妹君の診断書に、安静を要すとはどこにも書かれておりません
四年ぶんの診断書に、「安静を要す」の一行がありません。
悪い人はひとりも出てきません。読み切り。
「ロザリーは体が弱いのだから、君が代わってやってくれ」
コンラート様がそう仰いましたので、わたくしは膝の上の束の紐を解きました。
紙が十一通ございます。四年ぶんでございます。
診断書は、母屋の書斎の三段目の引き出しに入っております。先生がお帰りになるときに玄関で受け取って、そのまま入れる決まり。作ったのはわたくしでございます。四年前に一通目を受け取ったとき、置き場所がなかったものですから。
入れるたびに読んでおりました。何か指示が書いてあれば従わねばならないと思っていたからでございます。従うのがわたくしの役目でしたので。
二通目を読んだときに、おかしいと思いました。三通目で、思い違いかと思いました。四通目で、数え始めました。
「今度の慈善会も、名代は君だ。ロザリーは出られない。わかるだろう」
「はい」
「去年の収穫祭のときも、君が」
「去年の収穫祭、一昨年の慈善会、その前の年の新年の拝謁、それから王都のお茶会が四度でございます」
数を申し上げただけで、責めるつもりはございません。数はただの数でございます。
「……よく覚えているな」
「日付を書いておりますので」
コンラート様は少し笑って、それから真顔に戻られました。
「ジークリンデ。僕は君に感謝している。だが、妹を悪く思うのはよしてくれ。あの子は本当に体が」
「コンラート様」
「なんだ」
「妹君の診断書を、お読みになったことはございますか」
沈黙がございました。わたくしは待ちました。
「……いや。私が読むようなものでは」
「はい。そう思われるのが普通でございます」
わたくしは十一通を、卓の上に日付の順に並べました。四年ぶんでございますから、端から端まで並べると卓を一杯に使います。
「四年で十一通ございます。ロザリーは年に二度か三度、王都から先生をお呼びして診ていただいております。そのたびに、こうして所見をいただきます」
「ああ、それは知っている」
「読み上げてもよろしいでしょうか。長くはございません」
わたくしは、いちばん古いものを取りました。
「一通目。三月十一日。心の臓の音に乱れなし。血の色よし。息が浅くなるのは冬季のみ。『日々の散歩を勧む』」
二通目を取りました。
「二通目。九月二日。前回より息の乱れ減る。『日々の散歩を勧む』。距離を少しずつ延ばすこと」
三通目。
「三通目。二月十九日。冬季は無理をせぬこと。『ただし屋内を歩くこと』」
わたくしは、そこで手を止めました。束の残りを、指で少しだけ持ち上げてお見せいたします。
「十一通のうち、九通に『散歩を勧む』とございます。残る二通は、風邪をお召しになった直後でございますので、そのときだけは『三日ほど休むこと』とございます。三日、でございます」
コンラート様の目が、卓の上を左から右へ動いておりました。
「そして」
わたくしは、束を軽く押さえました。
「十一通のどこにも、『安静を要す』とは書かれておりません。一度もでございます」
◆
扉のところで、音がいたしました。ロザリーが立っておりました。呼んだわけではございません。この子は物音に敏いので、卓を並べる音で来たのでございましょう。
「お姉さま」
「ロザリー」
「その紙、わたしの?」
「ええ。あなたの先生が書いてくださったものよ」
ロザリーは、卓のそばまで来て、いちばん近い一通を覗き込みました。それから、顔を上げました。
「……わたし、歩いていいの」
わたくしは、何と申し上げればよいのかわかりませんでした。この子の背は、去年より伸びております。座っていても伸びるのだと、そのとき思いました。
「歩いていいって、書いてある?」
「ええ」
「わたし、ずっと、動くと悪くなるって」
ロザリーの声が、途中で細くなりました。
「お母さまが、そう仰るから」
わたくしは、この四年のことを考えました。母は、ロザリーが六つのときに一度、階段で倒れたのを見ております。あれ以来ずっと、この子を座らせてまいりました。悪気があってのことではありません。ただ、母は先生の紙を読んでおらぬのです。読めないのではなく、読む必要があると思っていない。それだけでございます。
母は、この子を膝に抱いて医者を待った夜のことを、いまも話します。話すたびに声が少し高くなるのは、あの夜が母のなかでまだ終わっていないからでございましょう。終わっていないものは、四年でも十年でも同じ形のまま残るのだと思います。
先生は年に二度いらして、四半刻ほど診て、紙を一枚書いて帰られます。母は玄関で頭を下げます。紙は、わたくしが受け取ります。
その四半刻のあいだ、母は部屋の外におります。中に入ると泣いてしまうからでございます。ですから母は、先生がロザリーに「よく歩いていますか」とお尋ねになるのを、一度も聞いておりません。
「ロザリー、先生は、少しずつ距離を延ばしなさいと書いてくださっているの」
「……四年、ずっと?」
「ええ。四年、ずっと」
◆
コンラート様は、その日、慈善会の話をされませんでした。
帰り際に、一言だけ仰いました。
「私は、君が働き者だと思っていた」
「はい」
「そうではなかったんだな。君は、代わりをさせられていた」
「それも少し違います」
わたくしは首を振ります。させられていたのなら、誰かを恨めば済むのでございます。恨む先がないほうが、よほど始末に困ります。
「誰も、させようとはしておりません。誰も読まなかっただけでございます。紙は四年、この引き出しにございました」
◆
その日の夕方、ロザリーと庭を一周いたしました。
池の周りをゆっくり回って、東屋のところで一度休んで、それからもう半分。全部で四半刻ほどでございます。
ロザリーは途中で二度立ち止まりましたが、息は乱れませんでした。立ち止まったのは息のためではなく、池の面を見るためでございました。鴨が来ていたのでございます。
東屋で休んでいるあいだ、この子は何も申しません。ただ、庭のほうをずっと見ております。四年、窓から見ていた庭でございました。
「明日も歩く?」
「ええ。少しずつ、延ばしましょう」
先生がそう書いてくださっておりますので。
書いてあることではなく、書いていないことを読む話です。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
この「霜月りつ」名義では、声を荒げずに、記録だけで答える人たちの話を書いております。どれも一話で終わります。
・持参金の返還額を関税表どおりに計算した話 『持参金はお返しに及びません。関税表どおりに計算いたしますので』
https://ncode.syosetu.com/n3137mo/
・十年ぶんの働きを見積書にした話 『真実の愛に賛成いたします。こちらが十年分の見積書でございます』
https://ncode.syosetu.com/n3188mo/
・言い訳の日付を通行簿で確かめた話 『「急な仕事」と仰った日、街道は雪で閉じておりました』
https://ncode.syosetu.com/n3120mo/
・断罪の場で三年ぶんの議事録を読み上げた話 『断罪の前に、議事録を三年分だけ読み上げてもよろしいですか』
https://ncode.syosetu.com/n3145mo/
・三年ぶんの炭の数で答えた話 『わたくしが何もしていないと仰るなら、この屋敷の炭は誰が数えたのでしょう』
https://ncode.syosetu.com/n3130mo/
・呼ばれ方が変わった日を数えていた話 『あなたがわたくしを「おい」と呼び始めた日を、全部書き留めております』
https://ncode.syosetu.com/n3127mo/
・「すぐ駆けつけた」を旅程表で検算した話 『「駆けつけた」と仰いますが、王都からここまでは馬で二日でございます』
https://ncode.syosetu.com/n3125mo/




