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西国の聖女  作者: あすかK
7/23

6、北の国

 西国エウリア君主国、その神殿の中に新しい神官オレーク・ナイザーがやってきて、まもなく一月が過ぎようとしていた。

 もともと切れ者で頭の回転の早いオレークは、たった一月で神官としての仕事、神殿のしきたり、西国エウリアの文化のほとんどを把握していた。故に、オレークの教育係に任命されたネイディーンの役目も、まもなく全うされる。何故だかそれが少し名残惜しいような、寂しいような、そんな心地がしていた。


「オレーク殿、もう神官の御公務にはだいぶ慣れてきましたか?」

 応接間の中に橙色の西日が差し込む。十字の窓枠の影が、白い床の上にくっきりと映し出されていた。

「遅れてしまい、申し訳ありません」

 オレーク神官が応接間に飛び込んできたのは、約束の時間を大幅に過ぎた頃である。慌てたように髪を乱しながら駆け込んで来たオレーク神官は、先に部屋に到着していたネイディーンを見つけると深々と頭を下げた。

 ネイディーンは「いいえ」と頭を横に振ると、青年に自分の向かいに座るよう促す。

「最近はオレーク殿に任される仕事も増えてきたと聞いております。御公務の合間に私の拙い話を聞くのはさぞかし疲れることでしょう」

「いえ、私に任される作業など、まだ大したものではございません。ネイディーン殿の講義を受けていた方がはるかにためになるのですが……要領が悪いため、少々作業が遅れて約束の時刻を過ぎてしまいました」

 オレークはそう答えて再び謝罪をすると、卓を挟んでネイディーンの向かい側に腰掛けた。

 このオレークという神官が要領の悪いわけではないと、ネイディーンは重々承知している。世話役であるネイディーンと神官であるオレークが共に仕事をすることなどついぞなかったが、それでも講義をしている時の受け答えで、彼が聡明な人間であることはわかっていた。

 それでも、彼が神殿に来てまだ一月だ。慣れないこともあるだろうに、他の神官に彼は過多な業務を押し付けられているのではないかとネイディーンは考えていた。神殿はもともと閉鎖的な空間である。他所から来た者へは、厳しい。

「……どうしましょうか? 少し休憩をしてから講義を始めますか?」

 公務を終えて此処まで駆けてきたのであろうオレークを案じてそう問うが、オレークは柔らかい笑みを浮かべて首を横に振った。

「いいえ……時間が惜しい。すぐにでも始めてください」

 生徒であるオレークがそう言うなら、ネイディーンに反対する理由はない。

 「では」と呟いて、ネイディーンは持って来ていた今日の講義用の資料を机上に広げた。――大きな、世界地図だ。

「なら、始めましょう――今日は、神事を司る神殿にはあまり縁のない話、国政に関するものです。この世界を支配する国、ひいては国家の話をいたしましょう」

 オレークは世界地図を見下ろしながら、うむ、と深く頷いた。その凛とした眼差しに負けないようにとネイディーンは背筋を伸ばし、講義を始めた。


「この世界には四つの国がある、という話はもう以前しましたね」

「ええ。東西南北の四カ国、東ヤンム帝国、西エウリア君主国、南アズニー共和国、北ラウグリア帝国の四つですね」

「その通りです。四つの国があれば、当然それぞれの国に国家があります。しかし国家の体制はそれぞれの国によって様々で、国家間の親密さも、国によって異なります」

「国家も人と同じですな。個性があれば、気の合う合わないも発生する、と」

「まさしく、その通りですね」

 冗談混じりのオレークの発言にネイディーンはくすりと笑った。

 橙色の夕日が沈みかけて、だんだんと応接間の中も暗くなりはじめている。机上に置かれたランプの中に火を落とすと、ほんのりと明るく地図が映し出された。

「まず、我々の国、西エウリア君主国からざっとおさらいしましょうか。西エウリア国で政治的権力を持つのは誰でしょうか」

「皇帝陛下、ひいては皇室ですね。我が西エウリア君主国の主権は皇室にあり、と」

「では、他の三国のうち、我が国と同じように皇室が主権を持つのは?」

「北国ラウグリアと東国ヤンムも皇室が主権を握っていると聞きました。確か南国アズニーは共和国ですから、国民の代表、すなわち議会が主権を握っていますね」

「そうです。ですから、四国のうち皇室主権でないのは南国アズニーのみということになります。これはそもそもの国の成りたちが他の三国と異なるためかもしれません。他の三国は権力者があって国土を広げて行ったのに対し、南国アズニーだけはたくさんの部族が一つになって国となった場所ですから」

「なるほど。部族間の争いを避けるために、それぞれの部族の代表が選出されて議会を設立した、と」

「ええ。つまり、南国アズニー以外は権力を皇室が握っている、というわけですね」

 言いながらネイディーンは地図上の南国アズニーに「議会」と書き記した。その上で、付け加える。

「しかし、実際に今現在、皇室が国政の舵を取れているのは、我が西国エウリアだけだと言って良いでしょう」

 ぴしゃりと言うと、オレークは訝しげな表情を浮かべた。

「――と、言うと?」

「まず東国ヤンムは皇室はもとより、そもそも東国の国家が国家として機能していません」

「一体、何故?」

「もう何年も昔に、北国ラウグリアとの戦に大敗し、政治的権力を根こそぎ奪われてしまったからです」

 オレークは目を丸くして、それから眉根を寄せるとじっと世界地図を睨みつけた。ネイディーンは地図上の国をなぞりながら、言葉を続ける。

「北国ラウグリアの領土は、実りの少ない寒冷地です。故に実り豊かな東国ヤンムをまずはその支配下に置かんとして戦をしかけました。そして東国ヤンムが落ちると、その次は」

「次は、西国エウリアを支配下に、と戦を仕掛ける」

「そうです。ですから、我が西国エウリアは約五年に渡って、北国と戦を続けています」

 オレークは地図を睨みつけたまま、何も言わなかった。

 西国エウリアが五年に渡って戦をしていると言ったところで、実感は湧かないだろう。ネイディーンとて頭で理解こそしているが、実感はない。戦ははるか北の方で行われており、西国の首都にはまだ辿り着いていないのだ。その上、国城の中でも特に俗世と切り離された神殿には、戦の話などまず聞こえてこない。

「今や、北国ラウグリアで政治的指揮を取るのは皇室ではないと言います。実際には軍が指揮を取る、軍事国家となっている、と。ですので、やはり北国ラウグリアの皇室も、主権を握ることはできていないのです」

 それを受けて、「軍事国家」とオレークは小さな声で呟く。

 ネイディーンは頷いて、言葉を続けた。

「このような北国の内部情報を我が国に教えてくれたのは、他でもない我らが主、巫女君でした」

「かぐわの君が……?」

「というのも、そもそも北国と西国との戦の発端は、巫女君が攫われたことだったのです」

 それは今よりも四年か五年近くも時を遡る。ネイディーンはその時のことを事細かに覚えている。

「宗教国家とも呼ばれる我が西国エウリアで、巫女君は神にも近しい存在。北国はその巫女君を攫い、弑すことで、西国エウリアの戦意を削ごうと企んだのです」

 実際、巫女を異国に攫われたことで西国エウリアは大混乱に陥った。そのまま巫女が弑されることがあれば、混乱では済まなかったかもしれない。

「ですが、我らが主、巫女カグワの君は命を落とすことなく、西国エウリアへ帰って来られました。その代わりに、カグワの君の仗身が命を落として」

「仗身?」

「ええ。前にも説明致しましたね。巫女君の仗身、すなわち護衛は獣人です。ただの人間とは比べるべくもない、獣の強い力でもって、巫女を命に変えても護るのがその役目。カグワの君の仗身は、命に変えても巫女君を護ったのです」

「しかし……かぐわの君の仗身は、生きている」

 オレークはどこか遠くを眺めるような目付きをしながら、そう呟いた。

 そういえば、とネイディーンは回想する。最初にネイディーンがオレーク神官と出会った時、「新しい神官よ」とオレークを紹介した巫女カグワの横には、仗身である男が控えていた。そうでなくとも、巫女カグワの横には常に仗身の男が控えているので、オレークも何度か彼を目にしたことがあるに違いない。

 「その通りです」と言ってネイディーンは頷いた。

「カグワの君の仗身は、一度命を失い、それから再び蘇生したのです」

「蘇生……? そんなことが可能なのか?」

「限りなく不可能に近い、ですが極稀に可能となる事象です。――不思議な『力』、『巫力』をもってすれば」

 ネイディーンは机上に投げ出した己の手のひらを見つめ、きゅっと拳を握り締めた。かつて、巫女になるための修行をしていた「聖女」であった頃、ネイディーンの手にも「巫力」が宿っていた。だが、今のネイディーンには、ほとんど残っていない。

「『蘇生の技』と呼ばれる、死者を蘇らせる方法も、巫力の技の中には確かに存在するのです。ただし、これは非常に難しい技で、必ずしも成功するものではありません。成功させるためにはいくつかの条件があります。まず、死者が死んで間もないこと。肉体が腐っていては、魂を呼び戻そうとも生き返るはずもありません。それから、死者の魂がこの世に未練を残していること。未練なく死んで行ったのであれば、魂は浄化され、呼び戻す事はできません。そして、『蘇生の技』を行う術者の巫力が、強大であること」

「術者の巫力……さすがに死者を蘇らせるとなると、並大抵の巫力では足らないということですな。して、一体誰が、その技を?」

「私ですわ」

 はっきりと真実を述べると、オレークの切れ長の瞳が驚いたように揺らぐ。

 ネイディーンは、ランプの明かり照らされる己の手を見つめ、言葉を紡いだ。

「巫女に選ばれるためには、それなりの『巫力』を持っていなければなりませんでした。その昔、私も聖女であった頃、巫女になるための修行をしておりましたから、そこそこの『巫力』は持ち合わせていたのです。ただし、『蘇生の技』のように高度な技は、巫女になる者には禁じられていました。技の難易度があまりにも高いと、術者が技によって死に至ることもあるためです。故に、聖女の園ではその技の存在さえ、明らかにされていなかった」

「では何故、ネイディーンはその技を知り得たのです?」

「つまり、私は禁忌を破ったのです。巫女になる者は決して知ってはならない技を知り、そんな私が巫女に選ばれるわけもありませんでした」

 だが、それで良かったとネイディーンは思っている。巫女になる他に、自分には生きる役割があるのだと言い聞かせてきた。だから、それでよかったのだと、信じている。

「結果、カグワの君の仗身の命を蘇生させることに成功し、その代償として私は巫力の全てを失いました。私自身が命を落とす可能性もあったことを思えば、失敗ではない、いえ、成功したのだと言っても過言ではないでしょう」

 そうしてネイディーンは巫女の仗身、引いては巫女を、そしてこの国を救ったのだ。

 というのも、当代の巫女カグワは、己の仗身と一心同体であった。常に傍にいて、決して離れない。巫女は仗身に絶対な信頼を抱き、仗身は巫女に絶対服従していた。その仗身が命を落とした時、巫女はそのまま自分も死んでしまうのではないかというほどに落胆し、周囲を案じさせた。――だから、その仗身を蘇生させたネイディーンは、巫女をも、この国をも蘇生させたのである。そうネイディーンは自負している。

「……話が逸れてしまいましたが、そのような事情もあり、我が西国エウリアは北国ラウグリアと数年に渡り戦争を繰り広げています」

 話題を元へと戻して、ネイディーンはそう言った。机上に広げた世界地図の、西国と北国の国境あたりに戦火の炎を描く。そして北国ラウグリアの所に「軍」と書き記し、その下に小さく「皇室」と書き添えた。皇室が主権を取れず、軍に奪われてしまった様子を示している。

 すると不意に、オレークが地図上へと手を伸ばし、そっと北国ラウグリアの表記を指でなぞった。青年は「軍」と書かれた文字を素通りし、「皇室」の文字の上で手を止める。そして、小さな声で呟いた。

「……皇、室」

 オレークは端正に整った顔を僅かに歪め、図面を睨みつけた。納得のいかないことでもあるのだろうかとネイディーンが彼の顔を見つめれば、青年の唇がゆっくりと動いた。

「本当に……北国ラウグリアの皇室は、機能していないのだろうか……?」

「……え?」

 掠れそうな問いかけを聞き取ることができず、ネイディーンが聞き返すと、オレークは俯いたまま眉根を寄せた。

「実際に政権を握っているのは軍だとしても……北国の皇室には、まだ何か隠し玉があるような、そんな気がする……」

「……なんですって?」

 今度は聞き取ることのできた、聞き捨てならないその台詞に、ネイディーンも顔をしかめる。

 どういうことだ、と問いかけようとすると、オレークは図面から顔をあげた。首の後ろまで長く伸びた茶色の癖っ毛を撫でながら、どこか遠い眼差しをする。

「何故だろう、よくわからないが……東国を支配下におき、西国に戦をしかけてきたそのエネルギーの源は軍にあらず……皇室にあるように、そう思えてならない」

「一体、何故……?」

「……わからない」

 オレークは己のこめかみを押さえると、考え込むように俯く。その様子を見ながら、ネイディーンの心の中には一抹の不安がわきあがった。

 ――この男の正体を、ネイディーンは未だに知らない。

 一月前に、突然主である巫女カグワが連れてきたこの男。本人に記憶がないという理由で、ネイディーンはその生い立ちも何一つ彼に関する子細を聞かされていないのだ。

 オレーク神官は実に優秀で、ネイディーンが講義したことをすぐに覚えて理解した。しかし今まで一度だって講義の途中に自分からネイディーンの言葉を否定したことなどなかった。それは、ネイディーンの講義する内容に関して、否定できるほどの知識が彼になかったからである。――だとすれば、北国について言葉を呈して来たこの男には、北国に関する知識があるのではないか。

(彼は……北国ラウグリアの関係者……?)

 そんな疑念が湧いた。

 北国ラウグリアは、彼女たちの国、西国エウリアの憎き敵国である。巫女を攫い、その命を奪おうとしただけでなく、今も尚西国の美しい領土を戦火で焼き続けている。

 もしも彼が、そんな北国ラウグリアの人間だとしたら、これは一大事だ。畏れ多くも神殿という現世からは隔離された神聖な場所に、敵国の人間が紛れこんでいるということになる。

 そんな疑念と不安を抱きながら、ネイディーンが彼の顔を見つめていると、不意に彼は面を上げた。青年の持つ切れ長の瞳と目が合って、思わず息を呑む。とても形の整った瞳であった。まるで絵に描かれたように美しいその両眸に睨みつけられると、竦んでしまう。

 しかしそれを悟られまいとして、ネイディーンは拳を握り締めると、丁寧な口調で男に問うた。

「貴方は……北国のことを、何か、知っているのですか?」

 すると男は切れ長の瞳を細め、茶色の癖っ毛の上から頭を押さえた。

「……わからない」

 ゆらゆらとランプの炎が揺れて、青年の整った顔立ちに陰影をつける。そのまま謎を隠してしまうのではないかと不安になるほど、濃い影だ。

「何も、覚えていない……記憶はないんだ……にも関わらず、とても北の土地は――懐かしい」

「……」

 ネイディーンは咄嗟に何も言葉にすることができなかった。

 懐かしいということは、やはり彼は北国に何か関係があるのか。一体どのような関係があるのか。彼は西国にとって、巫女にとって、敵なのか味方なのか。彼は本当に記憶をなくしているのだろうか。彼は――何者なのだ。

 あらゆる疑問が頭の中を渦巻くが、何一つ問いかけることはできなかった。ひょっとしたら、問いの答えを聞くのが怖かったのかもしれない。彼がもしもこの国の敵であったなら――自分はどうしたらいいのだろう。

 いつのまにか日は完全に落ちて、窓の外には夜闇が広がっていた。応接間の中を灯すのに、机上のランプ一つではどうにも心許ない。

 その暗がりの中、宙を仰ぐオレーク神官の目には何が映っているのだろうか。その天に恵まれた容貌で、何を思案しているのだろう。

 しかしネイディーンは決してそれらの疑問を口にすることなく、机上の地図を丸めて片付けた。

 ついにネイディーンは、彼に何一つ問いかけることが出来なかった。

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