17 罠
太陽の高さによって光の角度は変化する。
春は柔らかく。
夏は眩しく。
秋は淡く澄み。
冬は透き通り。
季節によって光の色と角度は違うけれども、太陽が東の空を耀かせ西の空を鏡の破片のように閃かせ沈むのは、どの季節も同じ。
そして、月が昇るのも。
その夜も月は冴え冴えと明るく王都を照らしていた。
繁栄する王都では夜とはいえ、多数の街路灯の下を人と馬と車が往きかう。生活音や人の声の喧騒。幾重にも重なる人垣の間を、穏和な雰囲気の長身の騎士が視線を走らせ警戒しながら歩いていた。
大通りを曲がり街路灯から離れ闇を吸った陰の溜まり場を選んで進み、やがて幅も奥行きもある商家へと姿を消した長身の騎士の後ろを。影そのものみたいな人影が幾人も追う。音もなく、気配もなく。商家へ忍び込む。
ジェラルードが海に棄てたい、と言った騎士のことはハモンから直ぐ様軍の上層部へ報告されていた。夜勤の者と交代して王宮から出た長身の騎士は自身は気づくことなく、ずっと釣り餌のごとく糸付きで気配のない影をじゃらじゃら引き連れていたのだ。
「決行は明日だ」
商家には複数の男たちが集まっていた。捕縛された公爵派閥の残党であった。
「アネモネ・フィールドを殺せば、ひよこと竜が激怒する。もはや我らには未来がない。王都では完全に手配され、逃げるすべさえもなく捕まるのは時間の問題だ。ならば王都を我らもろとも破滅させてやろう」
「ああ。金でゴロツキどもを雇った、質はないが数で勝負だ。あの竜は魔力制御が苦手だ。混戦になれば味方を巻きこまず敵だけに魔法を使うことなどできない。そこが狙い目だ」
「だがハモン・フィールドは一騎当千だぞ」
「心配ないよ。ハモンは僕が必ず弓で射止めてみせるから」
涼やかな声で、いかにも貴公子然とした端正な容貌の若者が嗤う。ハモンの異母兄だった。
「あんな下賤と半分でも高貴な僕と血の繋がりがあるなんて許せない。今度こそ殺してーーいや、新妻の心臓を射ち抜いて絶望を与えてから千切るのがいいね」
「か弱きアネモネちゃんを狙うとは卑怯者どもめがっ!!」
獅子が鬣を逆立てるがごとく第三王子が吼える。
「今すぐ一人残らず捕えてくれようぞ!!」
「今夜はダメだ。街の真ん中だぞ、周りの家々を危険にさらせない。突入するにも準備が必要だ。アジトも他にあるかも知れない。影からの情報は第一報だ、第二報第三報と待った方がいい」
天使隊の隊長が腕を組んで冷静に考える。
「それに、明日の襲撃をこちら側が利用した方が効率的だ」
「罠をしかけるのか」
幼妻ちゃん隊の将軍が額に指先をあてて眉をしかめる。
「ーーアネモネちゃんを囮にするつもりか?」
「ハモン・フィールドが反対しませんか?」
「反対がなんだ? 襲撃されると同時に各アジトに踏み込めば公爵派閥の残党を一網打尽にできる作戦だと思うがな」
「さよう、さよう。この機会に残党どもを一気に潰すべきでは?」
王宮の会議室でも重臣たちの論議は紛糾していた。
「愚かな! 何度ジェラルード様の逆鱗に触れれば貴殿たちは学ぶのか!? 次こそジェラルード様いえ花ちゃんは我らを許してくれませんぞっ!!」
「明日の結婚式の件でも思いましたが、貴殿らは他者は自分に従って当然との態度だ。自分が出席すれば式に箔がつく、とばかりにエラソーだが有難迷惑という言葉を知らないのか?」
お互い主張を譲らず平行線である。
ドゴオオォン!!!
会議室の大扉が真っ二つに蹴りやぶられた。もちろんジェラルードである。後ろには天使隊の隊長もいる。
「小僧ども」
ジェラルードは齢数千年だが見た目は神々しい美貌の青年なので、中年と老人の集団に向ける言葉としては違和感が凄い。が、ギロリと威圧感たっぷりに睨まれて、国王も重臣たちも文句など一言もなく首をすくめた。
「かかちゃが囮を了承した。14歳のかかちゃが身をさらすのに、ジジイのくせに小僧のままなのか? 恥をしれ」
三大溺愛派閥の隊長たちが揃ってアネモネに頭を下げて頼んだのだ。万が一取り逃がしてアネモネの危機的状況を長引かせることも、追い詰められた残党が無差別に人々に剣を振るう可能性も、どちらも避けたい。どうか協力してほしい、と。
「ちちちゃも王都にいるうちに、かかちゃに危害をもたらす者は排除したいと同意した。囮は危険だが、襲撃が確定というのならば、かかちゃは王都の民の安全のために貴族の娘として騎士の妻として承知したのだ。で、小僧ども、お前たちは? 民のために何をするのだ? 何かしているのか?」
侮蔑の色を浮かべるジェラルードに、国を統べる者として面の皮が千枚張りの国王たちとはいえ平然と反論することはできなかった。
「そんなお前たちに我の番から励ましのカードだ」
会議室の長い机をツーーーーッと滑っていくカードを重臣たちは目で追って顔色を変えた。
「てっぺんハゲになってみる?」
と書かれた文字カードは国王の前でピタリと止まった。
国王の温和な顔が引きつる。
その国王に横からそっと書類が差し出された。
「アネモネちゃんを囮にするについての計画書です」
「えっ!? 宝物庫のティアラのひとつを?」
「アネモネちゃんへの報酬です。第三王子殿下が、ダイヤモンドと真珠でつくられた薔薇のかたちのティアラがよいと。報酬については殿下の判断なので、結婚の祝い品ということで」
しれっと言う天使隊の隊長に国王は熟考の末、溜め息とともに頷いた。
「それだけの価値のある囮役だ。明日の残党狩り、失敗は許さぬぞ」
ぷぅぷぅ。
ぴすぴす。
ジェラルードがアネモネのいる貴賓室に戻ってくると、花ちゃんがヘソ天の寝こひよこ姿で、ちょこん、と眠っていた。ぷぅぷぅ寝息が可愛い。
ちまこいお腹がぴすぴす息をするたびにふわふわ小さく上下する。超かわいい。
「かわいいしか言葉が出てこない」
クゥッ、とジェラルードが苦しげに胸をおさえる。
貴賓室にいる誰もが、花ちゃんの寝こひよこ姿にうっとりと目をキラキラさせていた。
「ヘソ天、最高……」
「お腹がふわんふわん、可愛い……」
「寝息が甘い、眼福ならぬ耳福……」
侍女たちは小声で会話しつつ爛々と花ちゃんに魅入っている。
コロリン、と寝返りをうつと今度はちんまり真ん丸くなる。ちまっと可愛い。ちょこん、とちびちびの尾羽がキュートだった。
きゃあ! と侍女たちは黄色い小声をあげて身悶える。
アネモネもハモンの肩に頭を置きうとうと眠りかけていた。
「明日は忙しい。このままお眠り、アネモネ」
「……は、い……」
すーー、と意識をおとすアネモネをハモンが愛しげに見つめる。
「ハモン。アネモネちゃんはまだ14歳だ」
釘をさす第三王子にハモンは苦笑をもらした。
「わかっております。アネモネがきちんと大人になるまで閨はともにしないつもりです」
「悪いな。個人的なことなのに口を突っ込んで」
「女性にとって妊娠も出産も命懸けです。命の問題でもあるので、王国でも重要性の高くなったアネモネを殿下がご心配なさるのも理解できますので。いつもアネモネにご配慮いただいて私は感謝しているのです」
第三王子は楽しそうに笑った。
「最初はアネモネちゃんを守ることが仕事だったのだがな。天使だの幼妻だのうるさい奴らがいて、いつの間にかアネモネちゃんが妖精のように可愛く思えて人生初の趣味になっていた。アネモネちゃんは、かわいていた人生に潤いを与えてくれたんだよ」
「これからも権力も財力もバンバン使ってアネモネちゃんを絶対に守るから、ハモン、ジェラルード様を頼む。世界を救ってくれ」
第三王子の言葉にハモンは、眠るアネモネを肩に乗せているので座ったまま頭を垂れる。
「殿下の信頼に応えられますよう、このハモン必ずやーーと言いたいところですが」
ハモンは顔をあげて首を振った。
「私など花ちゃんの足元にも及びません。あのジェラルード殿が、こっそり男を海に棄てると。こっそりですよ、周りの目を気にもしなかったジェラルード殿が。しかも私に耳打ちで男のことを教えてくださった、砦にいた時には考えられなかった行動です。アネモネに勝手にウサギ耳をつけた時に、花ちゃんに報連相をビシバシ教育されたらしいです。素晴らしいですね、花ちゃんのスパダリ育成コースは」
「あ~、ジェラルード様って問答無用で踏みつぶすか炎を吐くかって感じだからな」
「そうなんです。そのジェラルード殿を成長させるのですから、花ちゃんは本当に偉いです」
第三王子とハモンは顔を向き合わせ、重々しく断言した。
「「花ちゃんは凄い」」
翌朝、空と大地の全てをあたためるべく昇った太陽が、果てない遠方まで蜂蜜色の光を広げ夜の闇を溶かしていく。
ベッドの上で目覚めたアネモネは、
「あら? いつの間に私ベッドで眠ったのかしら……?」
と首をかしげる間もなく大勢の迫力ある笑顔の侍女たちに、鳥籠の小鳥のように取り囲まれた。
「アネモネ様。本日はおめでとうございます。これよりお支度を始めましょう」
アネモネは、ぺこり、と頭を下げた。使用人に礼をする貴族はいないがアネモネの身分は騎士爵夫人にすぎず、おそらく侍女たちの方が身分が高い。
「よろしくお願いいたします」
その頃ハモンは、三大溺愛派閥の隊長たちと王都の地図をながめていた。皆、徹夜であった。
「王宮から神殿へ行く馬車の道だが、ほら、ここが。絶好の襲撃ポイントなんだ、過去に何度か襲われている場所なんだよ」
第三王子が地図を指差すと、幼妻ちゃん隊の将軍が唇を吊り上げる。
「なるほど。知る人ぞ知る限定有名ポイントなんだな? 餌場として」
「その筋では有名ポイントだから、奇襲場所の情報として高値で売られている。影からの報告でも残党どもの襲撃はここで間違いないようだ」
「攻撃場所が特定されているならは迎撃もしやすい。王家が馬車道をかえない理由は、これか」
「よし。相手に察知されないように騎士を密かに配置するぞ。アネモネちゃんに指一本触れさせるものか」
読んでいただき、ありがとうございました。