薄汚れた騎士の帰還
森の中で薪に使う木の枝を集めて家に戻ろうとしたレウルクはその手前で足を止めた。
家の前に誰かがいる。
彼が王国の端にある森林地帯に隠居してから数年。初めての来客だった。
その人物は大柄でローブを纏っている。
ローブはゆったりとしており、おまけにフードで顔や手足をすっぽり覆っている為“人物”という曖昧な表現に留まったが、十中八九男だろうとレウルクは思う。
なにしろ周囲と比較して判断するとその身長は二メートルに迫るのだ。
古巣でもなかなかお目にかかれない巨漢だ。
近づくとローブから日光のように光り輝く髪がのぞいているのが見えた。
髪や肌に汚れや傷みはなく、身嗜みに気を遣う人物であり、ある程度裕福である事が窺える。
レウルクが前に立つと、その人物はそっとフードを脱いで顔を彼に晒した。
「……っ」
相手の顔を見たレウルクは驚きのあまり声を詰まらせてしまった。
金髪で碧眼の美しい女性だった。だが、決して美貌に心を奪われた訳ではない。
「……っ……で、殿下!」
打ち上げられた魚のように口をぱくぱくとさせていたレウルクだったが、やっとの事で言葉を発する。
そう。彼の前にいた人物こそ王国の第一王女だったのだ。
「こうして会うのは初めてになるな。レウルク卿」
「は、はい……」
久し振りに人に会って感じたのは嬉しさというより煩わしさだった。元々人目を嫌って隠匿した身である。
厄介事の匂いしかしない彼女を歓迎する気持ちにはなれなかった。
周囲に意識を配ると複数の気配を感じる。恐らく護衛だろう。
正確な数までは分からないが、きっと弓や投擲武器で狙われている。
「……とりあえず中に」
家中には捌いた動物の死臭などが漂っているが、そこは勘弁してもらわなければ。
それに茶葉のような嗜好品はない。木製のコップに井戸の水で我慢してもらうしかない。
「国の宝とも言われるフィリアレジス殿下が何用で?」
テーブルに向かい合って座るとレウルクは早速切り出す。
はっきり言ってまったく心当たりがなく、対策も立てられないので選択肢はそれしかなかった。
「今度、軍内部に直属の部隊を結成する事になった」
「……それはそれは。おめでとうございます」
軍部を彼女が統括する前段階といったところか。
王になれる見込みがない王族が軍の司令官に納まるのはこの国では一般的な事である。その場合は軍のイロハを実地で学ぶ為に小規模な部隊が作られる事がある。
レウルクは表情に出ないように思案するが、何分王都を離れて長い。情勢を考察するには情報が足らなさすぎた。
何故王女が自分にそんな話をするのか、皆目見当がつかないレウルクだが、直後のフィリアの言葉には肝を冷やされた。
「貴公には参謀になってもらいたい。レウルク卿」
「……それは、私の来歴をご存知の上での勧誘でしょうか?」
無駄な質問だ。知らずに来ていたらそれはそれでとんでもない大物だが。
「数年前に行われた盗賊の討伐で多大な成果を上げた部隊の指揮官だ」
「……」
物は言い様だとレウルクは思う。
確かに結果はそうだが、その過程が些か問題だった。
アジトに動物の腐乱死体を投げ込んで疫病を誘発させたり、家族を浚って人質にしたり。盗賊の一人を買収して食事に毒を盛らせたりもした。
任務終了後にそれらの行為が問題視され、レウルクは騎士の称号を剥奪された。悪評は一気に城下に広まり、周囲の軽蔑の視線に曝された彼は何もかもが馬鹿らしくなり、こうして人気のない森に引きこもっているのだ。
レウルクにも一応弁明はある。
彼がいた部隊の練度が低かったのだ。編成した人間に悪意があった訳ではなかろうから他と比べて極端に低かったという事はないが、それでも平均を下回っていた。
彼自身も一騎当千の武力があった訳ではないし、むしろ自分は凡才だと自認していた。
部隊には初めての実戦という者も少なくなく、出陣段階からレウルクは不安を感じ、それは的中してしまう
任務開始早々隊長が流れ矢で死亡。それを見た副隊長は逃げ出し、部隊は瓦解寸前だった。そのくせ装備は上質だから盗賊から見れば格好の獲物だったのだろう。
次々に仲間が襲われていく中でレウルクは卑劣と罵られるような手段を取る事を決めた。
このままでは勢いづいた盗賊が近隣の村を襲う危険もあった。
民を守らなければという使命感と自分や仲間を生き残らせたい感情が卑劣を厭う気持ちを上回ったのだ。
結果として多数の盗賊を討つ事が出来たが、国王の不興を買ってしまった。あるいは即位前に起きたという陰惨な後継者争いを想起させてしまったのかもしれない。
当時のレウルクは国の礎になれればそれで良いと割り切れるほど達観していなかった。
むしろ彼の若さはその逆を向いていた。人並みの欲があった。
手放しの称賛は無理だろうが大きな戦果を上げたのだ。褒賞の一つもあるのではないかと期待していた。
しかし王都に帰還して報告書を提出した辺りから周囲の様子がおかしかった。
そして王宮に呼び出され、玉座の前で騎士号の剥奪を宣告された時の事は今でも悪夢として眠りを苛む。
そもそも大規模な討伐を決行しなくてはならないほど盗賊が増えた背景には、数年前に起こった異常気象があった。
この異常気象によって農作物は大打撃を受け、農民の生活は困窮した。
国側も税の一時的な免除などの方策を打ち出したものの、生活出来なくなった農民が盗賊になるケースが多発した。
このような事情があったから国王は彼等に同情的で、討伐の際にも可能な限り寛大な処置をするよう命令を下していた。
この「寛大な処置」という曖昧な言葉が齟齬を生んだ。
レウルクにしてみれば攻撃前に投降を勧告するだけでも十分に「寛大な処置」だった。
盗賊になったのにはやむにやまれぬ事情があったのだろうが、討伐が実行される時期には収穫も安定し始めていた。
それでも盗賊を続けるのは略奪に味を占めた悪人だ。
レウルクはそんな思考だったので抵抗する盗賊には容赦しなかった。それをするだけの余裕がなかったとも言えるが。
「自分は正道から外れた人間です」
「だからこそだ。敵がどういう手段を使うか分からないのだから対処する為には貴公のような存在も必要だ」
「……醜聞が広がりますよ」
「言いたい者には言わせればいい。だが、中傷が辛いというなら私が言わせん」
一国の姫が命令すれば少なくとも耳に届く範囲での陰口の類はなくなるだろう。
だがそれは面と向かって言われないだけだ。
余所余所しい態度を取られる事は十分ありえる。
そしてそれはどこからどこまで冷遇か一概に判断は出来ず、フィリアも対処し辛いだろう。
居心地の悪さは大して変わらないのではないかと思える。
断ればいい。レウルクの脳裏にそんな選択肢が浮かんだ。
フィリアの人柄を熟知しているとはいえないレウルクだが、嫌がる人間を無理矢理引き入れる真似はしないだろう。
そういう人格に思えるし、理論的に考えても反発する人材を組織内部に入れるのは危険だ。
だから断れば大人しく引き下がってもらえると思うのだが、レウルクはなかなか拒絶の言葉を発せなかった。
その代わり、
「決闘、しましょう。その内容次第では考えてもいいです」
「本当か?」
「王族に嘘は言いませんよ。不敬罪になってしまう」
もっとも、考えるとしか言ってないが。
「では決闘の方法を詰めましょう」
と、その前にフィリアのコップの水がなくなっていたので新しく汲んでくる。
それから三十分ほど話し合ってルールを決め、森の一角にある広場に移動する。
両者は十メートル程の距離を置いて向かい合い、手には木剣。
「決着はどちらかの降参か十秒以上倒れるか地面に膝を付いたら」
「うむ。では始めよ……」
言葉が途中で途切れ、フィリアはふらついて膝をつく。
「これは……」
彼女は体を起こそうとしたが、全身が麻痺して思うように動かない。
「これが俺の戦い方です」
原因は単純。隙を見て薬を盛ったのだ。
その薬は無味無臭な代わりに効くまで時間がかかる。
それでも決まった時間で一気に効果が現れるので便利だった。
フィリアは剣を杖のようにして何とか立ちあがったが、それも時間の問題だろう。
後遺症はない。傷つけずに無力化出来る薬品だ。
昔これを持っていたら騎士でいられただろうかと、余計な思考が混じるが、とにかく決闘は自分の勝ちだ。
「軽蔑しましたか?」
飄々としているようで、レウルクの心臓は緊張ではち切れそうだった。
問い掛けの答えを聞き逃さないように意識を集中させる。
「軽蔑はしない。正々堂々戦えというのは強者の傲慢だろう」
「なら殿下も今度から使ってみます?」
「いや、遠慮しておこう」
「……」
「卑怯な手段を使えば戦いに勝っても遺恨を生み、新たな戦いの火種となる」
それはレウルクにも分かる。
取り逃がした盗賊に襲撃された事もあるし、話を国レベルに広げた場合でも、条約を無視して他国に攻め込んだ国の兵士が捕虜になった際、酷い扱いを受けたという話もある。戦後もその国は外交において苦しい舵取りを強いられた。
騎士が名誉や誇りを重んじるのも見栄や体面の問題だけではなく、情と誠意を欠いて信頼を失えば孤立して破滅を呼ぶからという理由も大きい。
「まあ、それでこうして負けてれば世話ないですけど」
「案ずるな。私は、正々堂々戦っても誰にも負けないくらい強い!」
「!」
レウルクの表情が驚きに歪む。
彼の眼前でゆっくりとだが、フィリアが杖にしていた木剣を構える。
「はあぁ!」
気合一声。
地面が爆発したのではと錯覚させる強烈な踏み込みでフィリアは一気に距離を詰めた。
「なっ!」
レウルクは信じられない気持ちでいっぱいだった。
こんな短時間で効果がなくなる薬ではない。
けれど目の前の光景が現実だった。
間合いに到達したフィリアは右手一本で振り被った木剣を振り下ろす。
それに対してレウルクは両手で持った木剣を頭上に翳して防御を試みる。
(っ……)
レウルクの食いしばった口の隙間から激しく息が漏れた。
それだけ強烈な一撃だったのだ。片手で放たれたというのが馬鹿げている。
互いの木剣がしなった一瞬後には両方が砕ける。
引き分けかと気を緩めたレウルクの目がある一点を捉えた。
フィリアが左手を握り締めているのを、だ。
(まずっ……)
意識は反応出来ても体が追いつかず、一撃が綺麗に顎に入った。
気絶したレウルクは過去を夢に見た。
王都で身の振り方を考えていた頃、実戦経験もない従士のガキに非難された。
卑怯な真似をして騎士としての誇りはないか? と。
素手でも倒せそうな弱いガキに罵倒されたのが無性にイラついたのを覚えていた。
目を覚ました時、レウルクは土の上で大の字になっていた。
傍らではフィリアが無表情で見下ろしている。手持無沙汰だったのか、いつのまにか腰に下げていた剣の柄を触っていた。
その所作に薬の影響はまったく見られない。
「弱いくせに理想振りかざす輩は嫌いですが、分かった上で騎士道遵守するなら何も言えませんね。それに力を証明されたとあっては俺の完敗です」
さて。どうしたものかとレウルクは思案する。
負けたからといって誘いに乗る必要もないのだが……
「……」
目を閉じ、小さく深呼吸してから開く。
「一対一の決闘なら多分あなたに勝てる輩はいないでしょう。好きなように自分を貫けばいい。だが、国同士の戦いになればそうも言っていられない。卑劣、外道と罵られる手段を使わなければ国が守れなくなる時が来るかもしれません。その時にあなたはどうしますか?」
レウルクが万感の思いを込めた問いに、フィリアは即答した。
「王族の使命は国を守る事だ。その為ならこの手を汚す事を厭わん。かつての貴公がそうだったようにな」
「……そう、ですか」
「そして改めて頼む。貴公にも国を守ってほしい。その代わり貴公は私が守ると誓う」
その言葉でレウルクは心を決めた。
別に守ってほしかった訳ではない。
騎士を辞めさせられてから数年。我が身を見つめ直して分かった事がある。
当時の自分が欲したのは褒賞でも名誉でもない。
理解してもらえれば良かった。否定しないでもらえればそれで良かった。
ただ一言、労いの言葉が欲しかった。
人道に外れる手段を取ったのは自分や仲間の命が惜しかったのもあるが、それなら逃げてもよかった。逃げずに立ち向かったのは国と民を守る為だった。
それを認めてさえもらえれば満足だったのだ。
「……数年、無駄にしたな」
呟き、体を起こす。
「娯楽のない田舎暮らしにも飽きてきたところです。いいでしょう」
佇まいを正して彼女の前に頭を垂れる。臣下の礼だ。
「……これからの卿の活躍に期待する」
フィリアは剣でレウルクの肩を叩く。略式だが叙任の儀式は成立した。
こうして一人の騎士が舞い戻った。