第二回書き出し祭り参加作品『支配の天秤は傾かないけど、熊沢楓は炎に向かって愛を叫ぶ』
熊沢楓は熊の怪人ワーグマである。
高卒の彼女が入社してしまったのが悪の組織バーバリアンである。
楓はスポンサーの為に働くのだ!
夕陽に浮かぶビルの谷間に、ブルージーなダミ声が響き渡る。
「どけぇい!」
帰宅を急ぐ人の眉を波立たせ、熊の怪人ワーグマは暴れていた。
ヒグマの巨体に世紀末肩パッド。
ワーグマはガバッと車を持ち上げ、アスファルトに叩きつけて爆発させた。
「がっはっはあ!」
紅蓮の炎の中、ワーグマは大げさに笑った。
今日の仕事は車の破壊。顧客はメーカーだ。
多く壊すほど報酬が高くなる。
悪の組織も金次第。
新たに発見されたΩ素子によって、一気に物質文明が進んだ二十二世紀。
Ω素子を濫用する悪の組織が暗躍し、それに対応する為に国家魔法少女が創り出された。
街は戦いの場と化したが、テクノロジ-の暴力が完全復旧という奇跡をもたらした。
だがそれは、悪の組織に免罪符を渡すこととなった。
そして今日も、悪の組織は生き生きと、その活動を始めていたのだ。
「さぁ、派手にやるぞ!」
ワーグマが次の車に狙いをつけた瞬間、頭上からの影が車に刺さり、爆ぜた。
「来たかッ!」
地面に爪を刺し、爆風を耐えたワーグマが視界に捉えたもの――
――可憐な少女の怒りの表情。
逆巻く紅い髪が良く似合う、猫耳の魔法少女だ。
ワーグマは余裕の笑みを浮かべる。
「毎度毎度ご苦労様だね、プリティサニー」
「今日こそは、お前を倒す!」
プリティサニーと呼ばれた魔法少女がギリっと歯を食いしばる。
『楓、もう定時だポン』
ワーグマの頭に甲高い声が響いた。
「もうそんな時間?」
『今月は既に残業過多で、定時に撤収するように指示が出てるポン!』
「あれま。帰らなきゃマズイね」
ワーグマが彼女に向かい「うはは」と豪快に嗤うと、その体が七色の光に包まれていく。
「今日はこの辺にしといてやる!」
「また逃げるのか! 待てェェ!」
焦った顔のプリティサニーが手を伸ばすが、無慈悲にもワーグマの姿は閃光に消えた。
「くそぉぉ!」
彼女の悔恨の叫びが、ビルの森に轟いた。
首都、東京にある五階建てマンションの一室。
そこには、壁に映し出される渋い男に跪き首を垂れる、ジャージ姿の楓がいた。艶やかな黒髪が床に流れている。
「幹部ワーグマ。昨日はご苦労だった」
「いえ、総統閣下の為ならば」
痺れる低音ボイスの労いに、楓は凛々しい声で応えた。
「今日から三日間。ゆっくり休みたまえ」
「はっ!」
彼の穏やかな笑顔が砂嵐に変わり、消えた。
畏まっていていた楓はスッと顔をあげる。そして拳を握りしめ、天に突き上げた。
「やった、三連休ゥ! 今日は買い物を楽しまなくっちゃ!」
鼻歌まじりでジャージから爽やかな青のワンピースに着替える熊沢楓。二十歳独身。
適度な背丈にすらっとした手足。主張激しいふたつの巨砲。
端麗な顔立ちと目もとの泣きボクロが自慢だ。
指を鳴らし壁を鏡面に変えた楓は、ワンピースの裾をつまみあげ、うーんと唸った。
「夏らしく青にしたはいいけど……」
『顔が濃い楓には赤が似合うポン』
楓に応じたのは小さなクマのキーホルダーだ。ふわふわと楓の頭のあたりに浮かんでいる。
「クッマ。彫が深いって言いなさいよ」
『いたっ』
楓はクッマと呼んだクマのキーホルダーを指で弾きとばした。フラフラなクッマが楓に食ってかかる。
『暴力反対だポン!』
「悪の組織が何いってんのよ」
『バーバリアンは秩序ある暴力だポン!』
「秩序があっても暴力には違いないの!」
そう言って楓はまた、クッマを指で弾いた。
悪の組織バーバリアン。表の顔は広告代理店だ。
楓は『幹部募集。月収百万』という広告に踊らされて応募してしまった。
悪の組織らしく約款にクーリングオフの記載はなかった。
だがしかし。
ボーナス年二回。
有給休暇全取得。
別途活躍手当有。
――但し命の保証無。
悪の組織バーバリアンは、わりとホワイトだった。
そんな悪の組織に入ってはや二年。楓はいっぱしの幹部になっていた。
「さぁ、休暇を満喫しに街に出かけるわよ!」
クッマをつけたショルダーバッグを颯爽と肩にかけ、楓は意気揚々とマンションを出た。
「暑い……」
午後三時。
殺人的日差しに咽かえる湿気。
アスファルトも挫ける暑さに、楓は思わず眉を寄せる。
「日本がもっと北にあれ――あ!」
そんな日本の酷暑の中、楓はブレザー姿の少年を見つけ頬を緩ませた。
「こんにちは、実篤君」
「あ、楓さんこんにちは! もしかしてお休みですか?」
「へっへーん、三連休よ!」
「わぁ、よかったですね!」
楓が指を三本立てると、実篤と呼ばれた少年は手をパンと叩き自分のことのように喜んだ。彼の屈託のない笑顔に楓の頬がでろっと蕩ける。
二階堂実篤。楓の部屋の隣に住んでいる中学生だ。
品行方正の四字熟語が似合う美少年で、そのご尊顔を拝見できるだけで生きる活力になる、と断言してしまうくらいに、楓は彼が大好きだった。
愛の前に年齢差など関係なく、今も口から溢れ出そうな涎を必死に抑えているのだ。
「今からショッピングに行くんだ~」
「え、誰かとデートですか?」
楓の言葉に実篤の顔が絶望に染まる。
「彼氏なんていたことないわよー」
「そ、そうなんですか。今日はいつにもましてお綺麗だったので、つい……」
「わ~嬉しい!」
褒められた楓が実篤の頭をイーコイーコと撫でまわせば、しょげていた彼の顔がぱあっと明るくなる。
楓は彼のこんな所も好きなのだ。
「お休みに付き合ってくれる彼氏を、募集しちゃおうかな~」
楓がいたずらっぽく目を細めると、実篤は勢いよく挙手し「立候補します」と叫んだ。
輝く夏のビル街の熱気を避け、楓と実篤はショッピングモールに来ていた。冷房で管理された空間はさらっと心地よい。
歳の離れた姉弟にも見えるふたりが、平日のひと気の少ない吹き抜け廊下にあるベンチに座っていた。目の前の壁に映る広告が数秒で変わっていく。
「歩き疲れちゃったね。冷たいものでも飲む?」
「だったら、二階にできたコーヒーショップに行きません?」
「へぇ、じゃそこに――」
――突如、閃光が走る。
耳をつんざく轟きが楓の音を奪った。
続く衝撃波に弾かれ、楓は床を転がる。全身が床に殴打され、何かにぶつかって止まった。
右足の痛みに楓は呻く。
「ウウって……なに、これ」
床に手をつき体を起こした楓は、様変わりした風景に唖然とした。
飛び交う怒号と悲鳴。のさばる黒煙で、十メートル先も見通せない。
焦げた臭いが鼻をつき、楓は眉を寄せる。
「楓さん、無事ですか!」
「実篤君!」
消火設備の豪雨の中、声をかけてきた実篤はブレザーを白く濡らしていたが、怪我はなさそうに見えた。楓はホッと胸を撫でおろす。
「楓さん血が!」
しゃがんだ実篤が濡れて楓の額にはりついた髪をはがしてくれる。
彼がハンカチを胸ポケットから取り出した。そのハンカチが楓の額にあてられると、ズキリと鋭い痛みが走る。
「くそっ、また怪人か!」
「……また?」
実篤の違和感のある言葉に、楓は彼を見た。
険しい彼の横顔に言い得ぬ不安を感じ、楓の胸がざわつく。
「僕、行きます」
「え、ちょっと、実篤君?」
「楓さんは安全な場所に避難してください!」
彼は立ち上がり、戸惑う楓を置いて煙の中に駆けてしまう。
「どうなってんの!」
楓はよろよろと立ち上がり、痛む足を引きずって近くの店に逃げ込んだ。壁に隠れるように身を潜め、大きく息を吐く。
煙は充満しているが、また爆発があっても壁で防げるだろう。それよりも、わからないのがこの事態だ。
楓はショルダーバッグを引き寄せ怒鳴る。
「クッマ! 今日は襲撃の予定なんてなかったよね!」
『バ、バーバリアンではないはずポン』
クッマも予想外のようで声が上擦っている。
「じゃあ別組織ってこと!?」
『ここらはバーバリアンの縄張りだポン』
「じゃぁなんなのよ!」
『わからないポン!』
クッマが叫んだ時、バキという破壊音がした。楓は壁からそろっと向こうを見る。
眼前のどす黒い煙の中から実篤が飛び出してきた。空中でクルッと一回転して、床に手をつき屈んだ。
「……スゴい」
実篤の身軽な動きに、楓は驚きの声を漏らした。こんな事ができるなど、知らなかったのだ。
周囲を一瞥した彼が「誰もいないな」と呟き立ち上がる。
「よくも楓さんに怪我を!」
実篤がズボンのポケットから小さな招き猫を取り出した。
「ニャーコ、変身するぞ! ニャンコ・スパァァク!」
招き猫を指で挟み、腕を伸ばした実篤が叫ぶと、七色の光が彼を包んだ。
虹の輝きを纏った彼が、楓のよく知っている姿に変容していく。
その姿に、楓の目がカッと開かれた。
「ちょっと、うそ……」
『ま、まさかポン』
信じられない光景に、楓とクッマの声は震える。
「な、なんで?」
楓は唖然とした。
煌めきが去った後には、ミニスカドレスを翻し、顎を引いた半身の構えで闘気を漲らせる、猫耳を持った赤髪の少女の姿があったのだ。
彼女が叫ぶ。
「悪の組織はこの手で砕く! 鉄拳制裁プリティサニー、ここに見参!」
楓の敵、国家魔法少女〝プリティサニー〟が、そこにいた。