序、選ばれなかった少女
――選ばれし聖女たちよ。
――この美しき花園の中で、神への忠誠を尽くすべし。
「よろしいですか、一の君」
かつて少女は、「いちのきみ」と呼ばれていた。
何人たりとも、少女の名を呼ぶことはまかりならない。少女は神にも近しい存在であり、俗人は畏れ多くも少女の名を口にすることなどできないのである。
故に、畏敬の意を込めて、少女のことを「いちのきみ」と呼んだ。
「この世界には神がおられます。神が世を支配し、万物を操り、我々人間はその恩恵を授かって生きている。ですから、我々は決して神の意に染まないことをしてはならぬのです。我々は、神の仰せのままに過ごさなくてはなりませぬ」
少女は、十にも満たぬ年の頃から、そのように教わった。この世は神のものである。人間は神の箱庭で生かされているに過ぎないのだと。
「ですから、人間である我々には、神の代弁者が必要不可欠です。神が何を考え、何を我々に求めているのか。神の意を知り、伝える者がおらねばならぬ。それができるのは、神に恵まれた『力』を持つ、選ばれし乙女のみ。その乙女のことを巫女と呼ぶのです」
少女は、神に恵まれた『力』とやらの真髄を知らない。真髄を知らないままに、気付けばその『力』を手にしていた。故に、ある日突如己の生活の全てを奪い去られ、選ばれし乙女のみを囲って成り立つ秘密の花園へといざなわれた。そこは楽園とは名ばかりの、決して乙女たちを外へは逃さぬ、美しき雑居房であった。
「よろしいですか、一の君」
少女だけではない。雑居房の中に住まう乙女たちは皆、数字で称され、決して名前を呼ばれることはなかった。
何故ならば、乙女たちは、選ばれてしまったのだ。神に恵まれた『力』のせいで、俗世から切り離され、名前までも失った。それは乙女たちの望んだことでは、決してないのだけれども。
「貴女は神に恵まれし乙女です。その『力』を磨き、そして、いずれは必ずや巫女にならん、と、心に誓いなさいまし」
「一の君」と呼ばれる少女の他に、雑居房に閉じ込められる娘は九人。それぞれに数字があてがわれ、二の君、三の君、と呼ばれる。そして十の娘のうち、巫女として選ばれるのはただ一人。
「他の九つの君に決して劣ることなく、『力』を磨くのです。巫女に選ばれし君は、ただ一人。巫女に選ばれなければ、例え神に恵まれた『力』を持っておられても、ただの娘にしかなりえませぬ。貴女はこの世界でただ一人、神の代弁者となるために、ここに住まうのですから」
暖かい口調で、だがしかし、冷酷に言い放たれたその言葉は、少女を十数年に渡って拘束した。
少女は決して楽園と呼ばれた雑居房から逃れられず、神への忠誠を誓い、そして『力』を磨き続けた。
それなのに、何故だろう。神は、彼女に振り向こうとはしなかった。
少女は、選ばれなかったのだ。
少女は、巫女ではなかった。
少女は、ただの少女でしかなかった。
巫女にもなれず、しかし二度と俗世に戻ることも許されない。
哀れな囚われし少女のその名を、ネイディーンという。