第1話 ■ まじめ地味キャラ
讃岐電鉄「さんでん」は、ほとんどの区間が単線の田舎電車だ。
さんでんの駅は、無人駅が多く切符の回収や定期券の確認は、車掌が車両から降りてきてプラットホームで行う。
屋島駅は、さんでんの駅にしては珍しく駅員がいる。
駅の構内だけ線路が複線になっていて、対向車同士が待ち合わせ行き違いを行う。
駅の正面には、源平合戦の舞台となった屋島やしまが現れる。
合戦が行われたころの屋島は海に囲まれた完全な島であったらしいが、江戸時代以降、埋め立てが進み、駅の裏を流れる小さな相引川がかつての海の名残として潮の干満に合わせて静かに水の増減を繰り返すのみで、今では往来が簡単にできる。
午前八時、ミフネは、いつものように改札で駅員に定期券を見せる。
小さな駅舎を出て線路沿いの通りを高校に向かって歩いていく。
駅構内で対向車と行き違いをすませた2両編成の電車がミフネの横を走り抜けていく。
一陣の風がミフネの長い髪をふわりとなびかせる。
道を歩いていると途中幾人かの同級生にも会うが、無言を貫きただひたすら歩き続ける。
というより、ミフネには挨拶を交わしたりおしゃべりを楽しむような仲のいい友達はいない、と言った方が正しい。
両親は学校の教員をしていて、幼い頃から真面目に勉強するのが当たり前の家庭で育ってきた。
学業はトップというわけではないが、定期テストではいつも学年上位に入っている。
自分が「まじめ地味キャラ」だということに気付いたのは中学に入ったころだった。
中学に入ると小学校時代からの友人たちは、他の小学校出身の子たちと化学反応を起こし、ファッションや恋愛の話題に目覚めていった。
中学に入っても親が買ってきた服を着て相変わらずまじめに学業だけをこなしていたミフネは、蝶になりそこねた蛹のように華やかな世界とは隔絶されてしまった。
ミフネは、この田舎町に似つかわしすぎるぐらい地味な女子高生だ。
そのまじめさゆえに、授業のグループワークやテスト前になると、何人かのクラスメイトがミフネに意見を求めたり、ノートを見せてくれと頼ったりしてくる。
自分からまじめ要素が消えたら、この人たちは自分に見向きもしなくなるのだろう、ふとそんな思いがよぎって恐ろしくなることもあったが、高校に入っても相変わらず同じようなポジションを維持している今となっては、そんな人助けができるなら悪くない、と思えるようになってきた。
初夏の日差しの中、登山口に向かって坂を上り、その手前にある高校の校門に辿り着くころには、長い髪が汗で首筋にはりつき不快感が最高潮に達する。
髪を結えばいいのだろうけど、ミフネは櫛でといただけの結わない髪型が好きだ。
周囲からの視線を長い黒髪のカーテンがほどよくさえぎってくれているような気がするからだ。
実際はそんなに注目されているわけではないことぐらいわかっているが、自分の地味さひた隠しにしたい気持ちがどこかにあるのだ。
教室に入って席に着く。
孤独と手持無沙汰を紛らわすために文庫本を出して黒髪カーテンに隠れて読んでいるふりをする。
これが日課だ。
不意にそのカーテンを破ってサユリが声をかけてくる。
「ミフネ~、この問題どうやって解くん?」
サユリの広げたテキストには三平方の定理を使った問題が見えた。急に声をかけられた戸惑いもあったが、中学生レベルの問題なので、そんなに難しくはない。
ミフネはテキストに補助線や数式を書き込みながら解説をする。
「そうか~、わかった。ありがとう~。ミフネって頭ええのう!すご~い!」
屈託のない笑顔を振りまきながらサユリは去っていく。
この子、勉強はそれほどできないが、この愛想のよさは「うらやましい」を通り越して神々しいレベルだ。
先日の数学テストも赤点を取って担当教員に叱られていたが、本人は頭の上で合掌して「せんせー、ごめんなさーい。」とまるでアニメキャラのようなオーバーアクションで平謝り・・・。
そんな屈託のない姿が、クラスメイトからも、また教員たちにとってもかわいくて仕方がないようだ。
自分には天地がひっくり返ってもできない芸当だ、とミフネは思う。
ミフネは、「学習委員」という自分のためにあるような委員になっていた。
ノート提出日になるとクラス全員のノートを集めてそれぞれの教科担当の教師に持っていくのが仕事だ。
今日は、社会科のノート提出日になっていて、昼休みに集まったノートを確認し名簿にチェックを入れる。
サユリ以外は全員分そろっている。
本人にも問い合わせたが家に忘れてきたそうなので、ためらうことなく名簿の彼女の欄に×を入れると、四十冊近いノートを抱え教室を出る。この作業を全教科分行わなくてはいけないのでうんざりする。
全校集会で堂々と司会をする生徒会役員や昼食時にDJ気取りで流行りの音楽を流す放送委員になりたい願望はミフネにもあった。
高校に入学し、いきなりそんな役職になれたら、まじめ地味キャラを脱しド派手一軍グループの仲間になれるのではないか、そんな妄想をしていると、不意に同じ中学だった男子に推薦され学習委員になってしまったのである。
ミフネの高校デビューの野望は、入学後三日目にして潰えた。
よたよたしながらノートを運ぶミフネは、廊下の曲がり角の向こうからやってきた何かとぶつかる。
「うわあ!」
声を上げた次の瞬間、ミフネの抱えていたすべてのノートが床にぶちまけられた。
「ごめーん、廊下は右側通行やね。」
声をかけてきたのはぶつかった相手は女子生徒だ。
彼女は、そそくさと床にぶちまけられたノートを拾い始めた。
「ごめん、こっちも前をよく見ていなかったから・・・。」
ミフネも小さな声で謝り、ノートを拾い集めながら彼女の方をちらりと見た。
大柄な体格、ショートカットでボーイッシュな雰囲気の彼女はバスケ部やバレー部だろうか。
ふと見ると彼女の胸にも同じ学習委員のバッジがついている。
「ありがとう。あなたも学習委員?」
おそるおそるミフネがたずねると、
「うん。もうノートは職員室にとどけたけど。そや、これ使い。便利やで。」
彼女はキャリーカートにレジカゴがついたような道具に拾ったノートを入れ始めた。
どうやら彼女は、このレジカゴ付きのキャリーカートにノートを入れてころころと職員室まで運んだ帰りらしい。
「なにこれ?こんな便利な物、学校にあったんだ?」
「いいや、これウチが作ったんや。」
「えー!?」
驚くミフネが、目を丸くしているうちに、彼女はすべてのノートをカゴの中にきれいに納め、
「じゃあの。あ、それ使い終わったら二組に返しにきて。」
ピースサインつきのおちゃめな挨拶をした彼女はそのまま教室の方へと立ち去って行った。
自分が拾った数冊のノートを抱えたミフネはその姿をぼんやり見送った。