第二回かざコン参加作品『Dead Broke Joe』 ~文無しトレジャーハンターがゆく~
暗黒の世界に雪が舞い降りるようだと、ジョーは思った。良くわからない計器やスイッチ類が狭い空間を占拠している中、深度を指すデジタル表示を見てヒューっと口笛を吹く。
「深海ってのは辛気臭いとこだと思ってたんだが、案外綺麗なもんだな」
ジョーは自らを取り囲むガラスの曲面に手をつき顔を寄せた。
彼の顔を映し出すガラスの向こうには、巨大なライトに照らしだされた海面下3000メートルの海があった。
深淵へ沈みゆくマリンスノーを感慨深げに眺める彼の黒い瞳は、好奇心で満ちている。
『深海なんだから当たり前でしょ? 宇宙服を着ても存在が許されない、未踏の領域なんだから』
彼のすぐ脇にあるスピーカーから女の呆れた声が飛び出した。
「お、いいねぇ、浪漫だぜ浪漫! やる気がみなぎってくるぜ!」
ジョーは癖毛で荒れ放題の髪をかきあげ、無精ひげが目立つ頬を緩めた。
『ジョー。あなたは私たちが置かれている状況を理解しているのかしら?』
「無粋だな、アンナは。浪漫だぞ、ロ・マ・ン。男に生まれたからには浪漫を求めねえと! トレジャーハンターの名が泣く!」
『浪漫浪漫って、私の後ろにはゴスロリの恰好をした厳ついターミネータがショットガンぶら下げてるのよ? ちゃんと目的のモノを探して!』
スピーカーから飛び出す泣きそうな声もなんのその。ジョーの目は輝きを増していく。
「この俺〝トレジャーハンターのジョー〟様が探すんだ。10万トンタンカーにでも乗った気分で待ってろって!」
『そのタンカー、底に穴が開いてないでしょうねぇ』
「多少の穴は問題ないだろ?」
『穴は埋めときなさいよ!』
アンナの心底不安げなセリフなど彼の耳は素通りしていく。ジョーの視線は神秘の世界〝深海〟に釘づけだ。
「人跡未踏の未知の世界。たまらねえな!」
子供ような笑顔のジョーを映し込んだ特殊強化耐圧ガラスの球体は、粉雪が舞う深海を、静かに降下していった。
伊豆諸島沖に、その船はあった。
船尾にAフレームクレーンを備えた独特のシルエットを持つ深海調査研究船【かいれい】は、その白い巨体を波に玩ばれながらも、位置がずれないように腐心していた。
「まったく、呑気すぎるのよジョーは」
その【かいれい】の調査指揮・計算機室のモニターの前で、アンナは憤りを通り過ぎたため息をついていた。
迷彩柄の半そでシャツにカーゴパンツ。女らしさは〝残念〟と評される妙齢の女性。それがアンナ・オサリヴァンだ。
やや男前な顔を曇らせ、癖のあるブロンドの髪を無造作にうなじで束ね、モニターを眼鏡に写し込ませつつ、彼女は頬杖をつく。目の前に置かれているマイクに向かって口を尖らせた。
「イイことジョー。あなたの大事な相棒である私の命がかかってるんだからね? 失敗は許されないのよ?」
『任せとけって! 俺様にかかれば見つけられない物はない』
多数の計器が奏でる低騒音の中、スピーカーからは自信に溢れたジョーの声。
「いままではそうだったかもしれないけど……」
アンナは消え入りそうな声を絞り出し、チラリと背後に視線をやった。
本来ならば研究者でぎっしりの調査指揮・計算機室には、アンナと彼女の背後に立つゴスロリターミネータしかいない。彼が持つショットガンのトリガーには常に指がかけられている。ふりふりのダークスカートの中には銃器やナイフが隠されているはずだ。
世界最強と言われる特殊部隊ネイビーシールズが、なんでゴスロリの衣装に包まれているのかなどアンナには知る由もないが、その引き金がわずかでも動けば自分の命は露と消えるのはわかる。
ショットガンで彼女を打ち抜くことに躊躇はないだろう。彼はそう訓練されている。
談笑しながらコーヒーをすするくらいごく自然に撃つはずだ。
その時を予想してしまい、アンナの背筋に言い知れない悪寒が走る。
『いままでも、これからもそうさ! 俺様に見つけられないお宝はないんだよ』
励ますようなジョーの声にアンナは少しだけ頬を緩め、小さく息を吐いた。
「……あなたは最後の詰めが甘いんだから、気を引き締めなさいっていつも言ってるでしょう」
だが、口紅さえも塗っていない唇からは辛らつな言葉が溢れだす。
「先月、エジプトの王家の谷で未盗掘の王墓を見つけた時も、美人局に引っかかって報酬をふいにしたばかりだったじゃない」
『ありゃー美人だったな。いやー、惜しいことをした、モッタイナイ』
「あなたの脳内メモリーに反省の文字はないの?」
『ははっ。漢字でよければ知ってるぜ。書いてやろうか?』
楽しげなジョーの声に比例するように、アンナの顔が赤く染まっていく。
「ジョー! 見つけなかったら私の代わりに深海魚の餌になってもらうからね!」
『おっとおっかねぇ。さすが元海兵隊、容赦ねえな』
「グダグダ言ってたら蜂の巣にするわよ!」
『へへーん、俺にはそんなのきかないもんねー!』
「ジョー!」
憤慨やるかたなしなアンナはバーンと机を叩いた。
ジョーは、アンナの負け惜しみ的なセリフを聞き流してはいたが、その軽口とは裏腹な顔をしていた。
「やっかいごとに巻き込んじまったな」
ジョーは頭をかきながら、マイクに拾われない程度につぶやいた。チラと深度計に目をやる。
3600。
すでに深海層に突入していた。
深海、とひとことで表すが、言葉ほど簡単ではない。深度200メートルを超えたその先は、全て深海と呼ばれるが深度によって区分される。
1000メートルまでの中深層、3000メートルまでの漸深層、6000メートルまでの深海層、そしてそれ以深は超深海層と呼ばれる。
そして深海は、海面面積の80%を占め、凶悪な水圧が人間を拒絶する、地球最後の秘境でもあった。
「宝探し屋も長くやってるけど、まさか米軍に拉致されるとは思いもよらなかったぜ」
ジョーはガラスに掌を当て向こうの別世界を覗き込み「やれやれだ」と大きく息を吐いた。
トレジャーハンター〝御崎丈〟
これが彼の本名である。
生まれ持った特殊な体質をもって、人間が到達することが許されない空間に存在する。そこでの見たものを情報として売る。
それが彼の生業だ。
浪漫を求め、女に弱く、騙されては金を巻き上げられ、いつもオケラのトレジャーハンター。
通称〝Dead Broke(文無し) Joe〟
本名よりもこの通り名で呼ばれることが多い。
宵越しの銭を持たない江戸っ子気質な彼が生きていられるのは、相棒たるアンナがいるからである。
元米海兵隊のアンナが、浪漫を求めるジョーの尻を蹴飛ばしつつ何処からか仕事を引っ張って、巧みに手綱を握る。
脇の緩さを自認するジョーは、アンナにどれほど辛辣な言葉をかけられても、へらっと笑い感謝し続けていた。
自分にはアンナのような管理者が必要だ。浪漫を求める代償いしては安いものだ。
コンビを組んでから既に5年は経つ。ジョーはあらゆる組織から情報入手を依頼され世界を飛び回っていた。
そして今回、神の悪戯の能力に目を付けたのが米軍だった。
「古巣のおでましじゃ、仕事も断れないよなぁ」
ジョーは再度深度計に目をやる。4000という数字が躍っていた。
「えっと、今回の依頼は――」
『この海域で消息を絶ったアジア某国の原潜の発見』
「お、そうそう!」
『海上自衛隊の音響監視システムで最後にクジラの鳴き声を拾えたのがココってわけ』
「そうだったそうだった。さすがアンナ。頼りになる相棒だぜ!」
『頼りない相棒のせいで悲劇のヒロインの気持ちがよくわかったわ』
スピーカーからは「はぁ」とノイズまじりのため息が。流石にジョーも苦笑いだ。
『伊豆・小笠原海溝は、場所によっては9000メートルを超えるところもある。正確な位置はわからないから、海中で探すしかない』
「そうとも、俺にしかできない仕事だぜ!」
『気楽に言ってくれるわね。ことの重要性がわかってるの?』
「失敗したら消されるってことくらいは、な」
『……それだけでもわかってるなら良しとしましょうか。信じてるからね?』
そこでスピーカーは沈黙した。無言になったスピーカーをじっと見ていたジョーだが、パンと両手で頬をはった。
「そろそろ迷惑かけないようにソロでやれるようにならねえとな」
巨大なライトが海底を照らし出した。
滑らかに見える表面だが、波を起こせば堆積物が舞い上がり、視界はゼロになる。ガラス球体はゆっくりと下降をやめた。
「ここらから始めるか」
ジョーは無造作にガラスに向かい手を伸ばした。指先が触れ、そこで止まるはずのジョーの手は止まらない。
彼の指先はぬるりとガラスを突き抜け、摂氏2℃の海水に触れた。冷たさで歪むはずの彼の表情は変わらない。
そのまま肘、上腕とガラスをすり抜けさせたジョーは頭を突っ込んだ。
彼の癖毛が、扇状に海中に広がる。
上半身が、そして下半身がすり抜け、彼はガラス球体の中から消えた。中には彼が着ていた衣服が残骸として落ちている。
ジョーは生まれたままの姿で深海に存在した。
「おおおお! 人類では初めて深海にその身を委ねた栄光を、ビシビシ感じまくりだぜ!」
ジョーは両腕を頭上に突き上げ「これぞ浪漫だ!」と叫んだ。防音室でミューとされたような声が、深海を漂う。
「さーて、どこから探したもんか」
騒ぎ終えて落ち着いたジョーが、ライトに照らされていない、闇を見据えた。




