粉雪と父さん
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父は、頑固な人でした。私も母もそれは、長年付き合ってきた仲ですから、そんなことは了解済みでした。
私は、そんな頑固な父こそ、我が父だとさえ思っていましたし、 母もきっと、そんな彼が好きだったのです。
ある年の冬でした。私は寒い中父の職場へ雪が降りそうなので傘を持って行きました。
そうして父と一緒に結局使いそうにもない傘を振り回して帰っていました。
まだ小さく、凍えそうな両手に懸命に息をかけながら擦りあわせていると、父が話しかけてきました。
あの頑固親父を絵に描いた様な父です。子供には威厳を見せよときっと無口になっていたのです。
だから、小さな私はこの日初めて父と話しをした気分になりました。勿論、きっと前にも話したことがあった筈ですが、私の記憶にハッキリと焼き付いている記憶がそれなのでしょう。
父は、私の手を見てたった一言、こう言いました。
「エリカ。手が真っ赤になっているぞ」
そうして私の手より幾分も大きく暖かい手で私の手を包み込み、はぁあ、と息をかけてくれました。
私はとても驚きましたが、何だかとても幸せな気分になりました。きっと父もそれは同じで、私達は手を繋ぎました。
すると、遥か上空からフワリフワリと白い粉雪が舞い始めました。
父は一度ブルルッと体を震わせると私の持って来た傘をさし、ゆっくりと歩き始めました。
粉雪と父さん
もう、十二月になるのに、今年は何故か雪が降っていませんでした。
雪を見ると毎年の様に先程の記憶を思い出し、仕事中でも私は少し自分だけ幸せになれる優越感を味わうのが密かな楽しみにもなっていたので、友人から今年は十二月に入って全く雪が降っていない事を気付かされ、少し寂しい気持がしました。
と、言うのもあの日の雪は、霙でもなく、ダイヤモンドダストでもなく、紛れもない、粉雪だったからです。
粉雪は、余りお目にかかる機会が少ないので、雪が降る期間は長い方が、それだけ粉雪に出会う確率も上がると言うわけです。
それだけだったのですが、私は妙に嫌な気配を感じました。
根拠は全く有りませんが、女の勘と言う物でしょうか。なんとなくよくない事が起きる気がしてなりませんでした。
私はその日一日仕事が手に付かず、せっかく今回頂いた仕事も三分の一しか進みませんでした。
そんなことが会社であったので、私は幾分落ち込んで帰路につきました。
「ただいまぁー……」
部屋に私の声だけが寂しく響きます。
父母の元を去ってはや六年。親孝行するには早く結婚しなければいけないとは思っていたのですが、結局時ばかり過ぎて、私はもう二十八になってしまいました。
私は、きっと自分の夢ばかり追い掛け過ぎたに違い有りません。
でも、そんな私を見て女だから頑張る必要はない、早く結婚しろ、とは決して言わない両親には私は感謝しています。
私は、簡単にシャワーを浴びたあと、冷蔵庫からビールを取り出して、一人漫才を見始めました。
見ながら、やはり近いうちに結婚して、生きている内に両親に私が嫁ぐ所を見せようと決意しました。
そして、ビールを最後まで飲み干すと、空になったカンを流しの横に置いておきました。 そうして、今日はもう寝ようと、布団に足を向けました。
すると、電話が鳴り出しました。午後二十二時三十七分。こんな時間に一体どこの誰でしょう?
ワンコール
ツーコール
スリーコール。
私はスリーコール目でその電話に出ました。
「はい、もしもし。筒見ですけど」
「エリカ?お母さんよ」
私は、母であってもこんな時間に電話して来るなんて、なんて非常識なんだろうと思いました。
しかし、そんな考えは直ぐに私の頭から削除されました。
なんと母が泣き出しそうな声でこういうのです。
「エリカ……落ち着いて聞くのよ。父さんがね……」
私は嫌な予感が当たった気がして、背中を冷たい汗が流れるのを感じました。
「父さんが?なに。母さん。早く言って」
「エリカ……父さん、高血圧でたおれた」
私の頭は一瞬、真っ白になりました。しかし、今は落ち着けと、誰かが私を呼び起こし、私は平静を取り戻しました。
「で?今何処の病院?」
「総合病院よ」
「分かった。すぐ行くから」
私は、寝巻きを着替えてノーメイクで車に乗りました。
鼓動が次第に、急げ、急げと急かすように早くなって行きます。
もうクリスマスシーズンに入った街並みを照らすライトが、なんだか皮肉に思えました。
総合病院に着くと、受付まで身の振り構わず駆けて行きます。
どうやら靴を片方間違えたらしく、走りづらさを感じました。
受付には、私の事情なんて知りもしないナースが笑顔で待っています。
「あの、ここに筒見正人が運ばれて来たと聞いたのですが!」
「御親族の方ですか?」
「はい!」
ナースが父の部屋を調べる間、少し落ち着いた私は走った熱と今の自分の姿に対する羞恥で顔が熱くなるのを感じました。
それでも必死に熱りを冷まし、ナースが答えるのを待ちます。
暫くすると、ナースは笑顔で帰って来ました。
「208号室ですね。ごゆっくり」
「ありがとうございます」
私は208号室へ向かいました。
父は、昔から米焼酎が大好きでした。しかし元々高血圧な彼は若い頃に何回も入院しました。
何とその時の父の担当のナースが母だったそうです。
若い頃はまだしも、今はもう体も弱る一方で、決して強くはなりませんから、母が心配をしていました。
しかしここはあの頑固親父。母が注意したところで止めるはずもなく、性懲りもなく飲み続けた結果がこうなのでしょう。
私が病室に着くと母が疲れた顔をして座っていました。
当の本人は、イビキさえかいて寝ています。
「母さん」
「あぁ。もう、この人ったらね。情けないわ!」
父は、そんな母のぼやきも気にも止めずに眠り続けています。
「で?大丈夫なの?」
「えぇ。でもやっぱり入院だって。明日から検査して脳の血管が切れていないか調べるみたい」
「じゃあ、私仕事休もうかな」
父の危機なのです(多分)。会社は許してくれるでしょう。
それに、まさかれた仕事の期限にはまだまだ余裕があります。
「大丈夫なの?」
「大丈夫。まだ期限には余裕があるし」
私は心底安心し、病室を後にしました。しかし、やはり父はもう長くないはずです。
私は溜め息をつきました。 腕時計を見ると、既に朝の二時になっていました。
私はゆっくりと歩きながら車へ向かいます。ハァ、と溜め息をつくと、息が白くなりました。
今日も、まだ雪は降りません。
「帰ろう」
一度立ち止まってみた空は、まだ暗く冬の空には雪雲も漂ってはいませんでした。
私は車に乗り、エンジンをかけました。先程まで着いていたであろう、街並みのライト達は、既に消えていました。 私は家に着くと、そのままベッドへダイブし、静かに眠気に身をまかせました。
ジリリリリリリリ……!
翌朝、私は目覚ましの音で飛び起きました。しかし今日は会社を休むことにしていたのを思いだし、いささか損したような気分になりながら、二度寝するほど器用でない私は眠い目を擦りつつ起き上がりました。
今日は休むことを会社に伝えなければなりません。
私はベッドの脇におきてある携帯をとり、電話帳の中の電話番号にかけました。
ワンコール
ツーコール
スリーコール目に、課長が出たようです。
「はい。もしもし、春宮出版社ですが」
「課長。筒見です」
朝の眠そうなダルそうな課長の声に笑いを押さえつつ、悟られまいと必死に堪えました。
「筒見か。何だ?」
「今日は休むことにします。父が倒れまして」
そう言うと、電話の向こうから小さく
「えっ」
と聞こえました。課長が驚いたときの仕草です。
「いえ、大した事はないのですが」
「そうかね。大丈夫なのかね」
一部始終話し終えると、課長は納得し、許可をくれました。
私は電話越しに見えるはずもないのに、ペコリと頭を下げ電話を切りました。
さて、今から準備をします。父のところへ向かいましょう。
私は先ず、洗面台へ向かいました。新製品の歯磨き粉を毛が跳ねてきだした歯ブラシに乗せ、口へ投入します。
口の中に爽やかなミントが広がりました。私は大抵このミントのツーンとする感覚で目が覚めます。
そうして次に、弱酸性の洗顔料を手にとり泡立てます。流した後の化粧水も忘れません。
母によると、肌のお手入れは二十五歳からが大切なのだそうです。
そして仕上げは、先ず寝癖直しを髪に降り、櫛でとかしてドライヤーで整えたのち、コテで今流行りのエビちゃん巻きにします。
キューティクルが輝いて、今日も私は綺麗です。
いえ、決してエビちゃんの用に美しくはありませんが、どんなに不細工な方でも、自分が普段より綺麗に見える時はありますよね。
私は鏡の前で一度頷くと、朝食をとりにキッチンへ向かいました。
このマンションは、キッチンのほか、テレビ、パソコンのインターネットまで着いていてかなり充実しています。
私の朝食は、ハムエッグとサラダとパンにしましょう。
気合いを入れるために、沢山食べなくては!
私は、その後歯磨きをしなおして家を出ました。何だかんだ言って、父が心配だったので、多少急ぎ足になりました。
車に乗り、総合病院に行きます。
暗くなくとも、街は十分クリスマスモードでした。私がクリスマスを何だか皮肉な行事に感じてしまうのはきっと、ここ数年一人でクリスマスを過ごしているせいかもしれません。
私が病院に着くと、受付に少し暗い表情の母が座っていました。
私は昨日から看病しているので仕方ないと思いました。
私は母が私に気付いていないようなので、自分から歩み寄りました。
「母さん?……疲れてるね。あんまり無理しちゃだめよ」
「エリカ……」
母は、来たの、と呟くとうつ向いてしまいました。
こんな母を見たのは初めてです。まさか、父に何かあったのでしょうか。
「母さん、どうしたの。顔色悪いよ?」
「エリカ、父さんがね」
母はそこで一呼吸つきました。なにか、私の中で嫌な気配が更に広がります。
「父さん、頭の血管が切れてて、目が見えないみたいなの」
母は涙ぐみながら話しています。私は母が何を言っているのか分からなくなりました。
頭の血管が切れたと言うのです。恐らく失明でしょう。
よりによって、彼の好きな雪を、最後にみれなかったなんて!
しかし私が泣いてはいけません。私が頑張らなくて、誰が頑張って母さんを慰めるのよ!
「そうか……残念だね」
「あの人っ……まだ今年一回も雪を見ていないのに……!」
こんなに取り乱した母は始めて見ました。同じく私も取り乱したいのですが、嫌に冷静な自分が居ました。
私達は、受付で三十分ばかり抱き合っていました。
一頻り泣いた後、私は父の病室へ入りました。
父は、落ち込んでいるかと思いましたが、案外ケロリとしています。
そうして呑気にこんな事を言い出しました。
「死ぬ前に、もういっぺんお前と粉雪が見たいなぁ?エリカ」
「もう!縁起悪い事言わないの!」
私が半ば怒って言うのを、まるで本当は見えているのではないかと言うくらい的確に私の顔を見てカカカカと笑うのです。
しかし、そんな父を見て、安心している自分が居ました。
私達は本当に久しぶりに家族団らんした気がします。
父は、目が見えない事を特に悲しむことはなく、少し残念がってはいましたが、自分の中で受け入れているようでした。
凄く、格好良いと思いました。
そんな父を見ていて、私は仕事を休んでいる私はいったい何をしているのだろう、と思いました。
本当は気付いていたのです。何処かで仕事をサボりたいと思っている自分がいることを。
まだ昼です。十分職場へ向かえます。
「母さん。やっぱり私、仕事行くね。父さん、元気そうだから」
そう言うと、母はゆっくりと頷きこう言いました。
「行きなさい。任された仕事があるんでしょ?」
私は頷いて父に行って来るね。と言いました。
父はもう一度、
「エリカと雪が見てぇ」
とだけ呟きました。私は、いつか見よう、と叫んで病室を後にしました。
――1週間後
チャーンチャララーンラララーン!
私は残業で会社にいました。急に携帯が鳴り出し、普段そんなことはあまりないものですから、驚いて、うわっと声を上げました。母です。
「はい。筒見ですけど……」
「エリカ。すぐ来て。父さん、今夜が山だって」
「え……」
父は、まだ入院していました。昨日見舞いに行ったときは、元気だったのに。
「嘘。だって昨日あんなに元気……」
「あれはね、エリカに心配かけないように、って空元気だった」
空元気。私の頭の中に、その言葉が響きました。ここから病院は遠くありません。
私は急いで病院へ向かいました。
208号室では、医者とナースと母が父を見守っていました。
「父さん……」
そこには、少しこの世に疲れた顔がありました。
「もう、頑張らなくて良いから……」
私はそう呟いて父の顔を撫でると、父が少し、ほんの少し笑った気がしました。
母もそれを感じたようで、顔を見合わせました。
それから二、三分もたたないうちに、心音がプー……となり、父は逝きました。
ふと、窓の外を見ると、いつの間にか、外は初雪が降っていました。粉雪です。私は、いつか父が言っていたことを思い出しました。
「エリカと粉雪が見てぇな」
私は、父の亡骸に顔を埋めてこう言いました。
「父さん、雪だよ」
と。
完
父へ告ぐ―――
自伝ではありませんが、今私の父は体が弱っているので、お酒を控えてほしいなとおもいます。
私、父が大好きなので。
今回は、けっこう中途半端に終わって見ました。
もしかしたら、酷評になるかもしれませんが。私がこう言う終わらせかたをしたくて。と言うと言い分けぬしか聞こえないかもしれません↓↓