その一
この不景気なご時世に大不況の荒波に揉まれるという現実を受け止められぬまま、四年目が終わり、気がつけば僕ただ一人が取り残されていた。
卒業はしたものの、働き口も見つからず只家の中で暇を持て余す日々……。
短期のバイトを繋いだおかげで蓄えた資金も、底を尽きようとしている。
――働かねば、と。
ダラダラと興味の無いテレビ番組を垂れ流す様に見ながら、ふと現実に戻る瞬間。
どう生きていけばいいのか。だらしなく伸びた無精髭と伸びきった爪。ふけの溜まる頭皮を搔き毟りながら散らばって部屋を見て、絶望した。
暗い穴ぐらにゴミが溜まり、そのゴミ同様に腐っていく。
社会から切り離される恐怖とか、先行き見えない将来への恐怖とか、自分自身が地に足を付けていない感覚とか……、とにかく全部が嫌で嫌で、たまらなくなった。
「……死のう」
短絡的思考、忍耐の無い若者、現実逃避。や、そんな言葉が脳内を駆け巡るが、今から死ぬ人間が客観的批判を気にしている場合じゃない。
さて、どうやって死のうかと、とりあえず電気コードとカッターナイフを見つけてくるが、首を吊る場所の耐久力がどこにも無く、手首を切ると痛そうだと思って躊躇った。
腐っていく。このまま誰にも相手にされず、社会から封殺され腐ったゴミ同様腐れていけばいいと、汚れた部屋の中で大の字に寝転がり、急な便意を催してトイレに駆け込んだ。
僕はその現実を見て、唖然とする。
汚い。不衛生すぎる……。
あちこちが黄ばんでいるし、嫌な匂いも立ち込めている。
そういえば引っ越して以来、トイレ掃除などした事があっただろうか。
直視すれば吐き気を催すような有様。おまけに窓も無いので匂いが立ち込めて気持ちが悪い。
「……誰だよ、こんなに汚く使ったのは?」
「お主じゃ、戯け者がぁッ!」
幼い声が背後から響いたかと思えば、鋭い衝撃が後頭部へと走り、そのまま前のめりに倒れそうになって慌てて壁を支えて身体を堪える。
あともう少しで不潔な便器に唇を奪われるところだった……。
一体誰の声かと振り返って言葉を失う。
「最近の若者は厠一つ大切に扱う事も出来ぬとは……。呆れて物も言えぬ」
目の前に居るには宙に浮かぶ小人だ。衣裳が天女っぽい。女なのだろうか。
糸目とウェーブのかかる長い髪。織姫様みたいな衣装をひらひらとなびかせ、手に持つ扇子を開け締めさせている幼女……。
いや、あり得ないよね。
「……ゲームをやり過ぎたか?」
目を擦って冷静になり、便座を下して扉を閉め、ズボンを下してゆっくり腰かける。
「軽く無視して、脱糞すんなやァッ!」
小さな天女は明らかにキレた形相で扉をこじ開けた。
「いや、あの妄想の人。さすがに恥ずかしいので扉を閉めて頂けると……」
「誰が妄想キャラじゃァッ、戯け者! 儂は誉れ高き加牟波理入道じゃ!」
「カンバリニュウドー? そんなキャラを攻略したつもりは……?」
「ともかく一度その粗末な物を隠さぬか。主は厠神の前で不埒な振舞いをすると申すか?」
「……意味がわかりません」
そう言ってトイレの扉を再び閉める。
「話を聞けと申しておろうがァッ!」
怒号と同時にすさまじい衝撃がトイレの扉へとぶち当たる音が響き、木製の壁をぶち破って小さい天女が飛び蹴りで貫通してくると、僕の額目掛けて強烈な飛び蹴りを浴びせてくる。
かくして僕はトイレの前にズボンを下ろしたまま崩れ伏せる結果となった。
もし、お母さんがこの瞬間に家に訪れたとしたなら、死ねる覚悟が今ならある。