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白露の流れ者  作者: kafka
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白紙の旅路

 大陸東部に位置する王国の片田舎の村娘が、をさをさ人も訪れぬ深い森の奥で男を拾った。見目麗しく卦体な雰囲気を纏った男だった。



 男は名乗らなかった。名乗る名を知らなかった。

 男は記憶を失っていた。言葉は通じたのが幸いか、男は村娘の言葉に従い部屋の中で大人しくしている。


 寝具の上で身体を起こしている男は、まるで珍しいものを見るかのように、平凡な田舎の風景を窓から眺め楽々としていた。


 娘は思惟する。男は一体何者であるのか。何処から来たのか。何故あの様な森の奥で倒れていたのか。きっと平凡な人生を送る私には窺い知れぬような物語があるに違いない。その結論が出るまでに費やした時間はそう多くなかった。


 娘は一人の小百姓に過ぎない。しかし例え側杖を食う事になったとしても、この青年は自らの手で護りたい。そのような事を思わせるだけの底の見えぬ魅力が男にはあった。


 眼だ。星空の様な深い青の大きな瞳は容易く此方の内情を見透かしてくる様な感覚に陥る。取り繕おうにも丸裸にされる様な不可解な感覚は、男が今までに会ったことのない種類の人間だと言う事を示唆していた。


 娘は心が昂るのを感じた。それは恋か。それとも無為無聊の生活に変化が起こるのを敏感に感じ取ったのか。娘の火照りを醒ますように涼やかな風が窓から吹き流れた。



「何か来る」



 男が澄んだ声でそう呟いた。娘は訝しげに聞き返す。「一体何が」と。

 男からの返答の言葉は無かったが、男は細剣を腰に吊り下げ、足早に部屋を出て行った。

 娘はそれこそが返答の言葉と同然と捉えた。何者かが害意を持ってして近づいている。であるからこそ彼は逆撃へと向かったのだ。そう考えた。

 私には何が出来るのだろうか。娘は男の為に出来る事を探すが、それが男を助けられるとは限らないとも思い直す。彼に縋る足枷となるかもしれない。しかし娘は動かずにはいられなかった。武器となる物を手早く探し、男を追う為部屋を出た。


 家の扉をやや乱暴に開け放ち、男の姿を探す。程なくして探し人は見つかった。男は村の広場にて細剣を抜き放ち、空を睨んでいた。


 彼が感じた気配は未だ自分には分からない。されども彼は確かに何かと戦おうとしているのだ。それを助けなくては行けないと、男の元へ歩みを進めようとしたその時だった。


 遥か空の彼方より何が聞こえた。聞いた途端に脚は止まり身体が震える。根源的な恐怖を感じさせる強大な咆哮。

 其れは遠くより聞こえたはずだった。

 其れは直ぐ様姿を現した。


 灰龍。男が見つかった深き森の更に奥、荒れ灰谷に巣を作る生態系の頂点。永くを生きる種の凄味は、遠く吠えずともその威容を語る。薄灰色の硬鱗は鉄の剣矛すら徹さず、鋭い爪牙は堅い鎧を易々と碾く。


 種として多くを恵まれた強者が、今村の広場に雄大に降り立った。男が相対する。

 「なんでこんな所に…」娘の声は掠れ、声として風には乗らなかった。


 龍が人里に降りてくる事は稀である。龍とは縄張り意識が強く、しかし其処から十五里程も離れれば其の姿は滅多に見なくなるものと知られている。其の上多くの龍は空気中の魔素を生命維持に使う為、人間を主食としている者は居らず龍と人間種は遠い存在の筈であった。


 龍どころか魔物も見たことが無い娘はまるで刻が止まったかのようにその場に縛り付けられた。

龍の右腕が男に向かって振り下ろされる。

 地響き、鈍い音がしてそれから直ぐに砂埃が舞った。娘は強い風圧に立っていることも出来ずに、身体を縮こめながら地面に倒れた。



 あぁ、あの人はどうなった。見ようにも恐怖で身体が動かない。いや、見ずとも分かる。龍に一人の人間が敵う筈が無い。其の事を理解すると自然と涙が流れた。


「どうして泣いているの?」


「え?」


  それは男の声だった。顔を上げてみると気遣わしげに此方を覗く、先程と少しも変わらぬ端正な男の顔があった。


「どうして…?」


 生きていた。良かった。何故。多くの感情が娘に迫る。娘は耐えきれず、二度涙を流した。


「大丈夫だから、泣かないで」


 男はそう娘に囁くと、立ち上がり龍へと向き直った。


 龍の腕が二度振り下ろされた。

 其れは先程と同じように地面に着いた。

 違いは、腕の根本が身体から離れていた事。


 娘は驚き目を疑った。


 龍は驚き鳴き叫んだ。


 男は二度細剣を閃かせた。


 龍の頸がずるりと地に墜ちた。


 村の広場には静寂が訪れた。


「もう大丈夫だから、泣かないで」


 男が娘に囁く。娘は男に身体を預け、糸が切れたように眠った。村には涼風が抜けた。




 娘が目を覚ますと、男は消えていた。甘い匂いと龍の亡骸を遺して。

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