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悩夏決断

作者: やきたらこ

 とある中学校の教室に六時限目終了のチャイムが響く。

 この日、上沢知香は夏休み前の授業を全て終えた。

「あぁ。終わったぁ」

 やや気の抜けた声がつい口から漏れた。それを聞いた後ろの席の親友、佐々木日菜子は知香の背中を叩いた。

「まだ、終わってねぇっつの」

「痛ったぁ」

 知香は叩かれた背中をさすりつつ、日菜子に返す。

「そっか。まだ全校集会が残ってた」


 六時限目を終え、ぐったりする教室内の生徒たち。そこに担任の山田先生が帰ってきた。きっちりした教師で、夏真っ盛りなのに黒いスーツを身にまとっている。しかしこの炎天下である、さすがのイケメン真面目教師もネクタイを緩ませざるをえない。

 山田先生はぐったりする生徒たちを見回し手をパンパン叩いて大きな声を張り上げる。

「ほら、暑いのは先生だって一緒だぞ。これから全校集会だ椅子持って廊下に並べぇ」

 語尾がだらしなくなっているのは蒸すような暑さのせいだろう。真面目教師を駄目にする暑さである。当然男子生徒諸君は耐えられるワケも無く「あ〜い」だの「へ〜いへい」だのと、気の抜けた返事しか出来ない。

「知香、行こ」

「うん」

 日菜子に促され知香は教室を出た。



「部活は夏にどれだけ頑張ったかで実力が決まります。受験も同じです。夏休みは授業も無くなりますので一、二年の復習が存分に出来る筈です。夏の学習量によって高校のレベルが決まります。よって夏は勝負の季節と言えます」

 校長の熱弁を軽く聞き流し、知香は大きなあくびを一つ。うとうとする目を開けて眠気と闘っているうちに、あとは生徒の作文だけになっていた。一、二、三、各学年の代表者がステージに登壇する。


「夏休み頑張りたいこと

 三年生が引退し、二年生の先輩と僕達一年生の新チームになりました。主戦力の先輩たちのサポートを―――」


「大会に向けて

 夏休みが始まって一週間で大会です。私たちの代に代わってから初めての公式戦です。そのために夏休み―――」



 一、二年と作文を聞く。やはり予想していた通り部活に関する事だった。そして三年生代表の男子生徒がマイクの前に立った。


「高校受験―


(やっぱり)

 三年生なんて受験の事喋るだろう。その予想は大きく当たっていた。しかし内容が濃く、知香は少々驚いた。


「僕はまだ進学先を決めていません。『今時期遅いんじゃない』かそう思われるだろうけど、僕は少しも焦りません。なぜなら夏休みという長い時間があるからです。僕は体験入学や情報収集を通し、夏休みの序盤に志望校を決め、その目標に向けて中盤終盤を使いたいと考えています。自分の行きたい高校をしっかりと見定めそれに向かって―――」




 知香はぼんやりと帰りのホームルームを終えた。他の生徒たちは帰る支度を早々に済ませ「暇だし明日ゲーセン行こうよ」「カラオケとか行きてぇな」などと他愛もない会話をする。いつもならすぐさま飛びつくのに、話の輪に今日は入る気がしなかった。

「上沢」

 名前を呼ばれ知香は肩をビクっとさせる。振り向くと担任の山田先生が立っていた。山田先生は何気ない調子で続けた。

「後で職員室に来るように」

「は、はい」

 言葉が理解出来なかった。咄嗟に返事しただけだった。山田先生は踵を返し職員室への道を歩く。担任の姿が見えなくなると周りの生徒が知香を中心に集まる。

「ねぇ知香ちゃん何したの?」

「知香ぁ、何やらかしたん?」

 不安げな言葉が飛び交うがみんな面白がっているだけだった。

「何も覚えが無いんだけど」

 周りに合わせて空気に乗る。実際、身に覚えはない。職員室呼び出しを食らう理由が見つからない。

「ま、行ってくる。すぐ終わると思うけど」

「いってら」

「怒られてこいや」

 知香は男子生徒の一人に向かって言い返した。

「怒られないやい」




「お前だけだぞ。進路希望の紙白紙だったの」

 怒られる、とはちょっと違うけどめんどくさい話だった。

「はい」

「悩んでるのか?先生で良かったら相談に乗るぞ」

 言葉の通り先生の目は心配してくれている目をしていた。しかし知香はその優しさを蹴った。

「いえ。大丈夫ですから」

 担任は変わらず心配の視線を知香に向け続けた。

「夏休み中は三者面談とかあるから、親御さんともちゃんと相談するんだぞ」

「はい」

 知香は深くお辞儀をして職員室を出た。既に三年生は下校した後だった。校内に響くのはバスケットボールをつく音、部活の掛け声、吹奏楽の練習する音。どれも後輩たちの青春の福音だ。校外からも野球部、サッカー部のランニングの掛け声などが聞こえた。

「みんな帰っちゃったか」

 一人呟き荷物を教室から持ってきて昇降口に向かう。

「よっ」

 片手を上げて迎えてくれたのは親友、佐々木日菜子。

「待っててくれたの?」

「そ。待ってたよ」



 鈍色の空。俯きながらも親友と肩を並べ家路を歩く。流れるのは沈黙。苦にならない沈黙が二人を包む。しかしその沈黙を日菜子が破った。

「ねぇ、職員室に呼び出されてさ。なんだったの?」

「ん?進路の話だよ」

「あ、なるほどね。で、決まったの?」

「まだ。親とも全然話してないし」

「そっか。あたしは決めたよ」

 少し驚いた。普段からおちゃらけている日菜子が進路を真面目に考えていたとは。

「あたしね、前ヶ崎商業に行こうかなって考えてる」

「前商、か」

「どうしようかなぁ。高校」

「せいぜい悩みたまえ」

 この親友にも打ち明けていない事が一つある。その事を胸に秘め、知香は親友と肩を並べた。




「ただいま」

 扉をしめ鍵をしめる。靴を脱いでいると知香の母、上沢紗綾香が廊下を通りかかる。

「あら帰ってたの?」

「うん」

「ならさっさと勉強して。家庭教師の方だってもうすぐ来るからね」

 母は告げるとそそくさと台所の方に消えてしまった。

 知香は唇を強く噛んだ。熱いものを眼の奥に押し戻し自分の部屋に向かった。


 自室。そこは誰に飾るわけでもない自分を思う存分に出せる場所であり、鬱陶しい家族から身を離す空間でもあった。

 ドアの鍵をかけベッドに身を投げた。枕に顔をうずめ、堪えることの出来ない嗚咽が喉の奥から漏れる。


 上沢家。家族構成は夫婦に息子が二人、末っ子の知香。夫婦揃って優秀な高校、大学を出ており、兄たちもまた秀才であった。しかし知香は違った。小学校は大丈夫だった。頭の良い部類に入っていたが、中学に上がってから成績は落ちた。学年で中の下くらいの成績を今まで取ってきている。テスト結果がかえってくるたび、夫婦は溜め息、兄たちは見下した視線を向けてきた。母、紗耶香には、お願いだからもっと成績を伸ばして一流の高校、大学に入って欲しい。と懇願された事もあった。

「もう、やだ」

 母を失望させたいわけじゃない。むしろ喜ばせてあげたい。それに、行きたい高校は商業系、これは親友に乗ったわけじゃない。前々から決めていたのだ。奇遇にも親友と同じ高校だが。

 今の現実にかなり疲れていた。親の期待、自分の希望、兄たちの見下し。進路希望を書けなかったことから、先生にまで心配をかけていた。


 どれくらい泣いただろうか。いつの間にか窓から見える空は暁に染まりつつあった。その時部屋のドアがノックされた。

「知香、先生が来ましたよ。開けてちょうだい」

 知香はベッドから起き上がり涙を拭う。

「いま開ける」

 鞄から勉強道具を机に広げ、部屋の電気と机のスタンドを点ける。勉強していた風に見せる為である。準備を整えてからドアの鍵を開け、ドアノブをひねる。

「どうぞ」

 赤い眼鏡をかけた家庭教師、田中聡子が立っていた。部屋に招く。

「今日もよろしくね」

 聡子は笑顔で言った。



「そうそう。この問題はこの公式を使えば解けるわ」

 聡子の指導にしたがって三つ目の文章題を解いた。問題数は多くないが何分質が良い為解くのに時間がかかるし疲れる。知香は思わず後ろにのけぞって伸びをした。

「疲れた?」

 聡子の思いがけない問いに目食らって椅子がひっくり返りそうになる。あと少しで耐える事に成功し持ち直す。

「う、うん。難しいから」

「大丈夫。落ち着いて解けばそれほど難しくないわ」


 数学の問題を終わらせ、国語の文章題にとりかかる。

「国語、苦手なんだよなぁ」

「そう?国語楽しいと思うけど」

「英語よりは、ね」

「どっちもおもしろいわ」

 聡子は微笑気味に言うと問題を取り組むように促した。

「さ、この問題終わらせましょ。ちなみにほとんど文章中に答えがあるわよ」

「えぇ〜分かんないよぅ」



「終わったぁ。やっぱ国語難しい」

「そのわりには出来てるじゃない」

 その後英語の学習もこなし、今日の勉強は終わりになった。

「お疲れ様。ここの英単語練習しといてね」

「はぁい」

「それと」

 聡子はなにか付け加える。なんだろう、と思って聡子と目を合わせ姿勢を正す。

「悩んでるでしょ」

「な、なにを?」

「高校進学」

 続く言葉を耳にしたくなかった。しかし聡子の透き通るような声は知香の耳にするりと滑りこんでくる。

「ところどころの仕草で分かった。受験の話とかすると微妙に表情が変化するもの」

 そうか、聡子先生にまでバレちゃうのか。知香は思う。もういっその事打ち明けちゃおうか、と。

「分かるよその気持ち。今まで沢山の受験生を見てきたけどみんなあなたと同じ。あなたは親や兄弟の事も考えているのね。でもね、親や兄弟なんて関係無い。自分が進みたい高校に進めばいいのよ。それを見定める為の夏休みだものね」

「うん」

 聡子に言われ知香はやや俯き頷いた。偶然にも三年生代表者と同じ事を口にしていた。



 聡子は帰った。別の生徒の家に向かった、の方が正しいかもしれない。そして知香は夕食を食べる。一人、自分の部屋で。

「美味しくない」

 普段、美味しい筈の母の手料理。鯖の味噌煮を口に運び考える。やはり思い悩んでいるせいかもしれない。


 食事を食べ終え食器を下の階に持っていく。その時二番目の兄とすれ違った。知香は少し足を止めたが、兄は足を止めず知香には見向きもせず通りすぎた。

(小学校の時はいつも頭を撫でてくれたのに)


「進路、花咲高校に決まってるわよね」

 食器を返した時に母と会った。いつも花咲、花咲としつこく言う。

「母さん、その為に家庭教師までとってるのよ。しっかり頑張ってくれなきゃ―」

「母さん!!その事なんだけど」

 知香は母の話を遮るように声を張る。しかし思いは揺らぐ。知香はその先を言葉に出来なかった。

「やっぱいい」

 知香は俯きゆっくりと振り返り自室に戻る。

「先生がいなくても勉強できるわね?」

 やや張りのきいた声が知香の小さな背中に投げかけられるが知香は振り返る事も言葉を返す事も出来なかった。



 自室に戻り服を着替え、パジャマになる。蒸し暑いのでクーラーをつけた。熱風が排出されるが徐々に爽やかな風を吹きつけるようになった。

 部屋は薄暗い。知香のシルエットがぼんやり分かるくらいに薄暗い。明かりは窓から入ってくる他の家の電気と昇り始めた月だけ。

 知香はベッドに体を横たえた。ちょっと早いけどもう寝ようか、と考えた。その時唐突に知香の学生鞄の中の携帯が振動音を発した。マナーモードにしていた為だ。

 おもむろに体を起こし、鞄をまさぐる。すぐに音の原因を手に取る。表示された名前は親友のモノだった。知香はベッドに腰掛け通話ボタンをタップする。すると聞き慣れた少女の声がスピーカーから流れでた。

『うっす。元気?』

「うん元気元気」

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 親友はやや沈黙した。知香は不安になり尋ねる。

「どうかした?」

『聞きたい事があるんだけどさ』

 またも親友は間を空け言葉を紡ぐ。

「何?」

『なんか悩みあるでしょ?』

「え!?」

 まさか。親友には一言も話していない。分かるはずが無いと思っていた。

『受験でしょ?進路とか。そういう話でしょ?』

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 今度は知香が沈黙する。答えられなかった。よくわからないけど親友に悩みを打ち明けるのが怖かった。

『分かるよ。何年一緒にいるって。あんたの事ならあたしが一番分かる自信があるしさ』

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 またも知香は沈黙する。言葉を発せない、の方が正しいかもしれない。

『あんまし悩んじゃ駄目だよ。自分の人生なんだから自分で道を決めるんだよ。親とか兄弟なんて気にすんな。自分の未来だもの。自分で決めきゃ』

 親友は以前に一度だけ話した、親や兄弟の事を覚えてくれていた。それに親友の言葉はなによりも温かかった。熱いモノが眼の奥から零れ落ちた。

「う”ん」

 半ば泣きじゃくりながら親友の言葉に耳を傾け続けた。



 やがて落ち着き。知香は立ち上がる。涙を拭った。知香の中には二つの言葉が反芻していた。

『自分が進みたい道に行けばいい』

『自分の手で未来を決める』

 それぞれ異なる人物が発した言葉だ。その思いは知香の胸の中にしっかりと届いている。

 知香は確固たる決意を胸に秘め、自室のドアを開けて階段を降りた。そして台所に向かう。皿洗いをする母に会う為に。

「ねぇ母さん。話があるんだ」

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・地名とは一切関係ありません。

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2015/08/03 11:57 武士の心得を持った砲兵
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