1 透也
思えばその日は朝から災難続きだった。
朝食のトーストは焦がしてしまうし、登校中に犬のフンを踏んづけた。苦手な数学の授業では先生に当てられて答えを間違えてしまったし、弁当には箸が入れ忘れられていた。
そして極め付けがまさに今だ。爛々と眼をぎらつかせ、2mは越えるであろう白の大蛇が俺の目の前で赤い舌をチロチロと見せている。俺は身動きが取れずに、ただただ冷や汗をかきながら突っ立っているだけなのであった。
って、冷静に状況説明をしている場合ではない。道端で大蛇に出会ったときの対処ってどうするんだっけ。死んだふり…いや違う。110?…だめだ、電話を掛けている間に襲われる。あの牙はヤバイ。噛まれたら死ぬ!と俺の本能が叫んでいる。大体何故こんな大きな蛇が通学路で行く手を阻んでいるんだよ。飼い主は何やってんだ。
よし、ゆっくり後ずさる作戦でいこう。手足が震えながらもなんとか全神経を足に集中させる。
そーろり、そーろり。
「って、うわぁぁっ!!」
大蛇は俺の後ずさりに合わせるかのように地面を張って距離を詰めてきた。今にも俺めがけて噛み付いて来そうな雰囲気を醸し出している、気のせいではないはずだ。まさに蛇に睨まれたカエル状態だ。
100m走15秒ほどの俺の足がどこまで頑張ってくれるか分からない。しかし今は火事場の馬鹿力を信じてひたすらに走るのみ!
俺は地面を蹴って駆け出そうとした、まさにその瞬間。
「シース様、いかがなされましたの。まさかまた敵に狙われておいでですか?」
突如と耳に届いた高く艶やかで明瞭な女性の声にギョッとして足を止めた。今の声は一体どこから聞こえたのだろう。辺りには人はいない。いるのはこの目の前の大蛇だけである。
いよいよ恐ろしい。
と、その時ふわりと視界が揺れたーー正確には、大蛇の姿が揺れた。まるで蜃気楼みたいに。思わず腕で目をこすり、次に目を開けたときにはその場には大蛇の姿はなく。
「ご安心を。このアイラ、全身全霊でお護り致しますわ。」
先ほどまで大蛇がいたその場所には、緩くウェーブのかかった金髪をなびかせた赤い瞳に紅い唇をした女性が妖艶な笑みをたたえてこちらを見ていた。
俺、倉田透也は今度こそ思考回路が停止した。