1 生まれたひよこは5センチ7グラム
前作の短編の続きのお話です。続きの2であるこちらの単体だけでは少しややこしいかも知れませんが、よろしくお願いいたします。
文字の最後を伸ばす癖のあるアネモネの字は、ゆらゆら泳ぐ金魚を連想させる金魚草みたいだとハモンは思った。
手に持つ手紙にアネモネの面影が揺れる。鏡に映った花のように水面の月のように、見えはしても虚しくも掴めない幻の蝶のようなアネモネ。
瞼を閉じれば、幼いアネモネが甘い金魚草の香りを花衣のように纏う姿が浮かんだ。
なつかしい声でハモンを呼ぶ。
結婚した時は可愛い従妹でしかなかったアネモネだが、お互いを想い歩み寄る手紙を送りあう毎日が続けば、意識もかわっていく。
一枚一枚花びらを積み重ねるような手紙が、やがて水に燃えたつ蛍の如く相手に焦がれる恋風となるように。契りを結んだ妻へと、妻へと残した心が、いたましく恋しく切なく。
ハモンの記憶にあるのは、淡く儚い夢を飾るような11歳までのアネモネの姿しかない故に、なおさら花梔子の濃すぎる薫のように苦みを帯びて心に沁みるのだった。
「……遠いな……」
辺境の砦に赴任して3年目の春はきたが、王都は遠い。逢いたくて叶わなくて。流るる時の砂は指の隙間から零れ落ちて。
それでも、触れることができなくても、小さな頃から子猫のようにミーミーと泣いてはハモンに甘えてきたアネモネが涙の蕾になっていないのであるならば。
毎日、笑ってくれているのであるならば。
騎士として砦で命を懸けて立ち向かうのはもちろんであるが、アネモネがそこにいると思うだけで、王都は美しく輝き身命を睹せるハモンであった。
ハモンはベッドの上で真珠の珠のように、コロン、と転がるひよこのぬいぐるみを拾い上げた。吐息だけで笑う。花ちゃんのひよこぬいぐるみは、王都で大人気なのだとアネモネからの手紙には書かれていたが、納得の可愛さだった。
可愛いものは今までも売られていた。
しかし上流階級で主流となっていたものは、豪華であったり華美であったり上品であったり、華やかで品のあるものがほとんどだった。
そこにアネモネが作った、花ちゃんのひよこぬいぐるみとひよこハンカチが参入して確固たる地位を得た。アネモネの兄の類いまれなる商才の力もあったが、もともとの花ちゃんの知名度の高さも人気の後押しをした。
5センチ7グラムで生まれたひよこの花ちゃんは、アネモネがハモンへ手紙を送りたいという願いから産まれた魔法生物である。それゆえに、ハモンのもとへ一直線に飛ぶ本能のようなものがあった。ハモンが山の頂きにいようと谷の底にいようと、風より速いスピードでそこを目指して飛ぶのだ。
けれどもアネモネの記憶の一部を持つ高い知能の花ちゃんは、子どもには愛情をというアネモネの優しさも受け継いでいた。花ちゃんは、ぎゅっと手で握ってしまえば潰れてしまいそうな5センチのひよこなのに、強いのだ。
馬で20日の距離を1日で飛ぶのである。
花ちゃんの飛ぶスピードは竜にも負けない。速い。当然そのスピードで相手にぶつかれば、ドッカーンと大穴があく。危険なので、障害物のない雲の上をぴよぴよ飛ぶ花ちゃんであるが、千メートル単位で見える視力があり、ゆえに子どもが襲われていれば急降下して。
魔物をドッカーン!
盗賊をドッカーン!
ドッカーンと3年間もしているので、王都から第二砦へのコース周辺は安全地帯となっていた。
王都では、迷子係の花ちゃんとして有名だった。
花ちゃんは魔法生物なので魔力が見えるのだ。親と子どもは魔力が類似するので、共通する魔力のもとへ無事に送り届けて感謝されること百回以上。
そして子どもを拐う誘拐犯には容赦がない。
花ちゃんは5センチなので羽根もちまっこいのだが、そのちまっこい羽根で、女王の鉄扇のようにバチコーンとぶち飛ばすのだ。
バチコーン!
バチコーン!
カッキーン!
人相の悪い男たちが、ちびちゃいひよこによって臓物がえぐり出されたような悲鳴を上げてカッキーンと吹っ飛ばされる光景は、衝撃をもって王都の人々から喝采された。
火炎も吐けるが周りへの延焼が心配な花ちゃんは、すぐさま消火できるハモンがいない時は物理攻撃をメインとするようになっていたのだ。
このように多くの人々に存在を知られている花ちゃんが、ぬいぐるみになったのである。
しかもアネモネの作った花ちゃんのひよこぬいぐるみは、今までぬいぐるみに求められていなかった、ふんわり感を追求していたため手触り肌触りが究極によく、そもそもひよこをぬいぐるみにしようなどと考える者もいなかったので、ひよこぬいぐるみ自体が革新的であった。
見事チャンスの女神の前髪をつかんだアネモネの兄の商店が、連日おすなおすなの大繁盛となるのは必然の結果だった。
この好機を逃すべからずとばかりにアネモネの兄は、ぬいぐるみやハンカチの他に、ひよこクッキーやらお花のキャンディーやらの食べ物から、ひよこ帽子やお花のリボンの小物まで幅広く商品を開発して、特にやわらかさの極致の身体が沈みこむ花ちゃんのお花クッションは、人をだめにするクッションとして人々を惹き付けた。
商店の店頭に設置されたガラス張りの飾り棚には、これまでのぬいぐるみにはなかった、魅惑の丸っこいボディにぽっこりお腹をしたふかふかのひよこぬいぐるみが並び大衆の注目を集めていた。
「あれ?」
陳列窓を背伸びして見ていた子どもの一人が指を差す。
「花ちゃん? 本物?」
陽当たりバツグンと、花ちゃんがひよこぬいぐるみに埋もれて日向ぼっこをしてうとうと眠っていた。今日はアネモネが兄の店に用事があって来ているので、お供をしているのだ。
クークーと呼吸するたびに上下する、ふわふわのコットンボールのようなちびこい超ミニサイズのお腹がかわいい。
陳列窓には仔猫や仔兎のぬいぐるみもあって、抱っこされるようにちんまり眠る花ちゃんはとんでもなく愛らしく、たちまち大勢の人だかりができたのであった。
「かわいい!」
「かわいい!」
「かっこいい!!」
砦でも王都でも花ちゃんは、その5センチの可憐で小さな姿から癒しと和みのアイドルとして愛されているが、子どもたちの中には、花ちゃんの華々しい活躍をみてヒーローとして敬慕して憧れている子どもも多いのだ。
花ちゃんは女の子なのでヒロインと普通は呼ばれてもいいのだが、ドッカーン! バチコーン! の世界なので子どもたちにとってはカッコいいヒーローなのである。
「店頭にある、花ちゃんが触れたぬいぐるみが欲しいのだが」
アネモネの兄は、ダダッと足早に入店してきた客の言葉を素早く咀嚼すると、にこやかに商人らしく口角を上げた。
ぬいぐるみとはいえ厳選された素材で作られた高級品である。平民が買える値段のものではない。アネモネの兄は成功した商人として大通りに広々とした立派な商店をかまえ、取り扱う品も庶民の市場向けではなく高価な品が大半だった。
「はい、こちらですね?」
そして兄は花ちゃんを隣のぬいぐるみに、トテッ、と転がした。
「わしには、そちらのぬいぐるみを」
隣のぬいぐるみに、トテッ。
「僕はそれを」
さらにトテッ。
「わたしにも」
トテッ。
同じ値段で同じ商品を買うならば付加価値があるものがいい。ふわあぁぁんな花ちゃんが寝転がったぬいぐるみを買って帰ったならば、パパ大好きと言われること間違いなしである。
さすがに花ちゃんもトテンコロンところがされれば目覚めもしていたのだが、売り上げの一部が孤児院への支援金になることを知っていたので、ウハウハする兄に協力して、されるがままにコロコロコロまろび続けたのだった。
「花ちゃん、そろそろ帰りましょう?」
アネモネがしゃがんで、おいでおいでをするとコロロロ~と転がっていた花ちゃんが、ピコッとちまこい羽根を立てて返事をしてテテテテテと走って来る。
やわらかな初雪のようなふわふわの5センチのひよこが、短い脚でちまちま懸命に走る姿は問答無用に可愛いらしく、店内の誰もがまばたきすらせずにウットリと花ちゃんを凝視するのだった。
「花ちゃん、頑張ってくれてありがとう」
アネモネにいたわられ優しく撫で撫でされて、ピッ、がんばったの!とちっちゃな胸を張る花ちゃんであった。
「私も頑張るわ」
花ちゃんのひよこハンカチとひよこぬいぐるみの、元祖の製作者であり可愛さの先駆者でもあるアネモネの手には、兄からの注文書があった。今やアネモネの作るぬいぐるみもハンカチもプレミア的価値がつき、兄が売値をどんどん吊り上げても予約が殺到しているのだ。
「うふふ」
嬉しげにいそいそと鞄に注文書を入れる。アネモネには借金があるのだ。
ハモンはアネモネに結界付きの青い宝石をくれたが、それは王都で屋敷が購入できるほどの高額な宝石だったのである。そのことを知ったアネモネは、結界付きの宝石は騎士であるハモンが所有してこそ意味がある、と商人の兄に頼んで同じような品をハモンへ送ってもらった。
アネモネにはハモンが自由に使って良いと許可をくれた資産があるが、それはアネモネにとってあくまでもハモンのものであった。
だから、せっせと兄に借金返済中のアネモネにとって、自分の力で稼げる仕事があるということはとても嬉しいことなのだった。
最初はアネモネの、花ちゃんは世界一可愛いという気持ちから作られたひよこハンカチとひよこぬいぐるみは、アネモネの日常と上流階級の流行を変化させ、王都で可愛いは最高で最強というブームを人々に与えたのであった。
読んで下さりありがとうございました。