私と孤独、みんなとの世界からの逃亡 独白
私は小学校高学年のころから、孤独の病に侵され始めた。
当たり前だろう。私自身が私の情報を隠し始めたからだ。
私が、愚かなぐずであることを悟られたくなかった。
たとえそれが家族であろうと、親友であろうと、私は見栄を張り始めた。
世の中には、誰も私を理解してくれる人間などいない。
そう孤独に悩まされ始めたのだ。
私は失望恐怖症になった。
だから私は、周りに期待してほしくなかった。
感情とは、期待値からの差分である。
だから私は周りに期待してほしくなかった。
でも期待してほしかった。
私がすごいということを周りの人間に知らしめたかった。
そんな矛盾を私は抱えていた。
誰かに私のこの孤独が、決して孤独なものではないと言ってほしかった。
だから私はこの文を今書いている。
私は、誰かに私を知って欲しい。
私を知って、受け入れてほしい。
私はその誰かを受け入れるから。
だからどうかわたしを受け入れてほしい。
そう願い続けている。
でも、私は失望恐怖症だから、言い訳ではなくて、
本当に、失望に対する恐怖に彩られているから、
自分から誰かと本物の友達になろうとしない。
自分からは求めず、キッカケばかり望んでいる。
いつも能動ではなく受動でしか動かない。
何かもわからない「責任」に閉じ込められ、
そうなるかもわからない「失望」に囚われ、
有り得ない妄想が現実となる「期待」を抱えて生きていく。
動かぬ人形に、モノが与えられるはずがないのにも関わらず。
誰かにも嫌われたくないのに、でも、誰かに嫌われても構わない。
私を受け入れてくれるのならば、誰に嫌われてしまっても構わない。
実を言うなら私は、所謂コミュ障ではなかった。
友達は多くいるだろう。
自己申告なので信用は出来ないから、信じる必要は全くもってないけれども。
でも、心を開いたことはもはや無い。
親密さを私を原子核とした円で表すのであれば
きっと
K殻には誰もいず、
L殻には家族一人、
M殻には、その他大勢、
のようになるだろう。
私を支えてほしい。
私を誰かに捧げたい。
私の体もすべてを生贄に、あなたか、それ以外の誰かが欲しい。
私のすべてを与えたい。
そうすればきっと、私は捨てられやしないのだから。
私は孤独だ。
誰か助けて。




