12 王都帰還
巨大な王都門を抜けると、王都は別世界であった。
馬蹄で大地を蹴り風を巻きおこすほど駆けて駆けて駆け続けて、軍衣は汗と埃にまみれ、わずかな休息をマントにくるまり取っただけの身体は疲労が息となって吐き出される。極度に疲れきった第二砦の騎士の面々が見たものは、お祭り騒ぎの王都であった。
王都が近付くにつれて報告はもたらされていたが、やはり目で見るまでは信じられなかった。
「よかった……」
「よかった、王都も家族も無事で……」
「よかった、ジェラルード様には自制心があったのだな……」
第二砦の騎士たちの呟きは、安堵の溜め息とともに吐き出された。
うっすら涙を浮かべて胸を撫で下ろしている者もいる。
馬の足をとめることができないほど不安と心配が交差した日々だったのだ。
ハモンも身体中の力がゆるゆる抜けるほどの大きな溜め息を、ふうぅぅ、と口から吐く。
ハモンは花ちゃんのことを信用しているが、それでも万一のことがある。なにしろジェラルードは竜なのだから。
人間の常識も思考も人間だけのものであって、竜には通用しない。
竜は生きて動く天災であるのに、ジェラルードは無邪気で残酷すぎる。簡単に真昼にもなれば真夜中にもなる心で、命を救いもするし奪いもする。
「竜様、万歳!」
人々のジェラルードを讃える声がハモンの耳に届く。
遊具や水族館にはしゃぐ子どもたちの甲高い歓声も。
ハモンは馬の背に揺られながら少しだけ目を瞑った。
平和で明るい王都に。
髪を吹き抜ける心地よい風に。
石畳の道をあたためる穏やかな陽光に。
ハモンの瞼の裏に人には見せぬ涙が溜まる。
しかし綻びかけた気持ちをハモンは、アネモネの姿を見るまでは、と再び引き締めた。
そうして、第二砦の騎士たちは列を整え王宮へと向かったのだった。
「我の番は、綿埃の妖精のようにもふもふで、甘い綿菓子のようにふわふわで、ちみこい脚は花弁のように軽くて、だからスリスリされたりフミフミされたりすると地上の骨抜きクラゲになってしまうのだ」
ジェラルードは手のひらを花ちゃんにちまちまフミフミされつつ、うっとりと語る。
花ちゃんは5センチなので手のひらに、ちょこん、と乗る大きさしかない。
ちみっこい脚がきゅむきゅむと、ジェラルードの大きな手のひらの中で指先をきゅむきゅむ、手首をきゅむきゅむ、ちまっと動いてきゅむ、上を踏んできゅむ下を踏んできゅむ。と、こそばゆいような形容し難いくすぐったさであった。
「ジェラルード様、私は花ちゃんの黄色は、太陽の欠片が春のタンポポに宿り、次に夏のヒマワリに宿り、秋のキンモクセイに宿った、そんな黄色の色だからふわふわの羽毛は綺麗でいい匂いがするのだと思います」
アネモネは両手を組んで熱く力説する。
ジェラルードとアネモネはふたりで花ちゃんの可愛さ自慢の真っ最中だった。
「おお、ヒマワリ! 我の番のドングリお目目は夏の王花のヒマワリのように大きくてぱっちりしているぞ」
「ええ、ジェラルード様。花ちゃんのドングリお目目はとっても澄んでいてキラキラして可愛いのです」
ふたりとも花ちゃんがいかに可愛いか、お互いに自分の知っていること思っていることを自慢し合う。
最初は、今日帰ってくるハモンを待つアネモネがそわそわと立ったり座ったり歩いたり、くるくるうろうろしていたので花ちゃんが一生懸命に慰撫していたのを。
「我の番は優しくて可愛い!」
とジェラルードがいつものごとく誉めだしたのが始まりだった。
「ええ。花ちゃんは凄く優しいのです」
とアネモネがうけて、
「我の番は声も、そよ風のように優しいぞ。鈴がリンリン鳴るように可憐で、すずらんがリンリン揺れるように可愛い声だぞ」
とジェラルードがさらに続けて。
そこからは花ちゃん自慢に発展してアネモネとジェラルードは、花ちゃんが花ちゃんは、と声音を踊らせ盛り上がった。
アネモネもジェラルードも花ちゃんは世界一かわいい! と主張する。もちろんお互いに異論はないので、花ちゃんのふわふわの羽毛やちっこい嘴やドングリお目目やちまこい脚やふわぁんなお尻や、あらゆるところを誉めちぎった。
当の花ちゃんは、アネモネが落ち着いたならばひと安心、とばかりに今日のノルマのひよこうっふんに取りかかった。
ジェラルードに約束した、フミフミとスーハーとスリスリである。
ちまこい脚で手のひらをきゅむきゅむ。
ジェラルードの鼻にくっついて、ひよこ吸いでスーハー。
ふんわりふわふわの羽毛をスリ寄せて、ス~リスリ。
釣糸のエサ、馬の前のニンジン、鞭と飴の飴玉の花ちゃんである。
ジェラルードは超ご機嫌である。
「かかちゃ、我は楽しい。幸せとはこのような気持ちなのか」
アネモネとのお喋りは楽しく心弾むし、花ちゃんのひよこうっふんは心が薔薇色になってジェラルードを深く満たした。
第二砦から昼夜必死で馬を走らせ続けてきた騎士たちが見れば、へなへなと力なく半笑い半泣きして脱力しそうな幸せいっぱいな笑顔のジェラルードであった。
「アネモネ様。第二砦の騎士の皆様が到着なさいました」
侍女の知らせにアネモネが椅子から立ちあがる。
「先にご報告やらがありますからまだお会いすることはできませんが、廊下を通る姿を遠くから拝見することはできます。急ぎましょう」
「はいっ!」
侍女に手を引かれ、アネモネがドレスの裾を持って走る。
左にはジェラルード。
右には花ちゃん。
後ろには、アネモネのぴこぴこ揺れるウサギ耳に新しい扉を開けた武官と文官と貴族たちが蟻の行列の如く連なる。
「ああ~、ウサギ耳のアネモネちゃん可愛い~!」
「お耳がふわふわぴこぴこ~!」
「知っているか? 侍女が教えてくれたのだが、ドレスの下には…………」
「はぁっ!? もふもふな尻尾が!?」
「なんてケシカランッ! 素晴らしすぎる!」
「しっ! 声がデカイ。ナイショの話なんだからな」
「ジェラルード様いわく、ウサギの尻尾は幸運の印。アネモネちゃんは幸運値が今爆上がり中らしい。護衛の騎士の盗み聞き情報だ」
「ウサギの耳に尻尾。天国か……っ!」
ひそひそと会話をかわす後ろの人々を、ジェラルードがギロリと睨む。
アネモネは三年ぶりにハモンの姿が見れるとあって周囲など目に入っていないが、独占欲の強いジェラルードは後ろの人々が煩わしくて仕方がない。
イライラするジェラルードを花ちゃんが宥める。スリリンスリリンとジェラルードの頬にちびちゃい体を寄せて、ぱくん、と耳たぶを甘く噛む。
もうひとりの撫で撫で要員であるアネモネはハモンに夢中なので、花ちゃんはサービスサービスと、んちゅ、と再び甘噛みをしてジェラルードをイライラからメロメロへ変身させる。
ハモンと3年ぶりに会えるアネモネのために花ちゃんとしては、ジェラルードが怒りのままに後ろの人々と衝突する事態は避けたいのだ。
ついでに、後方へ静かに火炎を吐く。
ザザザッと人々が後退して、距離が大きく開き花ちゃんは満足げにドングリお目目を細めた。
アネモネの邪魔となる者は許さない、とガンを飛ばす5センチのひよこに、武官も文官も貴族もコクコク上下に首をふる。
内庭に出ると、空の奥から降りてきたような風が見えない手を伸ばして、アネモネの長い髪を掴むみたいに絡まり離れていった。音ない風のさざ波が立つ。ドレスの裾が踊るように軽やかに広がった。
「アネモネ様。こちらの柱からあちらの廊下がよく見えますわ」
侍女に促され、アネモネはどきどきする胸を押さえて柱の陰に隠れる。
「どうしましょう。私、私は嬉しいけれども、どうしましょう、見苦しくないかしら?」
華奢な楽器の弦のようにアネモネは声を震わす。
11歳で砦に行くハモンを見送って3年、アネモネは初々しい花の蕾のような少女に成長した。
「私、子どもっぽいかしら? ああ、でも隠れてお姿を見るだけですものね。ハモン様には私が見えないから大丈夫かしら」
すぐに溶けて消えてしまう雪みたいに儚く不安げな様子のアネモネに、後方の人々は声なき声で応援する。
(超絶かわいいから)
(ハモンもイチコロの美少女ウサギちゃんだから)
(ハモンが文句言うなら俺が求婚するから)
(ああ"、求婚するのは俺だ)
花ちゃんとジェラルードが怖いので、こそこそと人々が激励する。もちろんアネモネには一語とて届いていない。
(((ちくしょー! ハモンが羨ましいっっ!!)))
ハモンはゾクリと悪寒を走らせた。
「どうかしたか?」
王宮へと続く丘のような大階段を登りながら仲間の騎士がハモンを振り返る。
「いや、少し疲れが出たのか背筋に寒気が」
「わかる、俺もだ。王都が賑やかで安心してしまって」
他の騎士たちも加わって口々に言葉を続ける。
「だよなぁ。もしもの時はジェラルード様相手に命を捨てる覚悟だったもんな」
「なのに着いたら王都はお祭り騒ぎ。気が抜けて力も抜けたけれども、無事かわりなくて安心したよ」
「本当にな。けど、こうなると今回のことはラッキーとも言える。報告が終われば、4日間の休暇だ。家族に会えるぞ、ああ、おまえは恋人か?」
先輩の騎士が最年少の騎士の肩を叩く。
「はい。久しぶりに会うことができます」
ハモンも口元が綻ぶ。
アネモネに会えると思うと、疲労で重い身体も軽くなった。
しかし。
「ハモン、悪いがおまえには特別任務がある。こちらへ」
厳しい顔をした司令官に呼ばれ、仲間の騎士たちから離れたハモンはロクデモナイ予感に漏れる溜め息を噛み殺した。
「国王陛下がお待ちだ。わたしとともに謁見の間に行くぞ」
司令官は残りの騎士たちに指示を出す。
「おまえたちは、あちらの廊下の先にある将軍の部屋へ報告に行け。その後は解散、休暇に入れ。ではハモン、行くぞ」
ハモンは仲間の騎士たちの同情の視線に苦笑を返すと、アネモネへの未練を呑み込み、騎士として姿勢を正して司令官に続き重厚な扉へと向かった。
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