16 ひそむ毒蛇
花ちゃんはしょんぼりしていた。
ちまい尾羽もうなだれるように下にさがり、雪玉のような羽毛もぺしょりとしていた。頭部に咲いている小さな花さえ元気がない。
花ちゃんはアネモネの結婚式を立派なものにしようと、仲良しの大神官のおじいちゃんにも頼みに行った。大神官のおじいちゃんの祝福を受けて結婚をした夫婦は幸福になる、と言われていたから。
結婚式で花弁を降らして。
アネモネは綺麗なウェディングドレスを着て。
家族や親しい者だけで豪華にお祝いを、と花ちゃんは考えていたのだ。
アネモネは性格的に派手なものは好まないから。
決して国王や高位貴族がずらずら出席するような大規模で盛大で贅沢で豪華な、アネモネが身分的に萎縮してしまうような結婚式など計画していなかった。
「許してくれ、ハモン、アネモネ」
貴賓室で男爵夫婦が頭を下げる。アネモネの両親でありハモンの叔父夫婦は、心痛に襲われてたった1日でげっそりと苦悩に歪んでいた。
下位とはいえ貴族である。
縁も義理もあり、どうしても断ることのできない相手もいる。ましてや上から圧力を掛けられては下位の男爵家では重圧に抵抗すらできない。
いきなり王家の使者や高位貴族の執事が男爵家を訪問してきたのだ。しかも次から次へと。仰天と絶句を通り越して男爵夫婦が、魂が口から抜け出てしまったみたいな悲壮な表情になってしまうのも無理はなかった。
「叔父上。こちらこそ申し訳ありません。身内で結婚式を、と考えていたのですが大事になってしまいまして」
やつれた叔父にハモンが謝罪する。
ハモンには王国武闘大会二連覇の肩書きがあるため自身は騎士爵にすぎなくとも、人々から尊重される地位にいるが叔父はただの男爵である。
厳しい立場は理解できた。
「安心して下さい、叔父上。このハモン、贅を極めた結婚式をしようと揺るがぬ財産を持っております。アネモネに恥をかかせません。それに結婚式のための上級使用人やら諸々の問題を、伯爵家の父や砦の司令官が助けてくれると。国王陛下ならびに高位貴族の方々が出席するにふさわしい、格式ある婚姻の挙式ができることになりましたのでご心配なさらずに」
とハモンが男爵を慰めれは、息子でありアネモネの兄である商人が続いた。
「父上、ハモンがあちこちに手を尽くしてくれているので大丈夫ですよ。それに店の大口顧客である第三王子殿下が、花ちゃんと親しいからと有り難いことに全面的に協力して下さる、と」
薬師の息子も言葉を添える。
「花ちゃんの友人だからと高位貴族の方も手を貸して下さる、と申し入れが」
天使隊の隊長のことである。
三大溺愛派閥はそろってアネモネの結婚式のために惜しまない力添えをしていた。
財力も権力も人脈も全てを所有する面々である。アイドルのように愛するアネモネのため、推しには貢ぐべしと積極的に働きまわっていた。
諸手を挙げる神官たちとともに動く隊長たちのおかげで、挙式の準備が驚くほど早く順調に的確に進んでいる状態であった。
「だからね、結婚式が大規模になってしまったのは花ちゃんのせいではないし、挙式の準備も心配ないから花ちゃんは今回のこと気にしなくていいのよ」
自首する犯人のように、めそっと項垂れる花ちゃんをアネモネが優しく撫でる。
小さなひよこがしょんもりする姿は、いたいけで可愛い。かわいそうで可愛い臨界点突破の愛らしさがある。アネモネの兄たちは、あどけない不憫さが可愛いなぁ、と花ちゃんをほのぼの見ていたが。
ぴぃ、と弱々しく鳴いてしゅんとする花ちゃんの姿に憤然としたのは、当然ジェラルードである。
「ーー亡ぼす」
怒りにメラメラ燃えて静電気みたいな青白い雷をバチバチさせるジェラルードに、その場にいた全員がすがり付いて必死に説得した。男爵夫婦を慰めている場合ではない。王国の危機である。
「ジェラルード殿。人間社会は面倒な人間関係で成り立っている一面があるのでお許しを」
と、ハモン。
「ジェラルード様。私の婚姻の祝儀と思って今回はお許し下さいませ」
と、アネモネ。
「ジェラルード様。店にある花ちゃんグッズを全部さしあげますからお許し下さい」
と、兄たち。
「ジェラルード様。どうかお許し下さいっ!」
と、貴賓室にいた騎士と侍女たちは半泣きで頭を深々と下げる。
男爵夫婦は顔面蒼白になっている。高位貴族、国王、竜、と超ランクアップしていって精神的な許容範囲がキャパオーバーしてしまい、立ったまま気絶してしまいそうだった。
一度は了承した出席に対して、下位の家が高位の家に断りをいれるなど論外であった。たとえジェラルードの独断であったとしても、禍根を残してあとあと貴族らしく仁義なき戦いに水面下で発展するのは予想に困難なことではなかった。
そして花ちゃんが、バチコーン!!
ぴっ! お座り!
へこんでいた花ちゃんがたちまち復活して、思いやりの気持ちは嬉しいが人間社会には、と説教を始めるとジェラルードは頬をゆるめた。
鞭と飴コースの最後には美味しい飴玉花ちゃんの、眼福を通り越してジェラルードを昇天させるひよこうっふんが待っている。
生きていく上で塩は必須だが、ジェラルードの場合は大量の砂糖も欠かせてはならない必要不可欠なものなのだ。
一瞬前までバチバチ雷を飛び散らかしていたのに、にこぉ、と怒っていたことなど忘れて脳内バラ色になっているジェラルードの、天と地のように激しい落差に誰もが花ちゃんの有り難さを骨身に沁みて感じた。竜の番とは、かくも竜を支配するものなのかと。
「なぁ、俺さ思ったんだけど竜の番が性悪だったら世界はどうなるのかな?」
「むちゃくちゃ」
「めちゃめちゃ」
「地獄確定だよなぁ。俺たち、花ちゃんとアネモネちゃんを大切にしないとな」
こそこそと部屋の隅で騎士たちが呟く。
「ジェラルード様は恐怖の大魔王だけれども、花ちゃんとアネモネちゃんがいるかぎり守護竜になってくれるもんな」
さらに声をひそめ小声で囁く。
「本当は花ちゃんも護衛すべきなんだが……」
「花ちゃん、速いんだよな。追いつけないよ……」
「花ちゃん、俺たちより強いんだよな……」
「何よりジェラルード様が花ちゃんに近づく男に明確な殺気を向けるから……。もう花ちゃんを撫で撫ですることもできない……」
「アネモネちゃんに何かあれば花ちゃんが悲しみ、ジェラルード様が激怒する。結果として王都いや王国が滅ぼされる可能性があるからね。絶対にアネモネちゃんは守らないと」
ジェラルードの脅威に露骨に眉をしかめて若い長身の騎士が言うと、
「おおよ! アネモネちゃんを完璧に守ろうぜ」
と周囲の騎士たちも大きく頷いた。守るぜ! と気合いをいれる騎士たちの様子を見て、若い長身の騎士は同意するみたいに目を細い三日月にして笑った。
この若い長身の騎士が、捕縛された公爵派閥の末端貴族の血族であり、軍本部を探るための公爵派閥の密偵役や悪い噂をばら蒔く毒餌のような役目をしていたことを知る者は、公爵派閥の中でも極少数であった。
だから、守らないとねと笑った騎士の目が冷たい色をしていたことに気がついた者は誰もいなかった。
善良で穏やかな騎士に擬態することは、この若い長身の男が最も得意とするものだったからだ。
穏やかに優しげにアネモネを視界に映しながら。その目の奥が毒蛇のように牙を剥いていたとしても。男を疑う者は誰もいなかった。
ただジェラルードだけが。
何かカンにさわる男だ、こっそり海に棄てたら我の番が怒るだろうか、と。
「ちちちゃ」
蚕がひそやかに糸を吐くように、ひそり、とハモンの耳に形のよい唇を寄せたのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。