12、冬至の祭典
寒空を雲が覆い、徐々に大気の温度が奪われる。時間が経つとともにますますもって雲行きが怪しくなり、やがてちらほらと雪が舞い始めた。含む水分量の多い、べたべたとした雪である。積もりにくく、地面と衝突するとまもなく水となって消えた。気温は氷点下には届かないが、限りなく零に近い。吐く息が白く染まり、風は恐ろしく冷たかった。
そのような恵まれぬ天候の下にも関わらず、西国の首都ケトロは行き交う人で賑わっていた。首都の中央を走る大通は封鎖され、馬車の出入りは原則、禁止されている。その通りにずらりと露店が並べられ、人々は競って露店を訪れた。今日は年に一度の冬至の祭典である。
巫女が賑わう首都へと下ったのは、雪の降り始めた黄昏時 であった。夜に首都の聖堂で執り行われる祈祷式に出席するためである。国城から首都へと続く正門が開かれ、大通へと神殿の大行列が下ると、人々は手を組んで頭を下げた。――西国の人間にとって、巫女は神にも近しい存在である。彼らはとても信心深い。
巫女は人前には姿を見せない。大層な籠に入って馬に引かれ、まっすぐ聖堂へと向かった。その巫女の付き添いとしてともに首都へ下る神官たちは、馬車を守るように陣を組む。その神官の一人であったオレークもまた、行列に混ざってゆっくりと首都ケトロの大通を下っていた。
(規模の大きな市だな……)
行列の中にあって、神官たちは巫女の威厳を守るために堂々としていなくてはならない。オレークも毅然とした姿勢で行進を続けたが 、心の中では初めて見る冬至の祭典に興味津々であった。なにしろ、彼にとっては首都ケトロに降りたのも初めての経験だ。
馬車二台が余裕をもってすれ違える程度の広い通りの端に、ずらりと露店が並べられていた。露店は敷布を広げただけのものから、小屋を構えているものまで、大きさはまちまちで、だがそれぞれよりすぐりの逸品を並べている。物を売る行商人は西国のみならず、東国や南国からも来ていた。その昔は北国の行商人もいたのだろうが、さすがに戦を構えている今は姿がなかった。
巫女の籠が聖堂の中に入ると、神官たちは聖堂の中で祈祷の準備に取り掛かり始める。
オレーク神官ももちろん祈祷の準備に参加するはずであった。が、ふと聖堂の入口の方角が騒がしく、気にか かって聖堂の外に出ると、揉め事が起きていた。
「貴様らに用はない、どけっ!」
「この奥は聖なる神の領域……何人も許可なく立ち入ることはできぬ」
一人の見慣れぬ男が、聖堂の入口を塞いでいる見張りの剣士に噛みついている。オレークは神官特有の白いマントを翻しつつ、諍いを覗き込んだ。
「何事だ」
見張りの剣士に向けて問うた言葉であったが、剣士が声をあげるより先に汚らしい風体をした男が叫ぶ。
「貴様、神殿の神官だな……! この裏切り者め……!」
「裏切り……?」
「私はこの聖堂に勤める修道士であった……! 何故その私が許可を取らねば聖堂に入ることもできぬのだ! 全ては修道院制度を破棄し、修道院を見捨てた巫女の悪行……! 巫女に会わせろっ !」
無精髭の目立つ男の服装はお世辞にも清潔とは言えず、とてもではないが神に仕える修道士であった頃の面影はない。
オレークはまじまじと男を見つめ、目を細めた。
――『巫女の神殺し』。
神殿に勤めて間もないオレークでさえ、その有事のことは知っていた。
かつての西国エウリアの神事は、神殿を頂点とする封建制度で成り立っていた。西国中の各地方に修道院が置かれ、そこに勤める修道士たちが神事の一切を仕切っていたのだ。しかし、数年前に修道院制度は廃止され、多くの修道士たちは職を失う羽目になったのだという。神殿に住まう巫女が依然として巫女を続けていることに不満を抱く修道士も中にはいたことだろう。自分たちは職を追われたというのに、何故巫女は 巫女を続けていられるのか、と。
(なるほど、修道院を救いもせずに神殿に仕えている神官を、裏切り者と呼ぶか)
オレークは元修道士だという男の罵声を受けながら、冷静に思案する。見張りの剣士たちはどうしたものかとオレーク神官の様子を伺ってくるが、しばし命令も与えずに考え込む。
もともと修道士であったとは言え、恐れ多くも巫女のいる聖堂に怒鳴り込んできたこの男は不逞の輩だ。「言語道断」と切り捨てて追いやることは簡単だった。しかしそれでは彼の巫女や神殿への恨みは収まらず、それになにより巫女がその対応を望まないだろう。
「裏切り者……! 我らを見捨て、ゴミのように捨てた、裏切り者……!」
がなり声をあげる男についに痺れを切らし、見張りの剣士たちが動いた。
「黙れ、今の貴様に聖堂に踏み込む権利はない」
神官の命令を待たずに、剣士たちはその男を追いやろうと腕を振り上げる。
オレークは一息吐くと、首を横に振った。そして剣士たちを制す。
「待て」
オレークは剣士によって両腕を塞がれた元修道士の前に立った。剣士たちは足を止めて、元修道士を捕えたままどこかに連れて行こうとはしない。オレークは懐から一枚の紙切れを取り出した。それは神官のみが持つ祈祷紙である。本来儀式において使うものであるが、そのうちの一枚を元修道士に渡した。
「……そなたが、神に絶対の忠誠を誓いながら、国の権力闘争によって修道院を追われてしまったのだとすれば、それは嘆かわしい事実だ。もしも神に仕えたいという気持ちがまだあるならば、国城まで来られると良い。その祈祷紙を見せれば、神殿まで通してもらえるだろう」
その祈祷紙は間違いなく神殿で用いられるものだ。それを手にしている人間を、国城では無碍にはできない。
元修道士は祈祷紙を受け取って目を丸くすると、押し黙ってしまった。予想外の対応に、何と答えて良いのかわからなくなったのだろう。
「確かに修道院制度は廃止されたが、神が消滅なさったわけではない。どのような形でも、神に忠誠を捧げることは可能だ。例え修道士という肩書を失ったとしても、そなたはそなたの形で神に報いてくれ。もしも何か肩書が必要ならば、神殿に来ればよい」
呆気にとられたように、元修道士はすっかり大人しくなってしまった。彼を押さえて いた剣士たちはそのままずるずると男を引きずっていき、聖堂から離れた大通の向こう側へ追いやった。
オレークは追いやられたその侘しい姿を見やって、首を竦める。
聞いた話によれば、修道院制度が廃止された後、職を失った修道士たちに他の職業を与えるよう、政治的な措置が取られたそうだ。それによって多くの修道士が職を転じ、あるいはそれでも神に仕えたいという信心深い者は神殿の神官になるなり、独自で説法を説くなり、自ら道を選んだ。
それだというのに、わざわざ巫女に文句を言いに来たのだから、あの元修道士には最初から信仰心などなかったのだろう。あったのは、「修道士」という肩書に対する満足感のみだ。修道士というだけで民衆から敬われた経験が忘れられず、不逞の行動に出たに違いない。すなわち、八つ当たりだ。
それでも邪見にすることなくきちんと対応したのは、巫女カグワならそうするだろうと考えたためであった。オレークは神に仕える神官であると同時に、巫女カグワに仕える神官である。
(……余計なことに時間をとられてしまったな……戻るか)
ふうと一息吐いてオレーク神官は踵を返す。そして聖堂の中に戻ろうとすると同時、不意に背後からわざとらしい拍手の音が聞こえた。
パン、パンと高らかに響き渡るような、大きな音である。何だろうと思って振り返ると、いつのまにやら、口髭の男が立っていた。
「堂々たる対応、見事であるな……さすがは、神殿に住まう神官殿」
肌は濃い褐色で、一目で西国の人間ではないことが わかった。黒々とした髭が口の周りを覆い隠しており、不気味だ。南国の衣装を纏うその男はおそらく、南国からやってきた行商人なのだろう。
「ご賞賛頂くほどのことは何もしていない」
オレークはなるべく短く答えると、再び踵を返そうとする。が、続く男の言葉で固まった。
「だが妙だな。――神官のようなご身分であるにも関わらず、何故そうも重篤な呪いにかかっている?」
オレークは目を見開き、じっと南国の行商人を見やった。
オレークが強い『力』によって呪いにかかっていることは、オレーク当人でさえつい最近まで知らなかった事実である。今までにそれを見破ったのは、やはり強い『力』を持つ巫女一人のみであった。他の誰も、その事実には気づいていない。只人には呪いなど見えないのである。
(この男……只人ではないのか)
吃驚した目を向けていると、南国の行商人は黒髭の奥の口元をにやりと歪めた。そして一歩こちらへと近づいて、背の高いオレークを見上げるようにまじまじと観察した後、びしと片手を横に掲げる。
「その呪い、俺が解いてやろうか」
「……なに?」
びしと横向きに掲げられた行商人の服の袖は南国ならではの明るい色彩に染まっている。そして彼の腕の指し示した先には、黒い布で隠された形成された露店があった。大人二人がぎりぎり入れる程度の小屋である。
「お前は自分が何者であるかも、実は覚えていないのだろう。俺がその謎をすべて解き明かしてやる」
「……」
いかにも怪しげな誘い文句に、閉口した。
自覚症状はないものの、オレークが呪いにかかっていることは事実だろうし、自分が何者かもわかっていないものもまた真実だ。だが、通りすがりの胡散臭い行商人にその呪いが解けるのかは甚だ疑問である上に、そもそもどうしてこの男がそんなことを進言してきたのかもわからない。
「……そんなことをして、お前に何の得がある。私は神官だ。自由に使える金など持ってないぞ」
「別に金が欲しくて言ってるんじゃねえ。その呪いは、俺が解くべきなのさ」
「……何故」
「その目は、俺のことを怪しい奴だと警戒してるな」
行商人はくくくと喉の奥で笑った。オレークはその通りであったため、何も言わない。
すると行商人は南国の衣装のポケットに手を突っ込んで、何かを取り出した。
「ならば、少しこれを覗き込むと良い」
取り出したのは、男の手のひらにすっぽりと収まる大きさの、黒い石だ。黒く濁った色をしているが、半透明できらきらと輝いている。
オレークは興味本位でその石を覗き込み、やがて眉根を寄せた。何故だろう、見たこともない石のはずなのに、とても懐かしい心地がする。
「これは、『力』によってかけられた呪いをはじく石のかけらだ。かけらでさえ、見ているだけで何かを思い出しそうな、そんな気分になるだろう?」
「……とても、懐かしい気がする……これは」
「だから、お前の記憶を封じている『力』が揺らいでいるのさ。かけらでさえ、こうなんだ。俺の露店にはこの石のでっかい奴がある。呪いなんて吹き飛ばすくらいのな」
言って、行商人はにんまりと笑った。オレークはただただ瞠目する。この男が胡散臭いことに変わりはないが、石の存在によって少しだけ話に信憑性が増した。確かに、ただならぬ『力』を感じる。
「……まだ俺のことを信じてはいないが、興味が湧いた。そんなところだな」
行商人の男は黒髭を撫でながら、オレークの顔を覗き込んで来た。オレークは眉一つ動かさずにまっすぐ男を見つめ、問う。
「……お前、心が読めるのか」
すると、男はぶっと激しく噴き出して、笑った。
「どうやら言い当てたようだな。心が読めるなんて大層なもんじゃねえ。他人の表情を見てりゃ、なんとなく何を考えてるか想像が付くだろ。そんなもんだ」
だとすれば、鋭い洞察力である。
呆気にとられているオレークに背を向けて、行商人は自分の露店へと向かって歩き始めた。日は落ちて、辺りは暗澹とし始めている。その中で、黒の布によって覆われたその露店はひっそりと目立たなかった。まるで、闇の中に隠れているかのようだ。
「さあ、興味が湧いたんなら、来ることだ。この機会を逃したら、もう二度とないぞ」
言って男は黒布をぺらりと持ち上げて、小屋の中へ手招きした。オレークはごくんと喉を鳴らした後、思わずその方向へ向かって歩く。今は、冬至の祭典の準備をしなくてはならない。それが神官である自分の務めだとわかっていながら、それでも欲望に勝てなかった。――ひょっとしたら、神官ではなかった頃の自分の姿が、本当に思い出せるのではないか。
黒布の小屋の中に入ってしまうと、オレークの姿はすっかり闇に紛れて見えなくなってしまった。大通に店を構える多くの露店は夜闇に紛れぬよう明かりを灯し始めたのに、この露店だけ明かりを持たない。まるで明るい世界との接触を拒むかのように、暗い闇の色だ。




