14 求婚
レビューをいただきました。
感想には返信ボタンがありますが、レビューにはなかったので、この場でお礼を。
ありがとうございました。
ぴっ、ありがとうなのです!
作者と花ちゃんより
申し訳ありません。
花ちゃんの出番は今回ここでおしまいになります。
14話はハモンとアネモネのお話となります。
また15話から花ちゃんは頑張りますので、よろしくお願いいたします。
太陽の光を浴びて呼吸する緑葉が風に響き緑の炎のように揺れていた。
貝殻の真珠層のような、太陽を受けて煌めく花弁を花散らしの風が誘う。蝶の乱舞のごとく風に手を取られ散り落ちる花弁は、一瞬の風との逢瀬に舞姫となってくるくる舞い落ちる。
風を纏って、咲いては消える花火のように。
触れれば消える雪のように。
生まれては消える泡のように。
風と花弁の儚い結びの瞬間のあわいの中を、まっすぐに駆けてくるアネモネにハモンは目を細めた。
「ハモンおにいちゃま」
桃色珊瑚もかくやの淡い色の小さな唇がハモンの名前を呼んだのは、アネモネが3歳になった日であった。
ハモンにとってアネモネは〈とても温かいもの〉だった。すぐそこに〈とても心地好くて優しいもの〉が加わった。
灰色だったハモンの世界が美しい色彩を取り戻すにつれ、〈とても可愛いもの〉も。
ぷぅと頬をふくらませるアネモネと泣きながら抱きついてくるアネモネと笑って跳ね回るアネモネと、千の、万の、たくさんのアネモネと時間を重ね記憶を共有して。
静かな水底に光が降り積もるように、想い出がハモンのひび割れた心に雪解けの水みたいに浸みてゆき。
アネモネが笑えば心が温かく。
アネモネが泣けば心が痛く。
ハモンの心を癒すのも満たすのも〈とても大切なもの〉となった小さなアネモネで。
ハモンにとって。
大切で大事で、かけがえの無いものがアネモネであった。
さらには結婚してからは、〈とても愛しいもの〉が。
遠く離れて。
手紙を毎日書いて。
ひよこの花ちゃんがちびちゃい体で一生懸命に運んでくれたけれども。
水面に映る月みたいに面影しか見ることができなくて。
会いたくて会えなくて、切なくて、その名前を呼んでも相手にも誰にも届かなくて風に消えるだけの日々。ただ一途に想う心は苦しくて、側にいないと思えば寂しくて、けれども名前を呼ぶだけで魔法のように心をあたためてくれるから。
遠い夜に幾度も幾度も繰り返して名前を呼んだ。
そして、今。
アネモネが3歳で出会って11歳で別れたハモンは、少女となったアネモネの〈とても美しいもの〉の姿に息を呑む。
ガラスのような透き通った雰囲気のアネモネは春の妖精みたいに綺麗になっていて、ハモンに会うことのできなかった3年間の月日を深く感じさせた。
3年の月日は長い。
側にいないアネモネの幻の輪郭をなぞるように手紙を読んで、子どもだったアネモネが少女へと成長しているだろう姿を思い描いていたが、想像以上にアネモネは春の花のごとく美しく育っていて。
その名前の通りアネモネは、春の風が吹くと花開き光や温度に敏感に反応して開閉して風がもうひと吹きすれば花が散ってしまうアネモネの花そのもののように、美しく儚く。
ハモンは両手をひろげた。アネモネを抱きしめるために。
「可愛いアネモネ」と幼いアネモネに何百回何千回も言った。
「愛しいアネモネ」とアネモネにこれから何千回何万回も囁き心を捧げるのだろう、とハモンの熱くなる心臓が自分に訴える。鼓動がどくどく脈打つ。愛しい、愛しい、無事でよかった、と泣きたくなるような想いが血液のようにハモンの身体中を駆け巡った。
やっと会えた。
ハモンの開かれた腕にアネモネが飛び込む。
ハモンがアネモネをかき抱く。
「ハモン様……!」
「アネモネ……!」
お互いの存在を確かめるように。
伝わる脈動の激しさも、漏れる吐息の甘さも、腕に込められた力も、全身が震えるように相手に言葉はなくても告げる。
やっと会えた。愛している、あなたは私の大切な人、と。
あたたかい体温のぬくもりに涙腺が溢れんばかりに緩む。
アネモネはハモンの胸に顔をうめることで隠し、ハモンはアネモネを強く抱きすくめることで隠した。
泣き顔ではなく再会に笑う顔を相手に見せたくて。
涙を紛らわそうとハモンは、思わず目の前のアネモネのウサギの耳に口付けた。
ぴくん、とアネモネが身じろぐ。
「ハモン様……」
恥ずかしげなアネモネの声に、ハッと口付けをほどいてハモンは身体を少し離した。
「すまない。ウサギの耳があまりにも可愛くて」
二人の間のほんのわずかな隙間がお互いの体温を流してしまい、そのことすらハモンは惜しむみたいに寒く感じた。
再びハモンは強くアネモネを抱き寄せ、包み込む。
「すまない。離せない、もう恋では足りないくらい愛しているんだ」
凛々しく美々しくたくましい騎士であるハモンの告白にアネモネは、ほんのり血の気を帯びた顔を上げた。
視線と視線が運命の糸のように絡まる。
ハモンの切望する眼差しがアネモネを猛禽の爪みたいに捕えた。
捕食されるみたいに射竦められ。アネモネは背筋に寒気を走らせた。こわい。しかし同時に嬉しくて頬が朱色に色付く。
3年前までは決してアネモネに向けることのなかった双眸の鋭さであった。アネモネを子どもとしてではなく、妻として女性として見ていることの証である。
不安だったのだ。
手紙では、従妹から妻へとハモンの意識が変化していることを感じていた。が、姿を見れば過去へと戻るのではないか、と。やっぱり可愛い従妹と思われるのではないか、と。
しかし、ハモンは愛していると言ってくれた。
喜びに白い花が花開くように、アネモネの白い肌が赤く染まった。
「ハモン様。私も、私も、愛しています」
深呼吸をしてアネモネは勇気を出した。
「ハモン様の妻になることができて私は幸せです」
「幸せ?」
ハモンの問いにアネモネは大きく頷く。
「ハモン様がいてくれるだけで私は幸せなのです」
あなたが居れば私は幸せ。
どれだけの人間がそのような幸福に満ちた言葉を貰えることができるのだろうか。
歓喜がこみ上げてくる。ためらいもなく言い切ったアネモネに、ハモンは酔うように指の爪先まで喜びを滲ませた。
「私もだ。私もアネモネがいてくれるだけで幸福だ」
比翼の鳥のように、互いに必要とし互いに愛し互いがいてくれるだけで幸福と。ハモンとアネモネはお互いを欠けては飛べない我が身の片羽根と想い合った。
「アネモネ」
ハモンは片膝を地面につき、貴重な宝石のようにアネモネの手をとった。
「アネモネ」
ハモンは軍衣の懐から小さな箱を取り出す。
「アネモネ、受け取ってほしい」
ハモンは、アネモネの細い指に繊細な細工が彫られた指輪を通した。
アネモネは呼吸を一瞬止めた。薬指が冷たい。すぐに馴染むように指輪が体温にあたためられる。指輪の中央には青い輝石がハモンの色として輝いていた。
「3年前はいきなりの求婚だったから、アネモネに指輪すら贈れなかった。大事な求婚なのに。だから王都へ帰れたならば、もう一度アネモネに求婚をしようと考えていたんだ」
優しい仕草でハモンはアネモネの手を慈しみ撫でる。
「アネモネ。愛している、どうか私の心臓になってくれないか?」
ハモンの青い目はアネモネだけを見つめている。アネモネだけがハモンの目に映っていた。
「私の心臓となり私を生かしておくれ。妻となり、アネモネの百年を私に。私の百年をアネモネに。ともに百年をすごしておくれ」
こいねがうようにハモンの目がアネモネを火のような熱をはらんで射抜く。
そして秀麗な貌を近付けて、手の甲に接吻し手のひらにも接吻し、捕食者の目で再度アネモネをとらえた。
真っ白なほど色事に免疫のないアネモネは。
倒れず踏みとどまっているが、崩れ落ちる寸前だった。いや、硬直しているといっていい。
返事をしなければ、と焦るのに声が喉に張りついて出てこない。ドクン、ドクン、と血が沸騰しそうだった。
嬉しいのに、
嬉しいから、
嬉しすぎて、声が言葉として芽吹かない。
かわりにアネモネは涙をぽろぽろ流した。
ぽろぽろ涙を水晶の雫のように溢しながら、
「……はい……」
と、か細く声音を絞り出したアネモネをハモンは表情を蕩けさせて抱きしめた。
読んでいただき、ありがとうございました。