハモンにこたえる。
ハモンは嬉しさの滲むような微笑を浮かべながら手を差し出した。アネモネがそこへ華奢な手を添える。
馬車は第三王子が準備してくれた王家の馬車である。金と銀と白の優美な馬車で、二頭の馬は白馬だった。
「第三王子殿下は、花嫁馬車として申し分ないものを用意してくれたね」
「ハモン様、私、このような優雅な馬車、初めて乗ります」
緊張しつつ馬車内に座るアネモネはぎこちない。
「襲撃の目印ともなる花嫁馬車だからね。もっと派手かと思っていたが、殿下はアネモネにふさわしい典雅な馬車を選んでくれたようだね」
そうして、その時はやってきた。
読んでいただき、ありがとうございました。