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西国の聖女  作者: あすかK
3/23

2、なりそこない

 その、翌日のことである。

「あら、ネイディーン。こんなところで何をしているの? 貴女、昨日より巫女君からのお達しで、神官殿の教育係になったのではなくて?」

 ネイディーンが神殿の大聖堂の前に立っていると、丁度そこを掃除しようと清掃具を持ってきた他の世話役に声をかけられた。

 清掃具を持って現れたその世話役は、四年前にこの神殿に入って世話役となった、いわばネイディーンの同輩である。先輩でもなければ後輩でもない。彼女とネイディーンの間に上下関係もなく、二人は対等であった。

 しかし、同輩であれば気心の知れた仲であるかといえば、そういうわけでもない。

 ネイディーンは目の前に現れた同僚の女を前にして、内心密かに身構えていた。彼女は巫女のお気に入りであるネイディーンのことをさほど快くは思っていない。が、表立って対立する気などこれっぽちもなかったので、表面上は笑顔を繕った。

「ええ……ここで神官殿と、落ち合う予定になっていて――。もしお仕事の邪魔になるようだったら、移動するわ」

 ネイディーンは世話役の持っている清掃具を見て、そう言った。彼女はこれからこの大聖堂を清掃するつもりでここにきたのだろう。故に、気遣っての台詞だったのであるが。

「とんでもないわ。たかが清掃ごときで貴女を退かせたと知られたら、巫女君から罰を受けることになるかも」

 世話役は、冗談とも本気ともつかぬ調子で、そんなことを言う。

 巫女カグワは、そんなことで部下を罰するような女ではない。ネイディーンはそのことを知っているし、それにこの世話役とてわかっているはずだ。――つまり、これはネイディーンへのひがみをこめた皮肉なのだろう。お前は巫女のお気に入りだから、と。

「そんなことはないと思うけれど……大聖堂の中には入らないから。入り口の方で、控えさせて頂くわ」

 ネイディーンは彼女のひがみには気付かないふりをして、なるべく穏便に答え、大聖堂の入り口の端の方へと身を寄せた。

 しかし、ネイディーンのそういった優等生的な反応が、ますます癪に触るのだろう。同僚の女は、こめかみをぴくぴくと震わせた。

「うらやましいわね、ネイディーンは……私なんて毎日毎日掃除掃除、掃除の繰り返しよ。でも貴女はこれから神官殿のご教育。当分、私たち掃除係のような力仕事をすることもないのでしょうね」

「……。……どちらも大切な仕事。私には掃除の才能がなかったのかもしれないわね」

「掃除に才能なんていらないわ。貴女がそれだけ巫女君から気に入られてるってこと。なんでも新しく入った神官殿は絶世の美男子なんですって? さすがにお気に入りの処遇は違うわね」

 あまりにも露骨なひがみに、ネイディーンはただただ失笑した。何と答えたところで、火に油を注いでしまう。ならば、黙って聞き流すのが一番である。

「私だって、神殿に入って世話役になる前は、それはそれはちやほやされたのにね。今では巫女君と直接会話することさえ赦しが必要。――まあ、それは、ネイディーン、あなたも同じことか」

 世話役の女は、意地の悪い笑みを浮かべた。嫌な予感がする。ネイディーンは言い返すことなく、ただ表情を固めて、彼女の言葉を聞くのみだ。

「ネイディーンに至っては、神殿にくる前は、一番巫女の座に近いと言われ続けていたのに……それが今では、ただの世話役。貴女も私も一緒。ただの、巫女のなりそこないよ」

 どうだ、と言わんばかりに吐き出されても、ネイディーンはやはり、何も言葉を返さなかった。

 ネイディーンは巫女のなりそこないである。それは、嘘ではない。故に、否定のしようがなかった。

 だが、それが汚点であるかのように言われるのは、心外だった。ネイディーンは、神殿において世話役を務めることに、何ら不服はないのだ。

「……ネイディーン殿」

 ふと、後ろから声がする。

 その声を聞いて、ネイディーンは心底助かったと思った。これ以上ここで同僚の女の突き刺すような僻み妬みを聞いていたくはない。やっと来たか、と振り返れば、そこには神官の制服である聖衣を纏った男――オレーク・ナイザーが立っていた。

「お待たせしたようで、申し訳ございません。少し、道に迷ってしまいまして」

 ネイディーンはようやく現れた彼の姿に安堵して、「いいえ」と首を横に振った。これでようやくここから逃げられる、というのが正直な気持ちではあったが、決して表には出さない。

「私がここを待ち合わせに選んだのが間違いでしたわ。次落ち合う時は、もう少しわかりやすい場所にしましょう」

 丁寧な口調でそう答え、ネイディーンは儀礼的に、同僚の女にも「それでは」と別れを告げようと振り向いた。

 すると、同僚の女は清掃具を持ったまま、現れた若い神官、オレーク・ナイザーにすっかり見とれてしまっていて、ネイディーンがこちらを振り向いたことに気付いてさえいない。

 ネイディーンは思わず苦笑した。

 ネイディーンを含め、神殿に仕える世話役の女たちは、皆揃いも揃ってさして男に免疫がない。というのも、この神殿に来る前までは「女の園」で育った者がほとんどであり、神殿にきてからも、そこにいる男、すなわち神官の多くは神に仕える身分とあって色気もなく、男気もなかった。

 その中にあって、このオレーク・ナイザーという新入りは特殊だ。

 とても若くまた男気に溢れ、女にはない面妖な色気を持っている。彼女が見とれるのも無理はなかった。

「……では、参りましょうか」

 これは話しかけても無駄であるなとネイディーンは硬直してしまった同僚の女を置いて、オレークの前に立ち、歩き始めた。オレークは興味深そうに硬直した女を見やった後、ネイディーンの後に続いた。

 神殿の中は広大な上に、白一色に彩られている。慣れるまでは自分がどこを歩いているのかさえわからなくなってしまうほど、同じような道が延々と続いていた。

 だが、ネイディーンはもうこの神殿にきて、四年目になる。さすがに今更迷うことは、ない。

「こちらへ……巫女君が応接間を使っていいと許可をくださったので、そこに参りましょう」

 ネイディーンは純白の階段を上って回廊を渡ると、来客のない神殿では滅多に使われない応接間へと向かった。

 オレーク・ナイザー神官は、黙ってその後ろに従った。


 ネイディーンがオレーク・ナイザー神官の教育係に任命されて、二日目。

 しかし、任命された一日目は軽い自己紹介と翌日どこで落ち合うかの説明のみしかしなかったために、これが初めての講義となる。

 ネイディーンは広すぎず狭すぎない心地よい空間と言える応接間の中、柔らかな椅子の上に腰掛けて、向かい側に座る男と、緩やかな会話から始めた。

「まずは……貴方に何から教えればいいのか……。それを知りたく存じます。貴方は、今、何をご存知ですか? この国のことは? この世界のことは?」

 巫女カグワに聞いた話によれば、この男は記憶障害を起こしており、一部の記憶に破損があるのだという。ならば、一体どこまでを記憶しており、どこからを忘れてしまっているのか、それを知る必要があった。今のところ、会話に困ることはないため、会話に使ういわゆる「単語」に関しては、きちんと記憶しているようではあるが。

 ネイディーンと机を挟んで向かい側、もう何年も使われていないであろう応接用のゆったりとした椅子に腰掛けたオレークは、目を細めて少し考え、そして返答した。

「この世界についてはおおまかに、記憶しております。東西南北四つの国に支配されており、それぞれがそれぞれの統治を行っているのだと。そして、この国はその中の一つ、西国エウリア君主国といい、皇帝と巫女を両立させる特殊な君主制をとっているのだということまでは、知っております」

 なるほど、とネイディーンは頷いた。確かにおおまかではあるが、そこまで理解しているのならば、話は早い。

 ネイディーンは「わかりました」と頷くと、机の上に大きな紙を広げて筆を取った。少しでもわかりやすいように、難しいことは全て図解して説明していくつもりであった。

「そこまで理解しているのなら……まずはこの西国の細かい制度や、私たちが今いる神殿のこと、そして巫女制度に関することから、覚えていきましょう。――まずは、貴方自身、つまり、『神官』というものがなんなのか、それから知る必要がありますね」

 オレークは頷いた。突然「神官になれ」と言って巫女君自らの手で神殿の中に連れてこられたところで、一体自分が何をすればいいのか、彼にはそれすらわかるまい。

 故に巫女はネイディーンに彼の教育の一切を任せたのだろうが、大胆なことをする御仁だと改めて思った。この国のことすらきちんとは知らない人間を神官として雇うなんて、破天荒にもほどがある。

「まず……ここ、『神殿』は、エウリア君主国の三殿の一つです。政治を司る政殿、皇室の治める宮殿と並ぶ一つ、巫女の治めるのが『神殿』と呼ばれます。宗教国家であるここエウリアでは、人と神とを仲介する役割が重要視されています。最も神に近い存在と言われるのが巫女君です。そしてその巫女の住まう場所が『神殿』。神殿は巫女のために、ひいては神と人間とを仲介するための、交差点と考えられております」

「……つまり、政事を司るのが政殿、国事を司るのが宮殿、そして神事を司るのが神殿というわけですね」

「そういうことです。そしてこの『神殿』の中にも、様々な役割があります。頂点にたつのは当然、巫女君です。そして、神事を司る神殿の中で、その神事を営み、企画し、円滑に遂行させるために働くのが、神官です」

「……国政における、役人と同じようなものですか」

「そうですね。政殿の役人ほど多種多様な職務はありませんが、似たようなものです」

 ネイディーンは紙の上に大きく神殿の図を描いた。頂点に巫女を描き、その下に神官を置く。そして、その神官を示して、言った。

「神官の中でも、大雑把ではありますが、順位が分かれております。ほとんどの神官は一般的な「神官」と呼ばれて、雑務をこなします。その「神官」たちを取り仕切る「神官次官」――私たちは次官殿と呼びます――が、十人ほどいて、「神官」たちの仕事を指揮しています。そして、最も高位にあたるのが、「神官長官」、長官殿です。長官殿は一人しかおられません。全ての神官を統べておられます」

「ほう……俺はお会いしたことがありませんな」

「長官殿は滅多なことでは人前に姿を現しません。常に、神殿の奥に位置する「巫女の修行の間」に籠っておられるらしく、私も一度もお目にかかったことがありません」

「一度も? ネイディーン殿は神殿に来られて四年目とおっしゃいましたね?」

「ええ、そうです。ここに来てから四年間、一度も長官殿を拝見したことは、ございません」

「それは……徹底しておられる」

 オレークは半ば感心したように頷いた。それに関しては、ネイディーンも同感だ。

「なにしろ、長官殿には巫女君も面と向かってお会いしたことはないそうですから」

「巫女君、カグワの君ですら?」

「ええ。長官殿の声は聞いたことがあるとおっしゃっていましたが、姿は見たこともないそうです」

「それはまた奇異な……長官とは言え、所詮は神官の長。巫女に仕える身分でございましょう?」

「ええ。ですから、姿を見せずに仕えております。――本来、神殿とはそういう場所なのです。オレーク殿のような神官も、よほどのことがなければ神殿の外へは姿を見せません。我々世話役ですら、外界へは下らない。つまり、神殿の外の人間は、この神殿の中にいる者のことを一切知らないのです。神の世と現世を仲介人たるもの、そうそう安易に人前に姿を見せてはならない。これが神殿に住む人間に与えられた使命です」

「ふむ、なるほど……しかし、このようなことを申してもいいのかわかりませんが……正直、この神殿の長である巫女君は……あまり人目を気にせず、いろいろなところに姿を現しているように思えるのですが」

「……それに関しては、言い繕いようもございませんわ」

 ネイディーンはそう言って苦笑した。

 当代の巫女、カグワの君は、実に自由奔放な御仁であった。

 本来巫女とは、滅多なことでもなければ姿を現さず、声すら俗人には聞かせないものだ。巫女に仕える神官ですら、巫女とは直接会話することなど許されない。神事などがあって神殿の外、下界へと下る際には、姿を隠し、御簾の中から外を眺めるのがしきたりだ。

 故に、民にとって巫女とは神にも等しい存在であり、実在するのかしないのかさえわからない、神秘の対象であるはずなのだ。

 なのに、とネイディーンは自分の主であるカグワという少女のことを思って肩をすくめる。

 カグワは巫女でありながら、神殿の奥には篭らない。巫女装束さえ纏わずに、軽装で神殿の中を歩き回っては神官たちに渋い顔をさせている。それどころか、時には神殿の外へと飛び出して国城の中を散策しているというのだから、型破りもいいところだ。最近では国城の役人たちにさえ顔を覚えられ、彼らの中での「巫女」という存在に対する価値観は歴史的な変動を迎えつつある。それほどまでに、カグワは破天荒なのである。

「おかげさまで、多くの神官は、巫女君に手を焼いているようですよ。世話役の女の中にまで、巫女君に対して苦い顔をする者がいるくらい」

「おや。では、ネイディーン殿も、かぐわの君には苦労させられていると」

「いえ、私は……苦労していないと言ったら嘘になりますが、カグワの君とはもう十何年来の付き合いでございますから……今更、彼女の言行に驚くこともありませんわ」

「十何年来……ネイディーン殿が神殿に入られたのは四年前とのことですから、かぐわの君とはその前より交流があったと?」

「ええ。――もともとカグワの君と私とは、身分の同じ、聖女でありましたから」

 ネイディーンは言って、過去のことを懐かしく思った。ネイディーンが神殿に入ったのと、カグワが巫女に就任したのは同時だ。あれからもう四年が過ぎたと言うべきなのか、あれからまだ四年しか過ぎていないと言うべきなのか。

「聖女……?」

 聞き慣れない言葉に、オレークが首を傾げている。鋭い切れ長の瞳をこちらに向けて問うてくる彼に、「ああ、そうでした」とネイディーンは回想から戻って笑う。

「それについても説明しなくてはなりませんね。――聖女とはすなわち、巫女見習いのことです。巫女の予備軍と申しましょうか」

「巫女の予備軍……」

「はい。ここ、西エウリア国の巫女制度について、まずは理解して頂く必要がありますね」

 ネイディーン机上に広げられた紙の上、先刻書いた神殿の図を指し示し、その隣に宮殿の図を書いた。

「オレーク殿もご存知の通り、西エウリア国では宮殿と神殿が連立しております。つまり、宮殿の長であり国事の長である皇帝と、神殿の長であり神事の長である巫女が、連立しているわけです。政治と信仰は互いに干渉することなく、各々この国の要であります。ただし、同じ時の流れの中に存在しなくてはならない。そのため、皇帝が崩御すると、巫女もまた、崩御します。皇帝が代替わりをすると、それに伴い、巫女も代替わりをするのです」

「巫女の代替わり。それが巫女の予備軍、すなわち聖女の中から選ばれると」

「そうです。皇室は世襲ですが、巫女は世襲ではございません。なぜなら巫女になるためには巫力と呼ばれる不思議な『力』を持っていることが前提だからです。親が『力』を持っているからと言って、子が『力』を持っているとは限らない。巫力は遺伝しないのです」

「巫力……不思議な力……聞いたことはございます。未来を予知したり、遠くの物を見たり、人の考えを読み取ったり、言葉なくして人に意思を伝えたりと」

「そういう技もありますね。そういった特殊能力を総合して巫力と呼びます。いにしえより、神に恵まれた『力』と言われ、その強い『力』を持つ少女にのみ、巫女になる資格が与えられます」

「資格が与えられると、聖女となり、巫女の予備軍となる、と」

「端的に言えば、そうですね。まずは、国内にいる全ての少女の中から、強い巫力を持つ少女十人が『聖女』に選ばれます。聖女となった十人の少女は王宮内の後宮と呼ばれる外界と隔離された園に入り、長年巫力の修行を行います。そして、先代の巫女が崩御すると、十人の聖女の中から一人の少女が巫女に選ばれます。残りの九人の聖女は巫女の世話役となり、神殿に入ります。そして、新たに即位した巫女が次の巫女の候補となる聖女を国の少女の中から十人選びます。それが延々と続きます」

「つまり、聖女は総入れ換えとなるわけですね。巫女に選ばれなかった聖女が後宮に残ることはない、と」

「そういうことです。――私もかつては、聖女でございました。前代の王が身罷ったのが、今より四年前。つまり、王が崩御し、巫女も同時に崩御となったのが四年前です。その際に我々十人の聖女が、次の巫女の候補となりました。そしてその聖女の中から巫女に選ばれたのはカグワの君です。私は巫女にはならず、カグワの君の世話役として、今、この神殿にお仕えしているわけです」

 ネイディーンは己が聖女であった時代のことを思った。

 後宮と呼ばれる聖女の園は、外界から一切遮断された、楽園であった。毎日のように禊をしては巫力を高め、神に祈りを捧げた。将来は己が巫女となりこの国の信仰を守るのだと信じて疑わなかった。――だが、それも今は昔の話だ。

 昔を思うネイディーンの横顔を見て、何を思ったのだろう、オレークはしばらく考え込んだ後、癖のある茶色の毛を自分の手で撫でて、静かに問うた。

「ネイディーン殿は……何故、カグワの君が巫女に選ばれたのだと?」

「え?」

 ネイディーンは眉をひそめた。それは一体どういう意味であろうか、と。

「自分の方が巫女に相応しいのではないかと、そう思うことはないのですか?」

 傍から聞けば、不躾にも思える問いかけだ。ふと、さきほど大聖堂の前で出会った同僚の世話役の言葉が脳裏に浮かんだ。――ただの、巫女のなりそこないよ。――この男も、ネイディーンのことをなりそこないだと思ったのであろうか。

 ネイディーンの険しい表情を受け、オレークはそれだけで彼女の意図を読み取ったらしい。低い声色で、まずは謝罪した。

「突然、礼を欠いた問いかけであった……申し訳ない。別段、あなたが巫女とならなかったことを蔑むつもりではなかったのです。ただ――そう考えてしまうのが、人の性かな、と」

「人の性……」

 ネイディーンが得心できずに首を傾げると、「選民心理と言いましょうか」とオレークは続けた。

「人間は誰しも、深層心理で己こそが選ばれし者だと期待してしまうものです。もちろんそれは非難されることではない。自分が他より優れていると思うことは自己防衛本能の一種ですから、至極当然のことです。――ですが、幼い頃より巫女となるべくして育てられた人間が、突如お前は選ばれなかった、巫女ではないと宣下された時、その本能が強く働きすぎて逆に己を苦しめてしまうのではないかと」

「苦しめる、と言いますと?」

「簡単に言えば、卑屈になりすぎてしまう。何故己でなくあの娘が選ばれたのか。ふさわしいのは自分だ。自分こそが巫女にふさわしいのに、世の中間違っている、と周囲を恨んでしまうのではないかということです。――強い怨嗟は己を苦しめることに他なりません」

「……そう、ですわね」

 確かに、ネイディーンはそのような強い怨嗟を抱いている同僚の世話役をたくさん知っている。彼女たちは気位高く聖女として生きてきて、いずれは巫女になる未来を信じて疑わなかった。確かに彼女たちの怨嗟は、彼女たち自身を苦しめるものでしかないのかもしれない。

 それに――ネイディーンにも心当たりのないわけではない。

「オレーク殿のおっしゃること……理解できないわけではありませんわ。確かに、私もいずれは自分自身が巫女になるのだと信じて修行をしていた時期もありました。――ですが、私はカグワの君が巫女として選定されることに、少しの違和感も抱きませんでしたわ。何故なら、最終的には、彼女こそが巫女になることを、予測してしまったからです」

「予測……?」

「そう。さきほど、申しました通り、巫女となるためには「巫力」と呼ばれる不思議な『力』が必要とされます。巫女の修行をしていた私にも当然、巫力は備わっておりました。そして、巫力の種類の一つに、未来を読む力というものがございます。私は、あらかじめ、カグワの君が巫女に選ばれることを、知っていたのです」

「ほう……それは興味深い話ですな。すると、ネイディーン殿を含め、世話役として神殿にいる何人かの女たちは、いまだに『力』を持っていると。今も、不思議な『力』で未来を読み取ることがあると?」

「いえ……他の世話役たちはわかりませんが、少なくとも、私にはありませんわ。――私は、今、『力』のほとんどを失っておりますから」

 言って、ゆっくりとネイディーンは椅子を引き、立ち上がった。白銀の色をした窓枠のその向こう、神殿の庭園を眺めて眩しげに目を細める。しかし、それを見やるネイディーンには、普通の人間と同じ、平凡な五感のみしか備わっていなかった。今現在目の前にあるものを見て、聞いて、感じること、それしか適わない。彼女には、『力』がもうない。

「さきほど、オレーク殿は、人には本能的に選民心理が備わっているのだとおっしゃいましたね。自分は選ばれし人間である、と。その言葉は、真理であると思いますわ」

 誰しもが自分を特別と思いたい。心のどこかではそう期待しているに相違ない。

「確かに私は、巫女には選ばれませんでした。ですが、巫女に選ばれなくとも、私には私に求められた役目があったのです。例えそのために、『力』の全てを失うことになっても。私には、私に与えられし役目があったのですわ」

「ふむ……なるほど」

 窓の外を眺めるネイディーンの背中を見やって、オレークは低い声で呟く。

「確かに……『巫女』という身分は、ただの肩書きでしかないと言えることもできますな……。その肩書きを与えられなかったのは、自分には自分にしか出来ない役割を果たすためであると」

「ええ、その通りです。私は、自分の役目を果たすために、巫女になるわけにはいかなかったのです」

「それは……よくわかります。よく、わかります」

 オレークは意味ありげに語尾を二度繰り返し、どこか遠い眼差しで窓の外を見やった。

 振り返ったネイディーンは彼のその面差しを見つめ、目を細める。

 ネイディーンは読めない彼の表情を見やり、小首を傾げた。

 巫女直々に「オレークの教育係を」と頼まれて引き受けた仕事であるが、ネイディーンはまだ、このオレーク・ナイザーという男が何者なのか知らない。記憶喪失を患っているとは言うが、本当に彼が記憶を失っているのかどうかなんて、確かめようもない。

「オレーク殿……貴方とカグワの君とは、どのようなご関係なのです?」

 思わず口から滑り出してしまった質問に、オレークは柔らかく微笑む。眼光の鋭い男であるが、微笑むと、印象が一変した。広間の掃除をしていた世話役の女が、オレークのことを「絶世の美男子」などと表現していたことを思い出す。確かに彼は、綺麗な顔立ちをしている。

「私自身、かぐわの君とどのような間柄だったのか……しかとは覚えていません。ただ……私も以前、かぐわの君に心を救われたことがある」

 彼はそう答えて、目を細めた。

「そんな気がするのです」

 オレークが本当にカグワのことを思い出せないのか、あるいはこれはよくできた演技なのか。

 その判断のできないネイディーンには、彼を信じる以外に術もない。

「……そうですか」

 小さく頷いて、彼女は机上に広げた紙をくるくると巻いてまとめた。今日はこの神殿の仕組みを理解してもらうことが狙いだ。机上の話はここまでで、いい。

「では……次は神殿の中をご案内致しますので、どうぞついていらしてください」

 そう言ってネイディーンが立ち上がると、それに従ってオレークも立ち上がった。彼は慣れた仕草でそれまで座っていた椅子を丁寧にしまうと、ネイディーンの座っていた椅子もしまう。そういったさりげない所作の一つ一つがとても上品で、オレークがかつて高貴な身分にあったのであろうことが伺える。

(彼は一体……何者なのかしら)

 ネイディーンの抱いた疑問は、この時はまだ、言葉にされることはなかった。

 巫女の優秀な世話役である彼女は、ただ黙々と己の役目に従事した。

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